準備
一旦解放
「わたしの名は真美よ! 聖なる教えに従って生きる穢れなき乙女なの。そしていつの日か、会うべきして出逢う運命の人、いまだ見果てぬ夢の恋人を待つ修行僧でもあるの! あぁ、貴方はいずこへいらっしゃるの? わたしはここで待ち続けているというのに……」
銀髪の乙女――真美は胸の前で手を重ねて目をつむり、悲劇的にそう独白する。口が開いてなければ確かにそれなりに様になっているかもしれない。残念美人である。
「マミさんよォ、名前はいいとして男の戦いにだな――」
「は! 貴方、その悪人面! さては、わたしをその理性なき瞳で視姦してますね! はぁ、美しきといえどそれが過ぎれば罪になるのね」
「おいこのアホ娘、耳の穴にラジオでも突っ込んでんのかァ?」
「まあ失礼だこと! どうしてそんなことをお思いになって?」
「……喜べ平沼、俺の知る限りじゃお前が極め付けのバカだと思ってたがな、世界は広しだ」
それは嬉しくない話だが、自分でもこれよりはマシだという自覚はある。
ギュッと己の体を抱いて目を伏せるアホ娘を見ているとこっちの心まで痛ましくなってしまう。
「レックス、とりあえず休戦だ。どっか静かな店に入ろや」
「そうだな、ここじゃ落ち着かん」
「えぇ! 貴方たち男二人してお店に入るの!? は! さては貴方たちって――」
「るせェこのクソ女が!! 勝手に変なレッテル貼ってんじゃねェよ!!」
「……お前が言うか」
レックスがぼそりと何かを言った気がするが、俺の耳には聞こえてませんな。
「で、だな。今のところどんな調子だ?」
コーヒーの入った陶器を手にレックスは尋ねる。
俺たちが入った店は商店街の通りからひとつ路地に入った、渋くて閑静なコーヒーショップだ。木製にこだわった店の作りが落ち着きのある空間を作り出してくれている。
「ふふ、そうね。そんなに知りたい?」
美しい絹のような髪を揺らして、マミがレックスに顔を近づける。
「そうだな、職業クエストは終わらせて、クエストも昨日ひとつやったぜ」
「あら、少しはやればできるじゃない」
ゆったりと奢りのコーヒーを啜ってから俺は憮然として答える。ほどよい苦みが口の中に広がり、風味と相まって溶けてゆく。それをいかにもな顔で頷いてから飲み込んだ。
クソ、カッコつけてブラックなんて頼まなきゃよかった。
「ふーん、じゃだいたい同じぐらいか。俺も職業クエストはやって、昨日はその後はレベル上げだ」
「レベル上げ、ねぇ。いったい何のレベルを上げていたのかしらぁ?」
「ほぅ、そういやお前、パートナーは何にした?」
「そりゃ小竜だ、強くなりそうだしな。おいワイド」
レックスは当然とばかりに答えた。そして彼の呼びかけに応じてレックスの膝の上に光が集まる。
「ぐぅ〜」
「はわぁ、か、カワイイ!」
現れたのはドラゴンと呼ぶにはあまりにも幼い小さなものである。群青の鱗の中でキラリと光る翡翠のつぶらな瞳が宝石のように輝いている。だが、まだ伸びかけの口からはみ出した爪のような牙や、飛行もままならないだろう手のひらサイズの羽にはドラゴンたる面影があった。
「おーう、ちびっ子や。ギルガメッシュだ、よろしくな」
「ぎう?」
自分を紹介しながら頭を撫でてやると小さなドラゴン――ワイドは不思議そうに首を傾げたがすぐにキャッキャッと喜び騒ぐ。
あぁ、俺もこういうのやりたかったんだよ。どっかの可愛げのないヤツとはやっぱ違うな。
「ズルいわ! わたしも撫でたい!」
「それで、ひら――ギルガメッシュは何にした?」
「ギル様でいいぜ。エンキドゥ」
光が出てこない、と思えば目の前の二人の視線が向かう先は俺の頭の上である。そしてすぐに頭に硬い感触がやってきた。
「……ぺッ!」
自分を見つめる見知らぬ二人にエンキドゥが唾を吐き捨てるそぶりをみせる。
「か、かわいくない」
「お前、ホントに変なの選んだな」
「……うるせぇ」
こればかりは否定できない。
フワリ、とエンキドゥが机に半身を乗り出しているワイドの前に行く。そしていつもどおり、ニヤリとその品のない悪い笑みを見せつけた。
「ぐあ!?」
それだけでワイドは怖くなったのか、大慌てでレックスの膝上に戻り体に抱きつく。レックスが苦笑しながらワイドの羽の付け根を優しく掻いて落ち着かせた。
「あぁん、ワイドちゃんカワイイ! こんな愛くるしいものがあっていいのかしら!」
アホが一人ギャイギャイと騒いで肉食獣の目でワイドを見つめる。そんな怪しい怪物にワイドはさらに萎縮してレックスの影に隠れた。
「あんたのはなんだ?」
今まで二人揃って無視を決めこんでいたがマミのパートナーが気になったので尋ねてみる。まあこんなバカ騒ぎしてるのだから、そっち方面で選んだとみて間違いない。
ところが、ここで初めて彼女の止まることのない舌がうっ、と止まった。これにはレックスも興味をもちマミを見る。
「わ、分かったから。ハァ、ウサたん、出ておいで」
ブフォッとレックスが飲みかけのコーヒーを吹き出す音とともに光が集う。卓上に集まった光が霧散すると、そこには名前から予想のとおり一羽のウサギがいた。
雪のように淡く輝く純白の毛並み、それが引き締まった体にサラサラとほどよく波うち、その様はまるで銀河に流れる清流を思わせる。天を穿つがごとく屹立する二柱の耳は揺れることもなく静かに並んでおり、その麓には混じり気のない壮年の遍歴を見たことが伺える涅色の瞳が仄かな燈を宿していた。
泰然として動くことなし。傍目からみればそれは精巧に作られた置物に思えたかもしれない。だが、僅かに揺れる呼吸の動きのみがそうでないことを証明していた。
「……すごい貫禄だなァ」
「ウサギとは思えん」
思わず呻るように引き出された俺たちの言葉にも一切反応することもなく、そのウサギ、いや卯は厳かに佇んでいる。
「で、名前がウサたん、と」
「そ、そうなの。カワイイ名前でしょ? でも見た目だけで即決しちゃったから、こんな静かな子だったなんて。もっとわたしに甘えていいのに」
と声を落としてマミが言う。残念だったらしい。
エンキドゥが頭を突つくもウサたんは変わらず不動の姿勢だ。
「ま、こんなアホに頼るぐらいなら誰だって藁にでも縋るぜ」
「そんなことないわ。わたしは全ての者に無償の愛を惜しまぬ、あらゆる子羊たちの母親。貴方も悩みがあれば打ち明けていいのよ?」
「そりゃ助かる。実はさっきから妄言を吐き散らす口から産まれてきたような奴に付きまとわれていてな、なんとかして欲しいぜ」
「まあ大変! そんな愚かしい者がいるなんて!」
大げさに口を覆いその整った眉根が寄る。レックスがそれを一瞥してからこちらに向き直った。
「それで、まあパートナーのことは置いといてだな。お前、今後はどうするつもりだ?」
「おう、オリジンの街は出るぜ。なんせ俺は無法者だからな、ひとつ所に留まってるのは趣味じゃねェ」
「それは丁度いい」
コトリとレックスがマグカップを置く。
「俺も移ろうと思ってたところだ。この辺だと近場じゃ張り合いがない。強い敵がいないわけじゃないが最前線を切りたいしな」
「ふふ、貴方たち、幸運だったわね。偶然? いいえ、決まってたこと。貴方たちを導くことが、わたしに課せられた使命のひとつ」
滔々と彼女は語る。弁舌家なだけあってハッキリとしたよく通る声だから聞こえないはずはないが、レックスは眉一つ動かさずにそれを無視した。
「分かってると思うが、一緒に行こうぜ、ギル。拠点移動だ」
「異論はねェな、旅は道連れだ」
「よし決まりだ。目指すのはラージ平原の一本道を進んだ先にある最寄りの村、ニルだ。俺としてはそこから更にテーナを経由してクシュ山脈の麓の街まで行きたい。が、それは今日では無理だろうな」
「欲を出せばそれだけ代償は多くつきます。焦ってはいけませんよ」
この〈world online〉の世界はとても広い。それこそ、北海道ぐらいはあると言われてるほどだ。だから初めての地への旅も大変である。マップから目的地を選んではい到着、とはいかないのだ。
「本当なら移動用の馬を買いたいところだが、流石にそんな安いもんではなかった。だけど、借りることならできそうだ」
「おお馬か! 乗ろう、ぜひ乗るべきだ」
「わたしに相応しい芦毛の駿馬はいるかしら?」
乗馬経験などもちろんない俺である。誰だって一度ぐらい馬の背に揺られてパカポコと旅に出たくなるものだろう。浪漫なのだ。
「まあ待ちな。その前に、アイテムショップに寄ろう。ちゃんと補給しとかなきゃな」
とレックスが言い、俺たちは二人して頷いた。やっぱりこの人もついてくるつもりらしい。
「デケェ店だなおい」
「ほんとね、この裏では欲望渦巻く攻防があるのだわ」
やってきたのは北門から中心へ伸びる冒険者通りに面した大きなアイテムショップだ。レックス一押しの店であり他のプレイヤーでも賑わっている。
さっきとは打って変わって煉瓦をふんだんに使って造られたそれなりに近代的な見た目となっていた。店内もいくつもの棚の中にアイテムが整然と並べられており、俺たちのよく知るそれとなっている。
「ここでだいたいのものは揃うぞ。アイテムの種類も豊富な上に多少の武具も置いてある」
「ハン、何でも屋かい。己の領分も見切りをつけなきゃあ恨みを買うのが相場だぜ。買い物も楽じゃねェわけさ、クックッ」
「あぁ、これらの商品が並ぶまでにいったいどれだけの罪なき人々が酷使されたのでしょう。いつだってそう、力を持つ者が弱者を搾取するのよ」
「おいバカ二人、他の人が見てるから黙っててくれ」
信じられない、といった表情でマミがレックスに振り返る。振り返るのだが、その胸に抱かれた小竜ワイドを見るとすぐに二ヘラと顔が崩れた。自称、高潔なる聖職者も小動物には弱いらしい。
「先ずは回復アイテムだな」
レックスが棚の中から薄緑色の液体が入った瓶を取る。それが回復アイテム、であるようだな。
〈ヒール薬〉
HP50回復
セラピ草と清水を混ぜ合わせて作られる一般的な回復薬。入手が容易ではあるもののそこそこの回復力が期待できる。
服飲して使用する。体にかけるだけだと効果は弱まる。
「一個300Gか。高いな」
「そんなもの買わなくても、わたしがいるから問題ないわ!」
「……とりあえず一人五個買っとくか?」
「そいつが良いぜ。備えあれば敵はなしとも言うしな」
「言わねぇよ」
ゲームの常なのだが、序盤ほどアイテムが高く思えるのはなぜだろう。俺の懐には残金3020Gが眠っている。五個買ったら1500Gの出費、1520Gが残るわけだが。
まあ良いか、金などまた稼げばいいのだし。
「解毒薬も買うか?」
「おう頼んだぜ」
「俺が買うのかよ」
「このままじゃサイフの中に閑古鳥が住みついちまう」
また増えるといっても減りすぎは良くないのです!
「だから、わたしがいるから平気なのに!」
とマミは叫ぶがレックスは渋々といった顔で解毒薬を三個手にとっている。正直マミは全く頼りにならなさそうだしな。
「しかし、他にも色々ありやがるな」
数種類の回復薬からそれぞれの状態異常に合わせた解毒薬はもちろん、MPの補給ができる気力剤、STの回復を促す活力薬、はてには攻撃力を上げたりとか様々だ。
他の棚にもそれらが丸薬になってたり、今度は逆に毒が置いてあったりと確かに幅広く商品を取り扱っているようだ。
カウンターの店員も笑顔溢れる可愛らしい女の子が何人か並んでいた。この店の評価を一段階上げねばならないようだ。
「フッ、女狐が揃って黒い笑いを貼り付けてるわね」
マミが睨みを効かせながら心まで黒そうな台詞を口にする。
「後は必要なものはあるか?」
「フッ、酒と女と誇りがありゃあ――」
「よし、大丈夫だな」
俺の秀逸な返答をレックスは綺麗に流していく。
「女ならここに極上があるわよ。ま、貴方じゃ手に負えないかしら?」
「行くぜレックス、そろそろ血が恋しくなってきた」
レックスが呆れたように俺たちを見る。そんな目で見られたら悲しくなっちゃうではないか。
それと、同じ括りにしないでおくれ。
「今回お前を誘ったのは他でもない、道中で現れる敵がな、かなり厄介だからだ」
馬屋への道すがらレックスが説明を始める。
「ほぅ、それで伝説の英雄に泣きついたってわけか」
「涙は全てに等しくあるもの、どうぞたんとお泣きなさい」
揶揄する俺としずしずと手を組んだマミにこめかみを震わせながらもレックスは続ける。
「相手は猪に乗ったゴブリンどもだ。剣や弓矢を使った近と遠、連携を使った攻撃を仕掛けてくる」
「悪いが敵サマのことなんざどうでもいい。俺ァ俺の道を邪魔する奴をブチのめすだけだ」
「所詮は堕落せし愚かな妖精、恐るるに足りないわ」
ふーと肩を怒らせながらレックスがワイドを抱きしめる。ワイドは主人の顔色を心配しながらも苦しそうにぎうぎう呻いた。
厳かな口振りを真似たマミだったがその欲望丸出しの顔を見るにまだワイドを可愛がることは諦めてないらしい。
「よし、大丈夫、大丈夫。俺の相手は壊れた人形。怒るだけ時間の無駄」
「あぁ、なんということなの。今また一人、心弱き現世の男が気の病に負けてしまった。主よ、これもまた試練なの?」
「ケッ、なんでもかんでも辛いことは試練か、御苦労なこったぜ。テストも試練、病気も試練、戦争も試練、カミサマって奴は幸せより試練が好きなんだな、え?」
「ケケッ!」
俺の皮肉めいた口調にマミが怒気も露わにこちらを睨む。
「何よ! 馬鹿にする気? 身体ばっかりおっきくて頭の中身はすっからんかんじゃない! このかませ犬キャラ!」
「か、かませ犬だと?」
俺が鼻白むとしてやったりとばかりにマミが胸を張って満足気にひとつ頷く。
「そうよ、図体はデカくて顔が怖い敵はだいたいそんなに強くないのよ。自分が強いと奢り昂ぶった結果、自分よりずっと小さな子供に一捻りでやられるの。しかも貴方、顔も犬顔でしょ?」
「こ、この女言わせておきゃあズケズケと。先ず第一にテメェ修道女じゃなくて尼さんだろが、さっきら混同してよくもまあいっちょまえに僧侶を名乗ったもんだぜ。ま、こんな欲望の権化みてぇな僧侶がいるようじゃ世も末だがな」
「わたしはね、例え――」
「うるッセェェェエええーー!!!」
レックスの堪忍袋の決壊と共に、街中に吠え声が響いた。
※〈world online〉では僧侶はアジア系です。西洋のプリーストと区別するためにオラクルというなんかよく分からないの引っ張ってきました。




