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緑翼のアリア  作者: 四分儀有為
第一章 世界の観測者
3/41

1.


 夢と現実の境を彷徨うアリアの耳に、涼の優しい声が聞こえてくる。

 アリアは涼のすべてが好きだったが、特に、アリアの名を呼ぶ声が大好きだ。


「アリア、ご飯ができたよ」


 大好きな声に呼ばれると、自然と頬が綻ぶ。アリアは夢見心地のまま「はぁい」と答えた。肌に触れるシーツの感触が、すべすべと気持ちがいい。昨日、涼と共に干したばかりなのだ。まだこの心地よさを手放したくなかったが、涼が呼んでいるのならばそうもいかない。アリアは名残惜しく思いつつも、寝台の上から身を起こした。固まった背筋を伸びをして解し、床に足を下ろす。

 今日は、昼寝を誘われる実に丁度いい気候だった。暑くもなく、寒くもない。雨も降らないし、カンカン照りでもない。心地よい気温と、穏やかな風が夕暮れの小屋に吹き抜けていた。残念ながら、太陽の光はずっと差し込まないけれど。


「ふぁ……」


 欠伸をして立ち上がる。それにしても昼間からよく寝てしまった。知らず知らずのうちに疲労が溜まっていたらしい。何度も読んだ本を読みながら、いつの間にかこてんと眠りについていたようだ。まだ眠たいと訴える瞼を擦り、アリアは立ち上がる。慣れ親しんだ家は、目を擦っていても簡単に目的地まで辿り着けた。

 とある山間にある小さな村の、近くの山の奥。木造で作られた小さな小屋と、二人分の食事だけ賄う為の小さな畑。それがアリアの住処で、自分のものではない全財産だった。

 小さな小屋と言えど、アリアと涼が暮らすには十分の広さがある。ダイニングと水場の他に二部屋あり、それぞれの部屋には綿が詰まった毛布を掛けられる寝床も置かれていた。食べて、眠る。与えられた本を読む。それ以上の贅沢を、アリアは知らない。

 そのままダイニングに行くと、ふわっとスープの香りが鼻孔に漂う。テーブルと二人分の椅子、本棚だけがあるダイニングだ。ダイニングと併設しているキッチンでスープを器によそう涼が、竈の前でアリアを振り返った。竈の中でぱちっと薪が弾ける。


「おはよう。よく寝られた? 最近、夜は寝にくいから疲れるよね」


 涼は一度眠りにつくと、深く眠るタイプだ。それでも最近は眠りが浅いのだろう。彼もやや疲労が滲んだ顔に、笑みを浮かべている。

 おはよ、とアリアは挨拶を返した。


「うん、思ったより疲れてたみたい。お陰様で、よく眠れたわ」

「それはよかった。起こしてごめんね。今のうちに食べちゃった方がいいかと思って」


 涼に促されるまま、椅子に腰かける。すぐに黒いパンとスープが配膳された。薄味のスープの中には芋と僅かばかりの葉物が浮いている。日に日に量も減るスープを彩る、珍しい緑の野菜を認めて、アリアは目を瞬かせる。

 芋はアリアたちも畑で育てているが、他はそうではない。


「美味しそう。涼くんが貰ってきてくれたの?」

「うん、村に収穫のお手伝いにいったら、分けてくれたんだ。今年はまだ、収穫が出来ているみたいだよ」

「ふぅん」


 特に、彼らがアリアに慈悲を施しているわけではない。アリアが飢えて死ねば問題になるからだ。下心がある以上、アリアは村人に感謝はしないが、涼はにこにこと「いつもありがたいね」と笑う。


——おめでたい涼くん。


 少し呆れる気もするが、特段、涼に告げることはしない。涼の物事の善面を見ようとする性質は、アリアにとっては好ましい。叶うならば、ずっと失くして欲しくないものの一つだ。

 涼も自分の分を配膳し、アリアの前の席に座る。


「いただきます」

「はい、どうぞ」


 くすぐったげに笑う涼に、アリアも笑みを返した。木製の器に、木製のスプーンが当たる音。音を立てずにスープを飲む涼の姿を、アリアは見つめる。食事をとる涼は背筋をまっすぐに伸ばし、洗練された仕草でスプーンを運ぶ。さらりと黒い前髪が流れていて、伏せたように見える瞼をした彼は、アリアの視線に気付くと首を傾げた。


「ふふ、何でもない」

「そう?」


 二人きりの食卓はいつも静かだが、この時間がアリアは好きだ。味の薄いスープも固いパンも、涼と共に食べられるのなら、アリアにとってはこれ以上ないご馳走である。


「涼くん、今日読んでた本のことなんだけどね。《聖域》には——」


 アリアが口を開いた時、どんどん、と大きな音で玄関の扉が叩かれた。スプーンを運ぼうとしていた手を止めると、涼が立ち上がる。そのまま玄関へ向かう涼を見送り、アリアもスプーンを置いた。

 涼が玄関を開ける木の擦れた音が聞こえてくる。何回か会話を交わした後、これ見よがしに来訪者の大きな声が響いた。


「あんたたちはいつまで、ぐずぐずと此処にいるつもりだい? 今の情勢が分かっていないはずがないだろう。ごくつぶしを養う余裕はないんだよ。さっさと出て行きな」


 あーあ。折角、涼と向き合って食事をしていたのに。たった一人の来訪者だけで、アリアの幸せは簡単に壊れてしまう。煩い第三者のがなり声は、アリアの不快を無視して続いた。


「だいたいね、涼。あんたはあの子を——」


 ああ、うるさい。聞きたくないと、アリアは耳に蓋をしてテーブルを叩く。ばん、と木が軋む音が響けば、驚いて口を止めた来訪者のように、こんな現実からも目を背けられるかも、だなんて。


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