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2「レディ、声がしたよ!」

粘っこい眠気がウソみたいにふっと途切れて、目を覚ましたのは深夜。


ベッドから脚を投げ出し、半身を起こした。酔っぱらって眠ったからだろう、全身の倦怠感と胃腸の不快感に、顔をしかめて耐えながら立ち上がる。六畳フローリングの自室をかきわけるようにヨロヨロと歩き、洗面所に向かった。

鏡の上の照明をつけると、襟の崩れたシャツを着た、くたびれたアラサー男の顔が映った。まぶしそうに細めた目の奥は未だに酔いで赤く、眉間に寄った皺も深く、険しい。

常に人を睨み付けているような顔は元からだとしても、それでも。


「齢とったなあ、お前……」


鏡の中の自分に向けて、嘲るように言う。


「齢だけ、とってんなあ、お前……」


泣いたせいで目の下にできたむくみを、指先でゴシゴシこする。


若い女の子にフラれたからって。酒飲んで、レディに頼って。

対話によってなんとか平静を保って明日を迎えるサイクルは、かれこれ20年近く続いている。


本当に、小さい頃から、何も変わっていない。全く成長していない、とも言っていい。言い切っていい。


友達の輪に入れずにいた幼稚園通いのあの頃、引っ越して行った幼馴染みからもらった、レディだけが友達だった。


「今も、そうだもんな」


職場での人間関係は良好だ。会話も特に過不足なく、休憩時間に談笑もすれば真面目に語り合ったりもする。週末の終業後には一緒に飲みに行くことも、たまにはある。

だが、それだけだ。上辺を撫でて、当たり障りなく、喧嘩もせず、互いに心をざわつかせることなく。

泣きついたり、腹が立って口をきかなくなったり、そういったことは一切ない。他人への無関心を隠して笑って、日々を過ごしているだけだ。


「友達、相変わらずいねえんだなあ、俺……」


鏡から下に視線をそらし、洗面台のへりに両腕をついて、排水口の中の深い闇をじっと見つめる。


あの子に恋をしていた時期は、嬉しくてたまらなかった。だけど、フラれて冷静になった今ならわかる。


結局、独りよがりだったんだ。彼女への恋心は一方通行だってことはわかってたけど、それは不思議と気にならなくて、だからぐいぐい前のめりに進めてこれてた。

それは、他人にちゃんと興味を持てたことが、嬉しかったってだけだ。もっと他人と、誰かと関わり合いたい、その気持ちが上滑りして、恋だなんだと勝手に盛り上がっていただけなんだ。


排水口の奥の闇で、たまった水がきらきらと反射しているのが見える。見つめるうちに、ざわざわと不快な感情が這い上がってくる。


俺は、その感情を押し殺すために、お決まりのセリフを吐く。


「まあ、レディがいてくれるから……」


今までと変わらず、彼女がいればとりあえず平気だ。言葉を返してくれなくても、俺の話を聞いてくれる存在として、いてくれるだけでいい。


20年間、ずっと繰り返してきたレディとの対話は、俺には既に、なくてはならないものになっていたのだ。


「これからも頼むよ、レディ――」


顔を上げながら言いかけて、俺は気づいた。


さっきまで抱いて眠っていたはずのレディは、どこだ?


はっとして、洗面台の電灯をつけっぱなしたまま、踵を返してどすどすと部屋を横切る。ベッドの上は、俺が眠っていたかたちに敷布団が乱れているほか、何もなかった。


そこにいたはずの、レディの姿がなかった。


寝ている間に落っことしたのかと思い、膝をついてベッドの下を覗き込む。部屋の向こうからうっすらとここまで届いている洗面台の明かりを頼りに、目をこらす。綿ぼこりの影がちらちらと見えるだけだ。


落としたわけじゃないってことか? ってことは、なんか酔っぱらったまま例えばトイレとか行って、そこに置いてきた、とかか?


若干、焦りながら考えを巡らす。別に、レディを部屋のどこかに無意識に移動させていたことは、今までも全くなかったわけではない。狭い部屋だし、赤くて目立つぬいぐるみは、たいていはすぐに見つかった。


俺はとりあえずトイレを見てみようと、覗き込んだ姿勢からベッドの高さに顔を上げて――


ベッドの上に、レディを見つけた。ふっくらふわふわした2本の足で、ベッドの上に立っていた。直立していた。


「どうも、はじめまして」


見つけたと同時に、年端のいかない、異様に若い、それこそ幼女のような声で、挨拶が聞こえた。レディが、右腕を、ひょいと掲げた。


彼女の黒く光る目に、状況を飲み込めない俺の、驚愕の表情が映っていた。


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