03_不謹慎な奴
市川は直ちに検査を受けることになった。全身CT撮影などかなり本格的な検査だ。
(もしかしたら、市川の体に何かしらの異常が見つかるかもしれない)
さっき看護士には頭を打っていると誤解されてしまったが、現代科学の粋を集めた医療機器で検査をすれば、さすがに今の自分のこの不可思議な状態も明らかになるのではないか、そう思って春馬は期待した。
が、残念ながら結果は「特に異常無し」。市川の体は軽度の擦り傷や打撲が何箇所かあっただけで至って健康だったのだ。
「特に問題ないようだから家に帰っても大丈夫です。ただ、もし後になってどこか痛みだしたら我慢しないですぐに来てください」
医者は市川に優しく声をかけた後、もう診察は終わったとばかりに椅子ごと体を机の方に向けてしまう。
(……)
しかし、春馬は到底納得できなかった。一つの体に魂が二つあるのだ。問題がないはずないではないか。
(市川、もう一度俺の魂がお前の中にあることを聞いてみてくれよ)
春馬が頼むと、市川も同じように納得できていなかったのか、
「……あのう、さっき看護士さんにも話したんですが、事故のせいで青木君の魂が僕の体の中に入り込んじゃってるんです。それで、青木君も自分の体に戻りたいと言っているんですけど、どうすればいいですか?」
と、そっぽを向いている医者に向かって真剣に尋ねた。
すると、医者は穏やかだった表情を一変させ、市川を鋭い眼光で睨んだ。
「あのねぇ市川君。青木君は今とても危険な状態なんだよ。この病院に運び込まれてからずっと集中治療室で治療を受けているはずだ。そんな時にふざけたことを言ってちゃだめじゃないか」
医者は市川の言を全く信じず、そればかりか市川に対し「不謹慎な奴」という診断を下してしまったらしい。
(やっぱりこの状態は医学的にあり得ないことなんだ……)
春馬は目の前が真っ暗になる思いだった。医者ならわかるかもしれないという彼の期待はもろくも崩れ去ってしまったのだ。
「す、すいませんでした」
質問した市川も、医者のあまりの眼光の鋭さに、逃げるようにして席を立たざるを得なかった。
診察室の外は薄暗かった。廊下の窓という窓はすっかり夜の闇に塗りつぶされてしまっている。検査に結構時間がかかったのだ。病院内の明かりも半分程度は消されていて、非常口を示す緑色の表示灯だけが端の方で空しく自己主張している。
「……これからどうするの?」
市川の不安げな問い。
しかし、春馬にはある決意があった。
(こうなったら俺達だけで何とかするしかない!)
「え? でもどうやって?」
(ぶつかった衝撃で魂が移ったのなら、もう一度同じようにぶつかってみればいいと思うんだ)
「な、なるほど」
市川は思わず手を打つ。が、すぐにまた不安そうな表情を浮かべた。
「……でも病院の中でそんなことできるかなぁ」
(簡単じゃないとは思うけど、やるしかない。隙を見て寝ている俺の体の上に思いっきりダイブするんだ)
「う、うん。わかった」
市川も、もうその方法しかないと悟ったのか大きく頷く。
(とりあえず集中治療室に行ってみよう)
「うん」
二人は覚悟を決め、薄暗い廊下を早足で歩き出した。
集中治療室の前まで行くと、そこには一人の男性と二人の女性がいた。
(父さん、母さん、美優まで……)
それは春馬の家族だった。みんな事故の連絡を受けて急いで駆けつけたのだろう、父親は背広、母親は部屋着に薄手のカーディガン、妹の美優は余所行きのオシャレな服と、みんなまちまちの服装をしている。彼らは廊下を行ったり来たりしたり、長椅子に座ったり立ったりして、酷く落ち着かない様子だった。
「ちょっと行きづらいね……」
彼らを見て市川は気後れしてしまったが、そんな彼に春馬の父親が気付き、ゆっくりと近付いてきた。
「春馬とぶつかった市川君というのは君かい?」
「……は、はい」
「そうか、警察から聞いたよ、本当に申し訳なかった」
そう言うと、春馬の父親は市川に向かって深々と頭を下げた。
「い、い、いえ、あ、あの、ぼぼ僕はたまたまそそそこにいただけで、け、怪我もぜ全然大したことなかったですし……」
父親にいきなり頭を下げられ、市川は酷く恐縮してしまう。まあ、それも仕方のないことだろう。春馬の父親はイケメンの息子の親だけあって見事なまでの男前で、かつ、高級感漂う背広を着こなし、見事な口ひげまで生やしている。その姿からかもし出される威圧感は半端じゃない。何といっても彼は数千人の従業員を抱える一部上場企業の社長なのだ。平凡な高校生などあっという間に心の奥まで掌握されてしまうほどの迫力を有している。
「そ、そ、それで、は、春馬君は?」
市川はしどろもどろになりながらも何とか質問した。
「……」
彼の問いに、父親はゆっくりと頭を上げたが、その顔はあまりにも優れなかった。
「春馬は、……難しいようだ」
その途端、近くで黙って聞いていた母親と妹が泣き出してしまう。
(難しいって……)
もちろん一番ショックだったのは春馬に違いないだろう。何せ当の本人なのだから……。
父親の話では、春馬は一命を取り留めたものの、危険な状態はなおも続いているという。現在、この病院挙げての懸命な救命処置を施されているがどうなるかわからないらしい。
「!?」
その時、悲しみにくれる廊下が急に慌しくなった。
市川達がいる方に向かって何者かがバタバタと走ってくる。「おばちゃん」という愛称が良く似合う小太りの中年女性だ。
「?」
その何の気遣いもない音の発生源に、一同が思わず視線を向ける。
そのおばちゃんは春馬の父親の前に到達するや否や、
「このたびは本当に申し訳ありませんでした」
と、切羽詰った声で何べんも頭を下げ始めた。
「え?」
唐突に登場した女性の、唐突な行動にさすがの父親も訳がわからず戸惑っているようだ。
(誰だ?)
「……僕の、ママだよ」
それは市川の母親だった。彼女は事故のことを警察から聞いて慌てて駆けつけてきたようだったが、どうやら市川が春馬にぶつかったと勘違いしているみたいなのだ。
「市川君のお母さん、違うんです。うちの息子がはねられた後、市川君にぶつかったんです。彼のおかげで息子はアスファルトの地面に直接叩き付けられずに済んだのかもしれません。だからお願いです、頭を上げてください」
やっと事情を呑み込んだ春馬の父親が若干困り気味に説明すると、
「え? あっ、そ、そうだったんですか、私はてっきり……」
市川の母親は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら頭を上げたのだった。
(そそっかしいな、お前の母親は)
「……」
すると、そこで何の前触れもなく集中治療室の扉が開いた。そして中からマスクや手袋を装着していかにも無菌室から出てきたといったような女性看護士が姿を現す。
「!!?」
それを見て、春馬の家族は市川の母親のことなどすっかり忘れてしまったかのように、必死の形相で看護士に駆け寄った。
「む、息子は、春馬はどうでしょうか?」
「できるだけのことはしていますが、正直なところまだよくわかりません。外傷は大したことないようなのですが、脳に問題があるのか意識レベルがかなり低い状態で……」
看護士は俯き、言葉の語尾を濁した。あまり良い状況ではないようだ。
「…………」
そんな看護士の様子に、春馬の家族は困惑と悲嘆の混ざったような顔で押し黙ってしまう。
(…………)
患者本人である春馬の絶望は言うまでもない。
その後、
「とりあえず面会の許可が下りましたので、ご家族の方のみご入室ください」
「は、はい」
看護士に誘導され、春馬の両親と妹は神妙な面持ちで治療室の中へと入っていった。
(……)
当然春馬も中に入りたかった。春馬の魂にとって、春馬の体は家族以上の存在だ。例えここで激しくぶつかってみることはできなくても、現状を自分の目で――正確には市川の目だが――確認しておきたかった。
だが、
「さ、私達は帰るよ。お前が悪いんじゃないのならこれ以上ここにいても迷惑なだけだろうし」
と、母親に冷たくあしらわれ、市川は引っ張られるようにして帰宅することになったのだった。