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月兎取月  作者: 銀ねも
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救い

 それは、一年前のあの日を、そのままなぞるような微笑だった。


 あの日――桔梗の故郷である鷲足の村は、野伏たちの襲撃を受けた。


 両親は桔梗と辰助を守るべく野伏に立ち向かい、そして斬り殺された。桔梗は辰助を抱えて逃げたが、野伏の一人に追われた。銀狼ぎんろう山の麓を流れる川辺で追いつかれた。


 桔梗は組み敷かれ、放り出された辰助は火が点いたように泣き出した。耳を劈く赤子の泣き声が癇に障ったのだろう。野伏は「泣き止ませてやる」とがなり立て、刀を振り上げた。桔梗は死に物狂いで止めようとしたが、どうにもならなかった。


 その時――川霧に紛れて、辰が現れた。その二年前に忽然と姿を消し、神隠しに遭ったと噂されていた幼馴染との再会に、驚く間もなかった。


 辰は野伏の音もなく背後に回り、躊躇いなくその喉を小刀で突いた。切先が肉を裂くと、男の声は喉奥で潰え、血泡を吹いた。だが、浅い。野伏は辰の腕を振り払い、小刀が地に転がった。


 凄まじい形相で振り返ろうとした野伏の股立ちを、辰が蹴り上げる。野伏は前のめりに倒れ、うめき声を上げて悶絶した。


 辰はすかさず、野伏の手から刀を奪い取り、脂汗をかきながら這いずる野伏の背に跨った。川の浅瀬に転がる小刀に手を伸ばした野伏を、容赦なく滅多刺しにする。 


 血飛沫と水飛沫が入り混じる。肉を繰り返し抉る音が響くたび、霧がゆらゆらと揺れ、身の毛がよだつ。もし、川霧が凄惨な光景を覆い隠さなければ、桔梗は正気ではいられなかったかもしれない。


 喉を真っ先に潰された野伏は、断末魔も上げられぬまま、やがて事切れた。


 辰は野伏の屍を蹴り転がし、川へ流した。川の水で返り血を洗い落とすと、辰助を抱えてへたりこむ桔梗の傍らに腰を降ろし、そして微笑みかけた。


「うさぎ、無事で良かった。よくぞ生き延びてくれた」


 辰の優しい声音と言葉は、桔梗の胸を震わせた。姉の胸に額を押し付けて大泣きする辰助に目をやり、辰は静かに続けた。


「弟を守り抜いたんだな。よくやったよ、うさぎ。よく頑張ったな」


 辰は桔梗の髪に触れ、そっと頭を撫でた。かつての桔梗が、小さな辰の旋毛を見下ろしながら撫でた、その手つきをそっくりそのまま再現していた。


 頭を撫でられるたび、喉を擽られた猫のように目を細めていた小さな辰は、すっかり見違えていた。背は伸び、年相応の逞しさを備え、血塗れながらも身なりは整っていた。


 それでも、桔梗に向ける親愛はあの頃のまま、何も変わらなかった。


 何の前触れもなく消え、便りひとつ寄せず、季節が一巡りした。辰にはもう二度と会えぬものと、諦めかけていた。


 けれどその辰が、再び桔梗の前に姿を現した。失ったはずの大切な幼馴染が、桔梗と辰助の窮地に駆けつけ、救ってくれたのだ。


 顔色一つ変えずに野伏を殺め、直後に屈託なく笑う。その異様さに恐怖を覚えぬほうがどうかしている。


 それでも、そんなことはどうでも良かった。辰が今、ここにいて、寄り添ってくれる。それがただ嬉しかった。


 桔梗は辰の胸に縋りつき、声を殺して泣いた。辰は泣きじゃくる桔梗を抱きしめ、背を撫でてくれた。


 辰は桔梗が落ち着いたのを見計らい


「あれの仲間が探しに来るかもしれない」


 と呟いた。


 辰の懸念は尤もだった。

 野伏の目的は、桔梗を捕らえることにあった。若い娘は良い値がつくと、そう言っていた。


 ひとりで追って来たのは、たかが小娘と侮ってのことか。

 或いは、獲物を嬲る愉しみをひとり占めにしてのことか。

 いずれにせよ、悍ましいことに変わりはない。


 桔梗は涙を拭い、辰に続いてその場を離れた。


 木陰に入ると、辰は血塗れの小袖を脱ぎ捨て、背の風呂敷から別の小袖を取り出して着替えた。見るからに上等なそれをさらりと着こなす辰の姿に思わず見惚れ、それから、はてと首を傾げた。


 ――鷲足の隣村が野伏に襲われたと聞いて、矢も盾もたまらず駆け付けたって言ってた。小刀は護身の為に持ち歩いているんだろうけど……でも、どうして、着替えまで用意してたんだろう


 辰は今、清蓮寺という山寺に身を寄せていると言う。こっそり寺を抜け出して来たそうだ。目立たぬよう荒布の小袖に着替えたのかもしれない。しかし、それならば、わざわざ替えを持ち歩く理由がない。


 ――用意周到なのは、悪いことじゃない。こうして役に立っていることだし。それに……仏門に身を置く子が、殺生ありきで動くわけがない。あたし達を助けるには、ああするより他になかったんだ


 辰に殺生をさせてしまったという覆せぬ事実が、桔梗の心に重くのしかかる。


 ――辰は優しい。きっと、あたしが気に病まないように、なんでもない顔をしてくれているんだ


 自身にそう言い聞かせるも、小骨が喉に引っかかったような違和感は胸の奥に残ったまま、川霧のように晴れることは無かった。


 その後、山中で一息ついた折、辰は桔梗にこれからどうするつもりかと尋ねた。答えを聞くや、桔梗と辰助が清蓮寺に身を寄せられるよう、住職に掛け合うと言った。


「心配するな。何もかも、俺がうまく取り計らってやるから」


 月之丞は微笑み、手を差し伸べた。桔梗は迷わずその手を取った。


 両親を亡くし、乳呑児を抱えた桔梗にとって、あの時の辰は唯一の拠り所だった。

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