空傘(上)
一月十八日 土曜日
相変わらずの空を見ながら道なりに歩く。
冬ということもあってか、十二時前にしてはやけに静かだ。
先々週まで降っていた雪は止み、白銀で染まっていたアスファルトや家は、徐々に元の姿を現してきた。しかし、寒さは収まることを知らず、寧ろ風も加わって厄介になっているのが現状だ。
春はまだまだ先かな…そう思いながらも、目的地の家に着く。
住宅街の一角にある、なんの変哲もない家のインターホンを押す。
「はーい。何方ですか?」
インターホンから返ってきた声は、その声だけで美人だと判断できるほど、大人びていて優しいものだった。
「あ、どうも、結綺です」
「なにっ!?結綺だと!来るなんて聞いてないぞ!」
忙しく走り回った挙句、転んだような音が聞こえてくる。
「フフフ、そんなにはしゃがないの。入ってどうぞ」
その言葉を聞いて、俺はポストに手を入れ鍵を取る。
上の鍵穴は、鍵の表面に十字架が掘られた方を上に向け入れ、右に回す。
下の鍵穴は、鍵の裏面になにも掘られていない方を上に向け入れ、左に回す。
鍵の開く音が耳で感じ取れたので、鍵をポストの中へと戻し、扉を押して中へと入る。すると、そこは家の中ではなく、元居た世界とは異なった、大聖堂の中へと通じている。
両脇に並ぶいくつもの長椅子、何百枚もあるステンドグラス、正面には、ステンドグラスを通して天井から降り注ぐ太陽の光、静寂が澄み切った空気…何度来ても感動する光景だ。
目を閉じ、深呼吸をしていると、どこからか可愛い足音が聞こえてくる。
「ゆーきっ!」
「おっと…」
飛びついてきたレイナを受け止め、数秒のハグの後そっと離れる。
残念そうな顔をしながらも離れていくレイナ。すると、少し距離をとり、「見てくれ」
と言いながらその場で一回転する。紅色の髪の毛が、ポニーテールで結ばれ、彼女の後を追っていく。
「イリエさんにやってもらったのか?」
「うんっ!」
離れた距離を縮め、元気よく頷くレイナの頭を撫でてあげる。
「にひひ」
頬を赤くして照れながらも、その行為を拒むことなく受け入れる。
常に笑顔のレイナだが、照れている時のこの子は、一段と可愛さが増すのだ。見ているこっちも、つい笑顔になってしまう。
「あまり結綺さんを困らせちゃダメですよ、レイナ」
「す、すまない…」
レイナの後ろを追ってきたイリエさんが優しくそう言うと、レイナも逆らえないのか、素直に身を引く。
「あぁ、そんなに気にしないでください。今日はこれといって用があって来たわけじゃないんで」
「そうなんですか?てっきり菫からまた変な仕事押し付けられたのかと…」
「あははは…」
「…?そしたら…今日はなにしに来たんだ?」
レイナが首を傾げて考えていると、結綺の影から、透けるような声が聞こえてくる。
「私が、主に頼んだのだ」
右側に伸びた影から、まるで不自然ながらも自然に灯亡が出てくる。
純白の大きな羽に、金色の髪の毛、片眼しか開かれていない朱い瞳、白いローブに身を包ませながらも、触れたら溶けて終いそうな肌が少しながら見える。
制約を交わしてから二十日が経ったにも関わらず、この妖艶さには、たった一言「美しい」以外の言葉が見つからない。
「あらま。主なんて呼んじゃって」
イリエさんはからかうように笑うが、満更でもない雰囲気で灯亡は目をそらしてしまう。
「俺は結綺でいいって言ってるんですけどね」
「おー!司ではないか!では、用があるのは司だな?」
「レイナ。今の私は灯亡だ」
「お、そうだったな…すまん」
今日のレイナは頭を下げてばかりだな、なんて思っていると、イリエさんが話しを切り出す。
「それで、灯亡さんはなにをご所望かしら?」
そう言われた灯亡は、イリエさんの耳元で、俺に聞かれないように小声で話し始める。
「仲間ハズレだなぁ」
後ろで手を組みながら隣に接近してきたレイナは、つまらなそうにそう言った。
そういえば俺、あんまりレイナのこと知らないな。確か歳は十五とは聞いたが。
ふと隣にいる女の子との記憶を振り返る。
ここに来るのはもう九回目になるが、レイナとは大聖堂の中を探検したり、外で遊んだりと、話した記憶はほとんどない。だが、レイナにとってはそれが良かったのか、今となっては結綺と呼び慕ってくれている。
(ここで踏み込むのは、浅はかな考えの奴がやることだな…)
彼女にとっては、今の俺が一番接し易く、そして絡みやすいんだろう。だからこそ、初めに会った時とは比べ物にならないほど笑顔が増えているんだ。
「ん?どうした結綺。もしかしてこの状況下で私に見蕩れていたのか?」
「よくわかったな」
「なっ!?う、嘘をつくなっ!!」
状況下って言うほど凄まじいことにはなっていないが、見蕩れていたのは本当だ。
綺麗なモノや美しいモノ、可愛いモノやそれに類するモノなら、誰だって見蕩れるのが普通だ。世の常と言っていい。
「まぁまぁ。それよか、ここに居るだけじゃ暇だし、外行こうぜ」
「む、むぅ~」
レイナを宥めながら背中を押し、大聖堂に入ってきた扉に向かう。
「あ、イリエさん。俺たち外にいますんで、灯亡の用が終わったら呼んでください」
イリエさんはこちらを少し見ると、いつもの笑顔で一度頷き、灯亡との話に戻る。
どうやら分かったという合図らしい。
「あ、そうだレイナ。イリエさんと灯亡の用事長くなりそうだし、街の案内してくれよ。結構前から約束してたのに、色々あって結局まだ行ってないしな」
「…わ、わかった…」
目も合わせずブスっとしているレイナだが、なんだかんだ言って、こういう機会を逃さないのが彼女だ。
扉を開けると、そこは住宅街の一角などではなく、草木が生い茂り、イリエさんが大事に育てていると思われる花が風に揺られる、日本とは…いや、さっきまで居た世界とはまったく異なる風景。
季節は春と断定していいだろう。灰色の空は、今や海の如く蒼い。
草木の間にあるヒト三人分ていどの細道を、レイナが先導して歩いて行く。
俺が知っているのは、大聖堂から出た花の庭園まで。ここから先は、一歩も踏み入ったことのない未知の世界。こういう時に、やっぱり俺も男の子なんだなと少し思う。感じたことの空気、見たことのない風景、未知なる世界。ここまで冒険心を揺さぶる言葉はないだろう。
草木に覆われた細道を抜ける。すると、そこには今までに見たことのない風景が広がっていた。
菫さんと初めて大聖堂に来た時、「暇ができたら街を見に行ったほうがいい」と言われたのをふと思い出す。
(なるほどな…)
今になって菫さんが言っていたことの意味を理解する。
広がるは、ヨーロッパを連想させる街並み。しかも、とてつもなく広大だ。
よく見れば、人が物を売り、物を買い、食事をし、遊び、話し、笑っている。
「な、なぁレイナ」
「なに?」
「…なんというか…凄いな」
正直、驚きすぎてなにを言えばいいのかわからなくなっている。
数分前まで居た、あの灰色の空の世界とは大違いだ。
俺が驚いたのを見て機嫌を直したのか、レイナは笑顔で「こっちこっち」と言いながら先導していく。
「これで疑問が一つ解決したよ」
「疑問?」
「そ。レイナとかイリエさんって、そういうシスターの服装は何着も持ってるのに、俺の居る世界に出るような服装は持ってないだろ?だから、食材とか買うときどうしてんのかなぁって毎度考えてたんだよね」
疑問ってそんなんかよと笑い飛ばすレイナ。
「ま、私とイリエにとってこの服は正装であり私服だからな。寝るとき以外はこの服装が普通」
「…え?寝るときもその格好じゃないの?」
「そんなわけないだろ!寝るときぐらいは着替えるっつの!」
これは新情報だ…シスターは寝巻きを持っている。後で菫さんに報告だ。
坂を下り、森を抜けた先には、街に不審者を入れないための門があり、地面にはそれを判断するための陣が書かれている。そこを無事通り過ぎると、円上の広場に出てくる。広場の真ん中には大きな噴水が設置されており、それを囲むかのように周りにはお店が並んでいる。レイナはお店を見ながらも、知り合いの店主や子供、老人夫婦に挨拶を交わす。
仕草や行動は、十五とは思えないほど子供っぽいのに、街に出れば立派なシスターだ。
いつも見ているレイナの後ろ姿に、大人の雰囲気を感じながらも、その背中にしっかりついて行く。
いつの間にか、風景はお店ではなく家が並ぶ光景に変わっていた。どうやらこの街の住宅街に入ったらしい。
「結綺、リンゴ食うか?」
いつもらったのか知らないが、紙袋いっぱいになったリンゴを、紙袋ごと渡してくる。
「お、おう。貰おうかな」
リンゴを一個とったレイナは、「私、食べるので手一杯」と言いたげに袋も渡してくる。
俺は、袋の一番上にあったリンゴを取り、表面を袖の部分で拭いてそのまま口に頬張る。感じのいい音が聴覚を刺激する。その時、ふと不思議な違和感が感覚を襲う。
リンゴって、こんなに柔らかかったか?
口に頬張った分を飲み込み、リンゴを色々な位置から見てみる。しかし、異常なところは何一つとして見当たらない。
そして、異常なのはリンゴではなく、この「場所」だと気づく。
「…元祚の、量が…」
多い。然程変わりはしないが、確実に元居た世界より多い。
リンゴが柔らかく…いや、そういう食感として感じ取れたのは、多分そのせいだ。変わったのはリンゴではなく、自分自身。
一人で考察をしていると、それに気づいたのか、レイナが真面目な顔で立ち止まる。
「流石、菫さんの弟子だね。こんな微妙な差、人から魔術師になった非なら、半年は元祚と触れ合い続けないと、まず測ることなんてできないのに…あんまり、遠くに行っちゃわないでね」
笑顔でそう言うが、本心はこれっぽちも笑ってないのが分かる。
レイナは魔法や魔術が大嫌いなのだ。魔法や魔術を使うモノではなく、魔法や魔術そのものを嫌っている。そのため、そっち側の話はできるだけしないようにしている。嫌われたくないという理由も一理あるが、一番の理由は、レイナ自身笑顔になってくれないからだ。しかし、俺は元々ヒトだ。魔術なんて言葉でしかなかったモノを、今となっては自分で使うことができてしまう。つい、話してしまうのだ…でも、彼女は、そういう話をした後、また笑顔に戻ってくれる。
手を後ろに組み、鼻歌を歌いながら前を歩く少女は、なんとも言えぬ神々(こうごう)しさを持つ。
自分より三つも年下だとは分かっている。しかし、女性の美しさには歳など関係ない。
風は髪を乱し、草木の囁く音がムードを作る。光はまるでスポットライトの如く目の前の女の子を照らし、街の風景と一体化した瞬間、それは一枚の芸術にも成りうる。
リンゴを食べ終わった俺は、レイナの鼻歌を聞きながら、彼女の大人びた、しかし子供という肩書きを持った背中をジット見つめていた。
「…今日の結綺、ボーッとし過ぎじゃないか?」
こちらの沈黙と視線に気がついたレイナが、上目遣いで立ち止まる。
「え?そうか?いつも通りだと思うけどな」
俺はそれを気にしていないかのように、レイナの横を何事もなく通り過ぎて行く。レイナは、俺の態度が気に入らないのか、「ふ~ん」と細い目つきで横に並んでくる。
「…やっぱり変だ」
「街を案内するのに、さっきから歩いてるだけなんだが?」
この話題を変えるために、案内について少し口出しをしてみる。
「ん~そう言われてもなぁ。見た感じ分かりそうな物しかないし…」
どうやら、言葉の説明は必要がないらしい。しかし、そう言われると、確かに分からない物がない。
「そうだなぁ~敢えて言うなら、ここをもうちょっと先に行けば、アクセサリーとか家具売ってるような商店街があるってぐらいかな。あっ、後、あっちとあっちとあっちに行けば教会があるよ」
レイナは、大聖堂とは逆の方角、右の方角、そして左の方角を指してそう言った。
「東西南北にあるってことか。…そんなに必要あるのか?」
「私はよくは知らないけど、『福音書』ってのが、四つのそれぞれの教会に保管されてるらしいんだよね。保管…というか封印?みたいな」
「『福音書』?」
「そ、『福音書』。私は噂でしか聞いたことないけど、イリエに聞けば詳しく教えてくれると思うよ。ま、教えてくれればだけどねぇ」
「禁書の類ってことか…」
「そう言うこと~」
この話をするのが嫌になったのか、スキップをしながらも俺から少し離れて行く。
―――菫さんの弟子になってまず教えられたのは、四大元祚と呼ばれる、元祚から創り出せる火、風、土、水、の四つの現象と、元祚を無視して何もかもを無くす異常、「无」と呼ばれるモノ、そして、「識」という本名を持ちながらも「虚」と蔑まれて呼ばれる力についてだった。
「无」は此の世をただ彷徨い、宿主を見つけては狂わせ喰い物にし、「識」は四大元祚とは異なった現象を起こす。この二つには形がないが、四大元祚には形が存在しているという。その現象の大本は此の世の災厄に繋がるため、言葉にすることも、陣として表すことも禁じられている。
『福音書』ねぇ…実際の名前は、そんな幸せを運んでくるようなもんじゃないだろうな。
レイナの後を追おうとすると、どこからともなく灯亡の声が聞こえてくる。
『用事、終わりました』
「思ってたより早かったな」
『はい。本当だったらもっと早く終わるはずだったんですが、イリエの此畜生のせいで遅くなりました』
襤褸が出てきてることを察するに、相当嫌なことでもあったんだな。イリエさんがなにをしたにしろ、これはちょっとばかし急いで帰らないと、火の粉がこっちに飛んでくるかもしれん。
「そ、そうなのか。そしたら今から戻るな」
『はい、お待ちしてます主』
うわぁ、なんかもう手遅れって感じだな…
こちらを見ながら、いかにも不服そうな顔をしているレイナ。
「………」
「戻るんでしょ」
なにも言わずともこの状況を理解し、早歩きで大聖堂の方向に向かうレイナの表情には、当然だが笑顔がなかった。
女性というのは、本当に扱いが難しい。
無言で来た道を戻るレイナの手を軽く掴む。しかし、軽く掴んでも、その行為に驚いたのか、顔を赤くして「な、なに!?」と甲高い声を上げる。
「どこ行くんだ?街、案内してくれるんじゃないっけ?」
「え?だって、戻るんじゃないの?」
「俺、戻るなんて一言も言ってないけどな。それとも、街案内すんのは飽きたか?」
「…そ、そうじゃないけど…」
俯いたまま立ち止まってしまうレイナ。しかし数秒後には、手を握り返され、次は俺が引っ張られる形になる。
俺は、彼女に引っ張られるまま、街を歩くのであった。
―――――――――――
街の中心部分をほとんど周り終わり、やっとのことで大聖堂に戻ってきたのはいいが、灯亡は当然の如くご立腹である。
「あの…灯亡?」
「今から戻るって言ったのに、なぜ三時間も掛かるのですか主」
「いや、それはだな」
「言い訳なんて聞きたくありません」
白いローブから修道服になっている灯亡は、形の整った胸を強調するように腕を組み、顔を逸らす。
「結綺さんに早く見せたかったんですもんねぇ」
「……っ」
「ごめんな、灯亡。今言うと機嫌とるために言ってるように聞こえちまうと思うけど、似合ってるぞ、その格好」
相当恥ずかしかったのか、褒めるとすぐさま俺の影に戻って行ってしまう。
「それにしても、まさか司…じゃなくて、灯亡が修道服が欲しいだなんて言う日が来るとはね」
悪戯な笑みを浮かべながら、灯亡が戻っていった影を見つめる。
なんというか、この人は本当にシスターなのだろか?とたまに思ってしまう。
ポケットにしまった携帯を少しだけだし、時間を確認する。時計は丁度三時を少し回ったところだった。
「急に押しかけて、服だけもらってなんですが、五時までに菫さんのところに行かないといけないんで、そろそろ失礼します」
「いいのよ。灯亡~服のお返しはいらないからねぇ」
いらないからねぇの言い方に悪意しか感じないと思うのは、きっと俺だけだろう。
「あはは…それでは、また来ます」
イリエさんはいつも通りの笑顔で「またいらしてね~」と手を振り、レイナはリンゴの入った紙袋で顔を隠しながらも、手を振って見送ってくれる。
大きな扉についた、中央の左側に存在する普通な扉を、入ってきた同じ手順で開ける。
扉を出る前に一礼してから、その場を後にするのだった。




