大木圭介⑤
しばらくして戻って来た小川さんは、化粧を落とし、セーターとデニムに着替えていた。
さすがに部屋着ではないが、少々無防備な感がある。
この先を考えると頭が痛いところではあるが、やり直しは利かないのが人生だ。
向かいに座った彼女は、神妙な顔で頭を下げた。
「すみません、無理を言って。
先ほど言ったとおり、私、高校時代にレイプされかけたことがあるんです。
先輩の告白を断ったら逆恨みされて。3人がかりで空き教室に引っ張り込まれて。
幸い引っ張り込まれるところを見ていた友達が先生を呼んでくれたので、下着までは脱がされずにすみましたけど、あれで同年代の男性全般苦手になってしまいました。
普段はさすがに大丈夫なんですけど、囲まれてナンパとか、恐怖でしかないです。
その後、義父の視線が気になるようになっちゃって。
本当の娘じゃないんだし、当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんけど、娘を見る父親の目じゃなかったんです。
なんていうか、道で可愛い子を見た時の男の人の目っていうか。
なんとなく居心地が悪くなって…というか、居心地良かったことなんてなかったんですけど、ある日、義父が私の下着を漁ってるとこを見ちゃって。
母には内緒にするからってことで交渉して、ここで一人暮らしさせてもらってました。
そんな状況ですので、母にももう会う気はないんです。
こんな経験したからか男性全般苦手ですし、父親くらいの人が好きってこともありません。
大木さんだけです。
傍にいたいと思うのは。
私は父親なんて求めてません。
男性として、大木さんが好きなんです」
ああ、完全に後戻りできないところまで来てしまった。
「…いつから?」
「コンビニで立ち話するようになった頃には、どうやって部屋に来てもらうか、おうちにお邪魔するか、考えてました」
夏前じゃないか。
「父親は求めていないってことは、きっかけはなんだったのかな」
「きっかけというきっかけは、ないと思います。
ベタですけど、人を好きになるのに理由はいらないんだと思います」
「俺は、君のお母さんや義理のお父さんと同年代だろうと思うんだけどね」
もう「俺」でいいだろう。
仕事関係者との会話ではないのだし。
「そうですね、義父も母も同年代です。
きっと血縁上の父も同年代なんだろうと思います。
でも、私は義父にも本当の父にも興味はありません。
会社にも、その年代の方は何人もいますけど、何も感じません。
大木さんだけです。
包容力がありそうとか、目が優しいとか、言葉にすればそのくらいの理由ですけど、それでも大木さんが好きなんです。
あなたが初恋なんです」
20歳で初恋とか、相当だな。
いや、生い立ちを考えれば、おかしくはないのか。
シングルマザーとなれば、小さい頃はからかわれたりいじめられたりで、男子に憧れるような土壌がないだろう。
その上、中学生で養父ができて、高校生でレイプ未遂となれば、ますます男が苦手になるだろう。
初恋を経験していないのは、十分理解できる。
解せないのは、どうして俺なのか、だ。
「土田さんから聞いてると思うけど、俺はバツイチだよ」
「それは、聞いてます。
詳しいことは土田さんもご存じないそうですけど」
「大したことじゃないよ。
デキ婚だったんだけど、托卵されてたんだ。
それがわかったから離婚れた」
「それは…ひどいですね」
「まあ、世間ではよくある話のようだけど、我が身に降りかかってくるときついよね」
「お子さん…だと思ってた子は、どうなったんですか?」
「わからない。
今の君……小川さんと同じ歳のはずだけど、お互い二度と連絡を取らないって約束で離婚れたからね」
「その時、お子さんの歳は?」
「12歳。中1だったよ」
「8年ですか。
私は、お子さんと重なりますか?」
驚いたな。随分冷静だ。
「元娘と同じくらいの年頃の女性を見るといつも『今頃これくらいなのかな』と思うよ。
正直、小川さんと初めて会った時も思った。
ましてや、名前が『みなみ』だったしね」
「私の名前が何か?」
「元娘の名前は『みな』なんだ。
歳まで一緒と知って、驚いた」
「その方は、幸せですね。大木さんに、こんなに気にしてもらえて」
小川さんが涙を一粒こぼした。
「8年経っても大木さんに気にしてもらえるなんて。
私の実の父なんて、きっと私の存在すら知らないと思います」
「君は、やっぱり俺に父親の影を見てるんだと思うよ。
逆に、俺も君に娘の──元娘の姿を重ねてる。
君の気持ちはありがたいけど、それは傷を舐め合う関係にしかならないと思う」
差し障りのない断り文句のつもりで言ったのだが、彼女は意に介さなかった。
「よく、初恋の人は忘れられないという話を聞きます。
男の人は母親の面影を追う、とも。
娘さんの代わりとしてなら、私を受け入れられますか?」
「いや、君は美奈の代わりになんかなれないし、そもそも代わりが欲しいとも思わない」
「そうですよね」
彼女は、にっこり笑っている。いっそ晴れやかな笑顔で。
「ですから、私は娘さんの代わりじゃありません。
ただの、親子ほど年の離れた男性に恋する女です」
「いや、それは…」
「もちろん、私に女としての魅力がないということであれば、振っていただいて構いません」
そういう言い方をされると、断りにくいんだが。
いや、断られないようにするためにそう言っているのはわかるが。
「今すぐ応えてくださいとは言いません。
ただ、お試しでいいので、少し時間をください。
今日のお詫びとお礼に、せめてご飯を作らせてください。
コンビニのお弁当だけじゃ、体を壊します」
この子、強かだな。
今日のお礼と言われたら、断りづらい。
女として魅力がないなら振っていいって、そんな断り方できるわけがない。
何か幻想を抱いてるなら、少し相手すれば気が済むかもしれないし。
しばらく好きなようにさせてみようか。
午後7時に、南視点をアップします。




