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07_妹

「……帰、る?」

 とっくにコーヒーを飲み終え、手持ち無沙汰になっていた市川は、さっきから黙り込んでしまっている春馬に気兼ねしつつそう尋ねた。

(…………え?)

 春馬もその声でようやく我に返る。


(……そう、だな。帰ろう)

 春馬は力なく答えた。楓がいなくなった以上、もう急いで病院から出る必要はないのだが、残念ながら今の彼に新たな行動を起こすだけの気力は残っていなかった。もうくたくただった。もし彼に自分の体があったなら、その場に座り込んでしまっていただろう。

 春馬の返事を聞き、市川は手に持っていた紙コップをごみ箱に投げ入れると、そのまま正面玄関に向かって歩き出した。


 玄関の真上に掲げられたデジタル時計は16時10分を報せている。外からはまだ日中の陽光が差し込んでいた。面会に訪れる者も多く、ロビーは今なお静かな賑わいを見せている。

 市川はその人気を避けるようにしてロビーの隅っこを歩き、ほどなく二重の自動ドアで構成された玄関の、まず一つ目のドアの前に立った。


 すると、彼と時を同じくして外側の自動ドアの前に立った者がある。高校生くらいの女の子だ。


(美優か)

 春馬が呟く。そう、それは彼の妹の美優だった。やはり家に戻っていたのであろう、昨日のおしゃれな服から一転、今日は地味な長袖のTシャツにジーンズという格好で、ボリュームのある長い髪も控えめなポニーテールにまとめていた。

 彼女は春馬と一つ違いで、彼と同じ城ノ上高校に通っている。イケメンの兄に相応しい美少女で、城ノ上非公認美少女ランキングでは、一年生ながら一位の彩乃に肉薄している。性格は明るく無邪気で、どんなに気難しい人でも笑顔にしてしまうほどの魅力の持ち主なのだが、

「…………」

 さすがに兄の事故がショックだったのか、今は暗く死んだような目をしている。周りなどまったく見えていないようだ。ただ、二重の自動ドアが一度に開いたことで、自分の前に人がいることだけは気付く。そしてそれが市川だとわかると、すぐに目を伏せ、小さく会釈をしながら無言で彼の横を通り過ぎた。


「……」

 そんな彼女を、市川もぎこちない会釈だけでやり過ごす。何とも素っ気無いやり取り。もし彼が普通の男子だったら、不謹慎でも事故をきっかけに彼女と仲良く、さもすれば付き合いたいとさえ思ったかもしれない。が、彼にそんな気はさらさらなかった。もちろん彼も美少女は大好物なのだが、それは二次元の世界の話であって、三次元の美少女は殊更に苦手なのである。


(……)

 また、兄である春馬も元気のない妹に声をかけようとはしなかった。いや、かけたいのはやまやまだったのだが、彼の宿主である市川から話しかけられたところで、妹が困惑するだけだろうと考え、諦めたのだ。


 しかし、すぐに気が変わる。

(市川、妹を呼び止めろ!)

「え?」

(早く!!)

 市川は訳がわからなかったが、春馬に急かされ、閉まりかけた自動ドアをすり抜けるようにして引き返すと、肩を落として歩く美優の背中に向かって声をかける。

「あ、あの、ちょ、ちょっといい?」

 知らない女の子に話しかけたことなどない市川の声は小さく震えていたが、辛うじて聞こえたのか美優が振り返った。

 「……はい?」

 「え? っとぉ……、ちょ、ちょ、ちょと、話ある、だけど」

 ポニーテールの髪を揺らして首を傾げた三次元の美少女に、市川は緊張のあまり片言の日本語になってしまう。が、どうにか春馬の指示通りに彼女をロビーの片隅にある人気のない自販機コーナーまで連れていくことに成功した。

 

「そ、それで、ど、どうするの?」

 市川はおどおどしながら小声で春馬に次の指示を仰ぐ。美少女を前にして彼の緊張はすでに限界点を突破していた。激しい心臓の鼓動が春馬にも伝わってくる。

 そんな市川に春馬は(とりあえず落ち着け)と声をかけた後、美優をここまで連れて来させた理由を簡潔に述べた。

(妹に、俺達のことを話して協力してもらうんだ)

「え? で、でも、信じてもらえるかな?」

(妹なら大丈夫なはずだ)


 妹なら……、これは春馬の願望ではない。彼は、今の自分の状態を理解でき得る者として、常識や固定観念に凝り固まった大人より、高校生になったばかりの妹の方が良いと考えたのだ。若い彼女なら、兄の魂が他人の中にあるということを理論的にではなく感覚的に理解してくれるだろう、と。

 さらに、彼はこの時、自分の存在を妹にわからせるためのある秘策を思いついていた。


 ただ、二人の事情などまったく知らない美優は、

「……あのう、急いでいるので早くしてもらえますか?」

 と、市川に対してえらく不審げである。まあ、それもそうだろう。わざわざこんな所まで連れてきたくせに、その後独り言――彼女から見れば――を言っているだけでなかなか話しかけてこないのだから。


「ご、ごめんなさい」

 そんな彼女に市川は思わず敬語で謝ってしまう。いくら美少女でも彼女は彼にとって同じ高校の下級生、先輩らしくもっとどっしりと構えていればよいのだが……。

 しかしこの後、市川は人が変わってしまったかのようにしっかりした口調で話し始める。


「今から大事なことを言うから、よく聞いてほしい」


 実は、これは春馬の言葉そのままである。春馬は市川があまりにも美優に対して不甲斐なかったため、

(俺の言うことをそのまま美優に伝えればいい)

 と、指示したのだ。それで市川もだいぶ気が楽になったのだろう、たどたどしかった口調が改善した。

「はあ」

 急に態度が変わった市川に、美優は若干戸惑いつつも素直に頷く。


「ふぅ…………」

 市川は一呼吸置いて周りに無音の空気を作り出した後、単刀直入に言った。


「俺は、お前の兄、青木春馬だ」


「!? …………っ」

 市川の突拍子もない告白に美優は一瞬目を白黒させる。が、すぐに表情を険しくし、何か文句を言おうとしたのか口を開け、息を吸い込んだ。

 だが、市川は彼女が言葉を発する前に矢継ぎ早に説明を垂れ流す。

「俺の魂は、どういうわけか昨日事故に遭った時に自分の体から離れ、この市川の体の中に入り込んでしまったんだ」


「……っ」


「でも、完全に乗り移ったわけじゃない。市川の体に間借りしているような状態だ。だから今言っているのは、正確に言うと俺ではなく、市川の体の中にいる俺が市川に頼んで代弁してもらっているんだ」


「…………」


「信じられないかもしれないけど事実だ。今はどうやって自分の体に戻るか市川と思案中なんだが、さっき母さんには不審者だと思われてしまった。たぶん病室にはもう入れないだろう。だから美優、どうしてもお前の協力が必要なんだよ」


 必死に説明する市川の言を、美優は最初怒り顔で、その後は呆れ顔で、最終的には馬鹿馬鹿しいといった笑みを浮かべながら聞いていた。そして、やっと市川がしゃべる暇を与えると、彼女は軽くため息をついた後、

「市川先輩って面白いこと言うんですね。あっ、もしかして私を元気付けようとそんな冗談を言っているんですか?」

 当たり障りのない言葉でやんわりと彼を批判。やはり全く信じてはいないようだ。


「やっぱりだめみたいだね」

 市川が小声で春馬に話しかける。彼も信じてもらえないと思っていたのだろう、いたく弱気だ。

 ただ、そんなことは最初から織り込み済みだった春馬は、

(お前は黙って俺の言っていることをそのまま美優に伝えていればいい!)

 と、突っぱねる。黙って伝えろ、とは何ともおかしな日本語である。


「……あの、特に用事がなければ私はこれで」

 市川の怪し過ぎる言動にとうとう我慢できなくなったのか、美優はそう切り出し、自販機コーナーから出て行こうと体の向きを変えた。


(呼び止めろ! ここからが重要なんだ)

「ま、待って! ここからが重要なんだよ!」

 市川は春馬の台詞を叫びつつ、慌てて美優の進む先に回り込んだ。

「お前が信じられないのもわかる。俺や市川だって最初は信じられなかったんだから。でも、本当に俺の魂はこの市川の体の中にあるんだ」

 市川は必死に春馬の言葉を伝えたが、しかし、無駄だった。美優は彼を完全に変質者とみなしてしまったらしく、

「いい加減にしてください! これ以上おかしなことを言うと大声出しますよ」

 と、半分怒りながらとうせんぼしている市川を睨みつけたのだ。

「ううっ」

 その眼光に市川は怯んでしまった。が、それでも何とか耐えしのぐと、今度は反撃とばかりに春馬渾身の一言を彼女に向かって言い放つ。


「じゃあその証拠に、今から兄である俺しか知らないお前の秘密を言う」

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