『第一章:力無き者〝無者〟』
*
暗い。ひんやりとした外気が、露わになった肌を擦る。
新月の宵。深い森の中で、幼い黒髪の少年は湿った落ち葉の地面を歩いていた。
周りには広葉樹がひしめき、人里の灯りは一つたりとも見えはしない。
広大な森林に、少年はただ独りで途方に暮れていた。
道に迷ってしまったのだ、少年は。たった独り、孤独と絶望に打ちひしがれながら。
息も荒くなり始めた齢八の少年は、徐々に、体力を失っていった。
*
*
夕焼けの天蓋が、木々の狭間から覗けている。
標高三百メートルほどの山を、紅白の学生服を着る少年が呼吸を整えつつ登っている。
遠野だ。
彼は気紛れに、先程までいた公園の近くにある丘に歩きで来ていた。
目的は、特に無い。強いて言えば、気晴らしだった。
しこりのようになって残る胸中の不快感も、こうやって動けば、多少は和らいでくれるだろう。
「……世界環境を維持するために、諸元の神が担っていたとされた神役は無差別に適合者を選んでいった。継承者は子どもが最多だったが、俺が継承する事は万に一つも無かった。当然だな」
魂の許容量の問題だと言われたが、まあ実のところ、自分に力が無いからだと理解できていた。当時の自分はまさに最適格の世代。それ以外の理由、思いつく訳がない。
――世界で唯一確認された、神からの力を全く授かっていない、ただの人間。
〝無能者〟と呼ばれる、力無き旧代のままの人間。どんなに努力しても得られない。どんなに気概があろうと得られない。神からの力を受け取り損ねた、人間のクズ。
これまでの人生、自分が無能だという事を知った人々はまず、奇異の目でこちらを見、いつしか同情や好奇心を向けてきた。何度も、いや全てにおいてそうだったのだ。
皆が、持っていたから。
自分の両親ですら、眉尻を下げて笑んでいた。だがそれでも、父はいつものように言うのだ。大丈夫。お前には力がある。力が有るから、心配しなくても大丈夫なんだ、と。
「……最悪だったな。世界で一番不幸な気がした、あればっかりは。努力で学力や運動能力をどんなに向上させても誰一人として認めてくれず、ただ種族が貴重、能力が特殊というだけで他は褒められる。もう何故と問う気は無いが、やっぱり面白味はない……」
光のない、冷めた瞳。目を細めて、彼は辺りを観察する。こういう景色だけは、以前と全く変わらない。見た目という上辺だけは、自分と同じだ。そう思うと改めて、自分が嫌になる。
……今日は特に気だるかった。溜め息ばかりで気が重い。
「何せ、今日は入学式だったからな。新東合学園。神州神話機構の本拠地にして、全国から継承襲名者や希少能力、種族者を集めて、その育成・研究を主とする、教育研究施設」
遠野も、新東合学園の一生徒だ。希少な無能者として、半強制的に学園へ通わされている。
別に拒否する気も無かったが、最近は普通の学校の方がまだ良かったかもなと思いもする。なにせ学園は、神州の継承者や希少者、いわば鬼才が集まる場所。そこにただ一人だけ無能者として籍を置くのは、慣れた事でもそれなりの苦痛だった。胸の階級章だって、本部最下層である〝伍長〟だ。おそらく分校にいたならば、彼は一兵卒にも満たない〝二等兵〟だった事だろう。
今日は、新東合学園の入学式だった。
去年は、遠野も新入生として入学し、同じ新入生たちに囲まれて奇異の目と共に質問攻めを食らった。今日も、年下である筈の新入生から見下された視線を頂いた。一か月もすれば納まるだろうが、ここ二、三週間はいつも以上に耳打ちする声や忍び笑いが聞こえる事になる。――少年は経験則でそう判断していた。
「全く有難いな。昔は嫌で嫌で仕方なかったが、もう達観して考えれる。慣れたおかげか心が冷えたからか。まあ何にしても、……波坂に頼らずに済むのは有難い事だ」
しばらく山道を歩いて、彼は鬱蒼とした獣道を選び突き進んだ。すると、
「……見えてきたな」
紅色の夕日に西の空が赤く焼けている。行き着いたのは、森が晴れて草原が芝生のようになった山道から随分と離れた所だ。おそらくここを知っているのは、自分くらいだろう。
気晴らしの散歩をし過ぎるせいで、こんなビュースポットを幾つも見付けてしまう。要らない才能だが、こうも美しい景観を観られるのなら、存外捨てたものでもない。
手近にあった背の低い若木に背中を預ける形で、遠野は地面に腰を下ろした。
真っ赤な太陽が、真正面から望める。
地平線の山際は陰で暗く、視界の下の住宅街は、陰となる屋根や壁で朱色と黒色が混在していた。
緩やかな風に身体を撫でられつつ、遠野はそこで、しばらくの間夕日を眺めた。
特に感動めいたものがある訳では無い。ただ胸の内を風が通り抜け、こそばされるような、感傷めいた感覚があるだけだ。
独り、彼は黄昏に浸った。
陽もだいぶ傾き、そろそろ日没という頃。どこからともなく、カラスの鳴き声が聞こえている。
と、遠野は閉じた目蓋を開けた。ふと遠くの空から、ジェット機特有の大気を穿つ轟音が聞こえてきたのだ。
まどろんだ思考の中で彼は立ち上がり、視認できる範囲で空を見回す。
殆ど夜と言える天蓋。赤焼けをほんの少し残した西の方から、何かが飛んでくるのが分かった。一見鳥のような形状を持ったそれは、しかし、
「鳥? いや―――、リュウ! 飛竜種か⁉」
もっと良く見えるよう、遠野は草原の中心まで走って移動した。見上げたまま、
「どういう事だ⁉ 飛竜種の飛行訓練なんて聞いてないぞ! 機構の管轄とはいえ、ここは住宅街なんだぞ。少しは場所を考えろよな! とにかく学園の指令所に連絡を―――」
いや、待てよ。
内ポケットに手を入れて携帯電話を取り出そうとした彼は、思考を反射的に止めた。
……どういう事だ?
「何故、飛竜種からジェット音が聞こえてくる? 異属の飛行法はマチマチだが、飛竜種は両翼からの魔力解放で推進力を稼ぐ筈だ。風音だとしてももっと小さい。ましてやこの距離、それもエンジンの音なんて聞こえる訳が無い。――どういう事だ⁉」
疑問を抱いた少年は再度、今度はじっくりと飛竜を見詰めた。
残った赤い逆光が邪魔で見えづらいが間違いない。蒼鱗の、目測で体長三十メートル弱の飛竜だ。が、その中から、遠野はあるモノを一つ見付けていた。
「あれ、か……?」
飛竜の後方。身体の陰になって分かりづらいが、わずかに白色の機体の一部が顔を出していた。
ジェット音の正体は、きっとあれだ。訓練時用の並進飛行をしていないという事は、
……あの飛竜種、追われているのか?
彼がそう疑問した時だった。蒼飛竜は不意に首から上だけで後方を確認した。直後、いきなり魔力の爆風を逆噴射して急停止し、そこから翼を翻して一気に垂直上昇をかけた。
「おいおい、完全に対空戦の動きじゃねえか。高濃度の魔力に弱い電子機相手にそれだと、よほど危ない橋渡ってるヤロウなのか……?」
余裕綽々と呟く遠野。しかし、その落ち着きはすぐさま崩れる事となった。何故ならば、飛竜を追っていると思っていた航空機が、実は航空機ではなかったのだ。それも、
「――何だ、アレは……ッ⁉」
全高八メートル弱。鋼の肉と筋系のワイヤーによって形作られた肉体。頭部から脚部の先に至るまでの装甲板、肢体は、痩躯を思わせる細面。しかし力強く轟かされる背部のジェットエンジンの轟音が、その金属の巨兵士の示威となっていた。
そう、白の塗装色が一層の存在感を放つその姿は、正しく。
「――機甲兵っ⁉」
異様な物を目にして驚くのは、十年ぶりだった。
当然だ。あれほどの巨躯で飛竜に追走できる機甲兵など、現代の技術では不可能。
神秘の髄である魔術や異能を駆使したところで、人形作りはゴーレムやゾンビが限界。機械が混じった人形など、魔術では補強ができずにすぐ崩壊する。科学と魔術では相性が悪過ぎるのだ。少なくとも機械と魔術を融合させる研究は、神州機構の開発部では失敗続きと聞く。
……いや、研究が始まってまだ何年も経ってないんだ。開発目途が立たないのは普通で、世界の前駆たる神州が他の襲名組織に劣る可能性も皆無だ。
ならあれは何だ、と彼が市街地上空の空戦者たちに糾弾しようとした時だった。
更なる絶句が訪れた。飛竜が上昇と共に始めた行為に、遠野は唖然。目を剥いた。
「口内に魔力集約だとっ!? あの飛竜種、竜撃を使う気なのか!? 出雲が吹っ飛ぶぞ!!」
上空数百メートルに達しようとする飛竜。夜空の一番星として、その喉と顎の隙間からは高圧縮された赤い魔力光が漏れ出していた。明らかな、攻撃の意思だ。
異業〝竜撃〟。――リュウ属が唯一持つ攻撃手段にして、最強と名高き異属特性。使用制約を設ける〝異属特性分類法〟の最上位。協議許可を必要とする特一級に指定される異業だ。
小規模でも獣化状態ならば民家を容易く吹き飛ばし、全魔力を投射すれば都市一つを壊滅寸前に追い込める。必滅の魔力衝撃波だ。そして、あの飛竜が今やろうとしているのは、
……市街地上空の敵機に全魔力を投射する気か!? 竜撃だぞ!! ――自殺行為な上に正気の沙汰じゃないッ。一体何なんだコレは!?
遥か上空で飛竜は翻り、自由落下に入った。推進剤の余剰魔力も口内に集約されて、魔力光が数倍に膨れ上がった。漏れた火が落下の勢いで口から尾を引き、数秒後の光景を恐怖させる。
しかし、
「何故動かない⁉」
飛竜を追っていた機甲兵は何故か、こちらよりも高い空中でホバリングを続けて、落下する飛竜の姿をその視覚素子で静観していたのだ。携行した銃火器も使う素振りすら見せない。数秒後には消し炭になるというのに、機甲兵は我関せず。まるで、見物客だった。
ぎしり、と彼は空を凝視したまま奥歯を強く噛み締める。握力の籠った手が小さく震えた。
――何も、出来ないじゃないか……!
どす黒い感情に、胸中が軋んだ。あの日から、俺は何も出来なくなった、と。
次の瞬間。彼は竜撃による大災害ではなく、一つの奇跡をその目に焼き付けた。
自由落下から、飛竜は顎をバックリと開けて、衝撃波ではない〝炎〟を放ったのだ。
本来、リュウ属が持ち得る武器は、魔力圧縮とその制御のみだ。それ以外に、リュウ属の徒が使えるものは何一つない。――〝神〟という、ただ一つの可能性を覗けば―――。
轟、と灼熱の紅焔はうねりを上げ、周囲のモノを焼き尽くしていく。
直径十メートルの太陽が、金属の巨躯と共に業火の猛威を存分に振るっている。
飛竜が放ったのは衝撃波ではなく、巨大な火球だった。全高八メートルの機甲兵はいとも容易く飲み込まれ、その灼熱紅焔に全てを食われていった。
一息の後、火球と機甲兵は爆音を挙げてちりぢりに爆散した。
*
*
無数の爆散物が火を灯したまま市街地へ落下していく。量は多いものの、あの程度の火力ではおよそ場所が悪くない限り、延焼する事はまず無いだろう。
が、しばしの間、彼は言葉が出てこなかった。ただ一言だけ、口にできたのは、
「神力、か……」
ふ、と遠野は肩に入っていた力を抜いた。再三の驚きに心臓は高鳴っているが、とりあえず胸を五指で掴み、その感触を確かめる。一度、深呼吸を意識してから、
「……気を取り直すか。――爆発の閃光で視界がばやけてるが、まあ問題はないな。それよりもあの飛竜種はどこだ? あれだけの力を使ったんだ。余力があるとは思えないが……」
飛竜の姿は苦労もなくすぐ見付かった。夜天、大翼を羽ばたくその巨体は目立ち過ぎだ。
ふらふらと膂力だけで無理やり翼を振るう蒼飛竜。おぼつかない飛行だが、竜はこちらに進路を向けていた。どうやら、この丘に不時着する気のようだ。
「ここまで無事飛んで来られるほどの魔力が残ってるのか怪しいな。ぎりぎりか? いや、どの道あの様子じゃ安全着陸は無理か」
案の定。飛竜は丘の中腹、遠野からは百メートルほど離れた林の中へと突っ込んだ。
轟々の地鳴りにも似た大音と震動が、ここまで直に伝わってくる。そしてそれに被さるように、森の広葉樹が幾本も薙ぎ折られ倒されていく激音も付け加えられて響いてきた。
反射的に、遠野は地面を蹴って駆けだしていた。飛竜が不時着した地点へ向けて、だ。
一瞬で草原を抜けて、彼は茂みの中へ突っ込む。枝や葉が制服に纏わりつき傷ついていく。彼は気にも留めずに走った。言葉にできるような理由は無かった。が、
……全く。
「いかんな。こういう場面ではヒーロー気取りになっちまう。何も出来ねえってのにな」
夜の暗闇で森の中、先の爆発の光で視界は乱雑に曇っている。それでも、
……問題は無い。飛竜種の強靭な肉体なら確実に生きている。それに、あれだけの力技使ったんだ。獣化が解けて人型に戻ってる筈だ。だから、
「デカブツで自然物と見紛う飛竜よりも、人型の方が見分けがつく。足音も出るしな。――と……ここか」
疾駆して約百メートル。飛竜不時着点に辿り着いた。
そこは、森に造られた突貫の晴れ間だった。抉れた斜面。偏ってほり越され隆起する地表。一定の高さでへし折れた、全幅約二十メートルの、森の晴れ間。他には何も無かった。
全貌は認識できなかったが、現状、限定的な土砂崩れだと言えた。
「……間違いなく、獣化が解けてる。空戦があれだけの手練れだったんだ。特殊部隊の可能性もある。が、襲ってきたら迎撃ついでに保護を餌に説得、だな……。訓練はしてるだろうが獣化重視の部隊なら、白兵戦もまだ分がある。やるしかない……」
手短に方針を決めた彼。だが不意に、十メートルほど先の茂みから葉が擦れる音が聞こえた。
「……誰だ!?」
遠野は咄嗟に身構え、しかし次に、素っ頓狂な悲鳴を耳にした。それは少女の声。
「ひゃぅ……」
トスン、と地面に何かがこけた音も悲鳴の後に加算された。
「っ! どうした!?」
「……え? ――あ、ま、待って! ここ来ないれッ!!」
急いで悲鳴の許へ駆け寄ろうと遠野に、その本人からは制止の声が来た。
構わず彼は駆けだした。先の飛竜が見付かっていない事もある。あの少女は運悪く不時着地の近くにいて、巻き添えを食らったかも知れない。怪我をしていたらなおの事、人質にされる危険が高い。いや、もうされているからの制止という事もある。
……とりあえず保護して、次は指令室へ連絡だな。
遠野は口を開いた。土砂崩れのようになった斜面を跳ねるように走りつつ、少女に対して、
「心配するな、――いま行くぞ!」
「だ、だから待っふぇっふぇ!!」
制止の言葉は止まない。だが彼は止まらない。何しろ人命は第一なのだ。気付いてしまったのだから、今さら助ける手を止められる訳が無い。
茂みを掻き分け奥に進む。すると、少し広い草地に出た。目測で八畳ほどの広さだろうか。
草地の奥には薄らぼんやりだが、腰を抜かしたようにへたり込む、ヒト型の矮躯が見える。声の主があの子だと遠野は見当を着けて、ゆっくりと歩み寄った。暗すぎて肢体がぎりぎり判る程度だが、身長や声質から鑑みても、小学生くらいの少女だろう。
少女の眼前で屈み、優しく右手を差し出した遠野はこう言った。
「大丈夫か? 怪我は無いか? あるなら早く言え。応急だが手当てする」
「…………」
無言だった。警戒されてるのか、と疑問に思う遠野だったが、しかし一息の後に応えはやってきた。――こちらを、細腕一本の平手打ちで打っ飛ばした上で、
「――へ、変態ィイ‼」
何故なのかどうしてなのか、矮躯の少女は生まれたままの姿だった。
*
*
ベージュに近い壁色、床や天井は木目。一軒家のリビングに、少年の声が響いた。
「もう一度、初めから事情を説明してくれ、蒼衣・空。なるべく正確にかつ詳細に、だ」
出雲市郊外にある遠野家。そのリビング。テーブルを挟み対峙して座るのは、制服姿の少年とぶかぶかな男物のジャージを着る矮躯の少女だ。
遠野と、彼が見つけた少女、名を蒼衣・空という。
ん、と濃紺の髪を流す少女が頷く。彼の求めに少女は、膝の上で指を弄びつつも、
「……インド経協圏に、外交特務官として新兵装の試作品視察に行って、たんだ。でも、こっちに戻ってくるときに飛行機のチケット失くして。仕方ないから私、獣化して飛んで帰ってきたの。あの変な機械とは、その途中で。日本海の真ん中で、飛んでる最中に……」
「全く。にわかには信じがたい話だな。お前みたいのが国家的代理である特務官、それも外交官クラスで、天下のリュウ属飛竜種だなんて。ムンバイと出雲の六千キロ近い距離を飛んで帰ろうとするアホなオツムもだ」
挙動不審な少女を見据えて、遠野は吐息混じりにそう言った。
――少女、空に殴り飛ばされた後、遠野は、彼女があの飛竜である事を知った。神州側の人間だと供述したものの、密航者という線も拭い切れないため、自宅へ無理やり保護した。最初は行く所があると言って拒絶されたが、衣類や連絡手段を問えばすぐ大人しくなった。
移動には一時間ほど要した。そこからメシやシャワーやらで時間を食った。が、今はこうして、空が呼んだ迎えが来るまでの間に一応の事情を聴いているという訳だ。話だけではどう考えても密航だが、やはり神州の人間で間違いないようだ。
しかし、遠野には信じ難かった。この少女が、本当にあの蒼飛竜だという事が、だ。
少女は一言で例えればお人形さんだ。――テーブル越しに見えるのが胸部から上だけという矮躯。腰辺りまで伸びた濃紺の長髪は、幼子特有の柔らかさを残し、滑らかで艶やか。きめ細やかな色白の肌と表情を隠さない童顔は、少女の紅い双眸を引き立てている。
少女は遠野が訝っている事が不服だったのか、必死に弁解してきた。
「し、信じて下さい! これでもわたし十六才の高校生なんだよ? 神役の継承だって八年前で、襲名は第一次集団襲名の世代なんだから! そ、それに、ちゃんと飛竜種の空戦術だって使ってたもん。これでも頑張ったんだから!」
「ほお。どう、頑張ったんだ?」
「え? ――えぇ、……逃げるの、とか、かなあ?」
へへ、と空が浮かべた苦笑に、遠野は頭が痛くなった。暗雲とした巡り合せに、彼は、
「オツムの残念さが、俺の両親並みだな……」
二人とも、数年前から印度に遊びに出ていったきりだ。こちらへの気遣いなのかは知らないが個人としてはいい迷惑だ。ちゃっかり、仕送りだけは大量に送ってくるからタチが悪い。
力が有るとは、よく言ってくれたものだ。まあ、
……それは置いておいたとして。今はコイツの追及だな。はっきり聞くに越した事は無い。
「質問ついでに確認しておく。お前は、神役の継承襲名者。継承が八年前、第一次襲名者なら七年前だな? ――質問だ。お前の神力は、機甲兵を爆砕させたあの火玉で間違いないな?」
継承者がその役目を負うに当たって、異業や神秘とは別で新たに得る事ができる、負担事象の一部借用である神がかった能力がある。それが、〝神力〟だ。
「そーだけど、何で知ってるの……!?」
「ほぼ全部お前が言った事だ! 世界均衡守る神だからって、何でも許されると思うなよ⁉」
「ご、ごめんなさい! 思い出したっ、思い出したからァ‼」
怒鳴りに頭を抱えて謝罪する空。お惚けへの報いだ。
は、と彼は呆れたふうに短く吐息した。額に手を宛がいつつ、口を開いた。
「それでも神名を頂いた継承者か。何を一般人相手に怯えてるんだ。あれだけ大規模な神力なら、さぞ高名な神名を授かったんだろ? 少しは自信を持て。こっちまで重くなってくる」
ごめん、と空は更にしゅんとなって謝る。未経験な返しに、彼は眉をひくりとさせるが、
「俺に謝るな。特赦権利絶大の継承者襲名者に謝られる、こっちの身にもなってみろ」
「う……」
「分かったもういい。話を戻すぞ、空。お前が継承襲名者で、火の神力を持っている事は分かった。なら次の質問だ。――お前の襲名神の名前を言え」
え? と空は顔をぽかんとさせた。だが、ややあってから、頬を赤くしてあたふたと、
「……えぇ!? ――そ、そんないきなり過ぎだよ! だだだって、わたしたちまだ会って何時間しか経ってないんだよそーいうのはもっと仲良くなってからだってお兄ちゃんや麻亜奈さんも言ってたしぃ、……わたし、君の事全然知らないし、だから、その……」
唐突な言動と恥ずかしがりに、眉をひそめる遠野。少し熟考して合点がいった。
「言っておくが、迷信みたいなプロポーズじゃないから安心しろ」
「え? あ、そーだよね。そんな訳ないよね。へへ、いきなりでびっくりしちゃったよぉ」
何かを誤魔化すように笑う空は、しかしすぐに顔を俯けた。そして、何か迷うようにテーブルの下で手をもじもじとさせている。――告白した次の、相手の言葉に対して怯えているように見えた。まるで、悪さをした子どもが、親に何と言おうか迷いあぐねているように。
無言で彼は待つ。さっきからのコイツの怯えは一体何なんだ、とそう疑問しながら待った。
と、空が意を決したのか不意に顔を上げた。まず見えたのは、バツの悪そうな少女の微笑だった。眉尻の下がった薄い微笑みのまま、空はこう答えた。
「――カグツチ。……わたしの襲名神は、大火の邪神、カグツチだよ……」
一瞬、無言の間が生まれた。少女はゆっくりと、視線をテーブルへと落としていった。
わずかに覗ける表情は、仕方ないと言いたげな苦笑。諦めついでの自嘲だった。
……そうか。だからコイツの態度は―――。
彼の中で疑問が一つ晴れた。その回答に内心嘆息して、しかし遠野は口を開いた。
「馬鹿か、お前は」
「――え?」
空がこちらを見た。始めて見たモノを不思議そうな目で眺める、呆けた顔だった。
「もう一度言う。お前は馬鹿だ。愚鈍な衆に惑わされる、どうしようもない馬鹿だ」
*
*
「……何で、わたしが馬鹿なの?」
必死に、自分を悟られまいと、空は静かに抑揚を付けずに問うた。
この問い対する答えがどんなものか、怖かったのだ。だから嬉々とした表情も不安の声も悟られたくなかった。何故ならば、
――わたしは、邪魔者だから……。
少女の聞き返し彼遠野は答える。無表情に、そして虚脱した瞳と一緒に淡々とした口調で、
「簡単な話だ、空。お前は逃げていない。ただそれだけだ。お前、自分が何もしてなくても自分が悪いと思ってるんだろどうせ。開き直りもせずにそんな罪悪感を持つくらいなら、とっとと独りになれ。そんな人恋しそうな目で他人を見るな。誤魔化しで笑うんじゃねえ。欲しいモノがあるなら訴えろ。嫌な事があれば怒れ。いいか? まずは馬鹿を自覚しろ」
そして、
「たとえ逃げても、誰も怒る資格なんてない。お前には出来る事があるからだ。お前はお前でいる限り、世界を救ってる。役割果たしてるなら、逃げても責められる理由にはならない。だからな空。お前はお前で居続けろ。自分のやりたいようにすればいい。分かったか馬鹿?」
俯き気味だった顔を上げて、空は彼の澄んだ目を覗いた。綺麗な目だと思った。虚脱したように力強さはないが、濁りはなく、何かを悟った、だが根底ではまだ諦めていない不屈の瞳。
空は思った。物わかりの悪い子どもの目かな、と。言ったら怒られそうだなぁ、とも。
「――お前、俺の話聞いてるのか?」
「ん? あ、うんうん聞いてるよ聞いてるよ、耳にタンコブできるくらい聞いてるから、――ってごめんなさいごめんなさい! 謝るから謝るよだからそんなに怖い目で怒んないでえ!?」
こ、怖かったよお。ただでさえ表情が変わらないから、よけい睨まれると怖いぃ。
心中で震えつつ、少女は居住まいを正す。一応は真面目な話の途中だ。ちゃんと返事を、
「……できる事があってそれができてるなら逃げてもいい。自分のやりたいようにしたらいいって、本気で言ってるの? わたし、やりたい事なんて無いし、第一、継承襲名者の時点で機構の管理下に入らないといけないんだよ? やりたい事なんて、無理だよ」
空は目線を彼から逸らして、気まずそうに喋る。指を弄びながら話すそれは、まるで言い訳に困った子どものようだった。だが、彼はこちらの言葉を容易く一蹴した。
「知っている。俺を誰だと思ってる。学園の生徒だぞ。――俺の言っている意味をはき違えるな。暴れろとも好き放題にしろって意味でもない。思想や信念の事だ。分かるか?」
こちらの返事を待たずに、遠野は口を開く。空、とまず呼びかけてから、
「周りの言葉に耳を向けるのは構わないが、それは聞き流す程度にしろ。罵倒も陰口も、励ましも慰めもだ。他人の言葉に、お前は反応し過ぎだ。自分でどう思おうが勝手だが、己の感情を他人で変えるんじゃない。受け付けるモノと求めるモノ、間違えるなよ」
「――――」
反論もできなかった。自分の不甲斐無さに、空は俯く。何でここにいるんだろう、とふと疑問に思った。――助けてくれたからだ、この彼が。でも何故、彼は助けてくれたんだろう。
「ほら、見ての通りだ。オレの物言いに、いちいち一喜一憂するな。そんな必要はどこにも無い。好きなように、自分のやりたいように言い返せ。神様、なんだろ? お前は」
「――うん」
空は不思議でたまらなかった。彼が、見ず知らずのそれも密航者を訳も聞かずに自宅に招いた事が。新東合学園の、手練れた生徒だとしても、十二分に危険な行為だ。何にどうして。
空は我慢ならなかった。聞きたかった。尋ねたかった。何故だと。そして、自分が一番知りたかった事を君は知っているのか、と。――だから、ねえ、と少女は声を掛けた。
「和時君はさ、その、何でわたしを助けてくれたの?」
「ただ何となく助けた方がいいと思っただけだ。敵だとしても白兵戦で勝つ自信があったからな。何せ、この十年体術と知識だけを身体に摺り込み続けてきたんだ」
「そう、なんだ。じゃぁ、和時君。和時君は、新東合に通ってるんだよね? なら、知ってるよね。学園には無能者がいるって事。会った事、ある? どんなヒトだった?」
一番、この十年間で一番知りたかった事を、少女は尋ねた。一体どんなヒトなのだろうとかずっと考えてきた。きっと、わたしよりも卑屈で陰湿で、自分の不幸を隠す、負け犬なんだ、と。嫌味や悪口からでは無い。ただ純粋に、わたしより不幸なヒトがいて欲しいからだ。
……でも、そんな知りもしないヒトで勝手に妄想する自分の方がもっといけないんだ。
今日で終わる。その葛藤から、この問いの答えを聞けば終わるんだ。だから―――、
「――俺だ」
「え……?」
あり得ない言葉に、我の耳を疑った空は、思わず聞き返していた。
膝の上で握った小さい拳が白くなっていき、悪寒のような感覚が腹の底から湧き出した。身体は小刻みに震えていた。
ピンと張られた糸が切れそうだった。しかし、不快感を募らせてくる彼の声が聞こえた。
「俺だ。無能者は俺だ。どんなヒトかと聞かれても、こんな人間だとしか言えないな。何のつもりかは聞かないが、話を戻すぞ。お前への説教はまだまだこれくれじゃ終われ―――」
「――ウソつきッ!」
遠野の言を遮って、甲高い叫びがリビングに響いた。後から、椅子が床に倒れた音も着け食わられた。屹立し、しかし荒い息遣いで、空は捲し立てた。
「ウソつき! ウソつきウソつきウソつき――っ!! そんな筈ないもん。そんな訳ないもん。無能者が、何にもできない筈の無能者が、こんなにも優しいヒトな訳がないもん! 無能者は世界で一番不幸で、わたしよりも可哀想なヒトなんだからッ!!」
ウソだ。ウソだと言って欲しかった。そんな筈がない。そんな事があってはならない。もし本当なら、自分よりも不幸だと思ってきた、わずかな支えだった事が崩されてしまう。
こんなにも、こんなにも強そうなヒトが、そんな訳がない。自分よりも不幸な訳がない。
自分よりも、不幸ではあってはならないんだ。こんなにも、――良いヒトが。
「何を急におまえは……」
空は訳も分からず罵声を浴びせた。自分を騙そうとするヒトに。理由は簡単だ。それは、
「わたしを笑う気だったんだ! 最初からずっと騙して、信じ込ませて最後の最後にバラして大笑いする気だったんだ。そーなんだっ、絶対そうに違いないんだ!!」
彼からは、魔力を感じなかった。違う。彼は、身体の負担がどんなに大きかろうと魔術の助けを乞おうとはしなかった。違う。新東合の生徒なのに、彼は能力を使う素振りすら見せなかった。それも違う! 彼は自己紹介の時に、自分はヒトだとしか言わなかった。違うんだ!!
「……君がそんなヒトな訳ないもん。無能者がそんな平気で自分からバラせる訳ないもん! 違う、違うんだ! ――君はウソつきだ! わたしを騙して陰でまた笑う気なんだ!!」
目に涙を湛えた少女は、腹を据えて喉元から吐き出すように叫んだ。
その瞬間、
「……ッ!?」
一撃を受けたかのように彼は、少女が叫ぶと同時に身体をびくりと震わせて、そのまま椅子から崩れ落ち、木床へ倒れ込んだ。過呼吸の如く、苦しげに彼は咳き込んでいた。
その光景を目にした空は、一瞬で悟ってしまった。彼が、突然倒れた理由を。
「――魔力耐性が無いから、わたしの叫びに載ったちょっとの魔力で、こんなに……」
もはや我が儘の否定などできなかった。目の前にある光景が真実。
――彼が、無能者だ。
腰砕けに床へへたり込んだ空は、呆けたように脱力して彼を見詰めた。目尻からは絶え間なく涙が流れ出ていた。ほろほろと、溢れかえっていた。
*
*
無表情の多い少年も、この状況には困ったように眉根を寄せて小さく吐息した。
眼下、床に座ったまま泣き止まない少女を見下ろす。
静かなリビングに少女一人がすすり泣く音が響いていた。肩からしな垂れた髪が嗚咽で小さく揺れている。
こちらが何を言っても、少女はただ嗚咽混じりに〝ごめんなさい〟を連呼するだけで、とてもじゃないが会話などできそうになかった。
「……何でこんな事になったんだ……」
独りごちて、しかし片膝を立てた彼は、溜め息を堪えて空の小さな頭に片手を載せ撫でてやった。濃紺の髪は豊かで柔らかく、しっとりとした感触が掌に来る。ほんとにガキだな。
「いい加減泣き止め馬鹿。これじゃ話もできない。助けてやった礼に話くらいは付き合え」
「……ごめん、なさい。わたし、君に、ひどい事、いっぱい、したのに……、それなのに」
「悪いと思ってるなら泣くな謝るな。無能者に詫びてなく継承襲名者がどこにいるんだ?」
「でも、わたし、きみと一緒にいて、辛くなかった……?」
「舐めるな。これで辛きゃ俺はとっくの昔に自殺するか、あの時お前を助けに行こうだなんて思おうともしなかったよ。お前は俺が助けた。それで辛いなら俺のせいだ。だから謝んな」
頭に手が載ったまま、空は少しだけ顔を上げる。上目遣いにこちらを覗いてきた。目元を赤く腫らしながらも窺うような目付きをする少女を見て、彼は鼻で小さく笑った。すると、
「……やっぱり、わたしを笑うんだ。いじわる。――また怒るよ……?」
「お前の間抜け面見て笑っただけだろ。それでまたあのヒステリックな激怒は勘弁だな」
「――――」
軽口を叩いてみたはいいものの、二の句が出てこない空。仕方ない、と助け船を出した。
「そろそろお前の呼んだ迎えが来る頃だ。洗面所行って顔洗ってこい。その間に、まだ見栄えのする服を探してくる。ジャージのままじゃ嫌だろ? 何か好みの服はあるか?」
「え、ええ、と、……あ、ワンピース!」
「ねえよそんなもん。全部俺のおさがりだ。小四ってところだな」
「な、なら聞かないでよ……!」
文句を返せたところで、遠野はやっと少女から手を退けてやった。そして立ち上がって、
「――空。一つ聞くが、お前友達いるのか?」
「い、いない、と、思う。……カグツチになったら、いなくなった」
「そうか。成程。分かった。だったら、俺がなってやるよ。友達に」
え、と不意の言葉に少女が顔を上げる。視線が合った。彼は口元だけを緩ませて、
「友達になってやるよ。励ませも慰めもしないが、色々と楽しいぞ? 今度、俺の知り合いも教えてやる。だからもうちっとはマシになれ。自分を悪者みたいに考えるな」
ん、と眉尻を下げた微笑で少女は小さく頷いた。目元は赤いが、涙はもう止まっている。
「やりたい事をやれ。お前は出来るヤツだ。さっきは無いと言ってが、昔のお前にもやりたい事の一つや二つくらいあっただろ? それをすればいい。真面目な夢や考えを、だ」
「君って、無表情っぽくてちょっと怖かったけど、やっぱり優しいだね」
遠野の言葉に先よりも大きく頷いた少女は、へたり込んだままそう言った。その微笑を彼は鼻を鳴らして誤魔化して、廊下に出る扉に身体を向けた。少し歩くと、彼は背中越しに、
「そんなんじゃねえよ。そんな殊勝な事じゃねえんだ。やれそうだったから、俺はやった。それだけの事でしかない」
数歩。無造作にドアノブを掴んだ。出ようとノブを掴む右手を捻るが、空の声が聞こえた。
「うん、分かってる。それが君の〝やりたい事〟なんだよね? 出来そうな事は何でもやりたい。それで、いいんだよね? 間違ってない、よね……?」
思わずノブを握る手に力が入った。遠野は頷きも返事もせず。無回答を答えとした。
「ん、覚えておくね。――それでね。私も、一つだけいいかな、質問? もう一回だけ、聞きたいんだ。君の名前を」
「……トオノ・カズトキ。遠い野に和む時と書いて、遠野・和時だ」
そう言い残して、無能者の少年はさっさとリビングを後にした。今の自分がしてやれる事を、しにいくために、だ。
*
*
暗い。八畳ほどの広さの室内に、小さく質素な家具が一式置かれている。
ドアの向かい壁に窓があり、その下にはシングルベッドが一つあった。ベッドには上着だけ脱いだ制服姿のままの少年が、仰向けで寝そべっている。――遠野だ。
空の着替え用に、母親のクローゼットから子ども用のワンピースを発掘してから三十分後。少女の迎えが来た。彼はそのまま、空を玄関先で見送った。一人っ子なのに、女の子のワンピースを見付けてしまったのは、まあ何かの手違いがあったのだと思う事にした。
他で気になるとすれば、空の迎えが恭しい老執事と高級車だった事だ。どこのお嬢様だ。贅沢暮らしていれば、ああも頭が残念になるものなのだろうか。
「全く。いい子ぶりやがって。自分を出せばまだアホで収まるってのに。融通のきかないヤツだ。だが神名がカグツチとはな。機構も、随分とタチの悪いモノをアイツにやったもんだ」
――カグツチ。
神州神話に登場する大神。世界を固めた神世七代のトリであり神州の大地を生んだ地母神イザナミを母に持つ、炎の大神カグツチだ。
その強大な火炎の力は、人間の繁栄の粋であり、隆盛な伝説は、栄光に溢れるものとなる筈だった。しかし、カグツチは生まれる直前にある大罪を犯してしまった。自分自身が火であるが故に、カグツチはイザナミに大火傷を負わせてしまうのだ。
それによりイザナミは床に伏せ、そのまま病死。実父であるイザナキは激怒して、自らの手でカグツチを惨殺した。血飛沫からは代わりとなる幾多の雷神炎神が生まれ、カグツチの生涯は呆気なく幕を閉じた。――事後、死者となったイザナミは夫とも別離し、蛆に塗れた醜い姿となって、人魂を黄泉に引き寄せこれを食らい続けたという。死の神、黄泉津大神の誕生だ。
それが、カグツチの神話だった。炎神の名誉とは程々かけ離れた、邪神の神話。神羅万象を生み出したイザナミを焼き殺し、あまつさえ父に殺されたカグツチは、おそらく神州では嫌われ者どころでは済まない。ただの害悪だ。そして、それを襲名した継承者もまた然り。カグツチであるだけで、まるで大罪人のように蔑みや疎外を課せられてきたのだろう。
空の半生は想像に容易い。絶対的な疎外感に孤独感。見えない檻が、空を束縛している。
「何物にも染められる空。確かにそこにあるのに、確かな存在では無い空。皮肉だな、アイツそっくりじゃないか。空は地上から見れば空だが、宇宙から見れば空なんてどこにも無い」
大変だったんだろうな、などという同情の感想は持たない。唯一抱くとすれば、それは、
「――世界はもっと、平等になるべきだ。……何事においても、な」
しかし、
……今日は色々あり過ぎだ。少し疲れた。明日も学校はある。あの機甲兵についても報告を上げないと。俺に出来る事は、俺のやる気に関係なく、やるべきだから、な。
継承者に襲名者、希少者の巣窟である新東合学園。荒廃の一途を辿る世界を、一分一秒でも長く存在させるために構築された、国家的代理である組織。その一員として、遠野は機能すると決めた。――そう、決めたのだ。強制入学の通知を受けた、〝あの時〟から。
……よくよく考えたら、あの生徒会長の本名も〝蒼衣〟だったな。まさかな……。
夜のまどろみに、遠野はいつの間にか目蓋を閉じていた。
*
*
スタンドの灯り一つに照らされた、薄暗い洋室。
部屋の造りや調度品は洋風の趣が強く、その中央にある長方形の小テーブルには、周りに引けを取らぬソファが二組と木椅子一脚が置かれていた。
その木椅子には、男が一人かけていた。
男は特に何をするでもなく、ただ椅子に座っている。眠っているのか、起きているのかも分からない。全くの不動だった。
すると、ふと、扉を静かにノックする簡素な音が室内に響いた。数拍、扉を開けて一人の侍女が入ってきた。侍女は会釈してから、その場で手短に要件を告げた。
「――今日の日没頃、日本海付近を巡回、試運転させておりました機動兵士、侵士一騎が、何者かにより破壊されたようです。迎撃設定などは入力していなかったため、追跡のみを行い、出雲市郊外の上空にて、火系神力によりこれを撃墜された模様。現在は周辺域の情報操作と証拠物品の回収を、目下行っております。計画への影響は機微と予想されます」
淡々と述べた侍女は再度会釈を送る。そして何事も無かったように踵を返して、聞いていたのかも分からないその男を置いて部屋から退出した。
それから幾ばくの間が空く。と、
「……そうか」
たった一言だけ、男は応じた。男は確かに聞いていた、侍女の言葉を。
――ことはすでに、そして確かに始まっていた。