中途半端な月
僕は今日初めて外に出ることにした。今日は1日こたつで寝ていたのだ。よれたスウェットと嵐が去ったあとのような寝癖のついた頭のまま、玄関から庭へと出た。
携帯の時刻は16時44分を表示している。
不意に空を見上げると、空はなんだか気だるそうな濁った青色をしていて、はやく日が落ちないかなとでも言っているようだ。雲はまばらで小さな石ころのようなのがポツポツと浮かんでいる。
外に出ては見たものの別段目的があったわけでもないから、所在なげにやる気のなくした空を見続けた。すると左の方に月が出ていることに気が付いた。
あと数日で満月になるであろう、中途半端な月だった。時間のわりにははっきりとその輪郭を見せていて、うさぎを探せそうな程であった。
ひとつ物足りないのは、やはり満月ではないことだろうか。三日月でもなく半月でもなく満月でもない。実に中途半端という言葉がしっくりくる。
あと数日すれば綺麗な満月だと言ってもらえるのに、そのあと数日が足りないだけで綺麗な満月だという評価を得られない。綺麗な“ただの”月でしかないのだ。本当に悲しいものである。
しかし物足りないと言っておきながら、僕が最も好きな月は満月でもなければ半月でもなく、はたまた三日月でもない。
まさにこの“中途半端”な月なのだ。
数日の誤差で三日月というレッテルを得られなかった月。
数日の誤差で三日月というレッテルを失った月。
数日の誤差で半月というレッテルを得られなかった月。
数日の誤差で半月というレッテルを失った月。
数日の誤差で満月というレッテルを得られなかった月。
数日の誤差で満月というレッテルを失った月。
このすべてに僕は魅了されてしまう。来たるその時まで不完全な姿で耐え、けれども隠れることなくその無防備な体を見せ、輝きを絶やさないその姿に言いようのない魅力を感じるのだ。
そんなことを冬の愛想のない風に吹かれながら考える。
何故こんなにもその月に特別な感情を抱くのかは分からないけれど、それはもしかすると自分を正当化したいからなのかもしれない。
自分の価値というものがわからなくて、自信が持てない自分への甘えなのかもしれない。
型にはまらず何者にもなれない僕自身への救済。中途半端でも良いのだという。
けれど実際、中途半端なままの僕にはなんの価値もない。一人では何にもなれない。
だから僕は、こんな自分を認め支えてくれる存在にいつか出会いたいと思っている。
完璧じゃない人が良い。
僕の欠けた部分を埋めてくれるような。
僕が欠けた部分を埋めてあげられるような。
そんな中途半端な人が良い。
一人ではちゃんとした価値がなくても、二人が揃えばお互いの未熟な部分がピッタリとはまって綺麗な円になれるような、そんな関係が理想だ。きっとそれ以上に幸せなことはないだろう。
不意に外の匂いが変わった。そろそろ闇が顔を出しはじる。
僕はもう一度じっと月を見つめてから振り返り、玄関へと歩を進めた。
後ろでは月が少しだけ喜んでいるようだった。
最後までお読み頂きありがとうございます。