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1「レディ、聞いてよ!」


――フラれた。完全に。


思い返せば、何を勘違いしていたのかっていう話だ。

同じ会社でこの4月から働き始めた専門学校卒、20歳そこそこのヒトミちゃんは、単に誰に対しても愛想がよかったっていうだけだった。


メール添付で送ってくれてもよかった書類を、わざわざプリントアウトして渡してくれてた。

ゴールデンウィークに行ってきたという沖縄旅行のお土産を、俺にだけ手渡ししてくれた。


前者は単純に、業務上俺のハンコが必要だったんで、最初からプリントアウトして渡したってだけ。

後者も単純に、会社のみんなに買ってきた箱入りちんすこうのひとつを、隣の席だからってことで手渡されただけ。


いやあ恋っていくつになっても人心を狂わせるよね。こわいね!

恋愛フィルター越しのヒトミちゃんは何してもかわいくって、全部が思わせぶりに思えてて。

「そんなんあるかい!」って心の中でツッコミ入れつつ平静を保ってたけど。

29歳独身素人童貞の俺の脳みそが、ピンク色のもやに支配されるまでに、時間はかからなかった。


ヒトミちゃんが入社して3ヶ月目の7月、初夏の陽気がギラギラとその凶暴さを現しはじめた頃。

意を決して連れ出した、会社近くの焼きとん屋で、悲劇は起こった。


「……成宮さん?」


ヒトミちゃんは驚愕の表情で俺の名をつぶやくと、凶悪に眉根を寄せた。


「――それ本気で言ってるんだったら、超キモいんですけど?」


頑なにアルコール摂取を拒みつつ、ウーロン茶とジャスミン茶を交互にオーダーしていたヒトミちゃんの鋭く尖ったそのセリフは、もちろん酔いにまかせて放たれたものではなく。


酔いにまかせた俺の問いかけへの、リアルな回答ってだけだった。


ああ、言ったよ俺は。


「もう付き合っちゃおうか?」って。


いやもう、なんだよ「もう」って。いつの間にそんな既成事実が生まれてたんだよ。

ああそうだよ、俺の単なる勘違いだし妄想だよ。しかもきれいに呑まれちゃってたよ、その妄想によ。勝手に恋して、勝手にヒトミちゃんも同じ気持ちに違いない、そうだそうだって思ってたよ。我ながら、とんでもない妄想力だよ。すごいね!


ヒトミちゃんはきっぱりと嫌悪感いっぱいに、俺の妄想から生み出された問いかけを粉砕してくれた。棍棒並み、いやバトルアックス並み、いやハルバード並み、いやいやモーニングスター並みの、超重量級武器による、渾身の一撃を真正面から食らった俺は、半笑いの口の端からビールを一筋たらたらと流して、言った。


「……だ、だよね〜」


脳みそに満ち満ちていたピンク色のもやは一気に霧散。かわってヒトミちゃんの言葉によってドス黒いものが流れ込んできて、浮かれた気持ちはその底へ、ずぶずぶと沈んでいって。


酔いによるものだけではない千鳥足、っていうかもはやゾンビ足? みたいなガックガクの足取りで、一人暮らしのアパートになんとか帰りつき、俺は泣いた。


泣いたよ。そりゃあもう泣いた泣いた。

築20年、六畳フローリングの、ほとんどの面積を占めているベッドに転がって。俺は慟哭した。

泣くうちに、なんだか人生29年ぶんの不幸だった思い出――主に女子と縁がなかったというだけではあるが――が、ぐわっと押し寄せてくる。


29歳、成宮零人(なりみやれいと)。人生において幾度目かの、失恋でっす。


涙に頬をべろべろに濡らしながら、襲ってくる不安な感情に耐えるべく、俺は枕元のレディをつかんで抱き寄せた。

レディは、俺が小さな頃から持っている赤くて小ぶりなテディベアだ。20年以上、家族で引っ越しても、大学で上京しても、ずっと枕元にいてくれる大事な相棒だ。

毛もだいぶボロボロで、赤みもずいぶんくすんでいるけど、愛情の蓄積によるものだから、全く気にならない。実家の両親に呆れられても妹にゴミを見る目で罵られても、レディだけは、いつでも俺の心の拠り所だ。悲しいことやつらいことがあったとき、俺はいつだって彼女に助けられてきた。彼女は優しく受け入れてくれていた。


ちなみに、レッドのテディだから、レディだ。メスだ。女子だ。幼女だ。

擬人化するならば、フリフリの赤いドレスとボンネットを身につけた、ブロンド縦ロールの、スタンダードなロリータ幼女だ。脳内設定では、悪い魔女に姿を変えられている、どこかの国のお姫様だ。


「うわあああつらいよう、レディ!」


胸に抱いた彼女を、ぎゅうっと抱きしめる。顎に触れるふさふさの毛糸が心地よく、いつものように心のササクレをやわらかく癒してくれる。


「いやだよう、明日っから会社なんて行けないよう! ていうか行きたくないよう!」


彼女の頭にもぐもぐ、と口をつけながら思いの丈をぶちまける。

それはあたかも、母にすがる幼子のように。青い猫型ロボットに道具をねだるメガネ小学生のように。

涙でレディがしっとりしてきても、俺は彼女を抱いたまま。


泣きつかれていつの間にか眠りにつくまで、ずっと抱いたままだった。



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