069話 暴食の鎧*
砕け散る幻の世界。
アベルの瞳に、再び絶望の塔最上階の光景が映る。
妖艶な笑みを浮かべるメイ。
そして瓦礫の中からゆっくりと起き上がるポチ。
「もう戻ってきちゃったのね。」
メイは詠唱途中の攻撃魔法を破棄して、少し残念そうに肩をすくめた。もう少し意識を飛ばしていたら、その魔法によりアベルは致命的なダメージを負っていただろう。
「もう少し夢を見ていてくれても良かったのに♡」
アベルは返事をしない。
周囲の状況から察するに幻を見ていた時間は現実では刹那だったようだ。静かに腰の短聖剣を構える。
「ガイルさん。」
「メイを狙います。」
ガイルは一瞬だけ驚いた。
「ポチは放っておくのか?」
「時間がありません。」
アベルは祭壇中央へ視線を向ける。
神杖クングニルを包む結界。
そして、その周囲で脈打つ赤黒い魔法陣。
「儀式が進んでいます。メイを止める方が先です。」
「分かった!」
ガイルが叫ぶ。
「俺たちはポチを押さえる!」
宵闇の月の四人が再び散開する。ポチを囲み、一斉に攻撃を開始した。
「行きます!」
アベルは一直線にメイへ駆ける。勇者の力が全身を駆け巡り、短聖剣が白銀の輝きを放った。
あと一歩。
この距離なら届く。
しかし、その瞬間だった。
ドロリ。
黒い粘液が床を這う。
「なっ……!」
ポチだった。
ガイルたちの包囲を力任せに突破し、猛烈な勢いでメイのもとへ滑り込む。
「ポチ。」
メイは嬉しそうに両手を広げた。
「おいで。」
まるで主人に呼ばれた犬のように、ポチは迷うことなく飛び付いた。
その小さな身体が、メイの足元から這い上がる。
脚を覆い、
腰を包み、
胴を覆い、
腕へ、
肩へ、
そして背中まで。
黒い粘液は一瞬で形を変えた。それはまるで漆黒の鎧。女性らしい身体の曲線を残しながらも、全身を覆う重厚な甲殻。肩や肘には鋭い棘が生え、腕は巨大な鉤爪へと変貌する。背中には黒い翼を覆う装甲が展開されていた。
「これが……。」
ガイルが息を呑む。
メイはくるりと一回転する。
「どう?似合うかしら♡」
その声は変わらず甘い。だが、放たれる魔力は先ほどまでとは比較にならなかった。
⸻
アベルは短聖剣を振るう。
「はぁっ!」
白銀の斬撃が一直線に走る。
ガギィィン!!
甲高い音が塔全体へ響いた。
斬れない。
短聖剣の刃は鎧へ食い込むことすらできず、大きく弾かれた。
「そんな。」
アベルが距離を取る。
メイは楽しそうに笑う。
「ポチはね…わたくしを守るのが大好きなの。」
黒い鎧が呼応するように脈打つ。その表面には傷一つない。
ガイルが歯噛みする。
「攻撃が通らねぇ!」
別の仲間が斧を振り下ろす。
しかし結果は同じ。
甲殻に弾かれ、逆に腕が痺れる。メイは微笑んだまま一歩踏み出した。それだけで床に亀裂が走る。
「ポチはとても優秀なの。
魔法も、
剣も、
全部食べちゃう。」
黒い鎧の内側から、ポチが嬉しそうに身体を震わせているのが見えた。
⸻
なんとか勝機を見出そうと、アベルは短聖剣を構え直す。
(厄介だ。)
(ポチを倒さなければメイに攻撃は届かない。)
(だが、メイを放置すれば儀式が完成する。)
二体は互いの弱点を補い合っている。
精神攻撃を得意とする夢魔。
あらゆる攻撃を受け止める暴食の化身。
片方だけでも充分脅威だ。だが、二柱が揃った今、その力は何倍にも跳ね上がっていた。
アベルは静かに息を吐く。
この難敵を打ち破る方法を、瞬時に探り始めていた。




