表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

『第四章:珍しき邂逅』

      *

 茂みの中で倒れた彼。

 しかし突然現れた人間に驚き、疲労困憊の身体に鞭打って無理やり彼は立ち上がった。

 その人の方へと身体を向ける。――そこには、黒髪を流した妙齢の女性がいた。

 何故という思いはある。だがそれよりも、半日ぶりに出会った人に、幼い彼は安堵の息を思わずついていた。その仕草に、彼女はくすりと微笑した。そして、

「道に迷ったの坊や? 私はこの森に住んでるんだけど、良かったら村の近くまで送るよ?」

 願ってもない提案に彼は喜んで案内を頼んだ。

 二人は暗い獣道を歩いて村を目指し始めた。

 道中、少年は、家族や村、最近の出来事など他愛の無い事を女性に話し続けた。何故かは分からなかったが、彼女の笑みを見ていると疲労などどこかへ吹き飛んだ。

 しかし、あと山一つ越えれば村に出るという所で、彼女は何故か立ち止まった。彼女は申し訳なさそうに口を開いた。

「――ここからは、一人で行けるよね? 私はここにいなきゃいけないの。だから、ね?」

 彼は驚いた。

 必死に首を振って彼女に縋り付く。村まで一緒に行こうと彼はそう懇願した。が、彼女は少し困ったように眉尻を下げるだけ。

 村には、何故か行きたくないようだった。

      *

      *

 緋色の夕焼けが、市街地を照らし始めてからしばらく。

 住宅街の中でも富裕層が好んで住む丘に、遠野はわざわざ来ていた。

 蒼衣邸の門前。庭園越しに見える館がある。

 その、洋館にしては少し小さめの邸宅を眺めつつ、彼は横の空に話しかけた。

「おい。全部長の屋敷にしてはやけにただの豪邸じゃないか? 警備は大丈夫なのか?」

「そぉ? 前まではお兄ちゃんと侍女の麻亜奈さんしかいなかったし、敵が来たら好き放題いたぶれるからいいって思ってると思う。それに、ここの結界心配するなんて和時君凄いね。わたしでも竜撃か神力使わないと崩せないと思うんだけどなあ」

「ああ成程。いやすまない。見えてなかった。そうか、ここには凄い結界があるのか。……てんで分からなかったな」

「あ、ご、ご……」

 めん、とでも言おうとしたのか、しかし空は口を両手で押えて堪えていた。空は必死に、目線で何かを訴えかけてくる。遠野は眉根を寄せて、

「何やってんだお前?」

「あ、謝るの我慢できたんだよ!!」

「そうかそうか、そりゃ良かったな。――馬鹿か。少し自制出来たくらいで喜ぶな。子供か。完璧になったら褒めてやるよ。そうだな、瀕死で礼言えるくらいになったら合格だ」

「無理だよそんなの! たぶん自分語りしてるよ! それに、孤独死だったらどうするの!?」

「そうだな。まぁ心配するな。死にそうになったら傍で聞いてやるし花でも添えてやるよ」

「あ、ありがとー。――って、せめて否定してよ! 死んじゃうとことかさあ!!」

「――で、これどうやって入るんだ? 一応は、要人の邸宅なんだろ?」

 遠野の流しにジト目を向ける空だが、門の柱まで歩みを寄せながら答えた。

「大丈夫。これ。インタァ、ファン、だっけ? あるから。昨日来たばっかりで結界に霊力登録してなくて勝手に入れないから、入れてもらわないと」

「俺はそれを本気で使うヤツ初めて見たけどな。まぁ分かった。ならその〝インターホン〟でさっさと呼べよ。結界ありきじゃ念話もろくに使えないんだろ? 空」

「自分だって使えないクセに。ふん、いいもん! 呼ぶもんっ。ちゃんと呼ぶもんねっ!」

「どんな捻くれ方だよ」

 インターホンのボタンを空は人差し指で軽く押した。約十秒後、

『――はい。世界の覇王にして竜の王、龍也様の神殿にして邸宅。そしてその受付であり唯一の奉仕者である櫛真に御座います。何用でしょうか? 一部外者兼ゲス野郎』

「麻亜奈さんそれ来たヒト全員に言ってないよねッ!?」

『おや、どなたで御座いますか? 名乗りも無しに龍也様の邸宅に踏み入ろうとは、笑止を越えて万死に値します』

「しないよ! まったくあたいしないよ‼ わたしだよっ、空だよ!!」

『? 空とはどの空お嬢様でしょうか? 私めの知る空お嬢様はもっとおバカでオツムの弱い、可哀想な子なのですが。……新手の詐欺か何かですか? 明確な自己紹介を要求します』

「え? あ、えーっと、私は蒼衣・空で、新東合二年D組所属、出席番号がぁ、確かぁ―――」

 空が両五指を折っていくのを遠野は横で眺めていた。が、眼前、三メートル近い鉄柵門がひとりでに開いていくのに気付いた。

 ……上がれ、って事か。なら空のはからかってんのか。面白そうな日課だな。やるか。

 己の手と奮戦する空を置いて、少年は、敷地内に踏み込んだ。少しすると後ろから、

「あれ!? 何で門開いてるの、というか和時君もいつの間に!? ま、待ってよお!!」

 駆け足で空が追い付いた。

 手入れのきいた芝生の庭を適当に眺めつつ、二人は館までの二十メートルのアプローチを歩く。残り五メートルもないという所で、ふと玄関が開かれた。出てきたのは、侍女が一人。

 黒基調のエプロンドレスを着る少女。艶の良い黒髪を腰まで伸ばした銀眼を持つ彼女は、表情の変化が乏しい事が彼のいつもの印象だった。――その者は、

「……副会長――、侍女だって噂は本当だったのか」

 玄関前に立ち、こちらの姿を見とめた彼女は、目を伏せて会釈を一つ。

「お待ちしておりました、遠野客人。客間にて龍也様がお待ちになっておられます。どうぞ」

 遠野と空は吸い込まれるように、蒼衣邸の中に入った。

      *

      *

 西洋風の蒼衣邸。

 その一室。客間で、ひときわ大きな笑声が挙げられた。

「ハハハハハっ! 精霊系異属であるリュウが、よもや己が衣服を再生できずに裸婦同然になるとは。流石は我が愚妹。つくづくオレを笑わせるネタを持ってくるヤツだ!」

 抱腹するように笑い続ける蒼衣がそこにいた。

 長方形の小テーブルを囲んで座るのは三人。上座に蒼衣、下座に空、その中間に遠野だ。一人立ったままの櫛真は一隅、カートの傍で茶菓子と紅茶を人数分準備していた。

 至る所に細工が施された室内や、侍女服姿の櫛真に違和感を覚えつつも、遠野は、

「失笑するのは構わないが、話を先に進めたい」

 と、竜王である蒼衣に平然とそう言ってのけた。が、波坂に向けられたような殺意的な反応は返ってこない。

 何を思ったのか蒼衣は一瞬不敵な微笑を浮かべ、櫛真は作業する手すら止めていなかった。蒼衣は軽く笑って応じた。

「ハハ、そうだな。空を小馬鹿に処するのは次にして、先を聞こうか。述べるがよい無能者の和時よ。――と言っても、聞くような事は残っていなさそうだがな」

「ええ。俺がこれから話す事、それは貴方側の仕事だ。まあ、考察くらいは言わせてもらう。さっきも言った通り、機甲兵のスペックや練度は、この時代ではまだ不可能だろう。ゴーレムもゾンビも、生命や自然物への干渉でしかない。だが、それをなし得るとすれば、」

「魔術か異能、あるいは神力の類しか考えられぬ。そうであろう?」

 ああ、と遠野が頷いた。

 一隅にいた櫛真が茶菓子を各々の前に置き始める。まず蒼衣にケーキ、続けざまに遠野の前にも同じものを置いて、空には何故かどら焼きを差し出した。何故どら焼き? と思いつつも彼は言葉を作る。

「単にあの巨体を作るだけなら、神州は勿論、旧米国や聖書、中華にインドと山ほどある。だがそれを実戦投入するとなれば話は別だ。変革における研究で神州を抜く組織はいない。それでも可能性があるとすれば、――未だ不明瞭な部分の多い神力を活用した時のみだ」

「成程。確かに開発部でも旧技術に付与するならば神力か魔術が最良としておる。外の連中も大方がそうであろう。世界の中で地位を高めるため色々と情報や策を売ったはいいが、見返りが追い抜きか。また随分な振る舞いだな」

 さもどうでもいいかのように蒼衣は笑った。遠野は一瞬眉をひそめるも、

「結論として、アレを造った組織は列強の中でも力の在る聖書かインド、よくてスラヴといったところだ。――取りあえず、機甲兵に関して俺が持つ意見はこのくらいだ。報告書は明日にでも上げるつもりではいるが、他に何か聞きたい事はあるか?」

 問いかけに、しかし蒼衣はわざとらしく応じた。笑みを濃くし、

「そうだな。では一つ聞こうか。――貴様、何故その機甲兵が神州のものではないと言い切っておるのだ? 貴様の推察にも含まれておるではないか。オレの神州を愚弄する気か?」

 一瞬、彼の周囲がとぐろをまいたように悍ましく感じた。

 その濃密な威圧感に、しかし彼は迷う事なく答えた。視界の端で、空が話そっちのけでどら焼きを頬張って満面の笑みを湛えているのに内心嘆息しながら、

「初めはそれが最有力だと思っていた。が、機甲兵と戦闘した空を保護し、かつ極秘相当である筈の代物を見た俺に、昨日今日で何も無かったから、では、理由にならないか?」

「成程な。確かにそうであったとすれば、強権家の機構は早々に貴様を抹殺しておるな」

 しかし、と蒼衣は言葉を続けた。不敵な笑みを絶やさずにこちらの目を見据えて、

「オレの性格を鑑みなんだのは失敗だったぞ和時。オレは面白ければ何でも良い。今日の会計と空の乱闘もそうだ。あれは中々に面白そうだった。故に傍観させた。もしかすれば、ここまで貴様を騙し、油断させ、最後に口止めついでに屠る気なのやも知れんぞ?」

 遠野は吐息した。至極呆れたふうに、彼の目を見詰めて告げた。

「――そっちの方があり得ない。性格はともかくとして、貴方のやり口はいつも大胆不敵で、それでいて必要最小限だった。横暴だとしても下々を汲んだ綿密な計画性。面識は一切ないが、貴方の政治や研究対象からそれは顕著だ。俺は、貴方が悪道を進む覇王に見えても、暗君には見えない」

 遠野の断言に、蒼衣はわずかに目を見開けた。彼は、くつくつと喉を鳴らして笑い始める。

 蒼衣の失笑は長い。

 どうしたの、と空も視線を向けていた。が、ややあってから、

「貴様は可笑しなヤツだ。なあ和時よ? 力無い無能者にして、誰にも頭を垂れようとしない堅物。諦めの悪いガキ。――稀に見る超人だな、貴様は。実に、実に面白い」

「俺は、ヒーローなんかじゃないんだが?」

 彼の聞き返しに、櫛真が反応した。茶器や菓子入れを仕舞う手を一旦止めてから、

「いいえ、認識が違います遠野客人。龍也様が言われたのは虚無主義における〝超人〟です。己の善悪で全て判断する人間、畜群と呼ばれる人間社会と一線を画した人間の事を指す用語です。ツァラトゥストラはかく語りき。神は死んだ、と言えば分かるでしょうか?」

「ああ、ヴィルヘルム・ニーチェか。――光栄ではあるが会長、俺はそんな大層な人間じゃない。やりたい事も見失いそうな、何も出来ない木偶の坊だ」

 そうか、と蒼衣は言葉を返した。遠野の返事に不満を示した様子はない。が、彼は、

「中々良い話が聞けた。長としては十分だ。機甲兵に関してもオレが調べておこう。この話は仕舞いだ。――では次だ。和時よ。一つ尋ねる。貴様、何か信じておるか?」

「――信じるなんて知るかそんなもん、ってところだ。俺には力が無い。何も出来ない。それだけだ」

 ふ、と蒼衣は口端を少し緩める。ねめつけるように、ツクヨミである竜王は、

「オレはオレを信じておるぞ。今も昔も、神であるオレを、だ。――それがオレの、神としての矜持だ。無能者の貴様には見る事すらも出来ぬ境地であろうよ」

「会長は歯に衣を着せない」

「ハハハ、それは良かったな和時。――では、時分も頃合いだ。そろそろ本題といこう」

「空の事か?」

 遠野と蒼衣、二人同時に空に顔を向けた。ほえ、と口元にアンを付ける空は小首を傾げた。

 ああ、と蒼衣は頷いて、

「ついでだが、このしようのない愚妹を保護してくれた礼をしたい。息苦しいかも知れんが夕餉を馳走する。麻亜奈よ、コイツはヒト種だ。肉ばかりにするでないぞ」

 カート上の物を片付け終えた櫛真は、巧みな身の捌きで振り返る。と、腰を折って、

「了承しました。では野菜を足しましょう」

 そう告げた櫛真は、カートを押して、しかし会釈をしてから部屋を退出した。

 ……肉は、どの道いれるんだな。――三対一で肉食と雑食じゃ仕方ないが……。

 櫛真が出ていった後、蒼衣は湯飲みを傾ける空を尻目にして口を開いた。

「――ならば和時よ。作り手は櫛真しかおらぬゆえ時間がかかる。その間、この空の、昨晩の事でも悠長に語るがいい。裸になった空を、貴様はどうしたのだ?」

 口端を歪めての問いに、空が飲んでいた緑茶を勢いよく噴き出した。屹立、顔は真っ赤に湯飲みを手に持ったまま空は慌てふためき、大声で、

「ワアアぁあッ! 止めっ、止めてェエ‼」

「まず、上着羽織っただけの状態で一時間近く郊外を歩かせた」

「ほお、興味深い話だ。朝まで熱く語るがよい」

「――!!」

 空の制止は殆ど叫び声になっていた。

      *

      *

「今日は色々迷惑かけてゴメンね、和時君」

 夜の静けさに街が沈みゆく中、蒼衣邸の門前で空の言葉に、遠野は他愛なく返事した。

「別に迷惑なんてかけられてない。お前が気に病む事なんて一つも無かった。まぁ、強いて言えば、会長と話すのは疲れたな。あれでも平常なんだろうが、威圧感が強すぎる」

「へへ。お兄ちゃんわたしと違って二重継承してて、そっちの襲名が邪神の夜刀だから。たぶん、その神力に当てられたんだと思う。〝邪眼夜刀〟、精神圧迫の神力」

「そういえばそうだったな。話が弾んで忘れていた。まぁその分楽しんでた、って事か……」

 空は眉尻を下げて、しかし嬉しそうな表情で頷いた。彼の想起に対して、

「ん、――お兄ちゃん、優しかったでしょ? 学園じゃ怖そうだけど、ほんとはとっても優しいんだよ? だからね、和時君。学園でも今日みたいに、フツーに話してくれないかな?」

「はぁ……、お前は。自分を棚に上げて他人の事ばかり目を向けるな。自分が辛かったからこの人も辛い筈、そんな身勝手な妄想は止めろ。悪い癖だ。早く治せ。波坂に叱られるぞ」

「……う、うん。――頑張る」

「そうか。なら、俺の方も分かった。善処する。じゃあな空。また明日。学園で、な」

 その言葉を耳にした空は、一瞬驚いたような間を空けたものの、笑顔で答えた。

「う、うんっ! また明日!」

 ああ、と一度頷いてから、彼はゆっくりと夕方来た道を戻っていった。

 三十メートルほど進んだ所で、肩越しにふと後ろを見ると、

「……また明日ぁー、学校でねぇえ!」

 この距離からでも分かる嬉々とした顔で、空が手を大きく振っていた。苦笑失笑とも取れない、迷いあぐねたような微笑を遠野は思わず浮かべる。

 何も言わずに、遠野は帰り道を進んだ。

 春先だが、まだ夜は肌寒さが厳しい。少年は少し早足で駅へと向かった。

 だが、何度目かに曲がった角で、彼は不意に、誰かとぶつかってしまった。

「きゃっ……!」

「――っと」

 不注意だった、と彼は心の中で自分をなじった。が、

 ……今の声、聞き覚えがあるような。嫌な気配がしてならないんだが……。

 彼の不安は、案の定正解の目を見る事になった。それは、

「何ですの一体。夜道に気配もなく歩くなんて、――遠野・和時ですわね」

      *

      *

 書院造の趣が強い客間。

 腰の低い大きな机に、座椅子が二脚だけ出されていた。

 二つの座椅子に座るのは、綺麗な水色の長髪をポニテにした少女。と、黒髪に無表情で虚脱したような瞳を持つ少年。二人とも紅白基調のブレザーを着ていた。

 波坂と遠野だ。

 蒼衣邸からの帰路の途中、遠野は道角で女性と、波坂と鉢合わせた。そして、何故ここにいるのか、今どうしているのかを諸々説明された波坂は、ふと逡巡して、

『――終電までまだ時間がありますし、よければワタクシの家に来ます? もてなしますわよ? 少し、話したい事もありますの。駄目、ではないですわよね?』

 別に断る気も理由も無かったので、彼はこれを了承。今はこうやって客間で二人きりだ。

 床の間の掛け軸に視線を逸らしつつ、遠野は、真向いでダンマリ決め込んで座る波坂に、

「で、波坂。話ってのは何なんだ? 冷やかしなら間に合ってる。俺に何が言いたいんだ?」

「――――」

 彼女は目線を下にする。居心地が悪かったのか、襟元のリボンを緩めて胸元を少し広げた。そして、

「そ、そーですわ。遠野・和時。お酒を、晩酌をしませんこと? 無手で語るのは幾ばくか抵抗がありますの」

 おほほほ、と彼女は誤魔化し笑いを浮かべる。だが、遠野はきっぱりと断った。

「断る。俺たちは未成年だ」

「い、いいじゃありませんのちょっとくらい! わ、ワタクシには継承者として神酒の飲酒が許可されてますから飲めますわ! それに、酒を飲む事は神に近付く行為。だから、その……、神であるワタクシと話すため、という理由ではいけませんの……?」

「何でそこまで俺に酒を飲ませたいんだお前は。ったく。分かった。好きにしろ。ただし、大吟醸に煮干しを付けなければ俺は飲まんぞ!」

「ほんとですわね!? それなら早く侍従を――って貴方! それ絶対飲んでますわよね!?」

「ふっ、知らんな。少なくともお前は知らず、見るのも初だろ? 無知は罪なりだ」

「語用が違う気がしますけどまあいいですわ!!」

 やはり彼女とは気兼ねなく話せて気が楽だった。

 そうこうするうちに、侍従の一人が猪口二つに酒瓶一本、付き出しを幾つか持ってきた。どうやら縁側に隠れて盗み聞ぎしていたようだ。流石は波坂家の侍従。教育がぬかりない。

 そして、波坂と遠野の晩酌は始まった。

 一時間後―――、波坂は、

「え、っぐ。――だいらい、ヒト種が飛竜種に勝てるわけないじゃありませんのぉ。それお貴方達ときらら、優雅に観戦ですのよ? 分かります? 岩戸さん来てくれましたけど、わらくし頑張って、頑張ったんですから。……頑張って、貴方にぃ……」

 腕を前にして顔を埋める波坂は、すでに悪酔いし始めている気がした。

 ……日本酒をあれだけ煽れば無理もないが、それでもここまで崩れるってのはどうなんだ? お前。神酒で対話、つうよりかはただ愚痴を聞いてるにしか……。

 そうは思うものの、遠野は相槌を打ってしっかりと彼女の言葉に耳を傾けていた。

 愚痴、学園では見られない彼女の姿に、彼は少し笑んだ。

「貴方、何をにやけてますのォ? そんなにわたくひを見て面白いですの?」

「そうか? 俺も酔ってるかも知れない。気にするな。――ちょっとばかし、昔の自分を見てるみたいで笑っちまった」

「むかし? 聞いてもいいでしゅの?」

 とろんとした眼差しで、甘噛みしつつ波坂は問いかけた。彼は熱燗を一口味わってから、

「――簡単な事だ。勝手に信じて勝手に裏切られ、ついには勝手にいじけちまっただけの、今のお前みたいに拗ねてた時があったってだけだ」

「いいえ。わらくしはもっと聞いてみたいれすわね。貴方、そーゆう事全然話しませんもの。学園ではいつも短絡的な話ばかりですし、貴方の両親とか子どもの頃とか、興味ありますわ」

 そーかよ、とぼやきのように返す遠野は、しかし猪口を傾けて、目を細めた。

 わずかに空気が硬くなった。

 雰囲気を察してか、波坂が身体を起こした。彼の言葉を待っている。

「――俺の両親は、旧代からすでに魔術師だったらしいんだ」

「初耳の上に衝れき告白ですわよ。なら貴方、わたくしらちみたく、魔力遣いやその無能などではない、ほんとーの魔術師に、なれるんじゃありませんの?」

 いや駄目だ、と彼は即答した。

「機構にも助言入れたほど高名な魔術師夫婦らしいが、どうも専門にする術の相性が悪いみたいでな。才能が反発し合って、子の俺には先天的なモノが一かけらも遺伝しなかった。お陰で変革まで俺は、魔術やその世界の事を一切教えられてなかった。二人ともどう思ってたかは知らないが、色々言ってくれたよ俺に。慰めみたいな言葉をな」

「どうな、言葉でしたの?」

「親父は俺に力が有ると言った。母さんは、〝意思の理論〟を説いてたな。君が出来るのは、君が出来ると信じる事が出来た時だよ、ってな」

「お二人とも、随分と回りくどい言い方をしますのね。でも、お優しい方ではありませんの」

 そうだな、と遠野は小さく返事した。自分でも意外だったが、口元が緩んでいた。

「ここ一年以上顔もろくに見てないが、良い親だと思ってる。だがそれでも、慰めに過ぎなかったのは事実だ。俺が本当に欲しかったのは、力が有るなんていう宥めじゃなく、」

 口を噤んで、彼は頭の中だけでその言葉を呟いた。

 ……どんな方法を使えば、何が出来るのか。ただそれだけだった。

 ふっ、と小さく鼻で笑って自嘲した彼は、手にとった煮干しを口にせずに弄びつつ、

「余計な事だったな。もう吹っ切った事だ。今のは流してくれ波坂。つっても、お前は釈然としないんだろうな」

「あたりまえですわ。貴方の本音、聞けると思ってましたのに。……中途半端ですのよ」

 本当に肩を落として落胆した波坂を見て、遠野は苦笑一つ。しかし、と言って、

「しかし、こうやって乾物片手に酒を飲めるなんて、十年前は予想だにしてなかった」

「ま、そうですわね。ほんとに色々あった十年ですもの」

 遠野以上にこの十年を濃密に感じて来た波坂は言う。

「毎日のように世界では変革による騒動や暴動が起き、無法地帯は増加の一途。食糧増産のために始めた術式付与型栽培もようやく軌道に乗りましたけど、依然インドからの輸入量は膨大。継承者の数によって世界では局地的な環境変動も見られてますし、これからを考えると不安は拭えませんわね……」

「ああ。世界の先導者と呼ばれる神州も、襲名神話以外のモノは極力外へ追いやっていたが北方諸領土を吸収した際にスラブの棄民を多く受け入れ、その上旧海兵も帰化したしな。うちの小隊(クラス)にもジョニーやヘルネがいる。一民族一国家とはもう言い難い」

「結果的に見れば、ヒトとして人類は高みを上りましたけど、その分、失うモノもあった、という事ですわね。――世界が、とても狭くなった気がしてなりませんわ」

 冷酒を煽る波坂は、ふと問いかけて来た。

「……ねえ、遠野・和時? 貴方はどう思ってますの。あの子、蒼衣・空のことを?」

 なにを急に、と遠野は思いつつも答えた。

「そうだな。社会も世界も、この世を支えているのは神役継承者だ。中でも襲名者の政治的力や、保護事象への干渉力は大きい。国家的代理の名の通り、一個人だけ国家間戦争が行えるほどだ。だが、その分、少しでも不安材料が浮き彫りになれば、世間から叩かれるのは襲名者だ―――」

 遠野は続けて言った

「無能者の俺に向けられるのは同情や嘲笑いだが、お前たちはどうなんだろうな。俺には想像もできないが、少なくとも気分の良いもんじゃない。それが邪神を襲名したともなればなおさらだ。

 邪神カグツチ。神州の中で唯一、語られずに悪とされた炎神。アイツ自身も、無意識のうちに自分が悪いと思ってる節がある。否、摺り込まれていると言った方がいいか」

「でもそれは……、どの道それは致しかたない事ですわ。世界の柱、神となった身としては、己に与えられた神名は否応なくも意識してしまいますもの。ワタクシのイザナミも、会長のツクヨミも、多少なりとも自我形成に、一役買ってしまっている筈でしゅわ。――――ん」

 波坂のペースが早まっている気がする。頬は朱で目はとろけて、仕草にもキレが無くなっている。目線が合っていないからかなり酔ってるんだろう、と遠野は推測していた。

 自分も少し酔いが回ってきている。気を付けねば、と思った時だ。波坂が不服そうに、

「でも、遠野・和時? 貴女、わたくしの質問にいい加減答えなさいなぁ。はぐらかしても駄目ですわよお?」

「別に誤魔化してる訳じゃない。前置きだ。長いがな。――言ってしまえばアイツは馬鹿だ。途方もなく、埒外を向き過ぎた馬鹿だ。傷を負うのが嫌だから自分の中で決め付けようとして、しかし拙い故に上手くできずに終わる。昼の喧嘩もそんな感じがしたしな」

「……うまく、できずに、おわる……? あぁ、それで、あんなことを……」

 小声で何かを呟いたかと思うと、波坂はくすくすと笑って誤魔化すと、

「ふふ、何も知りませんわよー、っだ。教えて欲しくば金を積みなさい。たんまりと、ね?」

「素の交渉は親譲りか? まあなんにせよ、アイツは自分で気付いて自分で治さない限り一生あのままだろう。死ぬ時にまで謝られたら、こっちはたまったもんじゃないだろうな」

「――ほんと、よく見てますのね。ほんとに、……羨ましいですわ」

 何故か彼女はふてくされてしまった。が、ややあってから、何を思ったのか、

「――もーやけですわ! 次の瓶空けますわよ‼ 明日の事なんて糞食らえですわッ‼」

「泥酔だけは御免だぞ、波坂。一応お前も一端の乙女なんだからな」

 遠野の翻意の言葉が果たして彼女に本当に届いたのか。波坂は、ぐいぐいと喉に酒を流し込んでいった。途中からは他の酒にも手を出す始末。完全に晩酌の範疇を越えていた。

 が、しかしその光景を、彼は、口元を少し弓にして眺めていた。まるで、彼女の鬱憤晴らしにここで付き合ってやる事が、自分の役目だと言わんばかりに。

 ……親父。アンタは何で俺に、力が有るなんて言ったんだ? 親父には俺が、絶対に力を持てない事、初めから分かってたんだろ? ――俺には、何にも、出来ねえんだぞ……。

      *

      *

 夜もかなり更け込み始めている。

 日本家屋然とした厳かな空気漂う波坂邸。

 その客間の障子戸を開けて遠野は縁側へと出た。

 泥酔して寝てしまった波坂を両腕で抱えつつ、板張りの廊下を左右交互に見る遠野はある場所を探している。

 と、そこに客間にも何度が顔を見せた侍従の一人が急ぎ足で廊下の奥からやって来た。遠野はその侍従に尋ねた。

「――波坂・伊沙紀の寝室はどこだ? 連れていきたいんだが?」

「べ、別棟の離れが、お嬢様のお部屋にございます」

「そうか。なら落ち着いたら着替えさせてやれ。身体が火照って汗を掻いてるだろうからな」

 と言った彼は、縁側の外、離れを目で探しながら思った。酒が回ると身体が代謝を上げて否応なしに汗が出る。最悪、嘔吐だな、と。――しかし、侍従は何を勘違いしたのか、

「……お、お勤め、ご苦労様でございますっ。お嬢様をお願い致します!」

 深々と頭を会下げていた。

 少し訝りながらも首肯した彼は、向こうに見える離れへと歩を進めた。が、

「――そうだ。侍従の人、コイツが起きたか明日にでもなったら言っておいてくれ。酒の礼はつけておくから、好きな時に催促してくれ、ってな」

「え? えぇと、あ成程! ――畏まりました! 委細不備なくお嬢様に申し上げます‼」

 顔を赤くして再度腰を折った侍従。だが彼女は頭を上げると、こちらに見定めるような視線をわずかに送ってきた。遠野が、

「俺はこれから終電で帰るが、何かあるのか?」

「……あ、いえ、何でもございません。少し気になった事があっただけですのでお構いなく。それでは、終電に乗り遅れた際は是非この家の門をお叩き下さい」

 侍従に礼を言って、彼は乱れのない足取りでそのまま離れへと歩いていった。

 縁側を歩く遠野は無言だった。

 ふと、彼は腕に抱え込む少女に視線を落とした。腕の中で、彼女は静かに寝息をたてている。

 力無い瞳で彼女を見詰めて、彼は、彼女の〝軽さ〟に奥歯を淡く噛んだ。

 ――神役を負う事、すなわち世界の柱となる事。魂が背負い、人生に課された重荷なり。

 神役の継承数は、通常は一つだ。稀に、二重で継承する者もいるが、それでも数えるほどしかいない。

 継承において最も必要なのは、魂の許容量といわれている。とどのつまり、その者が一生かけて少しずつ背負っていく〝モノ〟を奪って占める事なのだ。

 二つ目の神役を殆どの継承者が得ないのは、たった一つの継承で、魂の大半を占領されたから。すでに、人生の全てを神役に飲み込まれたからなのだ。日々、身体からは魔力を奪われ、人生における幸を奪われる。本来あった筈の可能性すらも、奪われる。

 波坂の身体は軽い。普通の少女と差なんてない。

 しかし、この少女にのしかかっている〝重み〟は、一体、どれだけのものなのだろうか。

 自分には分からないし、分かってもいけない。何故ならば自分は、ある意味で、世界で一人だけ当たりくじを引いたと言えるからだ。

 ……最も不幸な無能者。だがその実、絶対に何も背負う必要が無いという事でもある。

 無理強いの継承とは雲泥の差だ。この隣人を見ていると、耐え難いほどの屈辱を覚える。

 ……波坂。お前は凄い。神役という呪縛を抱えながら、しかし常に自分を見失わずに他人の事すらも見ている。全く大した女だ。――それを俺は、何も出来ずにただ傍観する事しか出来ない。悪友一人を手助けする事すら、俺には出来ないのか……!

 苦々しく思い、しかし続けて、彼が内心で吐露したのは、問いかけ、だった。

 ……お前はどう思ったんだ? 波坂。その力と責務を得た時に、どう―――?

「……やっぱり喜んだのか? 力を得たと。それとも、悲しんだのか?」

 応じる声は無い。だが、波坂の表情を見て、要らない心配だったか、と彼は思い直した。

 学園の毅然とした顔とは違う、緊張の解けた、あどけなく緩んだ幸せそうな表情。

 腕の中で彼女は静かに寝入っている。

 その〝重み〟を両腕でしっかりと支えて、彼は少し肌寒い廊下を歩いていく。歩調に合わせて、彼女の髪は小さく揺れていた。

      *

      *

 薄明かりに灯された窓一つない部屋がある。

 四方は三十メートル近く。全面金属タイルで覆われており、何かの大小含め様々な部品が散乱して、その天井には室内移動用クレーンが設置されていた。

 その、倉庫らしき地下施設にはあるものが横たわっていた。

 巨大な物体だった。

 体長約十メートル。犬型の頭部に重厚な装甲を持ったその巨人は、まるで何かを待つかのように静かに横たわり、しかし不気味な空気を醸し出していた。

「……やっと、だ」

 肌を割くような冷気の中に、男の凛とした声が響いた。

 若い男だった。

 彼は巨体の傍で、見入るようにその金属の鎧兵を見詰めていた。充溢した高揚を載せて、

「……もうすぐだ。やっと、やっとここまで来れた。これで、この願いは成就への一歩を踏み出す! 約十年。ようやくだ。ようやく、ヌシの願いを叶えてやれる……!」

 ふっ、と彼は薄暗い倉庫の中で口元を歪めた。興奮を抑えるように、吸気は深呼吸するように深く遅く、しかし吐き出される呼気は歓喜に震えていた。

 だからだろうか。

 彼は最後の最後まで気付きはしなかった。倉庫の、地上へと繋がる両開きの扉の傍。扉をわずかに開けて、物音を立てずに、悲しげに中を覗く独りの女がいる事に。

 わずかに眉尻の下がった悲しげな眼差し。

 表情の乏しい少女の顔は、苦しみの思いが漏れ出ていた。それは、まるで己の中で、何かの想いと必死に抑え込んでいるような。

 外気を肺に取り込んだ男は、次に口を開いた。

 微笑と共に、ある歌を紡ぐ。それは。


 さねさし 相模(さがむ)小野(おの)に 燃ゆる火の

 火中(ほなか)に立ちて 問いし君はも


 空気が張り詰めた。

 彼から笑みが絶えて、逆に緊の表情と雰囲気を纏ったからだ。落ち着いた静かな声で、彼はもう一度、ここにはいない者へ向けて言葉を作った。

「――ヌシの願い、必ず叶える」

 彼の充溢した後姿。迷いの無い覚悟。純粋なまでの願い。

 独り隠れ、彼を見詰めていた少女は目を伏せた。何かを悔いるように、彼女の顔には罪悪感が満ちていた。無音に扉を閉じて、少女は暗く冷たいコンクリートの階段を上っていった。

 ――着々と、ことは動き始めていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ