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第七話 アイドルはドジッ娘!

「それしかないだろう。経済力がないし、金を払うアテもないなら、この桃の木荘から追い出すしかない。だが、それで逆恨みでもされたら、十人の俺たちはたまったものじゃない。法的武装をして、その子が我々に関われないようにするんだ」

 秋葉謙史郎(あきばけんしろう)は、壁の本棚にあった法律の専門書を何冊か取り出しながら、アパート管理人の加藤未徠(かとうみらい)に、説明を始めようとした。

「だけど、どこに追い払うっていうんです? 向こうにだって、先住権はあるんです」

「ああ……」

「これからの季節、暑さが厳しくなるばかり。女の子なんだし、近所の公園で野宿も出来ないでしょうし」

「厄介な隣人というのは本当にどこにでもあるな」

 謙史郎はため息をついた。


 謙史郎の前歴を知る未徠は、彼がそういう心配をする意味も分かる気がして、中途半端に頷いた。

 未徠も似たようなものだからである。


 どういうことかというと、謙史郎は、本来一宮市内の一番優秀な高校でトップクラスの成績を取っていた。およそ10年ほど昔の話である。

 受験勉強にも熱心に取り組み、名古屋大学の法学部を受験するはずだった。

 だが、その受験当日。

 謙史郎の実家の隣家が真冬の早朝から火事を出し、その火事に巻き込まれたのだ。

 そのため謙史郎は朝っぱらから煙に巻かれて見事入院。受験するどころの話じゃなくなってしまったのである。

 原因は隣家に住む老人が、石油ストーブに火を点けようとして失敗したということで、全くのうっかりミス。

 自分は何も悪くないのに憧れの名古屋大学をふいにしてしまった謙史郎だったが、浪人はしたくなかったので、私立の南山大学の法学部に入学。

 挫けずに夢の弁護士を目指して、相変わらず熱心に勉強しているが、やはり、司法試験は難関のようである。


 一宮市内の謙史郎の実家は全焼し、数年前に建て直しは終わっているが、一人の方が効率よく”勉強出来るハズ"ということで、桃の木荘で一人暮らしをしながら、朝早くから夜遅くまで必死に法律の勉強をしているのだった。

 実家の母親がそんな彼を気にして、こまめに差し入れなどを持ってきている事は、未徠も知っている。

 ”息子の事をお願いね”と、未徠にもちょくちょくお土産を手渡してくれるからだ。


 一方、そんな彼に共感を覚える未徠は、地味で目立たない事が身上である。名古屋市立大学の経済学部で中の上程度の成績をおさめて、卒業後は県職員になるつもりで、愛知県の試験を受けた。

 だが、試験当日に持ち前のへたれでチキンで臆病で心配性で気にしすぎな性格が爆発。朝っぱらから胃けいれんを起こして、これまた病院に担ぎ込まれ、どうにもならないことになってしまったのである。


 その後、未徠はすっかり腐って一年ほど、アパートに引きこもって寝込んでいたが、その間は随分似たような経験をしている謙史郎に話を聞いてもらったものだった。

 そうしている間に姉の望美が両親を伴い渡米。

 地元一宮市近辺の大地主だった両親の不動産を受け継いで、賃貸物件の管理人の仕事で喰っていく事になったのだった。


 地味で真面目で目立つのが苦手で、いわゆる陰キャでもめ事に巻き込まれるのが嫌いなあたりが謙史郎と未徠はそっくりで、気が合う方ではあった。

 両親と姉が国内にいない時分、司法浪人の謙史郎は未徠にとって数少ない頼れる大人の一人である。

 その彼が、警察への相談の仕方から細かい法律の問題まで滔々と述べたので、未徠はすっかりその気になってきた。


 森村一愛という、家賃を滞納したアイドルを、……身よりもなければ、仕事もない廃課金ゲーマーを、アパートから追い出さなければならないような気になってきた。


「だが、16歳や17歳でアイドルと言っても働いていなくて、親もいない方がマシだというのが嘘じゃないとしたら、この先ずっと、家賃も払わせないメシも食えないまま放っておくのか?」

「そうですよね……」


「警察か役所に相談した方がいいぞ。どっちにしろ、管理人さんは甘い」

 謙史郎はそのときの気分によって、未徠の事を、未徠と言ったり加藤さんと言ったり管理人さんと言ったりする、あやふやな呼び方をする癖がある。

 今は「管理人さん」。どうやら、未徠に管理人としてしっかり仕事をして欲しいらしい。


「アパートの住民が倒れていたから、救急車を呼ぶまでは良かったが、そこから先はやり過ぎだろう。特に、一万円渡したのはまずかった。お金がないし身寄りのない子には劇薬過ぎだろ」

「……そうですね」

 最早、未徠は頷くしか出来ない。


「明日の朝にでも役所に連絡するべきだな。身寄りのない未成年を保護してくれるように」

「親元に帰さなくていいんですか?」

「管理人さんが聞いた話が本当なんだとしたら、帰らなくていいだろう。子供のランドセルをゴミ捨て場に捨てる親って、なんだそれは」

 謙史郎はどうやら、一愛の親にも腹を立てているらしい。かといって、どうすることも出来ないと思っているようだった。


 未徠も、この場合、役所に連絡するというのがどういうことかはわかる。


「その後、恨まれないようにしないといけない。そのために、法的武装が必要だ」

「……はい」

「気ままでソシャゲし放題の一人暮らしがしていられなくなったとか、最悪、親元に帰されそうということで、うちに火付けでもされたら困る」

「火付け!?」

 未徠は自分が素っ頓狂な声を立てた。


「……しないと、いいきれるのか? アパートを追い出されて、もしも、どこにも行き場がなくなったり、そんな親のところに帰る事が決まったら、結構行動力のある女の子だし、アパートの周りに油をまくぐらいはやるかもしれないぞ」

「こ、行動力って……」

「中卒で、三重県から親の目を盗んで名古屋に出てきて宿とって、アイドルオーディション受けるその根性と行動力が、逆恨みに向かってみろ。何をされるかわからないぞ。火付けは言い過ぎかもしれないが」


 流石に、火事にトラウマがある男。こういう場合の迷惑行為がまず火付けであるらしい。

 アパートに火をつけられたら困るのは、住民全員同じであろう。まして、未徠は、管理人の立場。謙史郎に言われてなんだかそれもありそうな気分になってきた。


 思わず目を瞬いて自分の考えを確認する。

 一瞬、一愛の愛らしい顔が脳裏をよぎった。今日、初めて会ったばかりのアイドルの女の子。


「……森村さんは火付けはしないと思いますよ。確かに、家賃は滞納したし、救急車のお世話になったけれど……」

「加藤さん?」

「……あの子は、他人を傷つけるような子じゃないんじゃないかと思います」


 妙に悲しい気持ちで、未徠は謙史郎のそう告げていた。


「何故、そう思うんだ?」

 謙史郎はちょっと困ったようにそう尋ねてきた。

 すると未徠は困ってしまった。そして、思わずこう言った。


「……だって、アイドルだし」

「アイドル?」


 謙史郎は本当に困ってしまったらしい。


「そ、その、アイドルだから、事務所には迷惑かけられないし、評判を普通の人より気にするんじゃないかと思うんです。そりゃ確かに救急車とか色々あるけど。でも、そういううっかりした行動と、自分から好きで人を傷つける行動は違うんじゃないかと……」

「……まあ、そうだな」


 何故かムキになりながら未徠がそう反論を試みると、謙史郎は、意外にもあっさり頷いた。

 未徠はほっとした。


「それはわかる。ドジと、イジメは全然違う。アイドルやってる美少女って言うから、相当きつい子かと思ったけど、そんな感じじゃなかったっていうこと?」

「あ、はい……どっちかっていうと、明るくて無邪気で、子供らしいイメージ……」

「ふうん?」

 謙史郎は何か釈然としない様子で未徠を見ていたが、未徠は思いきってこう言ってみた。


「秋葉さんの言う事、重要だと思います。本当に。すみません、アパートの人に不安をかけさせちゃって。だけど、役所とか火付けとか、いきなり本人に知らせずするようなことじゃないと思うんです。追い出す前に、もう少し、森村さんから話を聞いてみます」

「そうするんだな」

 年上の男は、それはそれで納得した様子で頷いた。


「これ以上、金を渡したりするなよ。逆に、こっちが家賃を払って貰わなきゃならないんだ。これは、社会を世渡りしていく上で、一番重要な事だぞ」



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