とある終わり
「ふぅ〜〜」
「もう、大丈夫、なの?」
「ココニハ、番人モ来レナイデショウ」
あの押し潰されるような圧迫感は既にない。
通り抜けると同時に閉じた扉、今はまた仄かな暗がりが辺りに満ちている。
マミが灯りをつけると、温かな光がポッと闇を照らした。
「アリガトウゴザイマス。ココマデ辿リツケタノモ皆サンノオ陰、私感謝ニ堪エマセン」
「ったく、散々だったぜ」
「ほんとに、安請け合いするからよ」
ぶーたれるマミだが、今回はこいつがいなければ無理だったろう。最初は残念な子だと思っていたが、許しておくれ。
「此処ハ王墓。シカシ、同時ニ嘆キノ跡地デモアリマス」
歩き始めた伯爵が、静かに語り出す。
「本来、試練ハ王位継承権ヲ持ツ男ガ臨ムモノ。試スヨウデハアリマスガ、試練自体ニ危険ハナカッタノデス」
そう言われて振り返ってみると、番人やファントマ以外に直接的な危害は受けなかった。最後の試練も、落ちたら落ちたで試練は失敗だが危険はないのだろう。
「カツテノ狂王ハ力ヲ求メ、禁ジラレタ術ニ手ヲ出シタ。其レハ人ノ手ニハ及バヌモノ。生ミ出サレタ怪物ハ、生キトシ生ケル全テノ魂ヲ欲シ、王ヲ、貴族ヲ、民ヲ、動物ヲ、殺シニ殺シテ這イ回ッタ。ソウ、国モ滅ビル程ニ」
伯爵の声は、通路に反響し耳の深くまで浸透する。
ここら一帯を席巻した巨大な王国、しかし今では村の家々の盤石となり、獣たちの棲家となった、栄えある王国の滅亡の話。
「アマリニ呆気ナク、コレホド容易ク国家ハ滅ビルノカト驚嘆シタモノデス。
最強トモ謳ワレタ騎士デサエ、ソレヲ抑エルコトガヤットデシタ。
……最終的ニハ、数百ノ人々ヲ餌ニシテ、アノ怪物ハココニ封ジ込メラレマシタ」
要は、その怪物が番人ということか。
あの亡霊どもはかつて餌にされた怨霊たち。または、それに引き寄せられた現地の人々か。
伯爵の口振りから、彼はその生き、いや死に証人なのだろう。
「あ、何か見える」
ポツリとマミがこぼした言葉、通路の奥からは薄青のボンヤリとした光が覗いている。
「エェ、ヤハリアリマシタカ。希望ハ捨テルモノデハアリマセンネ」
突如爺やのように声を和らげた伯爵がチラチラと鬼火を揺らす。
「探しものはあったのか?」
「間違イナク。ヤット見ツケマシタ」
寂れた墓を暴き、地の底まで階段を下り、備えられた試練を乗り越え、死者が伸ばす手の隙間を縫って、その最果てにあったもの。
「開けるぞ」
扉の隙間から漏れでた柔らかな光。それを遮るものがなくなった時、その光景が姿を現わす。
「……キレイ」
「……あれは?」
部屋の中央に、あまりに場違いな地獄の底に、その木は静かに佇んでいた。
細く風が吹けば今にも折れてしまいそうな人の背丈ほどの若木。まるで幽霊のように、細い幹も、垂れた枝も、そこから茂る長い葉も、青白くどこか儚げで薄ぼんやりとした燐光を纏っている。
ふわり。雪よりも軽い光の粉が、地底の真闇を仄かに照らす。
「うわぁ……」
明かりを消したマミが感嘆の声をもらす。
太陽に隠れた星のように、眠っていた光景に俺も思わず息を飲む。
雪か蛍か、例えるならばそうだろう。その淡い光は明かりのない夜の海を、生き物のようにフワフワと泳いでいた。それが、数百、数千、数え切れないほどの燐光がこの部屋には満ち満ちている。
先ほどの儚さはどこへやら、その真ん中に座すのは、幽玄の子供たちの主。陽炎に帰した亡者たちの止まり木。
光ない暗黒の世界でただひとつ燃える生命の輝きは、見たものを夢現の狭間へと誘う。
「霊幻樹デス。死者ノ魂集ウ場所二芽吹ク不吉ノ象徴。地上デハ既二絶滅シタト言ワレテイマス。人間ノ魂二種ヲ蒔キ、死者ノ体ヲ苗床二シテ育チマス」
なかなかエグイ育ち方をするな。そりゃ忌み嫌われても仕方がない。
「で、こいつが目的のものか?」
辺りを見回してもるも薄暗いので確かなことは分からないがこれといってめぼしいものはない。
エンキドゥもつまらなさそうに鼻をほじっているのでおそらくツタンカーメンのようなお宝はないのだろう。
「ハイ。スミマセン。カノ王国デハ、王ハ金銀財宝デハナク沢山ノゴ馳走ト家臣ト共ニ眠ルノデス。期待ニ添エルモノハ有リマセン」
伯爵がしおらしくうな垂れるとレックスは気にするなとばかりに鼻で笑った。
「もともと分の悪い話だった。骨折り損は承知のうえだ」
「……寛大デスネ」
「フフン、僧侶だもの。当然だわ」
ゴールして調子を取り戻したマミが腕を組んで胸を張る。
カッと俺がその膨らみを凝視すると慌てて体を隠し、涙目で睨んできた。
「フム、アレヲ採ッテキテモラエマセンカ?」
伯爵が骨の手を指差す先、しな垂れた霊幻樹の枝先についた玉響の蕾がひとつ。
俺はその幻想の木にそっと近づき、蕾がついた枝を静かに手折った。
まるで出来の悪い玩具のように物音一つたてず折れる枝、おっかなびっくり指に挟んだそれを伯爵に渡す。
「ヤハリ、ドウセナラ花ガ一番デショウ」
受け取った伯爵がそう言ってカラカラと笑った。
「もしかしなくても、フィーリアに渡すのか?」
「バレマシタカ。ソウデス、彼女ニコレヲ」
「えぇ!? ということはあなたのプレゼント大作戦に付き合わされたってこと!?」
写真をとっていたマミが顔をあげて伯爵に詰め寄る。
そう言われてみれば、ライバルに手を貸してしまったかもしれん。
「ムホホホホ!! ソウデスネ、ソノ通リデス!」
「はぁ……」
今までのの苦労を思い返したのか、伯爵のおおわらいの前にマミはがっくしとうなだれてしまう。
「ホホ、モウヒトツ、歩キナガラ昔話ヲシマショウカ」
「ん? もう見納めか?」
「エェ、ヨクゴ堪能シトイテクダサイ」
「なるほど、俺も新葉くらい頂いてくか」
そう言ってレックスはひとつ頷く。
俺も先っちょぐらい貰っとくかね。すぐ枯れるだろうが。
『それはとある騎士の物語。
かつての王国に仕えた近衛騎士隊長のことです』
暗い通路、霊幻樹を掲げた伯爵が歩きながら静かに語り出す。
魂を震わせて絞り出るような、肉声に近くも骸より儚げなその声で。
『その日、かの騎士は狂王の命により行われた森の民の大虐殺の後処理にきていました。
正確には狂王が彼等を欲して隷属を試みたのですが、気高き彼等は勇敢に戦い勝ち目が無いと知るやほぼ全ての者が自害をしていたのです。美しき森の民を手に入れ損ねた狂王は、それはもう凄まじい怒り様でした』
レックスの不愉快そうな舌打ちが聞こえる。
狂王、なぜ伯爵が頑なにそう呼ぶのかよく分かる気がする。
『しかし、全ての者が自害した訳ではなかったのですよ。あまりに濃い血の臭いを漂わせた村を一人訪れた騎士は、そこで蒼い幻を見ました。
月の無い夜、むせ返る血の池の中で、蒼い幻に包まれた母娘を……。
それは本当に言葉で表せない美しさでした』
まるで抒情詩のように語る伯爵。その高名な騎士とは伯爵なのだろう。
そして森の民とは、エルフのことか。
『泣きつく娘を胸に、その母は騎士に慈悲を請いました。己の誇りも脱ぎ捨て、娘のために余力を残さず注ぎ込んで。その裂けた腹の隙間からは既に霊幻樹が芽を出していました』
うっとマミが腹をさする。
さすがに俺も眉根が寄るような話だ。
『騎士はその母に問います。自分が見逃す代わりに、どのような見返りがあるのか。死にかけの女一人にいったい何ができるのかを。
その母は何と答えたと思いますか?』
前を歩く伯爵がクルンとこちらに顔を向けた。振り向き方もダイナミックなことこの上ない。
「村の宝の位置とか?」
「他の仲間の隠れ場所よ」
「例の禁術とかじゃねェか?」
それぞれにバラバラな答えを口走った俺たちに伯爵はカラカラ笑って首を回した。
そして再び足を動かす。
『なにもありませんよ。死にかけの彼女にできることなど……。ただ、その想いが何より強かったことは確かでしょう。霊幻樹は魂に根付くもの、懇願を繰り返す彼女の祈りに応えて、美しい花が咲きました。さらにそれに応じるように、周りの霊幻樹が一斉に種を飛ばしました。彼は、不思議と昔を思い起こされました。弱きものを救う、英雄に憧れたあの頃を』
伯爵がゲームの主人公みたいになってるじゃねぇか。
『騎士はその娘を引き取り、一部の者以外には誰にも知らせずにその娘を育てました。
彼女はそこで健やかに育ちます。娶った妻をすぐに亡くしてしまった騎士は、妾をつくることもなかったので、次第にその娘を本当の娘のように思い始めたのです。
彼女が見せる笑顔に、泣き顔に。
コロコロと変わる彼女に合わせて、騎士の心もめまぐるしく変わりました。
小さな子供は魔法が使えるのです。それは大人には真似できない、大きくなるにつれ次第に失われていく不思議な魔法です。騎士の頑なな心でさえ、その魔法の前ではなす術なしだったのでしょう』
いやに楽しげな、懐かしむようなその口調。
「なあ伯爵、もういいじゃねェか」
俺がそう言うと伯爵はやはりカラカラと笑う。
その姿を見て俺は疑問を感じた。伯爵のドクロ顔が妙に錆びれた雰囲気をまとわせているからだ。
『ムホホホホ、そうですね。かつて王国最強と謳われたその騎士とは正しくこの私。今は名もなき伯爵のことです』
やっぱりねとばかりにマミとレックスは頷く。さすがに二人もこのことは予想の範疇であったようだ。
ということは、やはり彼女は……。
『やがて私の娘、フィーリアはすくすくと育ち、それはもう形容しがたいほど美しい女性へとなりました。それはかつて見た森の民の中でも群を抜いているほどだと、私は思っておりますよ。多少は親の贔屓目でしょうが。
しかし、同時に隠し続けてきた彼女の存在がバレました。大きくなった彼女を隠し通すのはさすがに無理があったのです。
狂王は私を呼び出すとすぐに、彼女を献上せよと言いました。
私はそれを、生まれて初めて王の命を拒否しました』
王墓から外に出るとそこはまだ仄暗い、明け方前の静かな夜の時間。鳥でさえそのさえずりを始めず沈黙を守る。
帰りに番人が俺たちを襲ってくることはなかった。なんとなく、伯爵が持つ霊幻花があったからのように思う。
『そこからはもう波乱でございましたよ。
狂王は私の暗殺を企て、彼女の美しさを聞きつけたものが強引な求婚を迫り、我々はそれに抗い仲間を集め決起しました。国は二つに分かれてドンドンパチパチと大きな内乱をおっぱじめた訳ですね』
ムホホホホ、と笑えない話を笑いながら伯爵が語る。あちゃあ、とマミが気の抜けるような声をだした。
『次第に我々は王を追い詰め、もはやこれまで、というところで狂王は最終手段をとったということです』
「例のバケモンか……」
レックスの呟きに伯爵はひとつ頷いて肯定を示す。
『そこからは先ほど述べた通りです。私は多大な犠牲を払ってアレを王墓に封じ込めました。決死隊を即席でつくり後退しながら王墓の中まで引き込んだのです。例の最奥にて、私は死にました。私の死体を使っただけはあって、随分立派に育ちましたね』
伯爵はさも面白げに手に持つ霊幻花を眺める。
いぃ!? とマミが足を止めてそれから離れた。
「そいで、約束ってのはなんだよ?」
『おや、それを忘れてましたね』
もう俺たちは孤児院が見えるところまで来ていた。
わざとらしく忘れていたと抜かす伯爵がこちらを振り返る。
『清廉潔白かつ誠実で忠に厚いともてはやされてきた私ですが、実は一度だけ大きな嘘をついたことがあります』
わずかな明かりが空の黒に色を加えるほどのころ、だが俺は確かに異変を感じた。
伯爵の顔、というかドクロはまるで長年風雨にさらされていたかのうに朽ちた色合いをしているのだ。
「伯爵、あんた――」
『それは、愛する娘に必ず帰ってくると、そう約束したことです。死ぬと分かっていながら……』
ガチャリと静かな明け夜に音が響いた。
虫の知らせか魂を感じたのか、孤児院の中から現れたのは星のように瞬く白金の髪と海よりも深い慈愛を湛えた瞳を持つ小さな森の民。
『彼女はこの花が好きでした。なぜあれほど悍ましい記憶の引き金となるような霊幻花を愛でたのか、私には分かりません。
ですが、いったいどうしたことか。私は骨となって目を覚まし、靄のような曖昧な記憶の元でただ己を探して回った。そして彼女を見た時、神の雷のごとき閃光が私を駆け抜けました。
そして今こそ約束を果たす時と、私はその機会を伺っていたのです』
クルリと伯爵がこちらを振り向いて頭を下げた。背中に見えるよく映えていたはずのマントは、今はボロのように汚れた色合いをしていた。
『感謝します、心から。
誇り高き騎士としても、見本になるべき父としても、嘘をつくのは心残りでしたから。
何より、彼女にまた、親の顔をして会いにいけるのですから。
感謝します、お三方。
私はこれにて御免。
もう長くはないのです。
あのランタンはこれからもお使いください。報酬としては些か物足りないでしょうが、しかしそれが限界です。
例え魂朽ちようと、この恩は地獄にまで刻んでいきましょう』
そう言うと伯爵は顔をあげ、フィーリアの方へと歩いていった。
「気にすんな、せいぜいふかせよ」
「骨野郎、最高にイカしてたぜ。決めてこい」
「あたなはきっと天国よ! 僧侶のわたしが保証するわ!」
俺たちはそれぞれ慌てて思い思いの別れを告げる。
伯爵はそれに片手を挙げて応えるだけに留めた。
歩くガイコツにフィーリアさんはまん丸な目をさらに丸めてじっと近づいてくる伯爵を見つめている。
『フィーリア……遅くなったな。すまん。私が分かるか?
お前の好きなものを……持ってきた』
パチパチとフィーリアさんは瞬く。そして、その美しい瞳から真珠の雫がつつーっと頰を伝った。
「お、そい。おそ、すぎます。わ、わわ、わたしが、どれだけ!」
『あぁ、すまなかった。遅くなって、本当に、すまなかった』
「お父さん!!」
わぁと堰を切ったように、まるでその見た目どおりの幼い少女のように、フィーリアさんは勢いよく泣き出した。
伯爵は片膝をついてしゃがみこむとフィーリアさんをその骨だけの腕で抱きとめた。
『元気そうで何より……ただいま、フィーリア』
「うぇ、う、おかえりなさい、お父さん」
いったいフィーリアさんは、ここで何年、何十年、もしかしたら百年単位で待ち続けていたのだろうか?
もう帰らぬと分かっていながらそれでも往生際悪くここに留まり、自分と同じく孤児となった子供たちを育てながら。
『フィーリア、フィーリア。愛しい娘よ。
赦してくれとは言わない。お前から全てを奪い、守り通すこともできず、約束さえ違えて死に、邪悪にまで堕ちたこの卑しい私を赦せなどとどうして言えようか。
それでもフィーリア、愛しい娘よ。
今ならお前の母の思いが分かるぞ。私はやはりどうしようもなく、お前を愛しているのだ』
「お父さん。そんな悲しいことをおっしゃらないで。私はずっと前から、お父さんを赦していたわ。だってそうでしょう?
私にそれ以外の何ができたというのですか?
ほら見てお父さん。
私は元気です。子供たちを育てて、たまに辛いこともあるけど、誇りを胸に生きてます。だって私のお父さんはこの国で最も誇り高い騎士様だったから」
フィーリアさんが白く柔らかな光に包まれ。たちまちその姿を変える。
まるでひとつひとつが流れ星かと思わせるような煌く髪が彼女の腰まで伸びていた。大人になった彼女は正しく聖女と呼ぶのが相応しい姿だった。
『……私の娘は何と立派に育ったのか。私にはもったいないな。
フィーリア、受けとってくれ。お前が喜ぶ顔が見たくてな』
そう言って伯爵は霊幻花をフィーリアさんの手に握らせた。開き始めの揺蕩う蕾が今は上を向いている。
「……もうおわかれなのですか?」
フィーリアさんの小さな声が静かに響く。伯爵はそれには答えず黙ってフィーリアさんの手の上に自分の手を重ねた。
『魔法をかけようかフィーリア。お前がそうしてくれたように。
私がずっと、お前の側にいれますようにと。
この祈りが届いたら、きっとこの花が応えてくれる。祈ってくれないか?』
フィーリアさんは伯爵を見つめて、それからそっと涙を拭うと、何にも勝るほどの純粋な笑顔を浮かべた。
「お父さんが、幸せでありますように」
『……ありがとう。私は十分すぎるほどに幸せだ』
その一言を皮切りに伯爵の体がぼろぼろと崩れ始めた。燃えるような赤いマントはほつれて黒ずみ裂けてゆき、地面に落ちた黄金の剣がたちまちに錆つき風化してゆく。ぼぅっとチラチラ揺れる鬼火が一際強く燃え上がり、全ての骨は灰へと帰した。
約束を果たした幻想の住人は今、ここに消え去った。代わりにその青白い月の光を湛えた蕾が誇り高き魂を糧に煌々と燃え上がっては花開く。
「お父さんに会った花だから、私はこれが好きなの……また、会えると思ったから」
その呟きを聞いたら伯爵は何と答えただろう。
ムホホホホ、と。どこかでカラカラとした笑い声がした気がする。




