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うつつよりうつつへ

作者: 御堂鳴子
掲載日:2017/12/22

 はたと目を開けた。

 真実それは感覚上の話でしかなく、自分がいかにして目を開けているかなど確かめようがなかったのだが、眠っていても腕を動かせるのとまったく同じように、私は、自分が目を開けているのだと認識した。

 目の前は真っ暗で一筋の光も存在していなかった。これも感覚上の話になるのだが、私はどうやら寝転がっている。寝転がったままで、どこかに運ばれている。上なのか下なのか左右なのかはよく分からない。だが動いていることだけは確実だった。

「おや。お目覚めのようですね」

 不意に耳元から声が聞こえ、私は首を振ろうとした。しかし首は杭でも打ちつけられたかのように動かず、鈍い痛みが喉の奥をじぐじぐと焼くだけに終わった。

 近くの声は続けて笑う。

「無理になさらず安静になさいませ。今のあなた様はとても動ける状態ではないのです」

 他人事のように朗らかな口調で言い切られ、どうして分かるのかと問おうとした口もまた、かひかひと乾いた空気を吐き出すだけに終わった。暗闇の中をこつこつと、声の主と思わしき足音が、私の周りを回っている。私の心臓のように。

「苦しいのは分かります。困惑するのも当然のこと。ですがどうか、慌てずにじっとお待ちください。待てばよいのです」

 声の調子は少しも変わらず、音楽家のように穏やかだった。物知り顔でさとすような言葉にも棘は立たない。純粋な子どもが憧れのヒーローにさとされるような気持ちで、私はじっと、声を聞き続けていた。それ以外のことをしようとは微塵も思わず、またする必要性も微塵も感じなかった。

「退屈ですか」

 声が聞いた。だが私には答えようがない。動いているのか確かめようのない手を、ふらふらと振ってみせたがどうだろう。

「左様でございますか。では、せっかくなので少しお話しをしましょう」

 どこか嬉しそうに声は言った。鳴り続けていた靴の音がほんの少しだけ早駆けになり、穏やかだった口調も音符のように弾んだ。

「あなた様はもう死にます。……と言ったらどうされますか」

 私はもう一度手を振ってみせた。

「そうですか。そうですね。認めたくないのが人間というものです。死とは絶対不変の終焉にして恐怖でなければなりません。死を恐れぬ生き物など生を冒涜しているのと同義でありましょう」

 ですが疑問がここで一つ、と声。

「ならばなぜ、人間は死を遠ざけようとするのでしょう。いずれ訪れるものから目を逸らそうとするのでしょう。仮に死を免れ生き残ったとして、得られるものはごくわずかで失うもののほうが多いと、古来から変わらぬ言い伝えがあるにも関わらず。自分だけは違うと信じ死を避けようとするのでしょう」

 私は黙して声を聞き続けた。何も言えぬからではあったが、何も言うべきではないと思っていたからでもあった。

「生ある世界に心残りがあるから、と言う人もいましょう。しかし、たった一度きりの生でやるべきことを全てやりきる人など存在いたしません。まして心残りなど、本人が気づかぬだけで実は山のように積み上がっているものなのです。どこかを抜けばどこかが崩れ、いくらでも出てきます。人生などその程度のもの。今のあなた様のようにたゆたう時間こそが唯一の救いであると、あなた様ならお分かりかと思います」

 私の頭のすぐ後ろで、靴の音が止まった。手のような、しかし無機質で感触のしない不可思議な何かが私の口をそっと撫で、私の首をきゅっと掴んだ。喉仏のあたりを、細い指のようなものでなぞる。

「可能であるならば永遠に、ここでお眠りになっておられればよいのに。死を恐れることなく、生に苦しむこともない、確かな幸福がここにはある」

 何かが私の喉から、杭を引き抜いた。

 その途端、喉の奥を焼いていた鈍痛が抜かれたように消え、口からはいっぺんに空気が吸い込まれ、私は思わずむせかえった。同時に体もばね仕掛けのように跳ね上がり、動かした手は確かに自分の喉をおさえている。

「意外と苦しかったでしょう」

 声の主が優しく背中を撫でてくれている。

「死ぬよりはましだ」

 私はそう答えた。他に気の利いたことを言えそうになかった。

「左様でございますか。なかなかに面白かったですよ」

 突然、目の前に光の扉が現れた。まばゆすぎてそう表現するしかないが、私には確かに、それは扉であると思えた。そして同時に私は確信した。あの扉をくぐるべきなのだ、と。

 光の扉以外が視界から消え、立っているのかどうかも分からぬまま足を動かし、私は迷いなく真っ直ぐ進んだ。扉からは不思議な暖かさがあふれ出ていて、赤子のような懐かしさを感じながら、私は最後に、その声を聞いた。

「お次はまた、そうですね、80年ほど先でございます。ええ、今度は大往生ですよ。そういうふうにできておりますゆえ」

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