カニを狩れ!
「さて、スキルについてはもう良いだろう。では実際に戦ってもらうよ。やっぱりそれが一番さね。
この〈オリジンの街〉の南門から出て海岸沿いを東に進むと小さな入江がある。そこに巣食う〈牛食いガニ〉というデカイ蟹の味噌を五つ取ってきてくれ。あれは美味しいからね」
あ、姐御、それってパシリってやつじゃありませんか? それともこれは初めてのおつかい的な微笑ましいものですか?
「〈牛食いガニ〉は大きく力も強いけど〈無法者〉としての基礎がなってりゃ問題なく倒せる。それと、それは餞別よ、分かったらとっとと行ってきな」
『〈鉄の短剣〉、〈ペシッドナイフ〉×10を受け取りました』
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【職業クエスト : 無法者の法】
〈アイラ〉に認めてもらうために〈牛食いガニ〉から取れる〈カニ味噌〉を五つ集めてこよう。牛食いガニは〈オリジンの街〉から東にある〈ニア海岸〉にいるぞ。
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「んじゃ、行ってくらァ」
階下に降りると数人の男達に興味深い目で見られた。この世界では職業につける人は特別なのだろうか? プレイヤーが特定の立ち位置であるという話も聞かないな。
外に出ると見張りについてるのは拳で語り合ったマルス青年ではなく、知らないおっちゃんになっていた。〈バディスの兄貴分アクセル〉となっている、皆に頼りにされる懐の深いおっちゃんなのだろう。俺の目指すべき目標の一つだ。
「おう、あんたか。〈カニ味噌〉を集めに行くんだろう? ついでにもし〈マルス〉を見かけたら教えてくれないか? あいつ最近何か隠しごとがあるみてぇでな、まあわざわざ探せとまでは言わんからよ、頼んだぜ!」
「頼まれたぜ」
外はいつの間にか夕方になっている。アイラの姐御の講義は随分と長いことかかったことになっているようだ。夕日が映る海岸は綺麗そうだな。
しかしマルス君が隠しごとか。何か良からぬことでなければ良いのだが。こんな組織だし、いけないことに手を出してるかもしれないな。麻薬とか? イラついてたしな、きっと禁断症状だ、見つけたらボコしてやろうか。男を諭すのに口と拳は一対一ずつ必要だよな。
南門へ向けて歩を進める。上機嫌なエンキドゥは俺の頭の上で揺さぶられながら鼻歌を吹かしている、聴いたこともない奇妙なリズムだ。そして意外と上手いのが癪に触るぜ。真似してくちずさんでみるもどうも掴み所がなく難しい。
「ケッ!」
分かるぞ、おい。お前今嘲笑ったろう? 俺の音痴を馬鹿にしたな? 許すまじ、いくら寛大な我が心であろうと、堪忍袋の尾が切れた! それに今は他のプレイヤーもいない、年貢の納め時だな我が盟友よ!
「フンッ!」
「ギッ!?」
歩調に合わせて振っていた手が前に来た時に即座にエンキドゥへ摑みかかる、しかし惜しくも壺の表面を触っただけでツルリとエンキドゥは抜けてしまった。
「ケキャ!」
「おっと!」
宙に逃げたエンキドゥが俺に泥団子のようなものを投げてきた。慌ててそれを避ける、脚にバネが仕込まれているかのように動きやすい、これがMOVが上がった影響か。仲間でそれを確認することになるとは何ともな。
しかしエンキドゥのヤツなんで泥爆弾なんか持ってんだよ、街が汚れるだろうが。ん?
「おい、ちょっ! お前マジか! バカじゃねぇの!?」
クソ、素に戻っちまったじゃねぇか! 決して戻るまいと思ってたのに!
だがこれは俺が悪かった。俺の認識が甘かったのだ。認めようエンキドゥ、お前は間違いなくイタズラ妖精の名に恥じない野郎だ。お前はこれからもその看板を誇りと共に背負っていくのだろう。だが俺は二度と貴様に油断はせんぞ!
しかし、こいつ俺に拾ったアイテムは全部渡さなかったか? まさか、こういう時のために主人に黙ってまで"それ"を持っていたのか! なんて野郎だ、お前の生き様を見せてもらったぞ、エンキドゥ!
とりあえず路上にあるものは記憶から消した。きっと俺が通り過ぎれば情報の海に沈むことだろう、こうやって水質汚染が進むんだな。なんか違う気がするけど。
次第に潮風が吹いてくるようになった、海の塩っけたっぷりの空気だ。向かって吹いてくる風が体の毛を揺らし通っていくのが心地よい……逆向きじゃなくてよかった。
港近くとなると活気に溢れ様々なNPCが夕暮れ時にも関わらず仕事に精を出している。色々と興味深くはあるが全部見ていてはいつまで経っても終わらない、今はカニ味噌を取ってこねば。
と、南門近くのちょっとした高台の上に名前が表示されてるNPCがいる。しかも二人、一人はもちろん尋ね人マルス君だ。もう一人は〈花屋の娘リリー〉となってる。夕日を背に、二人で並んで座っており、そこは砂糖が溶け切れなくなるほど溶け込んだあま〜い空気に満たされていた。
「マルス、どうしたのそんな怖い顔して」
茶色の髪に可愛らしいおさげをしたリリー、花屋の娘らしくその落ち着いた髪の色によく似合う頭に乗せられた控えめな白の花が彼女をより一層純真に彩っている。
彼女の優しい声からはマルスを気遣っていることがよく感じられた。
「いや、何もないよリリー。そんなに無愛想な顔してたかい?」
ニコリとマルスが少し無理な笑顔を作る。お前は誰だ! 俺と拳で語り合った友人はどこにいった!?
にしても麻薬ではなく女だったか、まあ似たよう……いやいや、やるなぁマルスよ。よっ、この色男!
「まあ、唇が切れてるわよ? どうしたの?」
「あ、えーと、ちょっとドジ踏んでね。でも大したものじゃないさ、すぐ治るよ」
「もう、何も教えてくれないのね。私はこんなに真剣なのに、酷いわマルス」
「す、すまない。でもリリーを愛してるのは本当だ、本気で愛してる。アフラマズダ様と俺の魂に誓って」
「ふふ、分かってる。私もよ」
クスリとリリーは笑ってマルスの肩に体を預ける。俺はと言えばあまりのバカップルぶりに叫び声を押し殺しながら歯を噛み締めていた。盟友エンキドゥが俺の頭を撫でてくれる。ねぇそれ手洗った?
「今は……まだ無理なんだ。俺にもっと力があれば」
「力なんていらないわ、私はあなたがいればそれで良いの。待ってるから、ずっと、ね?」
「リリー」
あぁチクショウ、あまりの甘さに吐き気がするぜ。甘党の俺でもこれだよ、他の人ならヤバイよこれもう。
「誰だ!」
バッとマルスがこちらを見る。気づかれてしまったか、流石にそっちの社会の人だけはあるな。
マルスは短剣を手に俺を確認すると苦々しい顔を作った。そんなゴキブリみたいな扱いしないでもいいじゃないか〜。
「お前、なんでここにいる。今見ていたことは全部忘れろ、いいな!」
「クックッ、可愛い嬢ちゃんだな」
「うるせぇ、お前には関係ないだろ! リリーに近づいてみろ! タダじゃおかないぞ!」
「マルス? 誰なのその方は?」
またまたマルスを怒らせてしまった。どうもこいつはからかいたくなるな。
リリーちゃんはマルスの普段とは違うただならぬ様子に不安げな声を出す。さっきまでは夕日の逆光で見にくかったが近くで見ると整った顔の可愛らしい子であることがよく分かる。だが大人しめな印象とは逆に瞳の色は燃えるルビーだ、芯の強い女の子のように思える。
「来るなリリー、知り合いだ。君が話すべき相手じゃない」
なんだよマルス君、同じ穴のムジナじゃあないか。どうも自分があまり堅気じゃないことをしてるのをバラされたくないのかな?
「そんな、失礼よマルス。あの、私は〈リリー〉と言います。あなたは?」
「嬢ちゃん、狼には気をつけな」
「え? お、狼?」
クックッ、はてさて、狼とは俺のことか。それとも?
「おい! もういい! 行こうリリー、こんなヤツ相手にするだけ無駄だ!」
「あ、マルス、すいません、また今度」
正しい判断だマルス、大事な女は変な男からは遠ざけておけ。俺みたいなやつからはな!
路地の向こうへと消えていくマルスを見送ってから南門に再び向き直る、羨ましくなんかないぞ。悲しくなんてないぞ。俺には盟友がいるからな!
南門を抜けるとそこはもう港だ。段々式に倉庫やボロ小屋が坂に並んで立っており突き出た港からはいくつもの大小様々な船が船舶している。それらが夕陽に染められてオレンジに着飾られてる光景はとても美しい。こういうのを観れるだけでもこのゲームをやって良かったと思える。
「行くぞエンキドゥ」
一気に下り坂を駆ける駆ける、MOVが上がったおかげでバネ仕込みになった脚力は地を蹴っては体を押し上げ力強く鼓動する。吹き荒ぶ風、過ぎて行く景色、和む夕陽は穏やかに。頭の上でけたたましい笑い声が響いた。もちろんエンキドゥだ。激しく揺れるも驚異的なバランス力でしっかりと頭に乗っている。もはやくっついていても疑わない。
坂を下りきってから右に直角方向転換、居並ぶ船を傍目に海岸沿いを駆け抜ける。やがて地面は石から木製のものへ、そこからさらに砂浜へと移り変わる。滾る健脚は砂地になったにも関わらず悠々と長い影を砂浜に写しながら体を押し出す。
実に爽快、あっぱれ航海、今日は寿司でも食ってやろうか。遠くにはもくもくと黒煙を吐き出す一隻の船が港に向かっているのが見える、その周りには何羽かの鳥が黒いシルエットになっておりなんだか郷愁の念を匂わせる。
といっても俺の親は現実に戻ればすぐに会えるのだが。昼間っからゲーム世界にのめり込むダメ息子を見てため息を吐いてることだろう。
巨大な岩が黒々とそびえる入江が見えてきた。あれがニア海岸だろう。アーチ状になっている岩の下をくぐり抜けると、いるわいるわ大きなカニが。おおざっぱに言えばバイクほどの大きさ、確かに牛も喰らいそうなデカさのカニだ。地面の砂に似た味気ない色をしているがその大きさから醸し出される存在感が保護色など一切無視している。なんというか本能的な恐怖を感じさせる。大きさは強さだ、しかしそれはゲームでは通じない原則なのだ、負けませんよ。
最初から突っ込むのはノーである、無法者は前線での戦いが多いにも関わらず防御力が低い、おそらく魔法使いの次ぐらいには。ではどう補うか、当然素早さだ。それは初戦の敵にはよりリスクが高いことを意味する。まあぶっちゃけ最初のクエストからそこまで難易度が高いことは無いだろう、だがそんな味のない遊び方でやるのはダメだ。
蟹のハサミは構造上、人間なんか比にもならないほどの強力な握力がある。小さい蟹に挟まれたことがある人は分かるだろう、あの大きさであの力だ。ならば目の前にいる化物並みの巨大な蟹に挟まれたらどうなるか? ズギャンだろう。一撃だ、紙切れのように肉体は千切られるに違いない。そう思うと緊張感もあるってものだ。
近くで土をハサミで咥えている一匹に目をつける。分かってたけどすごく硬そう、手数で攻めるこちらとしてはおそらく弱点であろう甲殻の隙間を狙いたい。エンキドゥが騒ぐ前に始めるとしようか。
最初はとりあえずいっとけ、背後から体と節足の隙間に短剣を差し込む。攻撃には迎撃を、奇襲など知ったことかと牛喰いガニが巨大なハサミを持ち上げゆっくりと向き直り始める。
……遅い! いやまあ確かに現実ならこのデカさで俊敏な動きは無理があるけどさ、やはりまだ初心者のステージということか。無法者のスタイルに合わせて作られたモンスターなのだろう。
動きに合わせて背後から攻撃し続けたら勝てそうだ。こんなにちょろいとはな、少し残念だ。
と、突然牛喰いガニの動きが止まる。疲れた?
「〈跳散〉!!」
地面を蹴り飛ばすと急速に眼前のデカイ牛喰いガニから視界が広がる。牛喰いガニが止まったと思えば脚が縮こまってた、即座にスキルを使ったのは正しかっただろう、あのデカブツ、後ろに突っ込んできやがった。いわゆるヒップアタックだ。
流石に背後からチクチクしてるだけは甘かったか、運営もそう思ったのだろう。
「キャッケッケッ!」
「おま、バカ! 何やってんの!?」
カニのハサミの可動範囲は前面と側面が主なのは誰でも分かる、特に前面なんて左右に逃げれずより危険なのもきっと分かる、じゃあ正面から行くバカは? います、我が盟友です。
手に持った古ぼけた木の棒を大爆笑しながらカニの頭に打ち付けてる。シュワッとどっかのヒーローのように牛喰いガニが万歳を掲げる。
「逃げろ!」
「リ〜」
エンキドゥはフワリと浮き上がると背中を向けて余裕の顔で離れていく。間一髪、間違いなく! 牛喰いガニの攻撃までのタメは長かったがその巨大に似合わぬ素早さでハサミが宙を断ち切る。ギリギリ、ほんとにギリギリそれはエンキドゥに当たらなかった、それがまたおかしいのかエンキドゥは笑う笑う。
俺、パートナーを間違えたかもしれない。遅過ぎるがそう思ったのだった。
エンキドゥ殿に関しては、マジック◯ットを思い浮かべてる人がいればそれで合ってます。