(3)
表通りの様子はすっかり一変していた。今まで明るく活気のあった町並みが、ひと気もなく暗く沈んでしまっていた。
アスランは訝しげに表通りに出た。その後ろからトーマがおずおずと顔を出す。
「……」
アスランは通りの左右を見渡した。彼の体がビクリと震え、顔色が変わった。トーマは不思議そうに、彼が何を見たのか、身を乗り出した。
アスランは素早くそれを制して、すぐに物陰に身を隠した。
通りの右、すなわち北東の方角から、黒く蠢く塊がわらわらと行進してきているのだ。彼はそれを見ると身を固くした。
「黒の王だ」
トーマが顔色を変え、
「まさか……!」
「まさか、とはどういう意味だ?」
「知らないほうがおかしいですよ。黒の王は16年も前に姿を隠してしまって、突然人が変わってしまったように、高税、労働の酷使と、まるでいままの善政の代価のように残酷王となったのです。彼は彼の娘に王位を譲位し、行政させ、自分は摂政になったのです。でも、それは表向きのことで。実際には彼が国を動かしているのです。娘の方はかわいそうなもんです」
アスランは顔をしかめて、トーマの口を押さえた。
黒の王の行列は、まるで死の行進のように恐ろしさを漂わせ、人の目には焦点の合わない不思議な感覚をもたせた。死期が近づいているにもかかわらず、未だにそれに気づいてないような……。
黒の王が乗っていると思われる馬車は、黒く装飾されており、二匹の黒馬に引かれて、鬱々とした雰囲気だった。
兵士の立てる足音は、何かにとりつかれたような危険なものをはらんでいる。彼らの顔には死相が浮かび、黄泉の国から這い上がってきたように見えた。足音は無情なリズムでルトランの町中に響いていた。
アスランは町から人はいなくなったことを、なぜなのかわかった。馬車の車輪の音が町を支配していた。
彼は黒馬車の主をよく見ようと目を凝らした。窓には黒の厚いビロードのカーテンが引いてあり、外からは何も見えない。
どのくらい経ったか……。もしかしたら思ったよりも短いかもしれない。黒の王の行列は禍々しい気配を残して、通り過ぎていった。
「どこへ行くか、見当はつきますか?」
トーマがアスランに尋ねた
「この方向へ真っ直ぐ行くと、山にはいってしまう。もし、隣のティリアズに行くなら、船を使ったほうがずっといいだろう。スレンダに行くなら、ノーズ=ゴルゴダの経路をたどって、北スレンダを通り北マチス平野からモイラに行くはずだ……そうだろ?
でもこのまま進むとしたら……トグノ山の方向へ行く……まさか、爺さんたち……」
アスランの表情が見る間に青ざめていく。
「家に戻るのですか?」
間髪入れずにアスランは答えた。
「もちろん!」
「よかったら、わたしも一緒に行ってもいいですか?」
アスランは戸惑いながらも承諾した。
黒の王が去った後は、霧が晴れたように灯の明かりが戻ってきた。人影もちらほら見える。アスランは宿に戻ると、今晩遅くに返ってくるとことづけて、トーマとふたりでトグノ山を目指した。
上弦の月が天高くに輝いている。木々は月明かりに照らされ、風にさやさやと枝葉を揺らした。
ふたりは追跡者となり、黒の王の行列――とはいっても、兵の数は前方に三人、左右にふたり、後方にふたり、御者に一人。計八人であったが――は、山道を進む馬車の音に合わせて行進していた。
どんな坂でも、凹凸の激しい道であっても、彼らの速度は変わらなかった。魔法か何かで守られているかのようだった。
トーマがバテた様子でアスランの後を追う。
「実を言うと、わたし、弟を引き取るつもりでルトランに来たんですよ。とにかく、いうことをきかないやつでしてね。僕は魔法使いになるんだ―! なんて。ホントに何を言ってるんだか。一応初級はとれたらしくて、先生から迎えに来るように連絡をくれたんですが……。あいつは何を考えてるんだか、ようやく来てみたら、ミトゥーにいっただなんて! 場所はわかってますから別にいいんですけどね。あんなに利かん気なのに、名前がドミニオン(主天使)っていうんですから皮肉ってもんですよ。
ねぇ、す、少し休みませんか? これ以上進むのは無理ですよ」
トーマは散々喋った挙句、よたよたしながらアスランの右隣りに並んだ。
アスランは彼を無視して、すたすたと歩調を速めた。
「わ、わかりましたよ、我慢します!」
夜はどんどん更けていき、寺院に衝いた頃には深更を過ぎていた。
寺院にはひと気がなかった。兵たちが寺院に入っていく。
三人の兵があとに残り、黒馬車を護衛している。
アスランは茂みからそっと身を移して、寺院の裏手に回った。
「わたしは隠れてます」
トーマをアスランは軽蔑した目で見やった。
たった半日いなかっただけで、まるで10年も放置していたかのようだった。
彼は三賢人がいつも座っていた大広間の窪みを見に行った。幸い兵たちはいなかった。しかし、大広間に三賢人はいなかった。
「爺さん……」
小声でアスランは呼びかけた。
――アスランか……?
「そうだ」
――戻ってきたのか……?
「ふざけてないで姿を見せろよ」
――わしらは旅に出る。魔法を無闇に使うでないぞ。
声がぷっつりと途切れると、元の静寂に戻った。声はアスランにしか聞こえない魔法だったようだ。
たった一つの出入口から、ぼそぼそと話し声が聞こえてきた。彼は慌ててルーンを唱えて姿を消し、柱の陰に隠れた。
やってきた兵士は三人だった。
「こっちに人の気配があったぞ?」
「なんだ……誰もいないじゃないか。カスタ、本当にひと気を感じたのか?」
「まぁ、いいじゃないか。どこかに隠れているんだ。ふたりともさっさと探せ」
「おい、ユルバ、こっちに来てみろ。今までここに座っていたんじゃないのか?」
「窪み……賢人か。早く王にお知らせするんだ」
ユルバとカスタに、一人の男が命じた。
「はい、でもどこにもいませんよ」
「いや、賢人は魔道師だ。油断ならない。窪みをくまなく調べろ」
男は隊長であるらしく、ふたりの兵に命じた。
ふたりは手分けして窪みを触ったり、叩いたりしてみた。
「クソッ、どこに行ってしまったんだ」
「王にすでにいなくなっていたと、お伝えしろ!」
隊長がふたりに命令すると、彼らは急いで大広間から出て行った。
アスランは彼らの後を追った。ふたりが十字にわかれた廊下に出た時に、めくらましの術をかけ、道に迷わせた。彼らは道化のようにその場をウロウロとうろついた。
アスランは姿を消したまま、黒馬車が止まっている門戸へと走っていった。