棺。あるいは、ただの鞄。
お気に入りの、静かな喫茶店でゆったりと読書をするのは格別の楽しみです。
こういったクラシカルな雰囲気には若い人が読むようなケータイ小説やライトノベル、あるいは面白みのない参考書などよりも、純文学や哲学思想など、文学少女らしいものが似合います。
たまに趣向を変える時は、推理小説。
それももちろん最近流行りのようなものではなく、コナンドイルやアガサクリスティのような古式ゆかしい海外作品の方が素敵でせう。
またはホラーやオカルトですね。これもアメリカ映画的な視覚で訴えるものよりも、底冷えするようなおどろおどろしいお話がいいですね。
読書を楽しむ時にはアールグレイの爽やかなベルガモットの香りが良いでせう。時折甘さ控えめなバタークッキーをつまめたら至福ですね。
と、私の休日の過ごし方はほとんどがそんな感じです。
たまに原宿や新宿のメゾンにお買い物に行くこともありますが、貧乏学生ですから、本当にたまにです。
学校の帰りにふらっと立ち寄ることもできなくはないのですけれど、制服でいくのはなんとなく恥ずかしいので。
そんなわけで、今日も私はいつものように行きつけの喫茶店、アリスリデルでアールグレイとプレーンクッキーのセットを頼み、カウンターのいつもの席に腰を下ろしたところです。
パニエで膨らませたスカートは座る時に困りものですが、中にきちんとドロワーズを仕込んでいるのでハードチュールの生地がチクチクすることもなくて、重ね着の偉大さを感じます。
シチュエーションや本のジャンルにとことん拘る私は勿論、服装にだって拘ります。
頭には大きなリボンカチューシャ、トーションレースで飾られた丸襟ブラウスの上から濃い青のリボンがあしらわれたフリルたっぷりの真っ白なジャンパースカートを着込み、その上にはパステルブルーの軽いカーディガンを。スカートの中には先述の通りパニエとドロワーズを仕込み、足元は履き口にフリルをつけた青いリボン柄の白いニーハイソックスと空色の厚底ウッドソール。
基本的にお洋服には生成りとオフホワイト、差し色の青系統以外の色を用いないことにしています。
そして髪型も、前髪は重たいぱっつん、長めにとった横髪にレイヤーをいれ、腰まで届く髪を柔らかく巻いて、真っ黒な中に、一房だけパステルブルーのメッシュをいれるところまでバッチリ決めるのが私のスタイル。
メッシュは簡単につけ外しができるエクステタイプなのでそれだけ外せば学校では何も言われません。
ちなみに制服は、膝丈スカートの下に裾が見えない長さのドロワーズを履いている以外は別段変わったことはなく、校則遵守です。
ただ、なんでも拘るので私にはほとんど友達はいません。
近所の猫さんと…たまにお茶会をするお嬢さん方くらい。
でもとりわけそれをさみしいとも思わないし、下らない友人付き合いで一喜一憂するのはエレガントじゃない。
何より女の子同士の陰口の言い合いみたいなのは可愛くないもの。たとえ全世界の女の子が陰口を言うのが可愛いと言い張ったとしても、私の拘りにそぐわない限りそれを認めません。
民主主義ならそんな少数派は淘汰されますが、私は私と言う女王の王政ですから、何の問題もなくそれを良しとします。
自分の好きなものと嫌いなものを明確に判断し、好きなものだけに囲まれた世界で優雅に遊ぶ。それが私、黒須璃凛の精神です。
…なんとなく、オタクさんの長い薀蓄語りのようになってしまいましたね。
少し息をついて、お茶を一口含む。
すると珍しく、お店の扉がベルをからりと鳴らして開きました。マスターもびっくりしてます。…毎度のことですが、お店としてそれでいいのでしょうか。
「あら。よかった、やっぱり今日もいらしたのね」
全身に黒を纏った少女が私を見て微笑む。顔見知りといえば顔見知り、彼女もまたこの店の常連です。
真紅の薔薇の造花がついた黒く豪奢なボンネットを被り、姫袖の黒いブラウスに赤いリボンタイを結んで、その上から黒を基調に赤を差し色にした綺麗なラインの、丈の長いコルセットスカートを着込む。足元は黒ストッキングに、暗い赤のハイヒール。いわゆるゴシックロリータスタイルです。
病的に色白で彫りの深い、日本人離れした顔立ちの彼女にはそれがとても似合う。確かハーフかクォーターだったかしら。
青い瞳に赤のカラコンを入れ、金紗の髪を緩く編むように巻いている。
彼女はいつも通り、少しいかがわしく口の端を釣り上げる笑みを浮かべながら、ただ、いつもと違って私に声をかけ、更に珍しいことに隣の席に陣取ってきました。
「ごきげんよう、璃凛さん」
「あら、ごきげんよう。りんごちゃん、今日は何かいいことでもあったのですか?」
「そ、その呼び方はやめて欲しいと何度も言ってるでしょう」
彼女は姫島林檎。羨ましいほどに甘ったるい名前である。
なんだか私の名前と彼女の名前、逆の方がしっくりくると思うのだけれど。
ともあれ彼女はその、彼女の成したいイメージにそぐわない名前で呼ばれるのが嫌いなようですが、イメージカラー的に赤い林檎はぴったりだし、林檎と言えば原罪、つまりエデンの園の知恵の木の実のモチーフといえば、ゴシックな雰囲気が醸し出されてきます。しかしなにより甘い響きがたいへん可愛らしいので私は彼女を下の名前で呼びます。りんごちゃんが泣こうが喚こうが私は彼女をりんごちゃんと呼ぶのです。
…ね?友達がいない理由わかるでしょう?
りんごちゃんはマスターにキャラメルマキアートとチーズケーキを頼むと、持って来た荷物を膝に抱える。
ゴシックな棺桶風のキャリーケース。
可愛いけれど、作りは少しだけチープ。エナメル素材はあまり私好みではないし、グロテスクにデフォルメされたクマのキャラクターのプリントもあまり好きではない…。
「これ、なんだと思う?」
「ミキプルーンの苗木」
「ぶふっ、そんなわけないでしょう!」
おっと、フリじゃなかったのね。思わず枕詞のように即答してしまった自分を少し恥じる。
でも、サイズ的に苗木が入っててもおかしくないじゃないですか。
元ネタが理解されていないのか、りんごちゃんは名前の通り林檎のように真っ赤になりながらまくしたてる。
「なんでゴスロリで得意げに苗木持ち歩くのよ!森ガールじゃあるまいし、シュールすぎでしょう!」
その偏見は森ガールさんに謝らなければいけないと思う。
「だって往々にしてシュールなの好きじゃないですか。ゴシックさんって」
あ、なんか私もゴシックさんに謝らなければならない気がした。
「そのシュールとこのシュールはかなり違うと思うのですけど!ねえ、マスター!」
突然のフリに曖昧に微笑みながら、騒ぐ彼女の前にマスターがキャラメルマキアートとケーキを持ってくる。
そういえば、このお店は紅茶の種類は多く、その割に珈琲はあまり揃えていないという一風変わった喫茶店です。
多分、マスターが紅茶派で珈琲嫌いとかそういうのではなくて、単に苦いのが苦手なのでせう。
その証拠に、りんごちゃんが頼んだキャラメルマキアートみたいな、甘そうなメニューだけはたくさん揃っているのです。
女の子受けはしそうですが、きゃぴきゃぴした、下品に騒ぐ女子にはきて欲しくないので人に勧めはしない。こんな居心地のいい場所までそんな連中に踏み込まれたら嫌ですもの。
「まあまあ。ほら、お茶でも飲んで落ち着いてくださいな」
「貴女が落ち着かせないんじゃない!もう、なんなのよ!」
お茶を勧めたら怒られました。
話しかけて来たのはそっちなのに、勿体ぶってなかなか本題に入らないのが悪いのです。
「で、結局中身は何ですか?」
「…食べてからにしましょう。冷めちゃう」
折角人が読書を中断して聞いてあげていたというのに、なんなんでしょう。
…気になるなぁ。
「…失礼しまーす」
ケーキを食べるために彼女が膝から下ろしたキャリーケースを手に取り、膝に乗せてファスナーを開ける。
「ふむ、お人形さんですか」
棺桶カバンに入っていたのは、多分、粘土製の西洋人形。
一般にイメージされる仏蘭西人形のようなふっくらとした子供っぽい顔立ちよりもいくらか大人びた、少しリアルな、少女のヒトガタ。
可愛らしいものというよりも、いささか精巧すぎるような。
「って、勝手に開けてるし。もう。食べてるからツッコミませんけど。呪われても知りませんわ」
つっこまないことを宣言するのも充分にツッコミな気もしなくもないのですが。
見てみればなるほど確かに、曰くの一つや二つあってもおかしくない程に古めかしく、そして小汚いお人形。
着ている服も薄汚れて所々ほつれや虫食いになっているし、黄ばんだレースには綿埃も絡んでいます。
ほつれや虫食い穴からのぞく、そこそこ年季の入った、各部に球体関節が仕込まれた象牙色の無機質な体も埃で汚れていますし。
しかし、ただ一点だけ曇りのないガラスの瞳だけは、生気のある視線をもって私を見ているような気がします。
少しだけ寒気を感じるのは、ずっとお茶を淹れているマスターが暑がって店内の冷房が強めだからでせうか。
少し冷めてしまった紅茶を一口呷り、再び口を開く。
「で、なんですか?フリマで見つけた掘り出し物かなにかです?みたところン十年ものですし」
「気に入ってくださったならあげますわ、それ」
ケーキを口に放り込みながらあっさりと手放す宣言。
これだけ古ければ、名のある作家のものであれば高くなるだろうし、そうでなくてもマニアなら少しときめいてしまうところ。
私もロリータの端くれとして、古びた球体関節人形は大好物なのだけれど。
って、いやいやいや。
「正直、もらっても困るんですけど。飾る場所もありませんし。それにプレゼントならきちんと綺麗にしてからにして欲しいのですけれど」
「で、でもほら、勝手に開けて見てしまう程惹かれているなら是非是非」
しかしりんごちゃんはなんだか人形を避けるように、私に押し付けてくる。
…ははぁん。なるほどそういうことですか。
「曰くの一つや二つ、あるんですね。しかもそれが真実味を帯びるような何がしかの出来事が起きた、と」
「へぅっ!?な、なんでわかりますの!?」
わかりやすいと思います。りんごちゃんは素直ですもの。その点は非常に好感が持てるのですけれど。
「まあ、それならそれでその何がしかを話して頂戴な。あと、ゴスでビクビクするのはエレガントじゃなくて、たいへんよろしくないですよ」
そして、彼女は語り始める。
この人形の、生まれてからこれまでのお話を。
そして私も、語らねばなりませんね。
このお人形とともに過ごす、不可思議な日々を。
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失ったモノを取り戻すことはできない。
理不尽に失われたあの笑顔は戻せない。
神は泥をこねて息を吹きかけることで容易く人を創り賜うたというのに。
同じように粘土をこねて作り上げたそれは、しかし死んだ彼女とは似ても似つかないただの土塊だった。
もしもそれが彼女ではなく、ただの女として作ったものであったならば、きっと誰もが美しいとため息をつくであろう。
釉薬を塗り艶やかに仕上げられた躯。
華奢で繊細な手足。
しかし、それは彼女ではない。
その胸に銀の杭をあてがい、槌を打つ。
空洞の躯は一度の打撃に容易くひび割れ、その形をなくした。
「お前じゃない」
呟きながら、その眉間にもう一度杭を打つ。生きた人間に見紛うほどの、生気に満ちた柔らかさすら感じる可憐な顔立ちが、一瞬にしてただの乾いた粘土の欠片へと変わる。
これでいくつ目だろう、打ち砕いたのは。
魂は同じ器に帰ってくるという。そのために幾度も彼女の依り代となる身体を作っては、それにふさわしくなければ破壊している。
彼女の還る身体を作らなくては。
人形であればもう、流行り病で死ぬこともない。
彼女のためだ。
また、粘土をこねるところからやり直さなくては。
もう何度目だろうか、何年経ったのだろうか。
狭いアトリエはとうに壊れた人形に埋め尽くされている。空洞の眼窩が僕を見つめ、無機質な唇が何かを語ろうとも、手を止めず、作っては壊す作業をひたすらに繰り返す。
化粧を施し、目をいれる。
今まで幾度と無く続けていたその動作。
しかし、今までと違うそれに確信した。
目が合う。そして、ゆっくりと、《瞬きをした。》
「xxx…?」
名前を呼ぶ。
彼女は戸惑ったように、微笑み返す。
うず高く積まれた、砕けた人形の虚ろな視線が見守る中で、とうとう彼女は再生した。
久しく、口づけを交わした。
冷たく無垢な口づけ。
彼女は言葉を喋ることは出来なかった。それでも構わない、彼女のそばにいることができるなら。
しかし裸のままでは可哀想だ。小さな体に合わせて作った下着とワンピースを間に合わせに着せる。
そうだ、これから彼女のための服を作ろう。
人形となり、もうここから出ることもないのだから、うんと豪奢な、綺麗な服を着せてやろう。
デザインスケッチをいくつも描き、彼女と相談する。
彼女が喜んだ幾つかのデザインを併せて、ロココとヴィクトリアンを折衷したような愛らしいドレスを作ることにした。
僕は服など作ったことはない。
しかし基本的なドレスの形を本で覚え込み、持ち前の手先の器用さと想像力とでどうにかその装飾過多なドレスを作り上げた。
それをきた彼女は貴婦人のような佇まいが似合い、とても美しかった。
「でも、彼はそのあとすぐに死んでしまうの」
「あら」
「魅入られてそのまま何もせず見つめ続けていたそうよ」
「ロマンチックですね」
その後、人形は転々と持ち主を変えてゆく。
その先々で不思議なことが起こった。勝手に動いたり、話しかけてきたり。夢に出てきたりもして、そういったことがあると持ち主の周りで不幸が起きた。
そして、不気味に思った歴代の持ち主たちは皆、人形を手放してしまう。
当初の豪華なドレスは売られてしまったそうな。
愛する人からもらった服と引き離されて以来、更に周りでの不幸は加速する。
そしていつしか、彼女は呪われた人形と呼ばれるほどになった。
…というのが、この人形を購入したアンティークショップのおじさんによるお話。
ひとしきり話して、りんごちゃんがキャラメルマキアートをかき混ぜ、一口飲む。
「それだけなら、そのおじさんの創作だとは思わなかったんですか?」
「それもそうですけど。説得力があったんですもの。…1000円だったし」
なるほど。
なにもなくても1000円なら惜しげもないですしね。
「でも、実際にね」
この人形をお迎えしてから立て続けに不思議なことに遭遇しているらしい。
いつの間にかクローゼットに「彼女」が入っていたり、隣に寝ていたり。
悪いことも立て続けに起きている。
家中の時計が全部止まっていて家族全員寝坊したり、なにもないところで突然引っ張られるように転んだり、美術で制服に絵の具をぶちまけたり、テストでヤマを張ったら全部外れたり。
個人的に、後半はりんごちゃんが悪いのだと思うのだけれど、彼女は頑として人形の呪いと言い張る。
「では、それが人形の呪いだとして。私にどうしろというの?悪いけどお祓いは専門外よ」
「だって、近くでどうにか出来そうな人が貴女しかいなかったんだもの…」
と、言われましても。
私は多少視えるだけで、それ以外は別にたいしたことはないのです。
「それに、とりあえず手元になければ、ほら」
「私は身代わりですか。…紅茶に砂糖と塩を間違えていれてしまえばいいのに」
悪態をつきながら、ふと、ひょっとしたら呪いの人形のセオリー通りに捨てても戻っていったりして、勝手に帰って行ったらそれはそれでりんごちゃんが震え上がって面白いかもしれない、と思いつく。
「仕方ないですね、今回だけですよ」
「あらあっさり。…って、璃凛さん、全くにやけ顏隠せてないんですけど。むしろ満面の笑みなんですけど。何を企んでいるの…?」
「なんでもないですよ。ほら、よこしやがってくださいませ」
やや不安そうな顔をしながら、しかしそれを一刻も早く手放したいのか、押し付けるようにケースを突きつけてくる。
「お願いします」
「はい、お願いされます」
…そうして、私と呪い人形の同居生活が始まったわけです。