序章『すべてはヒトの業ゆえか』
すいません。
とりあえず自分の好きを詰め込んだだけの作品なので、お見苦しい点が多々あるでしょうが、何卒ご容赦頂ければ幸いです。
ちなみに処女作です。
*
「――何でも言ってよ。ボクは、神様なんだ」
暗く、しかし小さな光の群れを背に、幼い少年の容姿をした彼はそう言った。
「ボクには何でも出来て、何でも叶えてあげられる。だから、ボクを救ってくれたお礼に、ボクは、君の願いを叶えてみせるよ」
黒々とした森の目の前で、やつれた顔で彼は微笑んだ。目線を同じにした、しゃがみ込む独りの女性に対して。自分を救ってくれた美しい妙齢の女性に、彼は微笑みかけていた。
女は戸惑うわけでも訝るわけでもなく、ただ茫然と、彼の優しい笑みを見詰めていた。驚いていたのだ。
だが、ふと思い出したかのように、女性はわずかに息を吸った。頬と肺が強張ったように震える。
女の胸中には恐怖があった。問いかけに答える事への恐怖。彼に対してではない、他の、別のモノへの恐怖が、そこにはあった。
ひどく耳鳴りがする。頭がぐらぐらと揺れているような気がする。背後から、真横から、耳元から。全身の毛が傍立つような怯えとなって、自分の絶対が奪えと囁いてきた。
しかし、目の前で慈愛に満ちた言葉はやってきてしまった。
「――何でも言ってよ、ボクに。何でも出来る、神様の、ボクに」
目には見えない、一筋の光だった。
彼女は目を見開いた。そして無意識のうちに、口は言葉を紡いでいた。少年の甘言に女は負けたのだ。 答えてしまった。今までひた隠しにしてきた、その願いを。
――それなら、私の世界を、もっと―――――
彼女の愚かな望みは、彼の人生を、大きく変えてしまった。
神であり、しかし神としては程遠い、ただの人間の子どもでしかない、彼の人生を。
*
*
着の身着のままに空を飛ぶカラスが、その五月蠅い鳴き声で夕暮れを告げていた。
ぽーっと西の空が赤焼け出した頃。
人気のない植林に囲まれた公園に吐息が一つ漏れる。
脱力と達観が入りまじった視線を周りに向けるのは、独りの少年だった。
彼が身にまとうは紅白色を基調としたブレザー型の学生服。その襟元と胸に付けられた階級章は、赤地に黄のラインが一本と星が一つ。旧陸軍では〝伍長〟を示すものだ。
古びた公園のベンチに、彼はただ寝そべっている。
彼の目は〝どこか脱力して覇気がない〟というよりも、何かを悟ってしまった子どものような、自分が無力だと思い知ったような、そんな印象を受けるものだった。
何気なく彼は口から声を作った。嘆息まじりに、
「昔から変わんねえな、ここは……」
と呟いた彼は、しかしおもむろにベンチから上体を起こした。視線を飛ばし、彼がある遊具を見止める。やや錆び付きながらも丈夫さを保つ、青塗装の鉄棒だ。
彼の目が細くなった。
……全く。
「……嫌なモノばかり、俺の視界には寄って来るもんだな。いや……、嫌われ者同士の同族嫌悪、ってところか。情けねえ」
自分に対して嫌悪感を抱いた少年は、いつの間にか、十年前の出来事を思い出していた。
……あの時もここだったな。ここで俺は人類世界の変革を、その一人として見たんだ。
*
*
小さい頃、少年はよく父親からこんな事を言われていた。
お前には何でも出来る力が有る。だから、お前は何でも出来るんだ、と。
いま考えてみれば、それは、父親が息子に言うものとしてはごく自然な、息子にやる気や自信を持たせるためのありきたりな言葉だったのだろう。だが、幼い少年は愚かにもその言葉を真に受け、信じきってしまった。
少年は、負けず嫌いになった。
何でも出来るのなら、誰にも負ける筈がないから、と。だから負けないようにと、少年は頑張って頑張り続けるようになった。もし負けてしまったら、自分の力が無くなってしまったみたいで悔しいじゃないか。それは嫌だった、絶対に。
故にこの日も、少年は公園で鉄棒、それも逆上がりの練習をしていたのだ。
その場の勢いで思わず、逆上がりが出来ると友達に嘘をついてしまったのだ。今はその嘘を現実に変えるために努力している途中だった。
「なぁに、僕には何でも出来るんだ。テストも百点、体育だって得意なんだ。逆上がりくらい出来て当然だよね。――っと!」
失敗した。いいところまでいくのだが、中々上手くいかない。
どうしてだろう? と思いつつ、小学生である少年はわざとらしく腹部をさすった。
「……お腹空いたな。腹が減っては戦は出来ない、っていうし、……帰るか」
時分は昼。今日は休日なので午後も練習するつもりだが、少年は一度家に帰る事にした。
マメが幾つもなった手をはたいて、少年は振り返る。公園の出口へとつま先を向けて走り出した。
鉄棒と公園の出口はほぼ真向いにある。ブランコや砂場には目もくれず彼は出口を見据えた。
集中し過ぎて気付かなかったが、公園には彼以外にも老夫婦や乳母車を押す女性、サラリーマンなど、十人近くの人がいたようだった。休日の昼としては、まあこんなものだろう。
呑気に昼のメニューを想像しながら駆ける少年は、出口まであと五メートルに迫った。
だが、その時だった。
何の前触れもなく、それは不意に訪れた。
「……っ!?」
全身が突然痺れ、悪寒が駆け巡る。瞬く間に視界は、目眩によって暗転した。
すぐに五感もままならなくなり、平衡感覚を失った彼は制動もかけられずに倒れ込んだ。
――――――――。
自分が、世界から拒絶されたような気分だった。
肉体は指一本動かせず、思考もろくに働かない。どこのどんな場所に自分がいるのかすら分からなくなっていたのだ。
目眩の回復は二十秒もなかっただろうが、感覚としては永遠にも思えた。
絶望的な黒から、やっと周りに色が戻った。
息をするのも苦しい。荒い息を抑え、両手を着き身体を起こした彼は、不思議と頭が澄んでいる事にすぐ気が付いた。
が、この状況でそれは無いだろうと思って無視。頭を振ってよろめきながらも立ち上がって、彼は疑問の目で辺りを見回した。
突然とはいえ、子どもが受身も取れずに倒れたのだ。普通は、何かしらのアクション、助けがある筈だ。しかし、それがないのはどういう事なのだろう。そういう疑問の仕方だった。
案の定、彼の疑問は即回答へとつながった。誰も見た事ないであろう異様なモノを、彼は目にする事となったのだ。
目撃と同時、女性の悲鳴も遠くで聞こえてきた。
彼の目に映った公園には、いたのだ。ヒトじゃない者たちが、だ。
「…………!?」
驚愕のあまり、声は出なかった。
彼の知る限り、その異形な烏合の生物たちは、本来この世界にいる筈のないものだった。
――赤鬼。――天狗。――スライム。
どれも知ってはいるが、架空の生物ばかり。だが、その者らは確かに彼の目の前にいた。人形でもなく着ぐるみでもない。一生物として、だ。
隆起した筋骨がスーツを破り、パンツ一丁も同然となった赤肌の鬼。
よぼよぼの肉体にステテコを履いて、宙をふわふわ漂う老天狗。
乳母車の傍で跳ねる、おっきいスライムとちっちゃいスライム。
何これ夢? あ、やっぱ現実逃避? うん諦めよう。まずは観察かな。あはは。
硬直した身体の代わりに思考だけは無駄に働いていた。と、
「――――?」
釘づけになって身動きできずにいた彼だったが、ふと眉をひそめて、その異形らを見詰めた。
あの場所や身に着けている物には見覚えがあった。今さっき、一瞬だけ目にしたものだ。
何故かは分からない。何故そうなったのかは分からない。しかし、一つだけ言える事があった。
……まさか、
「アレ、もしかして人間……?」
咄嗟に彼は、周囲をくまなく観た。記憶の中では、公園には人が十人はいた筈だ。
異形のヒトを注視していたため周囲が疎かになっていたが、普通の人はすぐ見付かった。
老若男女ばらばらで自分と同じく皆一様に驚いていたが、普通のヒトはちゃんといる。安心こそできないものの、幾ばくかの安堵は得られた。お陰で彼は、運よくある事に気が付けた。
見える範囲内。公園はもちろん、歩道や道路、民家の窓から覗ける室内に至る全てに、多種多様な異形が普通の人間と入り混じって存在していた事に。そして、その異形らは、普通の人間と同様に驚嘆して、腰を抜かしたり口をパクパクとさせたりしている事に、だ。
おそらく自分の変貌にも気付けずに、ただ周囲の変貌に驚いているのだろう。
子どもながらに、何故か透き通ったようにクリアな思考回路が、明瞭な推察を自分にもたらしてくれている。が、しかし、少年は内心は焦ってもいた。実は知らない間に、自分も異形になっているのでは、とそう思えてきたからだ。
故に彼は、自分で自分に身体検査を行った。辺りを真剣な眼つきで観察しながら、肉体のあらゆる場所をまさぐるその光景は、まさに滑稽に他ならなかった。
……頭。顔。首。腕。胴。背中。腰。足。よし大丈夫だ、問題ないな。
「――――」
念のため、アソコも……。
触診はとてもとても大事だ。流石にアソコが変わってしまったら、恐怖でしかないのだからな。うん。
「よし、大丈夫そうだね」
やっと息がつけたのも間もなく、彼は再三目の驚きを抱く事となった。
ドスン、と地鳴りにも似た重音が地と空気を伝ってきた。震源地は真後ろ。付け加えて、直上はいきなり何かによって覆われて陽の光が遮られている。
頭上を見上げる。そこには顎があった。
ワニのような口形、口は自分を一口で呑み込める大きさ。強固な鱗に牙が鈍い光りを覗かせる顎が、彼の上にはあったのだ。
後ろへ肩から振り返る。そこには、公園と道路を大きく跨ぐ形で、体長二十メートル強の有翼系の四足大竜が悠然と屹立していた。彼も変貌した一人なのか、身体を動かすのにまだ慣れていないようで、長く太い尻尾や大翼の先が不規則に震えている。
「わぁ……」
思わず感嘆が漏れる。それは、まさかいるまいと思っていた威容だった。
感嘆の息漏れで、竜も、眼下に子どもである自分がいる事に気付いた。双眸がぎょろりと動き、こちらの姿を捉えた。鋭い眼差しに、彼は思わず足を竦ませた。
恐怖に身が固まりそうになるが、この竜も人間なんだと自分に言い聞かせて堪えた。彼は固唾を飲んで竜の言葉を待つ。
そして、竜がその顎を開いた。が、聞こえた声は脳内に直接。しかし軽く上ずった声で、
『き、きき君ィ! 何でオジサンはこォーんなに、象さんみたいにおっきくなってるのかなァあ? ――オジサン、周りが変になっちゃって怖いんだよお。何か肌寒いし背中が変な感じするし、平衡感覚がおかしくなりそうなんだよう……』
女々しいにも程がある竜だった。巨体になった時点で服は破けて羽も生えたのだから、そらぁそうだろ、と彼は言いたかったが堪える。質問に是正を加えて、回答を返した。
「ううん、僕にも分からないんだ。でもオジサン。オジサンは象じゃないよ? 竜だよ? 見た目からして西洋竜かなあ?」
『え? あ、そうなの? ありがとーね。でも、君は見た目だけはなんともないみたいだね?』
「うん。僕もオジサンみたいに竜になってみたかったけど―――、あ」
『? どうかしたの?』
ん、と頷いた彼は、思い出した事をそのまま口にした。
「僕、さっきまで家に帰ろうとしてたんだ。忘れてた」
「アア、それは悪い事をしてたみたいだね。ごめんね。早く帰って親御さんを安心させた方がいいよ? 見た感じ、姿かたちは変わっちゃったけど、みんな中身はヒトみたいだし。危ない目に遭う事もないだろうけど、安全第一で、ね?」
うん、ありがと、と返事した彼は、竜を避ける形で前に駆けだした。すれ違いざま、竜に手を振る代わりに鱗の肌にハイタッチ。竜に別れを告げて彼は走り去った。
わんさかと異形のヒトたちが望める歩道。
家に向かって一直線に走る彼は、ふと竜に触れた右手を見下ろした。
ひんやりと、しかし滑らかで鉱石の如き感触がしたのだが、手には何故か妙な痺れが残っていた。怪我も鬱血も、見た目にすら変化はないのだが、どうしてだろうか。
……サメ肌だったのかな?
疑問に思いつつ、彼は足を止める事なく家に帰っていった。
自分――、否、全人類に待ち受ける啓示を未だ知らないまま、彼は歩道をひた走る。
*
*
住宅街の中を通る一車線道路。
家まで残り百メートルほどの場所を、彼は息を切らしながらも足早に帰宅を急いでいる。
道路には、異形も普通も混在した人だかりが幾つもできていた。おそらくは、理解不能の状況を理解できない恐怖と、情報を得たいという人間の本能が働いているのだろう。驚きの表情や慄きが少なったのは、この現象を不甲斐なくも享受してしまったからか。
尻目でそれらを流しつつ、前に直進して彼は先を急いだ。だ
が、ここまで来て、彼の足はいつの間にか停止していた。何かに気付き、徐々に速度を緩めていく。その結果の停止だった。
空を見上げて、彼は遠くのモノへと視線を飛ばしていた。
ここに来てようやく、元からヒトではないモノが現れたのだ。
それは巨大な虚像として、天から降りてきた。
幾重にも布を重ねた、しかし和服とも貴服とも若干違う様相をした、女性、だった。
それを目にした途端、彼は思わずある一言を発していた。呆然と、虚像を見詰める形で、
「……神様、だ……」
一目で分からされてしまった。
己が神であるという絶対的なオーラ。
上位存在に対する屈服感。
全てを包み込む日の光のような暖かい抱擁力は、彼の大御神を思わせるほどだ。
……何を、言うんだ?
頂上たる存在が無用で降りてくる筈がない。おそらくアレは、何らかのロジックの下に、いまここで何かを宣告しに、わざわざ降りてきたのだ。
幼い彼ではあったが、その事実は否応なしに理解させられている。
故に、彼はアレの一挙手一投足を見逃さまいと一心に視線を送った。何を言うんだ、と。
虚像が動いた。鳥がさえずるが如き優しげな声音で、万物に対して直接語り掛けてきた。
『――私は、この地でアマテラスと呼ばれる神に近しい存在です。此度はこの神州の殿、貴方たちとの盟約を果たすために、推参致しました。
――ここに、終わりをここに告げます』
太陽を司る大神と宣言した女神の言葉は続いた。
『貴方たち人類の夢は、いましがた潰えました。そして、私たちも対に。それ故に、』
告げた。
『――貴方たち人類には、夢の代償として、神となっていただきます』
*
*
朱色の空の下、公園のベンチに浅く腰掛ける彼は、昔の記憶を掘り返していた。
「神託を告げた女神は霧散するように消えて、俺はその意味も分からずに家に帰ったんだっけか。まぁ母さんと親父がどこも変わってなかったのを見た時は、内心ほっとしたんだがな」
その後、幼い自分が理解できた事は、異形への変貌や、神からの神託は、ここ出雲だけではなく、日本のいたる場所、全世界で同時刻に起きていたという事実だった。
無論、その変貌が元に戻る事も、降臨した神が居残る事もなく、人類は露頭に迷った。
前代未聞の事態に世界各国、その政府はまともな対策すら打ち出せられず、この十年で先進国を含めた多くの国が混乱や暴動の末、崩壊していった。紛争も更に多発し、地図上には〝不明〟や〝無法地帯〟の文字が羅列していった。
だが、その中でも、日本は最も早く順応を見せた。対策本部の設立から三権とのパイプラインを備えた上で、地盤固めの強硬策や下策を幾つも設け、大きな貢献を果たしたのだ。
今の日本、改め〝神州〟が、単一国家としてやっていけているのは、対策本部から分化し肥大化した、いまの神州を牛耳る〝神州神話機構〟のおかげだろう。
神州があの日の変革より大々的に執り行った政策は主に三つ。憲法大修整による国家総動員法の再制定。全国民の身元調査。神託の調査研究の三つだ。
国家総動員は、限定的な指示権によって迅速な行動を可能に。身元調査は、お国柄か適格に行われ、半月も経たずに全国民の一時的調査が終了した。
様々な研究や調査が国を上げて遂行された。国民らの支持もあり事は順調に進んだ。暴動も多少起きたが、惨事とまではいかなかった。何故か自分たちの変化に馴染んでいたのだ。
人外となった人間は〝ヒト科異属〟として認定され、変革から一年も経たぬうちに、神州は安定性を確保する事ができた。
が、世界を最も震撼させて、未来を大きく変えたのは、人類の変革から半年。神州神話機構の前身となった出雲研究所が発表した研究結果と、その対策方法だった。
それは、
『人類の変革は、神々が我らに課した役目を確実に果たせるよう与えられた〝力〟である。
あの神託を調査した結果、我々に課せられたのは、この世界の均衡を守護する役目を受け継ぐ事。恒久的に世界を維持する神の役目。つまり〝神役〟を担う事である事が判明した。
常に過不足が生じるエネルギーの循環に対して、神役を担った者が余剰魔力を奉じ、無数の奉納者を立たせる事によって全体のバランスを保つ。それが神になるという事だと判断した。なお、この奉納者は神役を受け継いだ適格者、〝神役継承者〟と呼称する』
そして、
『もし、この神役を完全に放棄した場合、おそらくこの星は十年と経たずに崩壊する。現に、近年見られる世界各地の異常気象は、諸元の神たちの弱体化が主要因であり、もし神役の継承者が多数現れれば、その異常気象も収まっていくと考えられる。
だが神役継承者の数や性質、規模が全く計り知れない。よって、この出雲研究所は、世界と人類が第一優先で必要とすべき神役継承者を、〝襲名〟という作業によって統率を図っていく事を推奨したい。手始めに、この研究所がその襲名組織となる事が決定している!』
その日より、神州も大きく変化を始めた。それは新時代、〝神の時代〟の到来だった。
呑気に背もたれに寄り掛かって、空を見上げる彼は呟いた。
「神州はアイヌや琉球、日本神話を統合した神州神話を基準にし、神州神話自体を襲名した神州神話機構の設立を全世界に向けて発信。神役継承者らの組織化と更なる研究を根ざして、神州機構はその活動を始めた」
その動きには、国内でも大きな変化を付随させた。全国津々浦々にある神社に、参拝者が激増したのだ。老若男女を問わず、全国民が赴いたのではというほどだ。
神役の継承ならば、それ相応の場所での方が有利だとでも思ったのだろう。新世界の神になれると聞いて、その負担も考えずに参道へ駆け込む大人たちの姿はある意味醜態であった。
だが意外な事に、継承を果たしたヒトは一人としていなかった。
この事態には、政府や神州機構も首を傾げたが、しばらくしてから、その原因を彼らは嫌というほどに重い知る事となった。
そう、継承できなかったのではない。継承した事に、誰も気付いてやれなかったのだ。
現在では、神役の継承は万物に在る〝魂〟を媒介として行われる事が分かっている。
先代の神役継承者の魂は、次の適格者を見付けるまでこの世を彷徨い続け、それを見付け次第、その者の魂に神役権限を譲渡させて蒸発する。継承自体は、ここで終了だ。
しかし、この継承においての最も重要なのは、継承者の魂の許容量なのだ。システム的に行われる継承において、その能力値に差が無い場合、最優先で継承を果たすのは、魂に何かを背負った大人よりも、まだ何も背負わず魂に空きがある人間。
そう。それは、
「……子ども。――まさか、継承をしていた殆どのヤツが、小学校に入ってまだ間もないガキばかりだったなんてな。当時の大人は何て思ったんだろうか……」
ひどい冗談だ、と当時の大人たちは当然思った事だろう。自分が神になろうと思い神社を参拝したら、一緒に着いてきた息子や娘が継承していたなんて。思ってもなかった筈だ。
幸い、継承をしてしまった子どもたちは皆、一週間ほど魔力枯渇による風邪に似た症状を訴えたが、神役による魔力奏上が左程でも無かったお陰で慣れと共に回復。他にこれといった症状も無かったため、機構は、その方針を組織化から継承者育成に転化する程度で済んだ。
その集団継承の事件が、今から約九年前の話だ。
その頃になってようやく、世界各国も変革への打開策を見出し、対処を講じ始めた。しかしその大半は、神州の方策を倣ったものであり、すべからく襲名や襲名組織、ひいては人外と化したヒトの〝異属分類法〟までをも模倣されていった。神州のなす事やる事全てが、崩壊していくこの世界の基準となっていったのだ。
それによって、神州は世界での発言力を増し、世界も目まぐるしく変わっていった。
だがその中で、〝何でも出来る〟という自信に満ち溢れていた一人の子どもは、皮肉にも絶望を味わい、一生劣等者として生き続ける事となってしまったのだ。――何故ならば、
「俺、遠野・和時は、世界でたった一人、神から与えられた筈の能力、異属の姿や異能の力、魔術の素養、その全てを一切得る事のなかった―――」
虚脱した瞳を持つ彼は、何でもないように静かに言い放った。
「――何も出来ない、力無き無能者になったのだから」
*
*
――――十年前、人類は変革した。
人口の半数近くが多種多様な人外、異属と化す。
その他の人々すらも異能や魔術の力を得た。
その上、人類は神の役目を課せられ、課せられ続けていく事となった。
世界は、新時代とは名ばかりの、動乱の時代へと突入した。
世界各地で〝己が神だ〟と謳うテロや侵攻紛争が多発し、民族闘争も勃発。治安の拙い国は早々に倒れていった。
多民族国家であり、先史の神話を殆ど持たない米国は、七年の忍耐の末、国民の大量流出と治安崩壊によって瓦解。旧露も東側シベリアを放棄し、首都周辺にその防備を固めた。
アフリカやその他の地域でも、神名襲名による神話民族抗争が激化。軒並み国家が転覆した。
しかし激動の最中でも、神州は、移民や従属意思のある領土を積極的に受け入れ、更に勢力を伸ばしていった。
大国の崩壊が緩慢だったゆえ早期に対策を打て、神州は道連れから免れ、今や世界の盟主とも呼ばれる地位に登り詰めたのだ。
この時代に列強として残ったのは、たったの二十にも満たない連合国家と幾つかの単一国のみ。
〝大八島諸島旧日本国〟と名称を改めた神州。
世界の中心として中間貿易を盛んに行い、東南アジア諸国を経済協力圏として取り込んだ印度。
中東は、悪魔の名を自らに被り、悪しき役目を己が責務として連合を数個結成。
露西亜は東欧と結託して連合を組み、北欧は統合を果たした。
欧州はその大半を完全共同体に昇華させ、地中海を制覇。
結果的に、世界がとれた行動は一つだけだ。
同じ神話を襲名する国家間での同盟や統合、連合国家への昇華。世界均衡を底辺で守り切るという苦肉の策だった。
己の信仰を捨てて人々を守ろうとする者もいれば、己らの試練と受け止め真摯に崩壊へ向き合う者たちもいた。世界は人類の手に、完全に委ねられる形となっていった。
激動の時代。人類世界の変革から、十年の歳月が流れた。
世界に現存する国家の数は、二十を下回っ。地図の上で生存の色を残しているのは、十九の襲名組織とその麾下の諸国のみ。無法地帯として灰色に変貌したのは、世界全土の四割以上。
世界は確実に、衰退へと進行していた。
――――残存する国家級組織は、神の代行を果たしつつ、世界の覇権を密かに求め合っていた。