十三 城 湖のほとり
突然ガルレス殿下にお茶に誘われたのは、あの事件から一週間後のことだった。おそらくワーブル様がガルレス殿下にお話しくださっていたのだと思う。ワーブル様が婚約者から婚約者候補となった今でも毎日の訪問加えて毎日の文通は続けていて、その中でよくガルレス殿下の御加減について話していたからだ。兄上がそんなに心配ですかと拗ねた様子を見せていたのにとワーブル様をとても可愛く思いながら、ガルレス殿下と湖のほとりでガーデンテーブルを囲む。
空は晴れていて、父上の使いの鳥が飛んでいるのがよく見える。風も穏やかで空気も清かに、誰かの奏でるピアノの音がどこからか聞こえてきた。
慣れないドレスと靴で疲れた体を椅子に預け、澄んだ紅茶を嗜む。ほっと小さく息をつくと肩の力が心地よく抜けて……私は困ってガルレス殿下を見た。
席についてから今までずっと、ガルレス殿下は私を見ては目を伏せ、また私を見て目があえば慌てて伏せ、というのを十分ほど繰り返している。紅茶のサーブの間もそうだったので、係の使用人さんも酷く戸惑ったようだった。今までのガルレス殿下からは考えられない態度である。使用人さんはサーブが済むと少し離れて控えたが、ちょっと帰りたそうにしていた。
「……麗しいお日和ですね」
耐え兼ねて無難な話題を振る。ガルレス殿下はあからさまに驚いた様子で勢いよく顔を上げた。困惑している私に気が付いたのか殿下はとりなすようにへらりと笑う。
「へ、え、ああ。うん。そうだね。いい天気。俺いい天気大好き。シトリンちゃんも?」
「好きです。植物が美しいですし、鳥も自由に飛べますもの」
「そう。植物も鳥もね、いいよね。えと……いいよね」
「はい。良い物ですね。……本日はお誘いいただいてありがとうございます」
そろそろ本題をと切り出すと、ガルレス殿下は苦笑しながら頷いた。
「ごめん。俺、ちょっと変だね」
「あのようなことの後です。お気を落とされることと存じます」
ガルレス殿下は首を横に振った。
「それもそうなんだけど謝りたかったんだ。俺が余計なこと言わなかったらシトリンちゃん巻き込まれなかったのになって」
「いえ、私は私のすべきことをしたにすぎません」
殿下は困ったように笑うだけだ。
「ありがとね。優しいんだね。でもそれでもさ、俺にも責任あるって思うよ。今日はちゃんと、怪我させたこと謝らせてほしくて呼んだんだ」
ガルレス殿下は突然立ち上がって止める間もなく頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした」
「いっ⁈ やっ、やっ! そんな、いけません、あ、頭を、そんな」
私は文字通り飛び上がってテーブルを回り込み殿下の傍に行った。視界の隅にちらりと入った使用人さんは、かすかに驚きの表情を浮かべている。まずいこんな所を見られては。
「で、殿下、ガルレス殿下。お気持ちは十分に。ですからどうか」
ガルレス殿下の背中と肩に手を添えて顔を覗き込む。私と目が合うと殿下は痛そうに顔を歪めた。私の顔にはまだ痣が残っていたのだ。そんな私の懇願に折れたのか、ガルレス殿下は小さく頷いて頭を上げてくれた。ほっとして、慌てて適切な距離を取る。ち、近かった。不敬だった。
「ごめんね、立場とか、色々……分かんなくなっちゃってた」
「いえ。それほどまでに気にかけていただけたということですから、ありがたく存じます」
「ありがとうね」
ガルレス殿下は苦笑しながら言うと使用人さんに合図した。使用人さんは一礼してその場を後にし、何かを手にすぐ戻ってくる。その手には書状が捧げ持たれていた。筒状に巻かれてリボンで結ばれ止められている。見た目で分かるほど高級そうな紙だ。
「ね、読んでみて」
「は、はい。失礼します」
ガルレス殿下に言われるまま、私は使用人さんから書状を受け取った。リボンを解いて中を確認する。ガルレス殿下の婚約者になることを確約するものだった。なんで?
「ガルレス殿下、これは……一体どういった?」
嫌な予感を覚えながらガルレス殿下を窺うと殿下は真剣な顔をしていた。あらかじめ指示があったのか、使用人さんは一礼してその場を後にする。二人きりになると場の空気がさらに重たく感じられた。
「俺、怪我のこと償わせてほしくて」
「お慈悲をくださいますこと光栄の至りに存じます。しかし、先ほど謝罪を頂戴いたしました。私にはすぎたるお言葉でございます。その上まだ頂戴するなど不相応であると考えます」
「酷い怪我させちゃったのに謝って終わりにしたらいけないよ」
ガルレス殿下に引く様子はない。今度は立場を利用してでも受け入れさせるつもりだろう。困ったな。正直なところ今回のことをそこまでの大事だとはとらえていない。私からすればお詫びが大きすぎる。前世でのほほんと一般人をしていたとはいえ、この年になるまでの十年間、朝から晩まで鳥使いとはかくあるべしということを叩きこまれてきた。今ではある程度の怪我や荒事に動揺はしない。
「私は私の役目を全うしたまでのこと。怪我は己の未熟さ故にございます」
「そうなんだね。でもさ……俺、何にもできないやつなのに守らせちゃったから」
「そのようなこと。ご兄弟をお守りになってらっしゃること存じております」
ガルレス殿下が自身のことをそんな風に思っていたなんて。私はぎょっとして首を横に振りながら言った。しかしガルレス殿下は小首を傾げて自嘲する。
「ごめんね。ほんと俺、なーんにもやってないんだ。シトリンちゃんの言う通り二人を守ろうって気持ちはあるけどね、でも、……」
ガルレス殿下は口をつぐんでじっと私を見つめた。窺うような、不安げな……私にどう思われるか不安に思うような内容が続くのだろうか。
「でも……?」
「……嫌いにならない?」
少し身構えながら先を促すとガルレス殿下は目を逸らし、笑顔を浮かべ直して冗談めかして言った。しかしそれは不格好な笑顔だったし、言葉の端々が引きつっている。ガルレス殿下もすぐに気が付いたのか笑うのをやめ、少しためらってから私と目を合わせた。誤魔化しようのない大きな不安が滲む瞳と、下がった眉が痛ましい。
「ガルレス殿下を嫌うことなどございません」
「……そうやって優しいこと言うんだ」
「慰めの言葉ではございませんよ」
「……じゃあ、慰めじゃないなら、どうしてそう思ってくれるの?」
「殿下とご一緒させていただいた時間が、私にとって尊いものだからです」
「俺との時間をそんな風に思っててくれたんだ。優しいね」
信じてないな……。
「初めてお会いした時から、心地よい時をお与えくださると思っていましたよ。……覚えておいでではないかと存じますが、初めてお声をかけてくださった日、お仕えする立場である私に楽しいお話をたくさんしてくださいました」
ガルレス殿下は口を開けかけ、そのまま黙って続けざまに瞬きをした。思わぬことに涙が引いたのか、その瞳は乾いている。
「英雄の娘として破格の待遇を頂戴している身とはいえ、森に住む私は町のことを大して知りません。皆が楽しんでいる物や親しんでいる物を伺えましたこと、大変嬉しく存じました。また、市井の様子をお話しされるガルレス殿下のご様子が眩しく、私にはそれが何より喜ばしくございました。その時の殿下のお顔はいまだはっきりと私の胸の裡にございます」
ガルレス殿下との時間は楽しいものばかりだったし、立ち振る舞いは好感を抱くものばかりだった。初対面の時の妙な距離の詰め方も、今から考えれば兄弟を守ろうとしてのことだったのだろうと分かる。兄弟が利用されたり搾取されたり傷付けられたりしないように、得体の知れない女である私を引き受けようとしたのだ。
自分を犠牲にするところは危なっかしいけれど、その人柄は愛すべきものだと思う。信頼に足るものだと思う。嫌いにならないと手放しで断言できる。そこには少しの嘘もない。なんとか信じてもらえないだろうか。鹿撃ちとお茶会にも言及しようと口を開きかけた時、
「な、なあにそれぇ。よけ、余計に、言えない、よぉ」
ガルレス殿下の顔がくしゃりと歪んだ。その目からこぼれた涙が頬を濡らしている。嫌いにならないですよがまさか逆効果なんてと動揺し、
「申し訳ございません……!」
私は己のやらかしに頭を抱えた。失望されるのを恐れているガルレス殿下に「こんなにも素敵な殿下を嫌いになるわけがありません!」などと好意の大きさを伝えるべきではなかった。落差が怖くなるに決まっているだろう……!
「誠に、誠に申し訳ございません……!」
とにかく謝罪する他ない。ガルレス殿下は首を横に振りながらこぼれ落ちた涙を拭き、少し考えてから私を見た。目が合うと濡れた顔で笑う。けれどその眉間にははっきりと皺が寄っていて、まだまだ泣いてしまいそうだった。
「ご、ごめんねぇ、シトリンちゃんは悪くないんだよ。俺が今日ほんと、駄目なだけなんだ」
「しかし……」
「ほんとだよ」
ガルレス殿下は珍しくきっぱりと言い、鼻をすすって手のひらで涙を拭いた。私は口をつぐんで見ていることしかできない。
「今日、ちゃんと謝らせてほしかったんだ。あんなことに巻き込んじゃったこと、しなくてもいい怪我をさせちゃったこと、……こ、怖くて、動けなくて、助けに入れなかったこと。み、みんなの後ろで見てただけだったこと」
ガルレス殿下は声を震わせ、その笑顔は完全に崩れ、涙がとめどなく頬を濡らしていた。ガルレス殿下は私から目を背け、涙を拭いながら続けた。
「ちゃんと償う準備してたよ。何言われてもどう思われても仕方ないことだから。ゆ、許されるとは思わないで、自分にできることなんでもしようって……で、でも、俺、まさかそんな風に言ってもらえると思ってなくて……。何したって関係変わると思ってたから、怖かったから……今日でこんな風にお茶するのもおしまいなんだって、お、思っ、た。だから、だから言い出せないでさ……でも、シトリンちゃんは俺のことそんな風に思ってくれてて、だから、俺が守る価値ないやつだって伝えないと、でも、……か、関係変わるって分かってて今日来たくせに、覚悟したつもりだっただけだ。惜しくてさ、シトリンちゃんのこと」
ガルレス殿下がどんなに拭ってもその頬は濡れたままで、それどころか雫がぱたぱたと落ち始めた。殿下の話し方にはいつもの朗らかさや落ち着きはおろか、取り繕おうとする様子もなくなっている。気持ちが溢れるままに言葉にしている。熱病のような息苦しさがあった。とめどなく出てくる言葉で喉が詰まっているようだった。
「シトリンちゃんの気持ち裏切ること言うの怖い。嫌われちゃったらどうすんの? ほんと立ち直れない。俺のこと分かろうとしてくれてちゃんと見てくれて、俺こんな、めんどくさい感じなのに全然解散したい感じ出さないよねほんと、言葉とかたくさんくれてさ……俺の気持ちも構ってほしいだけの嘘とか思ったりしなくて、信じてくれてるってことじゃん。ね……お願い、シトリンちゃん。嫌わないで。冷たくされたら怖い。もうこんな風に一緒にいれないの無理。嫌だよ」
「嫌いませんよ。大丈夫です」
私はガルレス殿下の顔を見つめて優しく言い含める。殿下は一瞬泣き止んだようだったが、再び嗚咽をもらした。
「だ、駄目、駄目だよぉ、そんなの」
ガルレス殿下は首を小さく横に振りながら、途方に暮れたような声で言う。私は優しい声で先を促した。
「駄目なんですか?」
「シトリンちゃんが尊いって思ってた時間、全然、全然そんなことないんだよ。だって、お、俺はさ、俺ってほ、ほんとは……」
ガルレス殿下はそのまましばらく黙っていたが、突然唇を思い切り噛み締めて顔を拭くのをやめた。両手が下ろされ、ガルレス殿下の表情がはっきりと分かる。目も皮膚も真っ赤になり、悔し気に寄せられた眉間の一方で眉は下がっていた。強く噛みすぎた唇からは少しだけ血が出ている。
「俺、だって、お……お、……もうっ」
ガルレス殿下は止める間もなく自分の頬を思い切り叩いた。鋭い打音が空気を震わせ、私はびくりと肩をはねあげる。そんな私を気にすることなく、ガルレス殿下は震える唇を開いた。
「女の子に構われて喜んでた! 役得だって気持ちあった! あ、兄上みたいに綺麗じゃないしワーブルみたいに大きい仕事こなせないし、父上にも母上にもあてにされてないのに、でも、そんなでも女の子来てくれたんだ! 話しかけてくれて仲良くなろうとしてくれた! ……これだって思っちゃったんだよ」
ガルレス殿下はへらりと笑った。私は笑えず、ただ見つめることしかできない。返答を求めたわけではなかったのか、殿下はそのまま続けた。
「兄上と仲良くなりたいんだって分かってても、でも嬉しかったから。にこにこ笑って俺の話聞いてくれるのも兄上と会うためだって分かって、でも、でも……」
ガルレス殿下は言いよどみ、また自分の頬を殴ろうとした。私は不敬覚悟で殿下の両手を掴んで阻止する。殿下ははっと息を飲んで私を見つめた。
「殿下、もう十分お話しいただきました。おっしゃりたくないことなのであればご無理をなさらずに。どうか」
「ねぇ、なんで? 優しくしないでよ。こんな俺なんか、だって、だってさ……」
ガルレス殿下の顔が再び辛そうに歪む。その両手に力が入る。半端に宥めても駄目かもしれない。全部聞いた上で嫌いになりませんよって伝えた方が、この人は安心できるのかもしれない。
「ふ、二人にできてないことできてるって優越感、女の子と遊ぶことに優越感、俺は二人と違って女の子と楽しく上手くやってけるんだって。俺馬鹿なんだ。女の子たちは俺じゃなくて兄上の弟って立場がよくて寄って来てるのに、勘違いしちゃって。あの子たちは俺を見てないのにさ。……ほんと馬鹿だねぇ。ほんと駄目駄目だ」
ガルレス殿下は泣きながら明るく笑った。傷付いている唇からまた新たに血が滲む。痛いだろうに殿下はそのまま続けた。
「俺に守る価値ないんだ。一緒に過ごした時間も尊い時間じゃなかったよ。……ねぇ、こんな俺命がけで守って……馬鹿みたいって思ったと、思う。……裏切ってごめん」
何も言わず聞いてばかりの私に不安になったのか、ガルレス殿下は笑うのをやめ、こちらの表情を窺ってきた。言いたいことは全部言い終えられたのだろうか? 嫌うことはないと、大丈夫だと、自分の喜びも尊ぶ気持ちも損なわれてはいないのだと、伝えることはできるだろうか? ガルレス殿下に安心感を覚えていただくことはできるだろうか?
「ガルレス殿下をお守りしたことにつきまして、依然として後悔はございません」
真剣に言い切ると、ガルレス殿下は目を丸くしてちらりと目を逸らし、信じられないと言わんばかりに再び私を見つめる。びっくりしたのか、その目からこぼれ続けていた涙が止まった。
「どのような動機であっても、心地よい時間をお与えくださったことに変わりはございません。私の喜びも尊ぶ心も損なわれずございます」
「……き、嫌いにならない?」
「はい。鳥使いの娘としても私個人としても嫌いになりません」
ガルレス殿下の瞳が嬉し気にきらりと輝いた。しかし同時にその唇や頬が強張る。自分のことを許してあげてほしいと思いながら、私は殿下に微笑みかけた。
「な、なんで? どして? ほんとの俺のこと話したのに……」
「嫌いになりませんでした」
ガルレス殿下の目を見つめながら優しく言うと、握っていたガルレス殿下の両手がぴくりと動いた。さすがにもう自分を殴ったりしないだろうと手を離すと、ガルレス殿下は軽く俯いて自分の顔を拭く。それからしばらく黙ったままでいたが、小さく首を横に振って顔を上げた。縋るような目で私を見つめている。
「許さないでよ。駄目だよ……ねぇ、やっぱり結婚しよ? 好きなだけ搾り取っていいよ。イライラしたら酷いことしてよ。わがまま言って困らせてよ。シトリンちゃんのあったかくて優しい気持ちを裏切ったこと許さないで、俺が死んでもシトリンちゃんを傷付けたこと許さないで」
「……申し訳ございません。ガルレス殿下。どうかご容赦くださいませ」
私は礼をして断った。ガルレス殿下が口にした行為は王子だからとか王子じゃないからとか関係なく、普通の感覚を持っている人が他者に対してすることではない。おずおずと顔を上げてガルレス殿下を見るとその頬はすっかり青ざめていた。今にも倒れそうだ。
「ご気分が優れませんか? すぐに医師を、」
「ちちちちち違う違う違う。俺との結婚そんない、あ、に、妊娠ほんと身に覚えなくて、あ、あっ、それなくても兄上かワーブル選ぶのに決まってるけど、嫌いじゃないとかシトリンちゃんいてくれるのに安心して調子乗っ、ご、ごめん。いっちょ前に、傷付くなんて俺なんかが、あっ、ちが、傷は、あの、あっ、あっ、あのっ……!」
「殿下。申し訳ございません。先ほど私が申し上げましたのは、ガルレス殿下のご期待に沿えない私をお許し下さいという……」
慌てて弁解するとガルレス殿下はきょとんとして、やがてその頬に血の気が戻ってきた。かすかにだがその唇は緩んでいる。拒まれたわけではないことに安堵したらしい。
「俺のお嫁さんになるのに抵抗ないの? あの子のお腹の子は俺の子じゃないけど、ほんと違うけど、でも、いっぱい女の子と遊んでるのはほんとだよ? それに、いざって時頼りにならないよ。情けない男なんだよ?」
「いざという時に動くのは私の仕事です。殿下は私がお守りいたします。ただ、結婚後に女性との関わり方は見直していただきたく存じます。此度の婚姻は、王家と鳥使いとの繋がりのため執り行われるものでございますから」
ガルレス殿下はなんとも言えない顔をした。
「続けていいの?」
「はい。ご兄弟をお守りになっていらっしゃると承知しております」
サペンタリ様とワーブル様を守るにあたり最も角を立てずにいられるのはガルレス殿下だけだ。陛下や、例えば父上などそれなりの立場にある人が口出しするのは家同士の関係に影響するかもしれないし、ありえないことだが、もし私が口を出すなんてことをしたらまたボコボコにされてしまうだろう。
「うん……じゃあさその分結婚したら、なんでも好きな物買ってあげる」
「ありがとうございます。けれど私は物よりも、殿下のお傍に置いていただく時間を頂戴できれば幸いに存じます」
「あっあげる」
ガルレス殿下は声を張り上げ、すぐ気まずげに眉を下げた。
「ごめん、急に大きな声出しちゃって……あのね、そんなのでよかったらいくらでもあげる。ずっと傍にいる。シトリンちゃんが尊いと思えるような時間にできるように、素敵な話たくさんするよ。……だ、だから、俺と結婚して」
「……恐れながら申し上げます。ワーブル様が成人を迎えられた際に国王陛下がご決断を下されます。私からは何も申し上げることができません」
一生懸命なガルレス殿下に気まずさと申し訳なさを覚えるが、私は勝手に物を決められる立場にないのだ。それ以前に償いや罰で結婚させるのはいかがなものかという思いがある。ガルレス殿下との結婚はまず真っ先に除外させてもらいたい。
「でも、少しはシトリンちゃんの意見が聞き入れられるよね? だって結婚するのはシトリンちゃんだし……」
「はい。私の働き次第でしょうが」
顔を上げて頷くと、ガルレス殿下は緊張した面持ちで真剣に切り出した。
「じゃあ、俺のこと選んでね。父上に聞かれたらガルレスがいいって言ってね。……あ、兄上もワーブルも勇敢で努力家で毅然として、兄上は綺麗だしワーブルは優秀だけど、でも結婚したら、こ、困ると思うから……」
「申し訳ございません。この場では決めかねます。サペンタリ様とワーブル様に申し訳が立ちません」
ガルレス殿下は傷付いたような目をして、それでも首を横に振った。
「俺と結婚した方がいいと思う。兄上と結婚したら女の子たちから恨みを買うことになるよ。ワーブルと結婚したらちょっとしたことで嫉妬されるし束縛されるし、毎日大変だよ。俺なんかと結婚しても誰からも恨まれないし、ちょっとくらいなら嫉妬とか束縛とかしないし……嫌じゃないわけじゃないけど、我慢できるし」
ガルレス殿下は黙って見つめてきた。断ることを許してくれないような空気は感じるが、ここで頷くわけにはいかない。しかしどう断ればいいのだろう。言葉に窮している私をどう受け取ったのか、ガルレス殿下は瞳を潤ませ、それでも微笑んだ。
「ごめんねシトリンちゃん。俺また立場考えてなかった。あ、しかも立ちっぱなし! ごめんごめん、お茶再開しよ。俺お腹空いちゃった~。サンドイッチ食べていい?」
ガルレス殿下は矢継ぎ早に言いながら椅子に腰かけ私を見上げて笑った。そのあからさまな話の逸らし方は私が殿下を傷付けてしまったことを察するに余りある。しかし殿下の望む答えを与えられないくせに、これ以上何を言おうというのだろう。私も笑顔を浮かべてその場が和やかに終わるよう努めた。




