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月兎取月  作者: 銀ねも
21/45

 月之丞は迷いを振り切った足取りで歩き出す。承平に背を向けたまま、月光の届かぬ闇の中へと吸い込まれていく。


 その背を見送っていると、胸の奥がざわめいた。


 ――このまま行かせて、本当に良いのか?


 月之丞が何を思って、何を背負って、ああして立ち去ろうとしているのか。今を逃せば、それを知る術は永遠に失われてしまうのではないか。


 ――待って


 こみ上げる想いが唇をついて飛び出し、言葉になろうとする。それを、承平は寸のところで噛み殺した。


 呼び止めてはならない。引き留めてはならない。月之丞の真意が分からないまま、彼に歩み寄るのは危険だ。 


 承平一人ならば、募る想いに身を任せていたかもしれない。しかし、承平は一人ではない。命より大切な弟を背負っている。だから、危険に飛び込むわけにはいかない。


 それでも、辰を想う心が、切り捨てねばならぬ未練が、承平を突き動かした。


 承平が大きく息を吸い込み、口を開く。そのときだった。


 月之丞が、ふと立ち止まった。


 ゆるやかに振り返り、ひとつ目を瞬かせる。そして、翳りのない笑みを浮かべた。


 それは紛れもなく、桔梗の心を明るく照らしてくれた、あの頃の辰の笑顔だった。


「大丈夫。もう、大丈夫だ」


 月之丞は言う。優しく、言い聞かせるように。


「お前なら、どこへ行っても、うまくやれる」


 そして、微笑む。いつもの微笑だ。美しく、遠い。手を伸ばしてもと決して届かぬ、空に架かる月のような。


「じゃあな、うさぎ。達者で暮らせ」


 餞の言葉。それだけ言い残し、今度こそ振り返らず、来た道を引き返していった。


 駆け足で遠ざかる後姿が、闇に解けていく。


 そうして、承平は辰助と二人きり、その場に残された。


 ――どうしよう


 逃げなければならない。

 けれど、逃げていいのか。

 信じていいのか。


 承平が逡巡しているうちに、夜風が雲を押し流し、月が雲間から顔を出す。月明かりが二人を照らし出す。早く行けと、急かすかのように。


 承平は混乱に足を取られながら、辰助を背負い直す。月明かりを背にして、竹林へと踏み込んだ。


 笹が擦れ、衣を引く音が、承平の耳にはやけに大きく響く。


 竹林を抜けた先、裏口へ続く小径。

 その入口に、月之丞の言葉通り、二人の僧兵が立っていた。

 手松明の火が揺れ、夜気に赤を滲ませる。


 承平は折り重なるように生い茂る竹の陰に身を潜めた。

 息を殺し、胸の鼓動を抑える。


 ――やっぱり、いる。月之丞は嘘をついてなかった


 足が竦む。

 見つかったら、一巻の終わりだ。


 そのとき、足音が聞こえてきた。僧兵たちに近付いていく。


 よろよろとした足取りで、月之丞が現れる。

 目の下の傷を押さえ、指の間から血を零しながら。

 今にも崩れ落ちそうな有様だった。


 ――さっきまで、あんなに平然としていたのに


 やはり、月之丞は人を化かすのが上手い。きっと、そんじょそこらの狐狸よりも、よっぽど上手い。


 そこで、承平ははたと気が付いた。


 月之丞は、僧兵たちを欺いてはいないのではないか。彼は本当に衰弱していて、助けを求めているのではないか。

 月之丞は、承平の前では平気なふりをしていた。承平を騙して、助けを呼ぶために。


 だとしたら、化かされたのは承平の方だ。


「……お助けを……」


 掠れた声で助けを乞いながら、月之丞は僧兵たちの前に膝をついた。


「お前は……和尚様の」

「どうした、何があった」


 僧兵たちは月之丞に駆け寄る。ひんやりとした恐怖が、承平の背筋をするりと撫でた。


 ――もし、おれたちがここにいることを、月之丞が告げ口したら


 月之丞は苦しげに息を吐き、顔を歪める。


「和尚様のお呼びで参ろうとしたところ……寺童が、外をうろついているのを見かけまして……」

「寺童だと?」

「声を掛けたら……斬りつけられました……」

「なに!?」


 僧兵たちが色めき立つ。


「その寺童は、どこへ行った」


 承平は息を詰めた。


 ――まずい!


 月之丞は、承平たちの居所を僧兵に伝えるつもりに違いない。このままでは見つかってしまう。


 ――走るしかない、裏口へ!


 身を翻し、駆け出そうとした承平の背を、辰助がとんとんと叩く。


「にぃ! つきのじょ、あそこ、いるよ? ちゃんと、さよなら、した?」


 辰助の無邪気な問いかけに気を取られる。駆け出そうとして、二の足を踏んだ。


 そうしているうちに、月之丞はぴんと指を伸ばし、指差した。


「あちらへ」


 指の先はこちらではなく、裏口と正反対のーー山門の方を指し示していた。


「山門の方へ逃げて行きました」


 ――えっ?


 承平は狐に摘まれたような気持ちで立ち尽くす。息をすることすら忘れていた。


 僧兵たちはこちらに気付いていない。


 手前の僧兵は月之丞を見下ろし、舌を打つ。


「よりにもよって、顔をやられたのか」


 そう言いながら腰を落とし、月之丞の肩を支える。


「立てるか」

「……申し訳、ありませぬ……」


 そうして、僧兵のうち一人は月之丞に付き添い庫裡へ、もう一人は山門へ向かい、去って行った。


 竹林に身を潜めたまま、承平は唇を噛みしめる。

 胸の奥がぎりぎりと締め付けられた。


 ――あいつ……本当に、おれたちを、逃がしてくれるのか


 何故なのか。それはわからない。だが、立ち尽くしている暇はない。


 背中で、辰助が小さくくしゃみをした。

 承平ははっとする。


「……行こう」


 自分に言い聞かせるように呟き、承平は裏口を目指して進む。


 月光が行く先を明るく照らしている。裏口に辿り着き、一度だけ、振り返った。月之丞の姿は、もう、どこにも見えなかった。


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