禁書さん
「こんばんはギルガメッシュさん。何か聞きたいことがあったら、何でも言ってくださいね」
楚々とした丁寧なお辞儀で俺を迎えるのは案内嬢ことリーナさんである。
その前に話をしておこうか。
流石に、あれだけのボヤをやらかしたマルスはバディスを去らねばならない。組織としての面子もあれば、荒くれ者が集う場所では特に決まりは遵守されねばならないものだろう。本来ならば血の制裁がなされたであろうことを考えるとただの追放処分というのは随分と譲歩した結果なのかもしれない。
だが、マルスが姉御たちのもとを去ることであろうと、俺は何の心配もしていない。なぜなら、彼にはもう新しく守るべき人が、帰るべき場所があるのだから。だから、マルス青年もまた強い心持ちで生きていけるだろう。別れ際に俺に礼を言う彼の目にはあの余裕のない雰囲気など微塵もなく、同一人物とはおもえないほど強かな優しい光を宿していた。
フ、今日からお前も立派な男だ。そう言おうと思ったが少し目頭が熱くて必死だったのは秘密だ。こんなところまで再現するなよ。
その後はログアウトである。休日とは言え一日中寝たきりは良くない。走りに行ったところ、つい海岸で夕日に吠えたことも秘密だ。青春を感じてか、思わずに情熱の炎を衝動のまま開放したのだ。これは大きな秘密である。
しかし、見られてた。全然知らないおじさんが生温い目で俺を見ていた。
慚死の思いである。まさかリアルでも泣きそうになるとは。目頭ではなく顔面が熱くなるという違いはあったがな。
即刻帰宅、風呂で悶えて少しのぼせた後に夕飯を食って自分の部屋へ。そして再び〈world online〉にログインしたのだ。
素敵な笑顔でニコニコと笑うリーナさんに出迎えられると心も多少は癒されるというものである。
「ご苦労」
「いいえ、ありがとうございます」
「素敵だ」
「ふふっ、もう。何もありませんよ?」
「明日は空いてるかい?」
「あ、ごめんなさい。明日も仕事で……」
「晩飯はなんだい?」
「ヒミツです!」
「俺は炒飯だったぞ」
「まあ、いいですね! 私も食べたい!」
「今度ディナーでも?」
「ごめんなさい、予定が多いの」
「そう謝るな」
「ありがとう、優しいですね」
「君だけにはな」
「くすっ、またまた。でもありがと」
「デートでもしないか?」
「ふふっ、ダメです」
くっ、なかなかのスルースキルだ。実はリーナさんは普通のNPCじゃない。〈world online〉のNPCが非常に高度な知能を持つことは事実ではあるが、それにも限度がある。
だが、リーナさんは学習するNPCである。教えてもらったことや正しい受け答えを幾千幾万と繰り返すにつれてどんどん人間臭くなる。そしてそれは他の全てのNPCと情報が共有されるのだ。
だからがこうやって質問してるのは推奨されてることであって、決してふしだらな目的ではないのだ!
「結婚してくれ!」
「ごめんなさい、まだそういうことは……」
「考えておいてくれ」
「もう、まだダメです」
『まだ』ですか! いつかは良いのですね、期待しますよ僕! 花屋の薔薇全部買い占めて来ますよ!
「ちなみに何回ほど結婚は申し込まれましたか?」
「あなたで176人目です」
ニッコリと切り捨てた愚か者どもの数を教えてくれる。これぞ触れ得ぬ太陽の花、愚者がどれほど手を伸ばそうと上から燦々と微笑むのみ。恐ろしや、リーナさん。
てか初日だぞ、なんでこんなにいるんだよ! 俺もその一人になったけどさ!
「エリア10で頼む」
「了解しました。楽しい冒険をお祈りしています」
いってらっしゃいと手を振るリーナさんを眺めつつ俺は光に飲み込まれていく。今度は彼女を本気で惚れさせるような秀逸なセリフを考えておこう。
–––––––––––––––
噴水広場に到着。ここは集合場所などに利用されてるのか様々なプレイヤーがそこら中にたむろっている。
「エンキドゥ」
俺の呼びかけに小さな光からエンキドゥが現れる。眠たげに目を擦り恨めし気にこちらを見てきた。起こすなってか、この野郎。
さて、職業クエストも終えたわけで装備を新調したいと思っていたのだ。初期装備ではやはり心許ないものがある。とりあえず、新調はするにせよ、しないにせよ、武具屋を覗かせてもらいに行こう。
とその前に――
〈ギルガメッシュ〉Lv10
職業 :〈無法者〉
所持金額10000G
HP 290/290
MP 145/145
ATK85
MAT50
DEF87
MOV75
・装備
〈ブロンズナイフ〉ATK35
〈探索者のキャップ〉DEF8
〈革手袋〉DEF4
〈探索者の服〉DEF15
〈探索者のズボン〉DEF10
〈革の靴〉DEF5
〈バディスの刺青〉MOV5
・技能
〈ボックス〉
〈勘定〉
〈マップ〉
〈エンキドゥ〉Lv8
・種族 : メルメル
HP 135/135
MP 135/135
ATK15
MAT58
DEF68
MOV80
・フレンドスキル
〈採取〉
〈活用〉
〈調合〉
〈挑発〉
これが現在のステータス。レベルも上がってそれぞれの能力値も伸びたみたいだ。そして変わったことと言えば姉御に頂いた魔法の刺青である。普通には伸びないMOVが少し上がるという嬉しい効果だ。俺の毛むくじゃらな左腕には青い紋章が仄かに輝いている。
エンキドゥは防御があってすばしっこいというメタルなスライムみたいなものらしい。こいつが本気で移動してるのをまだ見たことがないのだがな。そしてMATも伸びてるが、そのうち魔法でも使うのかい?
まあいいか、いつか分かるさ。とりあえず武具屋へ。
せっかくだから街の景色でも眺めながらノンビリと行こうか。
武具やアイテム、魔法の道具などの探索者と縁が深いものは軒並み商店街の探索者通りに並んでいるらしい。武具屋、万屋はその探索者通りに散らばっていくつかあるそうだ。それぞれの店の商品は多少の違いはあるものの、それほど変わりはないらしい。似たような店舗がいくつもあるのはプレイヤーによる混雑を避けるためなのだろう。
そんな探索者通りに向かっていたのだが途中でハタと俺の足が止まった。視線の先は芝生の上にベンチが何個か置かれた簡素な公園だ。休日などに住民のちょっとした憩いの場所になりそうなほんとにちょっとしたもので公園と言うより休憩広場といった雰囲気である。
そんな芝生の上に寝っ転がっているプレイヤーがいた。地面に背を預け、両手で顔を覆い隠すようにして本を読んでいる。そう、仮装空間内なのに本を読んでいる。
まあそれはそれとして、注目すべきはその隣でちょこんと正座をしている人型の土人形、ゴーレムだ! あんまし見かけなかっただけにマイナー派閥としてなんだか親近感がわいてしまう。
近づいてみると本の表紙が見えた。『ガリヴァー旅行記』と書いてある。
ずいぶんとコアな本をお読みなって。じゃない、本当に普通の本かよ。魔法とかモンスターについて描かれた本じゃないのかよ。
「そこのあんた」
「ん? うわっ!」
目の前の地面に寝転んだプレイヤーは本を投げ捨ててからのバッと両腕で顔を庇う防御の体制に入り体を丸める。ふむ、顔を隠せたなら五十点だな。だがそこまでやると反撃の機会は、って違う! そこまでやるか。
数秒たって俺が何もしないのが分かったのかチラリと隙間からこちらを覗く。ちょっと恥ずかしそうだ。
「す、すいません。イベントモンスターかと」
「……気にするな」
そんなにか! 確かに俺ほどガッツリ獣人にしてる人ってほとんどいないよな。可愛らしく耳だけ付けるのとか尻尾だけ付けてみたりとかはかなりいたが。猫耳とはなぜかくも人気なのか。
「ギルガメッシュだ。こいつはエンキドゥ。ゴーレムが珍しくてな」
「あ、どうも。すごい名前ですね。私は〈禁書〉と言います。このゴーレムは〈ガイア〉です。よろしくお願いします」
「そっちもたいがいじゃあねェか」
「はは……確かに」
ガイアと言えばギリシア神話の女神様だ。大地を生み出した神としてとても有名だな。それで禁書ってなんだよ、怖いんですけど。
「いや、パッと思いついたのが禁書だったもので」
そう言い訳する禁書さんは自分でも少し変だと思ってたようだ。照れるようにして笑っている。
禁書さんの容姿は黒色の髪に顔立ちも一般的な日本人の姿。それにとりあえず目だけ楽だし色変えとくか、といった感じで申しわけていどの青い目を揺らしている。仕事は真面目にこなしそうな一方、時に近所では遊んでくれるお兄さん、という雰囲気があった。
「その本はどうしたんだ?」
本を指さしてさっきから気になってたことを聞いてみる。ゴーレムもだけどこっちにも目がいくよな。
「あぁ、これですね。図書館でダウンロードで購入出来ますよ。残念ながら他人には貸せませんが」
ペラペラとページを見せてくれる禁書さんだったが全部白紙だった。自分で買えということか。
「なんでこんな場所で読んでんだ?」
「いやぁ、だって部屋で読むのも良いですけどねぇ。たまには趣向を変えてというか……」
なるほどね、とりあえずこの人は無類の本好きらしい。もしかしてこのためにこのゲームを買ったのか? 結構高いんだぞ、これ。
「そうかい、邪魔して悪かったぜ。俺も機会があったら覗いてみるかね」
「ええ是非に是非に。これからは外へ?」
「いや、装備を見繕う予定だな。金を腐らせてるとお化けが出ちまう」
「では御一緒させてくださいよ。ちょうど職業クエストが終わりましてね、休憩がてら本を開いたらついつい熱中してしまったようで」
「なかなかの酔狂だな禁書さんは。もちろん構わんぜ」
「いやーありがたい。あなたがいなければおそらくずっとこのままでしたよ」
禁書さんはそう言って苦笑する。
禁書さんも職業クエストはもう終わらせているとのこと。道すがら尋ねてみたが、選んだ職業は俺の想像通り魔術士であるようだ。
クエスト内容は大雑把に言えば精霊の暴走を止める、と言ったものであったらしい。師事した人物はお爺ちゃんだったみたい。姐御のことを少し話してやるととても羨ましそうにしてた。どうも随分と気難しいご老人だったそうだ。
「にしてもギルガメッシュさんもメルメルを選ぶなんて変わってますね」
「メルメル? あぁエンキドゥのことか。見た瞬間にコイツだと分かったぜ」
「はぁ、なんかそれはすごいですね。私は安直に盾役をしてもらおうかと考えてゴーレムにしたのですけど」
魔術士は防御が低いという短所がある。それをパートナーで補おうと考えたのは妥当ではあるな。多くの人は見た目で決めてしまったようだが。だってドラゴンとかさ、夢あるよね。
「先に武具屋に参りましょうか。私も防具が欲しかったんですよ。ついでにガイアのも買おうか悩んでましてね」
「ゴーレムはどのくらい装備が可能なんだ?」
「ほぼ人と同じですからね。頭、体、腕、腰、足、全部可能です。もちろんアクセサリー系統も。費用がかかる反面、装備が充実すれば応用性が高いのがゴーレムの特徴のようです」
ははあ、なるほどね。確かにゴーレムのみが多様な装備が選べるわけだ。パートナー専用の装備はあることはあるがそれほど充実してるわけではない。プレイヤーと同等で選択の幅があるのは人型をしたゴーレムだけなのだ。強力な装備で身を固めたゴーレムは非常に優秀な盾役になるだろう。
「それは便利だなオイ。……こいつは何が装備できるのか」
フワフワと浮かぶエンキドゥを見る。この大きさではさすがに人用装備は厳しそうだ。スカーフや刺青といった装飾系の装備しか無理だろう。
「あ、武器の話ですがメルメルなら魔導書が良いそうですよ。それと装飾系は装備できるので、それはキラキラしたものが良いそうです」
「魔導書?」
何だそれは? 光物が好きなのは説明に載っていたが魔導書は初耳だ。なんか強そうじゃないか!
「知りませんか? これなんですけど」
禁書さんが懐から取り出したのは魔法陣と不思議な言語が記されたいかにもな赤色のハードカバーの本だ。たまに黄金の文字が怪しく輝いている。
「初めて見た。エライ高そうじゃあねェかい」
「えぇ高いですね。これは5000Gしました」
5000G! 今の所持金の半分だ、出かけた手が引っ込んだよ!
「おいおい俺の財布が悲鳴をあげちまう。いったい何なんだそりゃ?」
「これは魔法を使うため道具ですよ。魔法使いじゃなくてもこれがあれば魔法を使えます」
魔法の書って訳ね。つまり使おうと思えば物理攻撃のアタッカーでもガチガチの盾役でも魔法が使えるようになるのか。ん?
「禁書さんは魔術士じゃないのか?」
「いや、これはスキルとはまた違った魔法体系なんでよ。まあ実際はこういうの持ってたら面白いかな、と思って買ったんですけどね。後で貸しますから試してみますか?」
「そいつはありがてェ」
購入は使い心地を試してから検討させてもらおう。俺が使うわけではないのだが。
「それにしても、色々と知ってるな」
「はは、情報はサービス開始前に徹底的に集めましたからね」
さすがは禁書さん、この人は戦闘以外でも頼りになりそうなプレイヤーだな。大まかに目を通す人ならたくさんいるだろうが細かく把握してる人は少なそうだ。
ちなみにお分かりでしょうが俺は全然調べてません。そもそもこのゲームを知ったのも友人の紹介からなのだ。
探索者通りはその名の通りプレイヤーが多く見受けられる。時おりNPCと思しき人もいた、彼等だけプレイヤーよりも強そうな装備で身を固めてるのだ。
「少ないが魔物の素材とかを売っ払っちまいたいのだが、どこで卸せるか知ってるか?」
「魔物の素材ですか。たしか商業組合の本部で取り引きしてくれるはずです。あ、パーティー組みましょうよ、あそこは神殿と同じでパーティー同士でしか一緒に入れないんです」
「なーるほど」
画面を開きパーティー申請を選択、自分を中心に半径十メートルのプレイヤーが選択肢となる。おい、誰だ〈チェリーボーイ〉なんて名前付けてるヤツは! ちょっと笑いそうだったろうが!
気を持ち直して禁書さんのみを選択、パーティー申請を送る。
『〈禁書〉さんがパーティーに参加しました』
「どうも、改めてよろしくお願いします」
「あぁ、よろしく頼むぜ」
グッとゴーレムのガイアが握手を求めて手を突き出してきた。突然のことに二人揃ってキョトンとしていると、エンキドゥが割り込んでその手を奪う。
次にはブンブンとガイアがエンキドゥを振り回すのを見て俺は爆笑し、禁書さんといえば慌ててそれを止めていた。
エンキドゥを相手取るとは、ガイア恐るべし。
あと二話、すぐに入りまーす