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06_パラレルワールド

「はぁ……」

(はぁ……)

 最上階の病室を追い出された後、何とか一階にある喫茶スペースにたどり着いた市川は、春馬と大きなため息をハモらせつつ空いていたテーブルに腰を下ろした。

 徒労感が半端じゃない。彼らは、病院という特殊な場所であるにもかかわらず「春馬の体にダイブする」という無謀極まりない計画を実行することに成功した。したのだが、残念ながら春馬の魂を元の体に戻すという目的は叶わず、そればかりか病室にすら入れない状況になってしまったのだ。

「はぁ……」

(はぁ……)

 彼らのため息は尽きない。


 春馬は自分の体と対面し、すぐに死んでしまうような状況ではないとひとまず安心することはできた。魂さえ戻れば普通に復活できるという手応えも得た。けれども、体に近付くことができなくなってしまえばどうしようもない。彼の落胆は大きい。


(……)

 春馬は半ば放心状態で、市川の視界に映る景色をボーっと眺めていた。

 彼の目の前には喫茶スペースのテーブルがいくつか並んでいる。そのすぐ脇にはコーヒーや軽食を出す小さな店もある。病院の正面玄関に程近いこの場所は、面会に訪れた人や比較的元気な患者達の憩いの場になっているようだ。今も何人かがくつろいでいて、そこここのテーブルに置かれた紙コップからはほんのり湯気が立ち上っている。恐らく辺りはコーヒーの香りで彩られていることだろう。しかし、残念ながら春馬にその香りは届かない。

 こんな不自由な生活をいつまで続けなくてはならないのか、春馬は嘆かずにいられなかった。


 と、その時、正面玄関から二人の女性が入ってくるのを市川の視界が捉えた。遠目だから顔まではわからない。が、春馬は直感的にその内の一人が誰なのかすぐにわかった。


(彩乃!)


 それは、春馬の彼女である高宮彩乃だった。白いブラウスに地味目のスカート姿の彼女は、手にささやかな花束を持っている。どうやら春馬の事故を聞きつけてお見舞いにやってきたようだ。

(来てくれたのか)

 事故後、初めて見る彩乃の姿に春馬は目頭が――もちろん今の彼にそんなものはないのだが――熱くなる思いだった。寂しい時、心細い時に感じる恋人の存在の何と大きいことか。


 ただ、若干違和感を覚えたことがある。彩乃と一緒に現れた彼女の友達の格好だ。彩乃とは違って派手目の服装に、学校では禁止されているはずの化粧。どう見てもお見舞いという雰囲気ではない。

(たまたま付いてきただけだろうか?)

 春馬はそう推理したが、どうやらそれは当たっていたようだ。彼女は喫茶スペースに差し掛かった所で立ち止まると、病室に行く彩乃と別れた。そして、市川が座るテーブルの、観葉植物を挟んだすぐ横の席に腰を下ろし、頬杖を突きつつスマホをいじり始めたのだ。彼女にとって春馬は「友達の彼氏」という程度の存在だから、病室まで行くつもりは最初からなかったのだろう。

(彩乃はあんな姿の俺を見てどう思うだろう……)

 春馬の意識もまたすぐにその友達から離れ、病室に向かった彩乃のことを心配し始めたのだった。


 彩乃はたぶん泣き崩れてしまうだろう、と春馬は思う。春馬と彩乃が逆の立場だったら、恐らく彼がそうなっていたはずだから。最愛の人を失う、若い春馬はまだその辛さを知らない。テレビドラマや小説などで疑似体験している程度だ。でも、想像はそれほど難しくない。そういう感性は、人が生まれながらに持っている尊いものの一つなのだろう。

 そう思うと、春馬は彩乃が不憫で不憫でならなかった。自分を心配してくれる人を心配する、それほどまでに春馬は優しい心の持ち主だった。


 しかし彼は、しばらくして友達の所に戻ってきた彩乃の口から信じられない台詞を耳にすることになる。


「だめそう春馬、顔真っ青で死ぬ寸前って感じ」

(!?)

「あらら」

「あれじゃあ助かったとしても、まともな生活はもう無理ね」

「そっかぁ、春馬君も終わりかぁ。それじゃあ彩乃の玉の輿計画も完全におじゃんだね」

「ほんと最悪よ、順調だったのに。だいたい私と小学生のガキとどっちが大事なのって話よ、あの正義馬鹿」


 彩乃達はすぐ横のテーブルにいる市川に気付かないのか、それとも単純に知らないだけなのか、何の気遣いもなく話している。春馬の魂がその中にあるとも知らずに……


「これからどうするの? やっぱり富田君に乗り換える?」

「確かにあいつんちも金持ちだけどさぁ、見た目からして冴えないのよね。マザコンぽいし」

「でも春馬君みたいな正義馬鹿じゃないからつまらないことで死んだりしないんじゃない?」

「アハハ、言えてる」


(…………)

 春馬は、彩乃が放つ言葉の全てが信じられなかった。どうして信じられよう、あのおしとやかでかわいい彩乃の辛辣な言葉の数々を。どうして信じられよう、彼女が玉の輿狙いで自分に近付いていたなんていう事実を。


 その後、彼女達は「むしゃくしゃするからカラオケにでも行こう」としゃべりながら、その場に気まずさだけを残し、病院から出て行ってしまった。


(…………)

 春馬の中の彩乃のイメージがガタガタと崩れていく。あの愛くるしい笑顔が、あのラブラブな下校タイムが、あの手の温もりが、彼に向けられた彩乃の愛情の全てが偽りだったとは……。彼はすぐにでも一人になりたかった。一人になって思い切り泣き叫びたかった。しかし、今の彼は一人になるどころか涙を流すことすらできない。この時ほど現在の状態を呪ったことはなかった。


 そんな傷心の春馬に、市川は居たたまれなくなったのか、

「…………コ、コーヒーでも飲も、かな」

 と、独り言のように呟き、席を立った。恐らく彼はコーヒーなど飲みたくなかったのだろうが、気まず過ぎるこの空気から逃れる手段としてそう言わざるを得なかったのだ。春馬を慰める言葉も少しは考えたかもしれないが、彼女から衝撃の本音を聞いてしまった彼にかける言葉など誰も思いつきはしない。

 市川はさも何もなかったかのようにカウンターに近付き、メニューの一番上に書かれているホットコーヒーを店員に注文した。


(…………)

 春馬は一言も発しない。今は悲しみを通り過ぎ、頭が真っ白の状態になっている。ただ市川の視界を、まったく興味のないテレビ番組を観るがごとくボーっと眺めていた。


「ん?」

 その時、コーヒーが出てくるのを待っていた市川が何かに気付き、不意に春馬に声をかける。

「あれって、うちの学校のサッカー部の人じゃない?」

(…………え?)

 その言葉に、春馬は辛うじて反応した。

「ほら、今玄関から入ってきた人」

 そう言われ、春馬が市川の視界の中心に映る人影を見ると、確かにサッカー部のジャージを着た男性が足早に歩いてくる。部長だ。


(!?)

 しかし、春馬が注目したのは部長ではなく、そのすぐ横を歩いているやはりサッカー部のジャージを着た一人の女性だった。


(嫌な奴が来た)

 春馬は一見して嫌悪する。そう、それは彼と犬猿の仲であるサッカー部のマネージャー井上楓だったのだ。どうやら二人はサッカー部を代表して春馬のお見舞いに訪れたらしい。

 楓は部長と同じように神妙な顔つきで病室の方へと歩いていく。が、春馬にはその表情がどうしても演技に見えてならなかった。

(どうせ心の中では「ざまあみろ」とでも思っているんだろう)

 そのことである。昨日春馬は「後片付けをしていけ」という彼女の言を無視して下校し、その後事故に遭った。だから、彼女からしたら「それみたことか」ということになるはずで、そう考えると、今の彼女の神妙な表情が心中と一致しているとは到底思えなかったのだ。


(帰るぞ市川)

 春馬は市川に声をかける。彼は、もうこの嫌な事しか起こらない病院からすぐにでも脱出したくなったのだ。

「え? でも元の体に戻らなくていいの?」

(近付けないんだから仕方ないだろ。家に帰って別の作戦を考えるんだ。だからほら、帰るぞ)

「あ、うん、でもまだコーヒーが」

 その時、市川は店員からちょうど熱々のコーヒーを受け取ったところだった。

(早く飲んじゃえよ)

「う、うん」

 春馬に急かされ、市川は仕方なさそうにその場で立ったまま飲み始める。が、何故かちびちび飲んでいるだけでコーヒーはまったく減らない。

(何やってるんだよ、早くしろよ)

 春馬は、病室に行った楓達がここに戻ってくる前に立ち去りたかった。どうせ彼女は、また胡散臭さマックスの神妙な表情を浮かべているか、へたをすれば、勝ち誇ったような表情を浮かべているだろう。そんな彼女を見れば、今の自分が余計惨めに思えてしまうに違いないのだ。


 けれども、市川は猫舌らしく一向にコーヒーは減っていかない。

「そんなに急がせないでよ、ズズ……、あ、あちっ!」

 そんな不平を言いながらチンタラ飲んでいる。

 まあ、市川にしたら迷惑な話だっただろう。春馬のせいで買うつもりのなかったコーヒーを買い、さらに今度は訳もわからず熱々のコーヒーを急いで飲まされているのだから。理不尽にもほどがある。


 結局、春馬の思いも空しく市川のコーヒーが終わる直前に楓達が病室から戻ってきてしまった。行ってからそれほど経たないうちに戻ってきたということは、たぶん春馬の顔を適当にちらっと見ただけでお見舞いを済ませてきたのだろう。

(くそぉ、間に合わなかったか)

 春馬は彼女の姿を遠くに認めて酷く悔しがった。どうしても楓の「ざまあみろ」という勝ち誇った顔を見たくなかったのだ。


 が、しかし、のろのろと喫茶スペースに近付いてきた楓のその表情は、

(!!?)

 彼が想像していたものとはかけ離れていた。


「……ううっ、……う、……」

 泣いていたのだ。それも、少し離れた所にいる春馬にすら聞こえるほどの嗚咽をもらしながら。

(え…………)

 その様子に、春馬は呆然となる。

 彼女は、ハンカチで目を覆いながら玄関に向かってよろよろと歩いている。部長に肩を支えてもらってはいるが、体の力が抜けきっており、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。その姿からは当然、胡散臭い神妙さや勝ち誇ったような雰囲気などまったく感じられない。大事な人を失ってしまった人間の、哀れな、姿だった。


(…………………………ど、どうなってんだ)


 春馬は頭が狂ってしまうほどに混乱した。泣き崩れるはずの彩乃が春馬に対して辛辣な言葉を吐き、勝ち誇るはずの楓が何故か泣き崩れる。見る目が変われば世の中はこうも違ってしまうものなのだろうか。


(……俺は、俺はパラレルワールドにでも迷い込んでしまったのか)

 春馬は、弱々しい足取りで帰っていく楓の後姿を見つめながら、そう感じずにはいられなかった。


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