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月兎取月  作者: 銀ねも
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解れ

 

「化け狐、ね。お前に月水の兆しがあると見抜いたのも、さだめし妖術だろう、ってか? ……笑止な。俺はな、お前を見てきたんだ。顔色、身のこなし、息遣い。どれひとつ、見逃したことはねぇ。だから分かる。お前のことなら、血の巡りさえ読めるのさ。それを妖の仕業と決めつけるか? それこそ、人の懈怠けたいと言うもんだ」


 月之丞の話しぶりの変わりように、承平は息を呑んだ。


 相手によって魅せ方を自在に変える男だが、清蓮寺の暮らしで身に着けたであろう端正な言葉を、ここまで崩すことはこれまで一度も無かった。


 承平が黙り込んだのを、気圧されたと見たのか。月之丞は肩を揺らした。


 吐息まじりの含笑には、砂粒のような苛立ちが噛み合わさっていた。そのざらつきは、鑢をかけるように、承平の昂ぶった神経を逆撫でする。


「笑ってんじゃねぇ! お前、全部わかってて、和尚のところにおれを連れ出そうとしたんだろうが。どういうつもりだ? 女になったおれの体を弄んで、どうしようって魂胆だ? え? 言えよ! それでおれが孕んだら、てめぇら、どうするつもりだった!?」


 承平は喉を裂くようにして叫んだ。

 恐れと怒りが膨らみ、胸が張り裂けそうで、叫ばずにはいられなかった。 


 怒声が夜の静寂を揺らし、闇に散った。

 思いのほか大きく、そして、ひどく幼く響いた気がした。

 胸の内で、怒りと不安が絡み合い、解けぬまま縺れてゆく。


 承平は月之丞を睨みつける。怒りを叩きつけた余韻が、まだ喉の奥に残っていた。息は荒く、胸が焼けるように熱い。


 月之丞は承平を見返す。その瞳が、わずかに揺れる。

 口の端に残った笑みが、ゆっくりと滑り落ちた。

 息を吐くでもなく、吸うでもなく、ほんの一瞬。彼の時間だけが止まったようだった。


 どんな時も揺るがぬはずの微笑に、翳りが落ちる。その表情は、寄る辺を失った幼子のようで――あの頃の辰を思わせた。


 ――それはない。ありえない。だって、こいつは辰じゃない。辰があたしに、あんな……ひどい仕打ちをするもんか


「……なに、黙ってやがる」


 搾り出した声は、震えていた。


 怒鳴りつける勢いは、もう、どこにもなかった。

 残ったのは、逃げ場を失った心臓の鼓動だけだった。


 月之丞は目を逸らし、唇を引き結んでいる。


 ――なんだよ。何とか言えよ


 月之丞ならば、承平の癇癪なんて、涼しい顔をしていなすはずだ。


 それが今は、まるで別人のように狼狽えている。いつもなら、際限なく繰り出すはずの言葉が咽に閊えているようだ。その沈黙に、何かしらの意味を見出してしまいそうになる。  


 承平は息を詰めた。


 目の前の月之丞は、何も言わない。

 ただ記憶の中の辰が、ぽつりと呟く。


 ――「うさぎは、おれを嫌わないで」


 震える懇願はいじらしかった。桔梗は辰をぎゅっと抱きしめて。


 ――嫌わない、嫌うわけない


 そう言わずにはいられなかった。

 あの言葉に嘘はない。昔も今も、きっと、これからも。


 ――嫌いになんか、なれやしないよ


 月之丞は目を伏せている。長く豊かな睫が落とす影が震えた。


 それを目の当たりにした時、承平の胸に、これまで堰き止めていた想いが、焦がれるように込み上げた。


 ――辰。まだ、ここにいたんだ


 承平が心に募るままを言葉にしようとした、その時。


 背に負った辰助が承平の頬をぺちぺちと叩いた。


「にぃ、おっきいこえ、だめ! でしょ? しーっ、だよ。しーっ! おねがいだから、いまは、しずかにして!」


 承平ははっとして、肩越しに振り返る。

 辰助はさっき承平にされたように、唇に人差し指を押し当て、小声で承平を窘めていた。 


 うんうん、そうだったな、ごめんな。そう返す余裕はない。


 心臓が狂ったように早鐘を打っている。


 ――おれは、今、何を考えてた? 何を言おうとした?


 わからない。わからないが、危ういところだった。 


 もし、辰助が声を上げなかったら。

 承平は月之丞の術中にまんまと嵌まり、その懐に飛び込んでいたかもしれない。

 そうなったら、どうなっていたか。月之丞のことだ。一度惹き寄せた心を、雁字搦めにして繋ぎ止めるなど、造作もないことだろう。


 戦慄に身を竦ませる承平を、月之丞は見つめていた。その瞳に、承平を惑わせた揺らぎを――辰の面影を探す。けれど、それはどこにも見当たらなかった。


 ただ、ほんの一瞬、月之丞の目が泳ぐ。

 何かに気付いたように、眉をわずかに動かした。


 けれど、次の瞬間には、もういつもの微笑の形を整えている。


 その変化を見て、ああ、やっぱり。と承平は心の中で呟いた。


 ――とどのつまり、こいつはおれを惑わせて、意のままにしようとしただけなんだ


 諦念に胸を締め付けられながら、承平はなおも月之丞を見つめる。


 すると視界の端で、月之丞の指先がそっと帯の房をつまんで揺らした。

 房の揺れはささやかな仕掛けだ。

 承平の視線がそれに吸い寄せられる間に、月之丞は、すっかりいつもの調子で、口許を綻ばせていた。


 月之丞は首を傾げる。その仕種は、頑是ない幼子を宥める年長者のものだ。


「うさぎ、怯えているのか。まるで、罠にかかった子兎のようだ」

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