二十一 旅立ち
正直な所、何かあるのではないかと思っていた。殿下たちからの何か、例えばワーブル様が家まで押しかけてくるとか。しかし腰を抜かして帰宅した後も出立の朝も穏やかに過ぎていった。
いつも通り私は父上と馬車で城へ行き城の門の前で降りる。私は旅のために男の子のような恰好をしていた。大きなリュックを背負っていても一人で馬車から降りられる程度には動きやすい。そんな私の一方で父上は足取り重くゆっくりと降りてくる。その顔は朝からずっと寂しさで曇っていた。
「では、行ってまいります」
「ああ。気を付けて。……父の鳥は分かるな?」
「分かります。父上」
「逗留する町に着いたらまず何をする?」
「宿を確保し父上に手紙を書きます」
昨夜から何度も繰り返されたやりとりをしていると門の奥がざわついた。見ればワーブル様とガルレス殿下が駆け寄ってくるところだった。
「シトリンちゃん! おはよ!」
ガルレス殿下がにこにこしながら手を振ってくる。昨日の顔の強張りが嘘のようだ。私は笑顔で手を振り返し二人が到着するのを迎えた。ガルレス殿下は傍まで来てようやく父上がいることに気が付いたのか、ぎょっとした顔をしておどおどしながら居ずまいをただす。
「おはようございます。ガルレス殿下、ワーブル殿下」
父上が胸に手をあてて軽く礼をしながら挨拶をする。私もそれにならって礼をした。
「おっ、おはようございます、鳥使い殿。昨日は、その……」
「おはようございます。鳥使い殿。昨日はありがとうございました。また、見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございませんでした」
口ごもるガルレス殿下の横でずっと黙っていたワーブル様が挨拶をする。その口調と声は固い。
「どうかお気になさらず。殿下」
「ありがとうございます。顔を上げてください」
「失礼いたします」
私と父上は顔を上げた。固い表情のワーブル様の傍でガルレス殿下は気まずそうな顔をしている。
「ガルレス殿下におかれましても、昨日のことはどうかお気になさらず」
「あ……へへ。ありがと。ごめんねぇ」
私が笑いかけるとガルレス殿下は少しほっとした様子を見せ、苦笑しながら改めて謝ってきた。そして上着のポケットから封筒を取り出す。
「それからこれ、兄上から。申し訳なかったって。返事はいらないって」
「ありがとうございます。頂戴いたします」
私は封筒を受け取った。表には『私の可愛いシトリン』、裏には『君のサペンタリ』と書かれている。どぎまぎしながら私は手紙をリュックにしまった。
「本当に、気を付けて行ってきてね」
「はい」
「……俺たまに遊びに行っちゃおうかな」
「兄上」
ガルレス殿下がふざけ半分で言うと、すかさずワーブル様が睨み付ける。
「冗談だって」
「まったく。……」
へらりと笑ったガルレス殿下にワーブル様は不機嫌そうにしていたが、ふと目を伏せた。両手を強く握りしめ、口を小さく開けたり閉じたりしている。
「ワーブルはいいの? 何かシトリンちゃんに言いたいことない?」
ガルレス殿下がワーブル様に優しく尋ねる。ワーブル様はガルレス殿下を見た。ガルレス殿下は小さく頷いて促す。
「……シトリンに、お伝えしたいことがあります」
ワーブル様は呟いて、深く息を吸うと私を見た。がちごちに緊張しているのが見て分かるような表情である。その小さな肩には力が入りぐっと上がっている。
「今から僕が言うことはあなたのご迷惑になるかもしれません。ですから、もしご迷惑であれば忘れてくださって結構です」
「かしこまりました」
ワーブル様は居ずまいを正して真剣な目で私を見つめた。
「僕は十八になったらあなたに改めてプロポーズをします。大人になって、能力も見た目も磨き上げて、その上であなたに僕を判断してほしいのです。兄上たちに誘惑されても揺るがなかったあなたは僕がどんな男になろうと、僕のことを結婚相手に選んでくださらないかもしれません。あ、……」
ワーブル様の目が潤んだ。
「あるい、は……あるいはあなたは、その頃にはすでに結婚しているかもしれません。誰か、僕以外の男を伴侶として選び、も、もしかすれば、愛している、かも……」
ワーブル様の瞳から涙が溢れる。私はぎょっとして、ポケットからハンカチを出して差し出す。
「あ、ありが、とう、ございま、す」
ワーブル様はハンカチを受け取ると同時に顔を歪めて本格的に泣き始め、ハンカチに顔を埋めた。ガルレス殿下はその背をさすり、父上はワーブル様が人目に触れないように通りとワーブル様の間に立つ。
「ワーブル様」
呼ぶとワーブル様はしゃくりあげながら顔を上げる。その顔は涙でべたべたで顔も目も真っ赤になっていた。目が合うとワーブル様は顔をくしゃっと歪ませ大粒の涙を流した。
「一人前の鳥使いになるには相当な時間を要するでしょう。それは十年かもしれませんし、それ以上かもしれません。ワーブル様の成人の儀に参加することすらままならないこともあるでしょう。王都へ帰るのもいつになるか分か、」
「いいですっ」
ワーブル様が抱き着いてきて私の胸元にぎゅっと顔を埋めた。シャツがワーブル様の涙で濡れる。
「構いません。僕、僕があなたを、す、好き、で……好きで、好きで、好きでい続けて、し、とりん、シトリン……あ、あなたを想って、努力し続けて、たいです……!」
ぎゅう、と背中にまわった腕や手を振り払うこともできず、私はガルレス殿下と顔を見合わせた。ガルレス殿下は複雑そうな顔をしているが何も言わない。私はワーブル様のつむじを見ながらしばし考え、その華奢な背中に腕を回した。ワーブル様の努力の一助となれるということであれば、と思った。成人した時にまだ私を想っていたら、まあそれはその時改めて話し合えばいいだろう。
「ワーブル様がよろしいのでしたら」
「本当ですか?」
ワーブル様が見上げてくる。頷いてみせるとワーブル様は安堵の笑みを浮かべた。
「嬉しいです……。シトリン。僕、あなたのことが好きです。大好きです。ずっとずっと好きでした。これからも、」
「はいはいそこまで! 弟サービスおしま~い!」
ガルレス殿下がワーブル様を引きはがす。ワーブル様はじたばたと暴れる。
「兄上! 兄上! もう!」
「お前ばっかずるいよ俺だってシトリンちゃんとぎゅうしたいのに」
「ずるなどしておりません。僕はシトリンと関係性を築いているのです。その上での抱擁です」
「子どもってだけで有利だよ! 絶対! ずるいずるい!」
「もう。分かりました。シトリンに触れませんから放してください。ちゃんとお見送りしたいんです」
二人のやりとりに父上と顔を見合わせてちょっと苦笑した。その間にガルレス殿下がワーブル様を解放し、二人は居ずまいを正す。
「それではシトリン。お気を付けて」
「シトリンちゃん。俺も待ってるからね。手紙も書いてほしいな。あ、喧嘩になっちゃうから父上宛てにね」
「お待ちしております」
「ありがとうございます。お手紙必ず書きます。行ってまいります」
私は二人に礼をして父上に向き直った。
「父上。行ってまいります」
「ああ。達者でな。父の鳥は必ずお前を見守っている。困ったらいつでも助けを求めなさい」
「はい。父上。……行ってまいります」
私は父上とハグをしてから馬車に乗り込む。出発した馬車の窓からその姿が見えなくなるまで、私は手を振り続けたのであった。
完




