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第四話

 家に帰るとわたしはソファに寝っ転がってクッションを抱きしめた。暖房もつけないで、制服を着たまま布団をかぶって、ずっとさっき起こったことについて考えていた。でも考えれば考えるほどに、わたしは同じことしか考えていないことに気が付く。『どうして詩生が』これだけだった。なんであんな奴が自殺提供人なんてやっているんだ、という思いがわたしの中をずっとかき回していた。

「馬鹿な、奴だと、思ってたのに――っ!」

 わたしは髪の毛をかきむしる。詩生に対して興味が湧く。当たり前だ。でもラインなんか、送ってやるもんか。そんなの送ったら、わたしが負けたみたいじゃん。変なところでわたしは、プライドが高い。何度もクッションを殴ってばたばた、転がりまわってバタバタ――

「なにやってるの、近所迷惑になるじゃない」

 冷たい母の声に、わたしはピタリと動きを停止させた。





「勉強は、うまくいっているの」

 母は唐揚げを口に運びながら、わたしと目を合わせないで、そう聞く。

「……うん、ちゃんとやってるよ」

 嘘だった。だから、歯切れが悪くなる。当然のようにその違和感に母は気づいて、空いてしまったわたしの隙に、ピンと尖った細い針を突き刺す。

「まさかこの時期に、遊んでいたりしないでしょうね」

 ようやくあった、わたしの目と、母の目。その険しい眼光にわたしは怯んだ。

「そんなこと、してないよ。ちゃんと、勉強してるよ」

 それでも母は訝しげな表情を崩さなかった。

「うちにはお金がないから、行くなら国立大学以外、あり得ないの」

「……知ってるよ」

「私が高校生だったときは、もっと勉強していたわよ。今みたいにスマホなんて、なかったからね。それに比べてあなたは……」

 そう言って、鋭い眼光をわたしに向けた。表情を変えずに、母は言う。

「心配なのよ」

 嘘だ。人は誰かを心配するとき、そんな険しい顔をしないことを、わたしは知っている。

「あなたが一時の楽しさにかまけて、人生の選択を誤らないかが、心配で、しょうがないの」

 やめてよ。にらみながら、そんなこと、言わないでよ。

「……うん、わかってる。勉強、するよ」

 わたしが絞り出すようにそう言うと、母はにこりと微笑んだ。

「そう。なら、いいの。あなたが利口な子で、お母さん助かるわ」

「……うん」

「じゃあ、お皿、洗っといてね。お母さんすぐ寝るから」

 そう言って、母は風呂場へと向かっていった。わたしはしばらく、呆然とする。わたしは実の母親が、苦手だ。全然、得意じゃない。わたしを縛るものはいくつかある。それは母親と世間体と、生きることだけ。中でも母親は一番嫌い。さっきの母の言葉が、ずっと視界の内側をちらついている。『あなたが利口な子で、お母さん助かるわ』

 利口な子になんて、絶対なるもんか、とわたしは思った。





 母親が眠ったのを確認すると、わたしはキャメルのダッフルコートをクローゼットから取り出して、音をたてないようにしながら慎重に羽織った。そのまま忍び足で玄関に向かう。冬の冷気がわたしの脚を包み込む。床が凍っているみたい。茶色いローファーをかぽっと履いて、少しずつ力をかけて、ドアを押し倒していく。こんなところ母に見られたら、何をされるかわかったものじゃない。

 やがてかちゃりとドアが開いて、その小さな隙間にわたしは身体を滑り込ませた。その隙間が狭すぎて、ちょっとだけ胸がつっかえた。ええい気にするものか。ぐいと身体を押し込む。閉めるときも細心の注意を払って、音を立てないよう気を付ける。そうしてわたしは、マンションのエレベーターに乗って一階まで降りた。

 ぶるりと体が震える。外はほとんど人の気配がなくって、あるのはぽつんと立つ街灯の明りだけ。わたしはポケットの中からスマホを取り出した。なんか、さっきまで見栄張ってた自分が、馬鹿らしくなった。ラインを開いて、一人の男に電話をかける。

「……もしもし、詩生?」

「んだよ、こんな時間に」

 出たのはふてぶてしい声だった。いつもならここで皮肉を言ってやるところだけど、今はそんな気分じゃなかった。

「……ちょっと、聞きたいこと、あって」

 自分でも驚くほど、寂しげな声色が出た。やだ、詩生にこんな弱いところ見せるの、やだ。心の奥で幼いわたしが、そう叫んでいる。

「どうしたんだよ、いったい」

「……自分でも、わかんないや」

「……」

 わたしの言葉に、詩生は何も答えなかった。でもわたしはすぐにわかった。詩生は答えなかったんじゃなくて、わたしが何か語ろうとするのをずっと待っているのだ、と。

「詩生は、いつからそんなに大人になったの?」

 零れ落ちるみたいに、出てきた言葉。ああ、わたしは、詩生が大人になったことを、認めちゃったんだと、言ってから、気が付いた。

 詩生はわたしの問いかけにしばらく答えなかった。それはまるで、壁に打ち付けた波が返ってくるのを、じっと待っているみたいだった。

 やがて詩生は、絞り出すみたいに、こう言った。

「俺は……ガキだよ。ずっと……ガキのまんまだ」

「それは、ガキの言う言葉じゃ、ないよ」

 わたしはほんの少しだけ笑いながら、反駁した。すると、電話越しに詩生が少しだけ笑ったのが、わかった。

「そう、かもな」

「ねえ、詩生って一人暮らし、してるんだよね」

「ああ」

 なんでこんな言葉が出てきたのか、わたしにもわからなかった。

「今から詩生の家、行ってもいいかな」


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