最後の試練
「うぅ、バカぁ、ホントに、ぐす」
「う、あー、すまんかった。この通りだ」
正座をして頭を地面につけ相手に差し出す最上級の謝礼。最も無防備な姿勢であり、この体勢をとったからには殺されても文句なしということである。
つまり、俺は土下座をしていたわけだ。
目の前では溢れる涙を両手で拭うマミが女の子座りをしている。不覚にも可愛いと思ったが顔面を地にめり込ませて俺はそれを隠した。
どうやら正解だったのかは分からないが、途中で落ちる速度はゆっくりとなり、俺たちは無事に下の層に着いたようだ。
押し潰されるような圧迫感も今は綺麗になくなっている。
「小便ちびりそ……何やってんだお前」
レックスとその頭に乗ったワイド、それに伯爵が上の闇から降りてくる。
そしてレックスは俺の姿を見るや怪訝そうな声を発した。
「女の涙に、男は弱い」
俺が顔を伏せたままそうキメ声で唸るとレックスは納得してから俺の頭をひとつ踏みつけた。
いつか復讐してやろうと俺は心のブラックノートにレックスの名を刻む。このノートの半分以上がこいつの名前だろう。
しかしながら最近は新参者であるエンキドゥがすさまじい追い上げをみせている。
「結局、さっきの答えはなんだったんだ?」
「ン? アリマセンヨ」
「「「はぁ!?」」」
問いかけたレックス、伏せていた俺、それに泣いていたマミまでが同時に訊き返す。
「ない?」
「エェ、ドチラニ入ッテモ結果ハ同ジデス」
「じゃあなんで!?」
「決断力ト、勇気ヲ試ス為デス」
……じゃあ、あの思わせぶりな天使と悪魔の話は単純に俺たちを迷わせるためのものだったのか。
いくらなんでも趣味が悪いぜ。
「皆サン見事ナ英断デシタ。人生トハ往々ニシテ選択ヲ迫ラレルモノデス、例エ悩ミ考エル時間ガ無クトモ」
「なんだよそりゃ」
口から自然とため息のように呆れの言葉がもれてしまう。
「次ハ最後ノ試練デス。後少シ……」
静かにそう呟く伯爵。
いったい彼が誰でどのような目的があるのか今だに不明だが、乗りかかった船、もう終わりまで突っ走るしかない。
それと、今さらですが伯爵は男ですよね?
ゴゴゴと大きな地響きを立てて扉が開く。
とうとう最後の試練、また嫌らしい謎解きがあるのだろうか。
扉を一歩越えると、それはすぐに迫ってきた、
――ドックン、ドックン、
早い!
まさか戦えってことか!?
「〈番人〉ガドコカニイマス! 注意シテクダサイ!」
「もぅやだあ」
伯爵が鋭く警戒を飛ばし、マミが泣きごねる。俺の頭の上でエンキドゥまでもが無言となる。
視界の端がチラチラと赤くなっている。感じる負担も今までの比ではない。
そろそろと崩れかけの橋でも渡るかのように歩き出した俺たち。番人の圧迫感はさらに増すがその姿は一向に現れない。
「……文字だ」
今度は通路の真ん中に、堂々と石柱碑がおったっている。伯爵は小さく頷くと言われるまでもなくその前へと進み出た。
『此処は泡沫の円盤。
廻れ廻れど変わらぬものと、
消えゆく大地に呑まれゆく地の子らよ。
諦観を抱くこと勿れ。
大海の渦にも底はあるのだから』
分からない、ということは分かっていた。
経験則からいくとしっかり考えるべきとも思うし、悩みすぎてもいけないとも言える。
「どう捉えるべきかしら? しっかり考えていくべきだわ」
「まあ、そうだろうがよ。でもまた――」
マミを振り返って俺はそのまま硬直した。開いた口が閉まらないとはこのことか。
怪訝な顔をしたマミが同じく振り返って絶句する。
そこには俺たちが歩いてきたはずの道がジワジワと消えようとしていた。まるで泡のように、音もたてずに石の道が弾けてゆく。
そしてそれはもう俺たちを地の底へ喰らわんと眼前にまで迫っていたのだ。
「逃げろ!」
叫ぶと同時に走り出す。考える時間などハナから与えるつもりはないということか?
駆ける駆ける、通路を駆ける。今は番人のことなど後回しだ。
通路を通り抜け入り込んだのは奇妙な部屋。
部屋の形自体は円形のシンプルなものではあるのだが、明らかに普通ではないのは真ん中に開いた穴とそこに吸い込まれるようにして落ちてゆく砂の地面。
「渦か……」
レックスの呟いたとおり、まさに巨大な渦を再現したような部屋だ。それはさながら巨大な蟻地獄。
通ってきた道は完全に消え失せ、砂の地面まで侵食していく。
「どうすりゃいいんだこりゃ!」
ずずっと砂がゆっくり流れていく。走りにくい足場、引き寄せる渦、消えていく地面。
そしてそこに、
「敵だ!」
追加とばかりに壁の中から半透明なボロ切れが複数現れる。隙間から覗く青白い肌からかろうじて人間の面影が見てとれる。
「〈番人〉か!?」
「アレハ〈ファントマ〉! コノ地ニ死シタ亡者達ノ成レノ果テデス!」
地面は真ん中の穴を中心に反時計回りに消えていく。消えてもしばらくすると地面は再び盛り上がってくるうえ、泡となっていく速度もそれほどではないから回り続けることは可能だろう。
「〈速攻〉!」
ただそこにモンスターまで追加されるとさらに足止めを喰らう。
焦燥は募るばかりで打開策が思いつかない。
スキルは例えどのような地面であろうと力強い。しかし俺が切ったファントマは切られた場所を数瞬朧げにしただけであまり効いてる気配がない。
「チッ、よりによって!」
ファントマが伸ばした薄い両手が俺の手を抜ける。その一瞬に氷水をぶちまけられたような薄気味悪い感覚が腕に走りHPが減っているのが見てとれた。
「普通じゃダメだ!」
「オ任セヲ」
ヒュッと通りすぐ紅い影。閃く黄金そこから走り、人ならざる動きが一呼吸でファントマを三つ裂きにする。
分かたれたファントマは耳をつんざくような悲鳴をあげて空気へと溶けて無に帰る。
何となく分かっていたが、伯爵強いな。俺たちではお話にならないほどに。
「もぅ、なんでそんなのばっかり! 〈鎮魂鐘〉!」
頭の奥まで響くような重い重い鐘の音。
僧侶は不死者に対してかなりの優位性がある職業だ。
死者を鎮めるレクイエム、それは今回は伯爵を苛むことはなかったが、彷徨う亡者どもには効果てきめん。その存在を赦さぬ浄化の響きに一様に慄く始末。
「〈浄威〉! やって!」
「よしきた、〈迅苦〉!」
マミに力を付与された剣を振るえば、赤い剣線が空に描かれ、ファントマの体を綺麗に寸断する。
体を二つにされたファントマはそれだけで舞い上る砂埃の中、もがくようにして消えていった。
後ろからはエンキドゥやワイドも魔法や炎で攻撃を支援している。
しかし、ファントマは体力こそ少ないが次から次へと現れその勢いが衰える気配はない。
このままではジリ貧だ。後ろから迫る足場もやはり限界に近い。
「マミ、防御くれ! 特攻だ! 駆け抜けるぞ!」
「くださいでしょ! 〈岩肌〉!
「知るか! 行くぞ!」
レックスが先陣を切る。土色の光を体に馴染ませ、近寄るファントマを盾を使って手当たり次第に打ち据え、払い、霧でもかき消すようにしてほぼ無視しながら駆け抜ける。
それに続くのは伯爵。一度その剣翻せば、並み居る亡霊は一刀の元に斬り捨てられる。まさに一騎当千、獅子奮迅の骨の如し。
さらに後継として俺とマミが走る。近くに残った亡者どもの隙間を縫うようにして短剣を振るう。それに合わせて踊る赤の剣線は宙を泳ぐ蛇のよう。
僧侶の力か、何も付加もないマミがその棒を振るえばファントマは呻き、捌くようにそれらを追いやる。
走り、振るい、避けて、繰り返される一瞬の時間。綱渡りのような緊張感と興奮が集中力を炙り出す。
「抜けた! 一息つけ!」
「か、帰りたい」
「どうすんだオイ!」
ファントマと消えている地面は大分後方、かなり余裕はあるが肝心のこの部屋の謎かけが不明なままだ。
「〈治癒光〉」
さぁと仄かな光がレックスを包み傷を癒す。前衛を務めたのはレックスなので一番体力が減ってるのもレックスだが、何となく悔しい。
仕方がないので貴重なポーションを一本まるまるガブ飲みする。味は、微妙に苦いな。あまり好きではないが、甘かったりすればそれはそれで危険な香りがするからこれでいいだろう。
「やっぱ、あの真ん中の穴に飛びこむんじゃねェか? 底はないとか言ってたぜ」
「それは、ないと思うわ。わざわざ引き込もうとまでしてるし、死ななかったら帰りもないから、あそこに落ちるしかないじゃない。そんな無為なことはないと思うけど」
「誰か突っ込んでみるか?」
「そいつは言い出しっぺってヤツだぜ」
一旦息を整えた俺たちは再び小走りでいく。
悪魔と天使、あの問題がいやらしい。無駄な可能性まで広げて視野を狭める。本当の狙いはこっちだったのだろうか?
「そろそろ、マズイよな」
さっきから心臓音がバックン、バックンと破裂しそうな勢いだ。視界が血色に縁取られ、時間がないことが告げられている。
「〈番人〉ナラバ、私ガ少シハ足止メシマショウ。皆サン、慎重ナ御判断ヲ」
つっとマミの眉が上がる。
番人を止めるということにも驚きだが、伯爵はおそらく助言を挟んだ。これが精一杯の譲歩なのだろうが、彼はつまり短慮なことはするなと言っている。
ならば真ん中の渦へと飛びこむのは良作ではないだろう。
「チッ、また幽霊どもがきてるな。押し通る! マミ、腕はいいから頭を回してくれ、頼む!」
「少しは考えなさいよ! バカ!」
男二人と骨一人、三人で近くに寄ってくるファントマを集中砲火に晒す。
マミは文句を言いながらもウンウンと後ろで頭を捻りながらついてくる。
と、その時だ。
「来マシタ!!」
伯爵の警告。
俺たちが来た道から現れたそれ。
闇を背負う歪な怪物。
人骨を無理やり繋ぎ合わせた巨大な鎧。一言でいえばそれだけ。
その隙間からチロチロと漏れ出るのは黒い炎、眼窩だけにはあまりにも濃い朱色の二つの玉が突っ込まれている。
三メートルはあろうかという巨躯と、それに合わせて片手に握られた巨大な刀身。こちらも骨のように無機質極まりない。
――オォォォオオン……オォォォオオン……
地獄の底から吹き出たような、悲しみと怒りに満ちた怨声が轟く。それはうるさくはないのだが、魂にまで触れてくるような肌寒さがあった。
「伯爵、お前のお父さんか? 最高にイカしてるぜありゃ」
「あれは何百人もの生贄の呪いを禁術で凝り固めた、謂わば呪いの結晶です」
なんでそんなもんを作ったんだよと言ってやりたいがそんな余裕はない。この王墓を作った王国の趣味の悪さが天元突破なのは既に分かりきっていたことだ。
「に、逃げよ! 早く!」
マミが顔を強張らせて俺の背に捕まる。
俺も逃げたい。というか、逃げるべきだ。心臓を鷲掴みにされてるような、いや〜な感覚が体中を巡っている。
「逃げるぞ!」
レックスが声を張り上げ、俺たちは必死に走り出した。
番人の出現のためか、あれだけいたファントマは虚しげにすごすごと消えていく。幽霊さえも喰らってしまうのだろう。
――オォォォオオン……
番人の足は意外と遅い。というか、歩いてしかいない。
しかし、消えた地面の上、つまりは空中をさも当然のように悠々と闊歩して近づいてくる姿には恐怖を禁じえない。
ざぁざぁと砂の流れが加速する。それに足を取られないよう、ばっふばっふと砂を撒き散らしながら逃げる逃げる。
「ね、ねぇ、あれ。先回りしてない?」
マミの声に振り向けば後方に置いてきたはずの番人はカッチャンカッチャンとやかましい音を鳴らしながら時計回りに、行き先を塞ぐ形で歩いている。
ブシュゥと墨汁のような炎だか液体だかが漏れ出たところで俺は顔を戻した。
「どうする?」
「突っ込む!」
「もうムリよ! もういいじゃない!」
「そいつは勘弁だな。諦めたら試合終了? 冗談じゃねェ、そんなで済むなら結構だ。だがな、俺の生き様が死んじまうんだよ!」
「こんな時に何カッコつけてんの!?」
「お喋りは終わりだ。ケツ引き締めろバカども」
スッと伯爵が静かに俺たちから前に出る。
「私ガアレヲ引キツケマショウ! 皆サンハ出来ルダケ離レテ通リ抜ケテクダサイ!」
そう言うや否や、伯爵は前から迫ってきている番人の懐へと飛び込んでいく。
番人が巨大な剣を振り上げ、今までの緩慢な動作など嘘であったかのような速度で腕を振るう。
爆発のような剣と剣との剣戟音!
鉄をも両断せんと振るわれた無慈悲な巨剣、それを受け取るは闇を斬り裂く黄金の剣。見事に打ち払われた巨剣は獲物を見失い砂の嵐を巻き上げる。
「走れ!!」
その間に、俺たちは大きく外回りをしつつ全力で駆け出す。番人に近づくほど視界はボヤけ、揺れるのが分かるほどに心臓はポンプを刻む。
ブワリと、骨の鎧の隙間より漏れ出た真黒の怨念が滲み出し、逃げるこちらへと追いすがる。
「――オォォ……オォォゥ……」
「ふひゃっ!?」
漏れ出た闇からは幾人もの人々が生者を殺さんと顔を出し、手をのばす。
「ケキャー!」
「キシャー!」
エンキドゥが炎の矢を撃ち込み、ワイドもそれに負けじとブレスを吹きかける。
そしてこの場でも沈黙を守るウサたんがピッと耳で指し示せば、清らな光が闇を焦がす。
「回復も効くのか!」
と叫んだレックスがフタを開けたポーションをブチまける。闇と混ざったポーションは化学反応でも起こしたかのように煙を噴き上げジュウジュウとなった。
俺も貴重なポーションをさらに一本、開けると撒き散らしつつ走る。
「ファック! どうすりゃいい!? このままじゃ骨の仲間か穴に落っこちて生き埋めだぜ!」
俺が萎びた手を蹴っ飛ばして投げやりな悪態をついた時、ピンとマミが飛び上がった。
「それよ!! それだわ!!」
「は? 気でも狂ったか?」
「違う!! 底はない!! ならこのアリ地獄もいずれ止まるわ!!」
つまり、逃げるが勝ち?
よく考えたらこの渦は水ではなく砂なのだ。不思議現象がなければいずれ穴は埋まり流れは止まる。
「ざっけんじゃねェぜ!! 結局状況は変わんねェしよ!」
「でも、多分あと少しだろ! 流れが速くなってきてんぞ!」
甲高い音を響かせ伯爵が吹き飛ぶ。
俺たちが通り抜けたのを確認すると伯爵はすぐさま番人から離れて逃げ出した。
「避けろ!!」
番人が巨剣を逆手に持ち、こちらを振りかぶる。とっさに地面へとダイブするが銃弾の如く投げつけられた剣身はレックスの体に生えつけられる。
「ッ!? カハッ!」
「しょ、〈招魂〉!」
一撃で体力を削り取られたレックス、機転を利かせたマミがすぐさまスキルを発動。
体の隙間から剣を取り出した番人が再び死の投擲の準備に入る。
「〈投擲〉!」
俺はさせじと懐より大事なポーションをさらに取り出しぶん投げる。番人の顔面に炸裂したそれは中身を撒き散らし水素爆発のようなけたたましい煙があがる。
なんとか防ぐことができたようだ。
振り向けば呼び戻された魂が再びレックスの体へと溶け込んでいるところだ。奇跡の光が死者の体を癒し蘇す。
「すまん!」
「いいから走って!」
ずずっ、ずずずと走り出して少しもすると砂の流れが緩くなり、次第に真ん中の穴が埋もれていく。
消えていた砂は止まり、平らな円形の大きな部屋へと姿が落ち着く。
ゴゴゴと来た道とは反対の壁がパックリ開いた。俺たちは誰が言うでもなく一直線にそこへ駆ける。
――オォォォオン……
番人の闇が噴き出す。部屋を覆い尽くすほどに大きくなっていくそれに顔を青ざめさせながら俺たちは必死に走る。
「〈逃げ足〉!」
初めて使うことになったスキルだが、その効果は今ではとてもありがたかった。
揃って格段に逃走速度を速めた俺たちは、もう勘弁とばかりにこの地獄からの出口へと駆け込んだ。




