Grim Reaper
死神台帳に文字が浮かび上がった。死期の近い人間の住所である。タナトスはいつものようにその者のところへ行き、背後でその者の最期を待っている。
七日後、最期の瞬間を迎えたその者の肝胆にソラティスを突き刺し、魂をその者の精神から切り離した。魂の救済である。
「これでよし。さて、戻るか」
これをしないと、地上で死を迎えた魂は現世を彷徨い悪霊と化して、星どころか冥界すら脅かす存在となる。それを防ぎ、かつ、生命の循環を守るために、タナトスは死者の魂を冥府ハイドゥの王宮であるディスカテリオンへ送り届けることを生業としている。
生物には魂魄が宿っており、それゆえに生命活動をおこなえる。魂魄は生物の死に際して魂と魄とに分離し、精神に宿る魂は、天へ帰して人格を除く一部がエーテルに昇華し、エーテルに含まれる生物の経験知が全知全能を構成する要素として冥界のメティスに蓄積される。
一方、肉体に宿る魄は、遺体の埋葬と同時に地に帰してアーエルに昇華し、星を動かす動力となる。
この動力のおかげで星は自転し、風が発生する源となる。風の中には生命エネルギーであるプラーナがあり、プラーナはジヴァン・ダーラとなって星を巡り、星に棲む生物の生命を維持している。
死神であるタナトスは、生命の循環を維持するためにも、人間の死を見届け、正しくエーテルとアーエルとを収集できるよう日々努めていた。
北部都市ナツラトに住むヨシュアは貴金属の錬成実験を続ける錬金術師である。貴金属の錬成を試みてから、かれこれ十数年の歳月を要しているが、いまだに錬成方法を見出せずにいた。
ある日、ふと思いついて、生薬の浸出液にエタノール、精製水、芳香剤、甘味料を加えて濾過した。だが、日ごろの過労からうたたねをしたヨシュアは、目覚めた勢いで濾過液の入ったフラスコを床に落としてしまい、実験室の床を這いずりまわっていたネズミに濾過液がかかってしまった。
「あぁ、しまった……ちっ…ドブネズミめ」
小刀でネズミを退治しようと刺したところ、刺し傷が見る間に治癒し、また走り出した。
「まさか……蘇生したのか」
エリクサーの錬成に成功したことを理解したヨシュアは歓喜した。いわゆる不老不死の妙薬である。
「これは歴史に残る大発見だぞ! こいつを不老不死にして振れまわれば、俺の名声は世にとどろくぞ」
ヨシュアは、小動物にエリクサーを与えて不老不死にすると、それをもって市中で振れまわった。
致命傷を与えても瞬時に治癒して死ぬことのない小動物を目の当たりにした観衆は、不老不死の妙薬が完成したことを知り、その事実は瞬く間に世に広まった。
ヨシュアはエリクサーの錬成方法を秘匿したまま、その販売を始め、販売網は各地に広がった。こうして、ヨシュアは救世主と呼ばれるようになった。
それからしばらくして、死神台帳に死者の住所が浮かび上がらなくなったことを不審に思ったタナトスは、原因を探ることにした。
折柄、瀕死の傷を負って死にかけていた孤児を見つけた。一人の男がおもむろに孤児に近寄ったと思ったら、次の瞬間、孤児が突然立ち上がり、男に頭を下げると何事もなかったように去っていった。
「なんだと……」
我が目を疑ったタナトスは、孤児の体内を透視した。すると、さっきまで弱弱しかった生命活動が元に戻り、プラーナが孤児の体内を正常に巡っていた。
「ありえぬ……蘇生したというのか」
事態を重く見たタナトスは冥界へ戻り、この事実をゼウスに報告した。
「しばらく前のことになるが、人間の錬金術師ヨシュアがエリクサーの錬成に成功したと報告を受けた。人間の分際でまさかとは思ったが事実であったか。しからば、エリクサーを回収し、その無効化の方法を早急に調べて報告せよ」
タナトスは、手始めに冥界にある書物を読みあさったが、エリクサーの無効化について書かれている書物を見出すことができなかった。
困り果てたタナトスだったが、解決策を見出せないまま時間だけが過ぎていった。
一方、地上では士師サムエルが大々的に遊説をおこなっていた。
「我々人間はついに不老不死を手にした。しかし、神々は人間から不老不死を取り上げようとしている。再び人間に死の恐怖を与えようとしているのだ! 不老不死となった今、人間に恐れるものは何もない。今こそ立ち上がり、神々から自由を取り戻そうぞ!」
こう言って朝な夕なに各地で振れまわると、聴衆はサムエルの言に従って結集していった。
こうして対神戦争の準備を始めた人間は、対神兵器の開発に乗り出した。
このころ中央都市イェロソイマで名声を得ていた錬金術師ホーエンハイムに対神兵器の錬成依頼がなされ、依頼を受けたホーエンハイムは、各地から名だたる錬金術師を招集して、各地を放浪しながら構想を練っていた人工生命体の錬成に着手した。
こうした事態を冥界から見ていたゼウスは、テル・メギドの勃発を予期し、息子アレスに戦の準備を始めさせた。
それから数箇月後、人間は神々に対して宣戦布告をした。その内容は、神々から人間の自由を取り戻す。というものだった。
こうして火ぶたが切られたテル・メギドと呼ばれる神と人間との最終戦争は、神々の優勢で進行していった。
開戦から数日が過ぎたころ、タナトスがゼウスの御前に参上した。
「ゼウス様、エリクサー無効化の方法がわかりました」
「よくやったぞタナトス。しからば今すぐすべてのエリクサーを回収して無効化し、不老不死の人間どもを元に戻せ」
地上に降り立ったタナトスはまずヨシュアの実験室へ行き、エリクサーとその錬成方法を記述した書物を回収しようとした。だが、そこにエリクサーは無く、ヨシュアもいなかった。室内を探していると、突然、背後から殴られタナトスは気を失ってしまった。
そのころ戦場では、人間が錬成した人工生命体ホムンクルスが投入され、戦況が一変していた。
ホムンクルスの圧倒的な戦闘力を前に思わぬ苦戦を強いられた神々は、かつて神々の戦争で凌ぎを削ったテュポーンをタルタロスから召喚するよう、ゼウスに進言した。
「よもや人間ごときがこのような強力な兵器を創り出すとは……。いたしかたあるまい。ハデスよ、テュポーンを開放せよ。テュポーンの力をもってホムンクルスを葬らん」
ハデスは冥界へ戻ると、ハイドゥの地下へ繋がる大空洞を塞いでいるエンポディオを解いてタルタロスへと向かった。
タルタロスの牢獄にたどり着いたハデスは、地上で人間が神々に戦争を仕掛けたこと、ゼウスの要請により神々に加担してほしいことを説明し、協力して人間に勝利した暁には神々の末席に加えることを約束し、テュポーンを解き放った。
「ふむ……なるほど。ゼウスが言うようにその戦闘力は流石であるな。しかし、我には遠く及ばぬわ」
こう言い放つと、テュポーンはその強大な戦闘力を開放してホムンクルスを圧倒し、戦況は再び神々に有利な方向へとむいた。
ヨシュアの実験室で気を失っていたタナトスは、しばらくして気が付くと、エリクサーを無効化し、不老不死の人間を元に戻すために用意していたアキロスを失っていた。
「この感じは……まさかプロメテウスか……」
室内にわずかに残っていたプラーナから、プロメテウスの仕業であることに気が付いたタナトスは、冥界へ戻り、プロメテウスの宮殿へと急いだ。
宮殿に到着すると、周囲から死臭が漂ってきた。死神であるタナトスは直感的にここで殺害がおこなわれていることに気が付き、急いでプロメテウスを探した。
「ここか……」
宮殿の地下、最奥部にたどり着いたタナトスが扉を開けると、アキロスを口に含みながら人間を喰らうプロメテウスがそこにいた。
「プロメテウス、貴様っ……」
「その声はタナトスか。ずいぶんと時間がかかったな。もう少し早く嗅ぎつけると思ったのだがな」
人間を喰らいながら、プロメテウスは続けた。
「不老不死になった人間どもを喰らって、ゼウスを凌駕する全知全能を手に入れるのよ」
そう言って不敵な笑みを口元に浮かべた。
プロメテウスは、不老不死になったはずの人間を喰うことで、不老不死となり膨大な経験知を積めるようになって情報量が爆発的に増えたエーテルを人間の魂から吸収し、完全無欠の全知全能を手にしようとしていたのである。
タナトスはソラティスを抜くと、プロメテウスに切りかかった。
「ぬるいわ」
プロメテウスは人間を喰らいながら、それを難なく躱し、タナトスに一撃を与えた。
たった一撃ながら、その拳の重さを知ったタナトスは、形勢が不利であることを知った。激闘が続く中、タナトスは一瞬の隙を見てゼウスに状況を知らせた。
「よくぞ知らせた。プロメテウスの仕業であったか」
タナトスからの知らせを感知したゼウスはアレスに戦場を任せ、タナトスのところへ瞬間移動すると、亜空間に安置してある神器カタストロフィを取り出した。
神器を取り出したゼウスを見て形勢不利を悟ったプロメテウスは、不敵な笑みを浮かべ、呪文を唱え始めた。唇を読んだゼウスはテロスの呪文であることを察知し、すかさずカタストロフィでプロメテウスの肝胆を貫いた。
カタストロフィに貫かれたプロメテウスの身体は悲鳴を上げる間もなく一瞬にして融解し、事なきを得た。
一方、戦場ではテュポーンの活躍でホムンクルスは一掃されており、戦争を扇動したサムエルも捕らえられていた。
プロメテウスの宮殿からはエリクサーが回収され、その錬成方法は秘匿された。それと同時にディアファニスのローブとヨシュアの遺体も地下から発見された。エリクサーを無効化するアキロスの錬成方法を記した書物とホムンクルスの錬成方法を記した書物も書斎から発見され、回収された。
地上に戻ったタナトスは、すべてのエリクサーを回収したのち、雨に紛らわせてアキロスを散布し、人間を元に戻した。
今回の人間の反乱に対し、神々は宇宙の原理と生命の循環の真理を人間に説き、死の運命を受け入れるよう諭した。
しばらく沈黙が続いたあと、人間たちの中から一人の青年がおもむろに歩み出た。
「神よ。我ら人間はその託宣をお受けいたします」
人間を統制する者が必要だと考えていた神々は、議論の末、思慮深きこの青年サウルを人間の王に据えることとし、デルフォイの丘で神託を与えた。