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『終章:道を違えたのはヒトゆえ』

      *

 温かな太陽の光が連峰を、河を、森を、村を、優しく包み込んでいた。

 山の山頂付近の雪化粧は美しく、麓から広がる樹海は深い。

 森を目の前にする川沿いには、村があった。遊牧を主とする、のどかな、とても自然味に囲まれた村だった。

 村は三十余りの軒が建てられている。家の敷地と村道を隔てる木柵が村には林立していた。

 轍のできた村道。ある木造の家を眺める、小さな人影が一つあった。

 そよ風になびく艶やかな黒髪を指で梳いた人影は、幼い少女の姿。

 整な顔立ちに濡れたように照る銀眼が映え、簡素なワンピース姿と村の背景は、まるで絵画のようであった。

 おそらく十にも満たない少女は、触れぬ宝物に見蕩れるように、柵の向こうに立つ別荘を呆然としたふうに眺めていた。が、決して木柵を越えようとはしなかった。

 幼い少女は何かを諦めたように吐息して、目を伏せた。

 しかし、少女はある声を耳にした。紛れもない、待ち望んだ声を。

「――そこで、何をやってるんだ? 神様のお家に、何か用でもあるのかい?」

 何者にも臆しない、自信に満ちた少年の声。少し弱ってかげりを匂わせるが、それでもなお彼の声は、少女の胸を温かくさせるものだった。――視線を向ける。黒髪の男の子がいた。

 良かった、と少女は安堵に顔を綻ばせそうになった。

      *

      *

 出雲平野から覗く海。

 神在月に神が往来するといわれる稲佐の浜の近くには、日の光を白く照り返す巨大な白亜の建物があった。出雲で最大級の大きさを誇る国立の総合病院だ。

 病院の手前、患者のセラピー用に造られた庭園で少女の声が漏れた。それは幼さの残る声で、

「あーあぁ、せっかく頑張ったのに何でわたしだけ昇進しないのかなあ。書記のヒトと鬼のヒトはともかくとして、スズメちゃんは一段階昇進したのに、何でわたしだけ大尉のままなんだろう……」

「知るかよ。俺に聞くな」

 聞くよ! だって和時君にいたっては伍長から中将だよ!? などと喚き始めた空から、彼は視線を外した。花壇が目に入った。品種は分からないが、病院の門から正面玄関まで続く長い歩道は庭園に囲まれていた。

 軽くウザったいほどの花推しに、彼は眉をしかめるものの、少女に言った。

「で、空。お前は会長の処遇はもう聞いたのか? お咎めなしだろ?」

 横を着いて歩く空は、胸に抱えた大きな花束越しにこちらを見上げて頷いた。

「ん、取りあえずは不問だって。けっこう揉めたみたいだけど、お兄ちゃんがいないと他国の牽制とか他にもできない事ありすぎて、仕方ないから愛国心で誤魔化すらしいよ」

本来なら大罪である事を、空はのほほんと言ってのけた。

 ――蒼衣・龍也。

 神州のドンでありながら祖国に乱を引き起こし、遠野の親友やその他の者共を巻き込んで国を引っ掻き回した張本人。あの夜の決戦から二週間近くたった今日、二人は竜王の許に見舞いにやってきていた。

 といっても、三日ほど前までここの住人だったのだが。

 蒼衣の謀反の処遇は、概ね国を思って起こした警告、として民衆には認知させた。それにより大きな反発も無く、事は進んだ。また、それを理由にしたため、学園は大規模な人事異動を強要されて大混乱だ。――まぁ何も聞かされてなかったんなら無理も無いな、と彼は思う。

 事件当時、行方知れずとなっていた生徒職員らは、全員、完成直後だった地下第四階層の大演習場で呑気にキャンプ実習をしていたそうだ。常時祭り状態だったのだろう。

「全く。蓋を開ければ開けるほど、会長や副会長の仕組んだ計画の周到さには感服だな」

「ふふふ、それでこそわたしのお兄ちゃんだよ。さ、麻亜奈さんは後で来るらしいから、先に伊沙紀ちゃんのとこ行こ。入院中まともにお話しする暇もなかったんだから」

 鼻歌まじりに先を急ぐ空の姿を、遠野は苦笑まじりに見詰めた。

 侵士襲撃時に重傷を負った波坂・伊沙紀は、瀕死の状態から見事完治した。否、完治させた。誰が? 遠野が、だ。

 蒼衣との決着後、病院へ担ぎ込まれた遠野たち。しかし、遠野は魔力が一時的に回復し次第、異能〝有者〟を発現させて、あらゆる治癒や回復系の異能を波坂に重ね掛けした。その結果の、完治だった。

 自分の手の感触を確かめつつ、彼は口を開いた。自嘲気味に、

「――スサノオ。三つの顔を持った英雄。くしくも俺も三つの顔を持った兵だった。三つの側面、無能、狂乱、所有だ。会長はどこまで把握していたのか、考えると恐ろしい限りだ……」

 しかし、と遠野は重い溜め息を吐いた。

 今、遠野の身体からは魔力と呼べるものは愚か、神力の気配、異能の力さえ感じられない。

 体内で生産される魔力の全てを、神役の魔力奏上にもっていかれているのだ。いわばガス欠した永久機関。力があるのに使えない。無駄さ加減が以前より増した気がしている。

「残りカスで神力の使用限界が一日一回はないだろう。持続するとは言っても、これじゃあ無能者の時と大差ないじゃないか。――人事じゃ、どこに宛がわれるんだろうな俺」

 独りごちた彼は、しかし少し前でこちらに振り返って待っている空に気付いた。小さく綺麗な花たちに囲まれて、微笑む少女は、華やいでいた。――ふと彼は、

「なあ、空。――お前はどう思う? 正体のはっきりしない、英雄スサノオを」

 などと問いかけてしまった。馬鹿かと思った。いきなりにもほどがある。

 それに、これは甘えだ。

 スサノオと自分は似ている。つまり自分が自分の本質を分かっていないも同然という事であり、そして他人を頼ったという事なのだ。己が分からず他に頼る。自己嫌悪の極みだ。

 質問に首を傾げる空に、彼は取り消そうとした。だが、空は優しく笑って答えた。

「強い人、じゃないだろうけど、でもとっても心の優しくて、筋を通す人だと思うよ」

 遠野は意外な答えにぽかんとした。すると、だって、と空は言葉を続けた。

「お母さんに会いたくて泣いたスサノオ。お父さんに怒られて家出するけど、お姉ちゃんにはちゃんと別れを告げたスサノオ。悪い事一杯してまた追い出されるけど、今度は好きになった人を頑張って守ったスサノオ。――ほら、こんなに人柄の出てる神様なんて他にいないよ。きっと、根はちょっと弱いけど心は優しくて意地っ張りな、和時君みたいに強情な神様だったんだよ」

 大切な娘のお婿さんに妬いてイタズラするしね、と空はくすくす笑った。

 ……ああ、そうか。

 こんな簡単な事だったのか、と彼は思った。馬鹿に諭されるなんて俺も落ちぶれたもんだ。

 スサノオは多重人格のような矛盾する神じゃなかったんだ。ただ、

 ……ただ人として、いや神として、成長したんだ。子供から少年、少年から大人へと。不完全な者がより良くなろうと成長した。全く、大地神が聞いて呆れる。無能にもほどがある。

「……俺が、スサノオ、だな。ぴったりだ……」

 口元に笑みを湛え、そして感傷もそこそこにして彼は、先を行く空を追おうと前を歩いた。

 が、しかし、少し進んだ所で、空が脇道に顔を向けて立ち止まっていた。

 どうしたんだ? と彼が傍にまで寄ると、空は若干引きつった笑みで脇道を指差し、

「ね、ねぇ和時君? あれってぇ、もしかして―――」

 空の指差す方向、それを視線で追っていくと、そこには、山があった。

 子猫や子犬の山だった。

 両手に収まりそうなほどの小さな毛玉の塊が、一つの人影に密集し、とぼとぼと辺りを可愛らしげに歩いていた。遠野も最初は、子犬子猫に見入ったが、ややあってから、はたと、

「お、おい空。あれは―――」

「だ、だからそれ、わたしが言ったじゃん。あれどう見ても、」

 二人が見詰める先には、綺麗な水色の髪を流して、幸せそうな雰囲気を醸し出して沢山の子犬や子猫と戯れる一人の少女の姿があった。患者服に身を包めた豊かな体付き。それは、

「――波坂(伊沙紀ちゃん)……?」

 波坂・伊沙紀の姿が、そこにはあった。

 二人の重なった声に、名前の人物は、遠くからでも分かるほど肩を震わせた。緊張が伝わったのか、彼女の周りの小動物たちも一斉に動きを止めた。

 ずずず、と少女は肩越しにこちらを見やった。遠野と、視線が合った。訳は知らないが彼女は今にも泣き出しそうな半泣き顔になて、ゆでだこみたいに真っ赤に沸騰させた。

 ……波坂のやつ、口元からよだれ出てるぞ。何想像してんだよアイツは……。

 すると、横の空が急発進した。行き先は波坂一直線。寸前でダイブした少女は、

「伊っ沙紀ちゃーんっ」

 と波坂に抱き付いた。空は久しぶりに会えた親友に厚い抱擁を食らわせて、キャッキャとはしゃぐ。が、とうの波坂は、恥ずかしさのあまり声もろくに出せず、慌てていた。

 いつも高圧的な態度とはうって変わって、それに髪型がいつもと違うせいか、それは可愛らしく、そして同じヒトだと思えた。

 自分が、やっと彼女と同じ位置に立てるヒトなのだと思えたのだ。彼は、少し笑んだ。

 ……波坂。俺はやっと、お前の前に立てられる。これで、晴れて本当の悪友だ。

 小動物たちに囲まれる神たる二人の許に、遠野は、遅ればせながら歩を近付けた。

      *

      *

 白を基調した壁色に、調度品は木目。

 患者のストレスを最小限に考えられた病室。

 その室内から、少年のひと際大きな笑声が挙がった。ベッドの上に上半身だけを起こしている彼は、ひととおり笑うと、まず息をついてから口を開いた。

「――あの守銭奴の会計めも、存外可愛げというものを持っておったか。空と貴様に知られて思考停止するさま、オレも俯瞰したかったものだ。中々に興味深い。脅すネタが掴めた」

 彼の言葉を、室内で一人聞いた遠野は、ベッド横の子椅子に座ったまま返事した。

「波坂を脅せば父である総理が出てくるかも知れないぞ。竜王が神州で覇を唱えられるのも、首相の力添えあってこそ、じゃないのか? ――まぁ、波坂が屈する事がまずないがな」

 オレへの当てつけか? と蒼衣は遠野に言葉を返した。いや、と彼は首を振って、

「波坂に訳を聞けば成程納得した。なにせ、四六時中病院の親父どもと麻雀で競って荒稼ぎしてたんだ。まあ子犬を愛でてみたくもなる。常軌を逸してしまうほど、かは知らんが」

「ハハハ、ではアヤツ、目覚めてから延々と賭け事に興じておったのか。暇なヤツだな。オレもそのマージャンとやらに混ざってみるか……」

「会長を相手にできるほど気概のある奴はいないだろうな」

 あとアンタも暇なんだな、と心の中で毒づいた遠野は、しかし腕組みして真剣に考え出した蒼衣に対して居住まいを正した。空気を察してか、蒼衣もこちらに目をやる。

「思案中悪いが、今日見舞いに来たのは理由がある。空にはロビーで副会長を待たせてある。ここにいるのは俺と会長だけ、――全部、話してもらうぞ」

 蒼衣は鼻を小さく鳴らした。至極どうでもいいかのように、

「今さら何を聞く気だ和時。貴様ならば、とうに全て理解しておるのだろう?」

「俺が分かっているのは、俺が英雄で、アンタが魔物になる事だけだ」

「それが全てだ。――魔王たる諸悪の根源を貴様が討ち、この世界には平和がもたらされるのだぞ? オレは、この手で世界に和みを与えると言ったではないか」

「……そこまで平和を望んでいながら、何故死を選んだと俺は聞いているんだ。しかも何だ。アンタが消えた後、残った副会長は俺の側近だと? 馬鹿馬鹿しいにもほどがある!」

 叫びに、蒼衣が目を細めた。一度視線を外して、吐息してから彼は告げる。

「――答えたところで貴様なぞに分かる筈もない。オレの願望が、アイツの切望が、埒外を向き、そして集約された結果、などと言ってもな」

 実に悔しげな口調に、思わず遠野は勢いを削がれた。舌打ちしたい衝動を抑えて彼は、蒼衣に先を言えと睨めつけた。――蒼衣は簡潔に述べた。

「オレはただ叶えてやりたかっただけ。故にオレでは叶えられぬと分かった時、オレは叶えられる人間を探した。それだけよ」

「――それが、オレだったのか」

 そうだ、と彼は、渋い顔をする遠野に対して頷いた。

「貴様の事は貴様の父母からよくよく聞いておった。出来が良いのか悪いのか分からない、お前よりも強いヤツだとな。――今思えば、オレが神となってからオレに平然と口を聞いたヤツは、貴様の父母、アヤツらだけだったな。印度に行かせたはいいが、連絡もよこさぬ」

「まさか、俺を学園に強制入学させたのも親父や母さんから話を聞いていたからか? いや、それよりも何でアンタの話に俺の両親が出てくるんだ」

 言いながら気づいた遠野は、そのまま質問していた。何だ、とでも言いたげに蒼衣は、

「知らぬのか? 海瀬とエリスは、オレ直属のオブザーバーなのだぞ?」

 遠野は唖然とした。――いや待て。その前に、もしかして、

「な、なら、俺の親が勝手に印度に行ったのは……、」

「ああ。特務官ではないが、間者として経恊圏に潜入させている。オレの予想ではこの世界で初めに動くとすればそこだと思っておったのでな」

 予想外の関係を知った遠野は項垂れた。蒼衣が注釈する。

「貴様の父母は旧代より魔術師で、それも世界でも高名な術者だった。それを運良く見付けたオレは、神秘に通ずる二人をオブザーバーとして雇ったのだ。九年ほど前か」

 殆ど最初からじゃないか! 道理で家への仕送りが異様に多い訳だ。ちゃんと働いてるのかあの二人? 親父はまだしも母さん遊んでばっかじゃないだろうな。子ども的な意味で。

 内心で嘆息、というよりもあからさまに溜め息を吐いてから、遠野は蒼衣に向き直った。

「――で、そんな事をしてた、って事は、本当に世界平和を目論んでいたのか。まぁこんなご時世だ。水に流すしかない。少し性急過ぎだった、とも言えないが……」

 彼の言葉に、蒼衣は意外にも無言だった。――遠野は、少し間を空けてから言葉を作った。

「だが、この一件のおかげで俺は神名と一緒に高位の神役を被った。これで神州の三貴神のうち、二柱は埋まったという事だ。――そのうち、アマテラスも出てくるだろうな」

 蒼衣の目が、わずかに鋭くなった。しめたとばかりに、遠野は言葉を繋げた。

「二週間前の決戦、最後に会長も見た筈だ。本来地球上にある筈の無い世界と、空の異様な豹変。――俺はある答えに辿り着いた。会長も、そこに行き着いたんじゃないのか?」

 蒼衣は何も言わず、こちらを見据えている。遠野は構わず、己の予想を言い放った。

「あれは、神域〝高天原(たかまがはら)〟。そして空は〝日天神(アマテラス)〟たる太陽の神役を被り掛けていた」

 違うか? と彼は視線で問いかけた。

 ふ、と蒼衣が静かに吐息した。呟くように、そうだ、と彼は口にした。

「……芒の地に、紅い日、対となる蒼い月。間違いなく三貴神と通している。高位の神役の力を解放し続けると向こうから来るのやも知れんな。――空のは、まあ高天原からの当てつけだが、変化しておった時のアヤツの異様な気配はそうとしか思えぬな」

「空には言ったのか? 見た限りでは言ってないようだが、どうするつもりだ?」

「報せておらぬ時点で、貴様も人の事は言えまい。空は憶えてないと見て、オレはアヤツが自覚して再度神役を被り直すのを待つ事にした。神役はまだ完全にアヤツに入っておらぬ」

「やっぱり、不完全だったのか。継承中に異空間に飛ばされれば無理もないが」

 などと呟いて、遠野は次の言葉を発しなかった。もう聞きたい事がなかったからだ。

 だが、こちらの無言をどう受け取ったのか、蒼衣は数秒の無言の後、自ら口を開いた。

「――神とは、何なのであろうな……」

 不意の、問いのような言に、遠野は彼の顔を見た。苦笑だった。

「神役継承者、じゃないのか? 昔なら、世界の負担者、生態系の見えぬ支柱」

「今も昔も負担者であり世界の柱である事に変わりはないわ。だが、――貴様は知っておるか? 何故我々が神の役目を〝世界の柱〟と捉えたか? 神州が神を〝柱〟と数えているからだ。とかく、神は世界に対しての人柱だとな」

 確かにそうだ、と遠野は思った。

 神州における変革の研究は、その殆どが各地方の神話伝承から無理やり解釈したもので、辻褄合わせでしかない。それでも間違いが少なかったのは、古代の人間が、神と何かしらの関わり合いを持っていたからのかも知れない。

 始祖霊(トーテム)の考え方で正解かもな、と遠野は冗談みたく思っていた。

 世界の認知はどうあれ、ここ神州にとっての神は、おそらく祖霊であり、自然界の精霊であり、心の拠り所であるのだ。――何故ならば、と蒼衣は告げた。

「変革以前、この国に信仰はなく、教えも、畏敬もなかった。だが、我が国にはそれよりも貴き推し進めるべきものがあった。――〝道〟だ。我が国には〝神道〟がある。神の道。対となるは〝人道〟。人の道だ。神の許に立つのが人であり、人と共にあるのが神。人を治め制し導くのが神の役目。人から濁りをとった存在、神道が、我らのあるべき姿ではないのか?」

 蒼衣がわずかに苦笑した。窓の外の、蒼い晴天を見て、

「ここに来てからずっとそんな事を考えていた。否、ここに来て初めてそんな考え方が出来たのかも知れん。オレは今までずっと、神は人を助け望みを叶えるものだと妄信していたのだからな。

 だが、そんな神は人にいいようにされる道具ではないか。神頼みも賽銭も、とどのつまり人の傲慢さそものではないのか? インドなどその典型であろう」

「別に、それでいいじゃないのか。確かにインド神は修行を積めば願いを絶対に叶える事を強制されるが、神州においてはまだ神の自由だ。――副会長、と言っていいのか分からんが。それは、貴方が叶えてやりたかったからそうしたのだろう? それは、貴方の選んだ事だ」

 いいや、と彼は頑なに首を振った。少し気落ちした語調で、彼は、

「オレの立場でそれはならない。オレは高々精霊一匹に国一つを貶めようとしたのだぞ? 世界を守るために存在した神、それを継いだオレは、叶える事自体に酔っていたのだ」

 蒼衣・龍也。世界を導く兵、神州随一の豪傑、竜王の名に相応しき覇王。彼を畏れ讃える言葉は、幾らでもある。だがその真実、彼は、一人の女性に恋い焦がれたただの少年だったのだろう。神の力を持ち、最初に神の名を頂いただけの、普通の子どもだったのだ。

 普通の少年だったからこそ、己が彼女の望みを叶えられず、不可能だと理解できた。彼が自らに課せられた名を信じた故に、猛進した故に、ここまで道を誤ったのだろう。

 だが、それがどうした。遠野はそう思っている。それで良いではないか、と。

「それで、いいじゃないのか」

 遠野の言葉に、蒼衣は、遠野の目を見据えた。

 力の弱まった、しかし折れる事を許さない不屈の目をしていた。とても、美しい目だと思えた。折れる事が許せない純朴な瞳。

「――貴方は人の上に立って人を導いた。例えその心情が一人のためだけだとしても、結果として、この神州は列強として変革の十年を乗り越えたられた。それに、貴方は世界を平和にしようとしていたんだ。理由はどうあれ、それは間違ってはいない。望んでいいものだ」

「なら、俺がアイツのために世界を壊すと決めたら、貴様はどうするのだ?」

 遠野は一瞬息を詰めた。冗談ではないのだろう。蒼衣の目は本気だった。彼なら本当にやりかねない事も、遠野は承知している。――遠野は逡巡した。そして、

「簡単な事だ。その時俺が嫌だと思えば、俺が力ずくで貴方を止める。それだけだ。人が傲慢であるのなら、神は自由。貴方は神だ、自由にすればいい。そして、俺もまた神だ」

 蒼衣が軽く目を見開けた。が、少しすると、彼は腹を抑えて、くつくつと笑い始めた。

 ああ成程、と遠野は思った。ここに来てようやく理解できた事があった。きっと彼は、本当に嬉しく面白い時は、こうやって堪えた笑いを漏らすのだな、と。

 笑いに笑い。内側に全てを溜めこんだ彼は、身を起こして、こちらを見やった。

「ならばその言葉に甘えて、オレを殺す人間は貴様のままにしておこう。和時よ。貴様の名の如く、世界平和もオレの望むところだ。親子揃って、オレに手を貸してはくれまいか?」

 蒼衣の目には力が宿っていた。しかし、彼が差し伸べる手を遠野は取らなかった。

 彼は立ち上がって、蒼衣の目をいつもの虚脱したような瞳で捉えた。そして言った。

「貸すんじゃない。俺はただ貴方の後ろ、下にいるだけだ。今この国に立つ一番は貴方だからだ。貴方は神、黎明の夜であるこの世を支える神。日の本が現れこの世を導き始めるまで、貴方の推し進む後ろこそが、我らの神の道だ」

 彼の物言いに、蒼衣は再び喉でくつくつと笑った。が、遠野は付け足すように

「ま、他の奴らはそうはいかない。だから、会長を監査する組織やヒトも必要になる。おそらくそれが俺になるだろう。全部長の下に幕僚監部ができるそうだ」

「会計の補佐はもうやらんのか?」

 なるようになるさ。と遠野は軽く笑んで見せた。そして、しばらくしてから、

「――おにぃっ、ちゃーんっ! 麻亜奈さん来たよォお!」

 ノックもせずに戸を開けて、病室に空がやってきた。空の後ろには、いつになく静かな櫛真の姿があった。――伏し目がちなその表情を認めた遠野は、迷わず動いていた。空の許へ、だ。

 空の首根っこを掴んで、遠野は部屋から早々と退出した。

 ……触らぬ神に祟りなし、だな。ここは……。

      *

      *

「国内でのデモも小規模で、他組織からの干渉も殆どありませんでした。裏回線で聖書からは侵士秘匿の要請があったので自己判断で了承しました。すでに隠蔽工作は終了し、事後処理も大半が済んでおります。――竜王堕死の計画は失敗しても、皆は協力して下さいました」

 蒼衣・龍也の病室。

 彼のベッドから少し距離をとった位置に立つ櫛真は、蒼衣からわずかに視線をずらしてそう言った。――蒼衣は鼻を鳴らして、

「アヤツらめ、知らぬ存ぜぬを通せと申し付けた筈なのだがな。……それに、解雇した従者が一人、まだ侍従服を着ておるしな」

 彼は彼女の顔を覗く。申し訳なさそうに、櫛真は顔を背けた。蒼衣は口元を綻ばせた。

「麻亜奈よ。貴様は貴様のしたい事をしたのであろう? ならば悔いるな負うな背けるな。オレは貴様の嘘などどうでもよい。ただオレが気付かず、貴様が言わなんだだけだ。

 ――貴様と会うのは九年ぶりだな、〝月の凶狼(マーナ・ガルム)〟よ」

 櫛真の肩が震えた。が、彼女はまるで懺悔するように言った。

「私めは、きっと、貴方様にわざわいしかもたらしません。この穢れた魂は、生まれる前からそう運命づけられているんです。己の月を、愛する月を、自ら食らい落とす。――どんなに取り繕ったところで、〝月の凶狼〟は月を食らいたいが一心で、月を追い続ける……」

「――それがどうしたというのだ……!!」

「……!」

 蒼衣の怒声に、櫛真は肩を竦ませた。すると蒼衣は、迷いのない確かな眼差しで、そして陰りのない冷ややかな口調で言ってのけた。他でもない、禍に。

「貴様、オレが禍如きに屈するような者だとでも思っておったのか? オレは神だぞ! 神州を無断で牛耳り、尻を据え、そして世界を掴もうとした恥知らずぞ!? 足元の小石のような禍、構う気になどなれん!! ――どこぞへでも行け。好きにしろ!」

 彼の最後の言葉に、櫛真は軽く目を見開いた。

「龍也様……? 今何と―――」

「好きにしろと言った。貴様がどこにいようとオレは構わぬ。オレはただオレのやりたい事、なすべき事を自由に行うだけだ。貴様の行く末など気に掛ける気にもなれん!」

「ですが、私めは貴方様といると迷惑を……」

「気にせぬと言った筈だぞ、麻亜奈。――人生など禍に左右されるが道理。一つ二つと増えようが案ずる必要は皆無。逆に、二転三転あった方がやりがいがあるというものだ」

 蒼衣は口端を歪めて邪悪な笑みを作った。彼女は息を呑む。が、ふと彼は表情を緩めて、

「――だがな、麻亜奈よ。どんなにやりがいがあろうとも、険しい事に違いはない。滑り落ちる事もあるだろう。故にだ。麻亜奈よ、オレは働く気のある有能な助手が欲しい」

 彼の言葉に、しかし彼女は迷ったふうに項垂れた。

 初めて慕った、否、これからもずっと想い続けるであろう彼に、これ以上甘えていいのか。引力のように禍を引き寄せる運命にある自分が、彼の傍にいていいのか。彼女の中はどうどう巡りのような自問が連鎖のように続いていた。

 ……私めは、嘘をついて、騙し続けて、この上甘えるのですか? そんなの―――。

 ただの、我が儘じゃないか。

 やはり断ろう。ここに来たのも終わらせるためだったんだ。彼女はそう思い直して、顔を上げた。

 彼に、見詰められていた。

 たったの一メートルもない距離なのに、その間は彼方のように遠く感じられる。しかし、彼は、

「――もう一度言ってやろう。追いたければ好きにするがいい。オレは、何も言わん」

 全身が脱力した。

 高揚感に心が震えていた。

 どうしようもなかった。胸の中は罪悪感で一杯だったというのに、彼の言葉一つで、私はこんなにも喜んでしまうほど愚かだったのだ。

 最初から分かっていた事だった。たかが子どもに頼み事をし、延々と見えない所から盗み見て、理解してくれない彼に苛立ちを覚えていた。本当に、愚かな事この上ない。

 故に応えなければならない。共に半生をかけて騙し、騙された。

 騙した己は、騙された相手に謝っても謝りきれない。裏切りほど重い仕打ちはない。だから応えるのだ。最後まで自分であるために、傲慢な己を貫き通すために。――彼女は、

「――有難う、御座います」

 深々と、頭を下げた。

 頭上から、彼の声が聞こえた。かつて、まだ彼と出会って初めの頃、彼が自分に向けてくれた優しい口調が、朗らかな温かみの籠った声が、耳を震わせた。

「オレもだよ。あの森の中で、お前に出会えて本当に良かった。これほど、己の青い間違いに感謝できる事はない」

 私めもです、と櫛真はそう言葉を返したかった。

 だが、それは言うまでもない事だった。何故ならば、自分たちには、自分たちにだけわかる言葉があるからだ。孤独から救い出してくれた喜びを感謝する、掛け替えのない歌が。

 小さな、二人の声は重なった。


 ――さねさし、相武(さがむ)小野(おの)に燃ゆる火の、火中(ほなか)に立ちて問いし君はも


 返しの歌はない。

 返す気なども毛頭ない。この歌はここで仕舞いだ。自分たちは感謝するだけで良いのだ。まだ、荒波に身を投じるには早すぎる。

「――貴様が来る前に和時と話した。やはりアヤツは面白い。これからの展望も、ヤツと話す事でしかと見えた。隙を見付けては世界中の襲名組織に乗り込んで無理やりにでも平和条約を締結してやる」

 蒼衣は力強く彼女に告げた。

「麻亜奈よ。原隊に復帰次第、国を挙げて祭りを催すぞ。満月の、夜をかすめ取る祭りだ」

 了承しました、と櫛真は、歯を剥いて笑う蒼衣に即答していた。

      *

      *

「――ねえ和時君。和時君はわたしを恨んでる?」

 白亜の屋上、矮躯の少女は問いかけていた。

 蒼衣たちを気遣って病院の屋上に来た遠野と空。しかし、蒼衣たちの話の流れから、空は急に項垂れてこんな事を問いかけて来たのだ。少女は言う、自分の過ちを。

「あの時伊沙紀ちゃんを守れなかったのは、わたしが風邪をひいてたからなんだよ。――わたしは、カグツチのわたしは、また、イザナミである伊沙紀ちゃんを傷付けた……」

 少女の傍、俯いて震える少女を少し見やった少年は吐息した。

 陽が傾いて、紅く焼け始めた西の空。彼は、幾度となく色を変えて移り変わっていく天を見て、まるでこの少女のようだと思った。

 ――空。何者にも染められる空。そこにあるようで、確かな存在ではない大空。

 少女は弱い、そして愚かな考えしか持たない馬鹿だ。それは治すべきだと思う。だが、彼が少女はこのままでいて欲しいと思っているのも事実だった。

 そんな考え方、自分には出来ない。

 自分は地だ。何者にも染められない地。底の見えない、存在だけはある大地。

 少年は考えた。少女の問いかけの答えを。

 実を言えば、そんな考え方をした事がなかった。あの時の自分は、彼女を傷付けた敵が許せなくて憎くて、そして自分が彼女に何も出来なかった事に対して激怒していた。

 少女の病の事など、頭から抜け落ちていたのだ。

 だから、恨んでないと答えるべきなのだろう。でも、少し迷う。自分は、

 ……俺は俺の力に酔っていたんだ。禍々しい己の力が、全てを忘却できる力だと分かって。

 酔ってなければ、そして皮肉に塗れた自分なら、もしかしたらこの少女に、そんな言葉を掛けていたかも知れない。そう思うと、一概に少女の問いを否定できなかった。故に迷った。

 少女は小さい。今は俯いているから余計にだ。

 しかし、この少女は炎であり、そして太陽を司るかも知れない少女なのだ。

 少女がこんな全てを受け持とうとする思考をしているのも、もしかすれば、少女の魂がそれほど強大だからなのかも知れない。

 そう思うと、彼は急に考えるのが可笑しくなってきた。自分が大地であるとたとえたが、あの天に浮く太陽の本当の大きさに比べれば、この地の大きさなど比較にもならないのだから。

 なら、自分はそこに着け込んでいいのだろう。彼はそう思って、少女の問いに首肯した。

「ああ、恨んでるよ。お前の事」

 少女の足が竦んだ。が、彼は更に告げた。実に面倒だったと不満げな口調で、

「恨んでるよ。アイツを助けるために、また力を無駄に使う羽目になった事、恨んでる」

「――やっぱ和時君って捻くれてるよね。でも優しい……」

 知るかよ、と少年は言って、少女の首根っこを勝手に掴んでまた歩き始めた。

「そろそろ会長たちのわだかまりも消えてる頃だろう。戻るぞ」

「痛い! 痛いよー。掴まないでよー。――ちゃんと一人で歩けるからあ!」

 二人は賑やかに屋上をあとにした。

 彼らを包み込むは天蓋。その大空は、

 ――十年前と何ら変わりなく、夕日に紅く焼けていた。




すいません長々と。

読みづらい文章でマジですいません。まあ、一応これで第一話終了と相成りますけど、第一話とかいうあたり、つまり、

「二話目に入ります。すいません!」

という事で第二話。次は作中の最後にもあった通り、インド編になります。まあそうは言っても主人公たち視点は変わらずのままなので、敵が変わるだけなんです。

今度はもう少しマシな、そして長めな話になりそうです(すいません)。

次回、「印度政争編」です!

遠野君の両親が出てきますよ! 内心一番好きなキャラだったりしますから!!

――読了、有難う御座います!

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