1話
「君と私は運命の緑の糸で繋がっている気がする!」
机に向かい合って座っている桜夏 咲がそう言ったのは、生物室でのことだった。
ここには僕と彼女しかいない以上、その『君』というのは僕のことなのだろう。
僕は手にした文庫本のページをめくりつつ、「へぇ、そう」とだけ答えた。
「興味なさ過ぎない? もっと、赤じゃないのかよーみたいな反応はないの?」
「黒じゃなくてよかったよ」
そう呟くと、彼女の顔には『?』が浮かぶ。
「黒い糸って?」
「黒い糸で結ばれている相手は、どちらかがもう一方を殺す運命にあるんだよ」
「そうなの!?」
彼女は単純に驚く。素直だ。
「いや、今 思いついた」
僕は文庫本を読みつつ、テキトーな受け答えを続ける。これが彼女とのいつものやりとり。
「生物部なんてやめて、文芸部に入ったら?」
「そしたら、生物部は君だけになるよ」
部員2名。この部活は、1人やめれば廃部に王手だ。そして、この学校に文芸部はない。
「私だけじゃないよ! キティがいるよ!」
そう言って彼女は部屋の奥を指差した。
指差した方向に目をやらずとも、そこにはキティの入ったケージが置いてある。
ちなみに、子猫なんて意味の名前が付けられているのはハツカネズミだ。彼女にはネーミングセンスがない。
「そう。なら、僕は心置きなくこの部をやめられる」
「……そんなこと言うと、キティが寂しがるよ」
当のキティは水を飲んでるか、寝てるか、そんなところだろう。試しにケージに入れてみた回し車を使っているところは見たことがない。
このやりとりは、完全な戯言。どうでもいい、無駄な会話。でも、それは案外心地がいい。
「確かに、キティに会えなくなるのは僕も寂しい」
「だよね。……そんなことより、君と私は」
「緑の糸で繋がってるの?」
「そう!」
何が嬉しいのか、笑顔で頷く彼女。対する僕は退屈そうな顔をしていることだろう。別に退屈ってわけでもないけど。
「運命の糸ってさ、赤色だけじゃないと思うんだよね」
「そう」とだけ頷く。僕は運命の糸そのものに懐疑的だ。というより、運命に懐疑的だ。
「青い糸とか、緑の糸とか、それこそさっきの黒い糸だってあっていいと思う」
「ふーん」
「で、赤が恋愛なら、緑が友情かなぁって」
「へぇ」
「なんだってそんなに興味なさげなのさ! 友達甲斐がないなぁ」
それは実際興味がないからだ、とは思わなかった。
案外、その考え方は面白いと思ったし、興味がないわけでもなかった。けれど、興味津々に聞くのも僕らしくない気がしたのだ。
僕っぽくないから、興味のないふりをする。僕はそんな小心者だ。
「君から運命の友達だと言われるのは、別に悪い気はしないよ」
「そこは、悪い気はしないじゃなくて、上機嫌になってほしいんだけど」
彼女はわざとらしく頬を膨らませた。高校生にもなって、彼女くらいの童顔でなければ、アホかと思うだけだろう。
「で、緑の君に頼みがあるんだよね」
「僕はどこも緑ではないと思うけどね」
服は白いワイシャツに黒い制服。髪も瞳も黒色だ。彼女だって同じくモノクロの格好。
「私の青春に協力してよ」
それを頼むなら、緑より青がいいんじゃない、なんて軽口はやめておいた。
*
「そもそも、高校1年生の夏休みなんて青春ど真ん中な時に、生物室でつまんなそうに文庫本読んでるってどうかと思う」
青春に協力しろと言う彼女に、「つまり?」と訊くとそんな罵倒が飛んできた。
彼女の言うことも尤もなのかもしれない。だけどさ。
「どうかと思ってここに来るのをやめたら、キティが死ぬ」
餌やりという避けられない活動があるため、夏休み中も生物部は毎日活動する。
餌をやるだけなので、活動は1分ほどで終わるわけだが。
「キティのご飯は大切だよ。でも、その後にここでつまらなそうに読書しなくてもよくない?」
「別に、つまらなくはないよ」
面白いから本を読んでいるわけだし。ただ、1人でニヤニヤしながら本を読むなんて気持ちの悪いことをしたくない僕は、傍から見ればつまらなそうにしてるだけ。
「私は、それはどうかと思うわけ」
「だから、夏休みになる前に言ったよね。餌やりには僕が来るから、君は休みを楽しめばいいって」
「それは君に借りができるみたいで嫌」
彼女は変なところで強情だった。夏休み前に話した時も、君とは対等でいたいのだと言い張った。たかが餌やりで借りなんて思ったりしないのに。
「だからさ、ご飯をあげた後の時間の過ごし方。もうちょっと青春しよう?」
「こうやって友達と駄弁ってるだけで、僕の身には余るほどの青春だよ」
但し書きをつけるなら、さらにその友達は女子であるし。まぁ、繋がっている運命の糸は緑色で、あまり異性だという意識もしていないけれど。
「高校1年生の夏は1回しかないんだよ!」
「留年すれば2回目もあるよ」
もちろん留年なんてするつもりはない。僕も彼女も、勉強は苦手ではない。
だから、彼女もそれをすぐに冗談だと受け取って、「ふん」と鼻を鳴らすだけで流した。
「このままじゃ10年後に思うよ? あぁ、あんな風に夏休みを無駄にしなければよかったって」
「そうかもね。でも、その手の後悔はどんな過ごし方をしてもする気がする」
なら、何かして後悔するよりも、何もせずに後悔する方を僕は選ぶ。
「君はどうしてそんなに青春を拒むの?」
「拒んではないよ。思ったことを言っているだけ」
別に、青春なんてくだらないねーなんて嘯くつもりはない。
青春、素晴らしいと思う。高校1年生の夏は1回しかないなんて、まさしくその通りだ。
でも、だからといって何かしようと僕は思えない。
「拒んではないんだね? じゃあ、キティにご飯をあげた後、2人で街に繰り出すとか」
「え、人が多い場所、嫌い」
「思いっきり拒んでるし!」
彼女はプンスカと怒り出した。まったくもって迫力がない。
「青春って、何をもって青春? 何かを得たいなら、緑の僕じゃなくて、赤色の相手を捜したら?」
「赤色の相手なんて簡単に見つからないの!」
だから緑の僕で代用すると。それでいいのか?
「で、緑の僕とどんな青春をご所望で? 街でショッピングとか映画なんてのは、赤い相手とお願いしたいかな」
「ねぇ、もしかして、緑って言ったから拗ねてる? 赤がよかった?」
ニヤニヤと笑う彼女に、僕は少し苛立ったかもしれない。でも、その感情はすぐに消えた。
「いや。君とは軽口を叩けるくらいがちょうどいいし、緑で十分。ただ、緑には緑に適した距離感があるでしょってだけ」
僕の意見に、彼女は「一理あるかもね」と納得し、それから、「じゃあ、そうだなぁ……」と思案を始めた。
考えあぐねる彼女を見ていても仕方がないので、僕は文庫本へと目を落とした。
それから数十秒の静寂。でも、それは続かない。
「思いついた!」
彼女がいる以上、この部屋が騒がしいのは仕方ないのだ。
「じゃあさ、街じゃなくて、山とか海とか行こうよ!」
「さっきの話聞いてた?」
山とか海に遊びに行く。複数人ならともかく、2人でだとすると緑の距離感とは思えない。
「聞いてたよ。だから、生物部っぽい活動。山で虫見たり、海で魚見たり」
彼女の話を聞いて、確かに生物部っぽくはあるかもと思った。
観察対象がキティだけというのも、部活としては要改善か。
「どうかな? 副部長」
彼女は自信ありげな顔をしていた。まぁ、部活ということなら。
「わかったよ、部長」
それが、僕たちの夏の始まりだった。
*
彼女との出会いは4ヶ月ほど前、4月のことだ。
僕たちの通う七倉高校は、何かしらの部活に入ることが強制されている。
運動と芸術の才能がない僕が選んだのが、生物部だった。
実は、動物が好きとかそんなことは全然ない。単なる消去法で選んだ。
僕はその時、生物部が廃部寸前なんて知らなかったし。
「ヤモリって可愛いよね!」
それが彼女の第一声だったと思う。僕がなんと答えたかは覚えていない。
入部届けを出してから、部員が他には同じ1年生が1人しかいないことを知らされて、とりあえず顔合わせくらいはしておくかと生物室に向かっての出来事だった。
生物室のドアを開くなり、そう尋ねられたのだ。
僕の彼女への第一印象は、変なやつ。それと動物好き。あとは童顔。
今の印象もそれとあまり変わらない。変わったのは、動物好きに『一部の』という但し書きがつくくらいか。
それから4ヶ月で、僕は彼女と、結構 親しい友人になった。運命の緑の糸を感じさせるほどだと言われても、確かに違和感はない。親友って呼ばれても、まぁそうかもしれないと思う。
そんな彼女と共に、僕は海に来ていた。と言っても、うちの高校は臨海地域に建っていて、高校から海まで10分もかからない。さっきの話の後に、「とりあえず、ちょっと海を見に行こうよ」と言われて来ただけ。
「うみーー!」
彼女はテンションを上げているが、この海は生物室の窓からだって見える。正直、4ヶ月間で水平線は見飽きている。
だから、僕は盛り上がる彼女とは対照的に、「そうだね」とどうでもよさそうに応じた。今回は、本当にどうでもよかった。
「テンション低いなぁ。青春しに来たって自覚あるの?」
なんだよ、青春するって?
灼熱の日差しに、煌めく海。隣には可愛い女の子。客観的には青春してるのか、これ。
ただ、日差しは暑くて鬱陶しいだけ。海は僕たちにとっては何も特別ではない。10分歩けばいつだって来れる。隣の可愛い女の子はただの友達。いや、親友? まぁ、恋仲にはなり得ない。
「さぁ、じゃ、生物部っぽく、打ち上げられたクラゲでも探そっか」
なんだよ、その生物部っぽさ、と思わなくもなかった。
でも、海に入る準備も、釣りの準備も何もしていない以上、クラゲなり海藻なりが打ち上げられているのを見るくらいしかできないか。
そんなわけで、僕たちは砂浜を下を見ながら歩き出した。
彼女はその辺に落ちていた木の棒を振り回して、僕はその2歩後ろを。
日の光に焼かれながら、僕たちはクラゲの死体を探す。
これ、青春しているとは言い難い気がするのだが……。
「あっつい」
つい、そう口にしていた。今は16時くらい。日差しは未だに強く、普通に暑い。額からは大粒の汗が噴き出している。
「それは、海水をバシャッてかけてほしいって意味?」
こちらを振り返ってニヤニヤする彼女に、僕は「バカなの?」と憐れみの視線を送った。視線だけでは伝らなかったので、ちゃんと口でも「バカなの?」と言った。彼女は「バカじゃないよー」と笑って返した。
「クラゲいないねー」
「いない方が平和でいいんじゃない?」
クラゲの死体は見つからない。この浜は、クラゲに刺される心配は少ないのかもしれない。
そんな風に、目的すら失いつつ、僕たちはただ砂浜を歩いた。
暑さに耐えられなくなってきて、「そろそろ戻ろう」と言おうと思い始めた時、彼女はそれを見つけた。
「何これ?」
「捨てられたペットボトルだと思うけど」
彼女が拾い上げたのは、砂浜に落ちていたペットボトル。パッと見た感じではただのゴミ。
「これ、中に紙が詰まってるよ?」
「ん?」
彼女の手元を覗き込むと、そのペットボトルには、無理やりねじ込んだようにパンパンに紙が入っていた。
「「ボトルメッセージ?」」
僕と彼女は顔を見合わせた。
彼女の顔は「面白そうなもの見つけた!」という感情を端的に表現していた。
彼女が求めていたものが、『青春』ではなくて『イベント』だったのだろうと、僕はこの時に悟った。
いやでも、こういう『イベント』こそが『青春』なのかもしれないか。