第01話 女の名はオーディナル
私の名はオーディナル。
元日本軍、三等兵。
天使階級は4対。
私は愉悦に生きてきた。あらゆる事に奔放に生きてきた。
だけど当時歯牙にもかけていない同僚にとある事件で心を奪われ軍を辞任し家庭を築いた。
軍を退位した理由は彼に頼みこまれたからという単純平凡な理由だ。
私は戦いが嫌いだった。
なにせ痛いからだ。
痛みを伴う行為に快楽など伴わない、それこそが私が長年大切にしてきたポリシーだ。
だけれど、だからこそ、私は他人の悦楽に歪む様子に甚く興奮してしまうのだ。それはきっとどうしようもない性癖の様なもので、子供の時痛い思いをしてしまったことに起因するのだろう。
ともかく私は他人が善がっている顔が大好きだった。
それが何であれどのような状況状態でも
他人でなければ例えばフィアンセであればもっと見たいと考えてしまう。
良い思いをしたくなってしまう。そんな女なのだ。どうしようもなく倒錯的で偏執的な愛を叫ぶしかない女なのだ。
けれどそんな私を彼は、彼だけは愛してくれた。
家庭をくれた、温もりをくれた、その証をくれた。
だけれど、だけど歪んでしまった私は、、それを尊いとわかっているのに、満足することが出来なかったのだ。
もっと、もっとと叫んでしまった、まだ足りない、まだ満たされない。
・・・・きっとこの頃の私は証が欲しかったのだ。
愛されているという証を。それ故か私達は三人の子宝に恵まれることになった。
基本的に平均と比べて高級取りの軍人だが学業が資本家の物となってしまった現代においては小学校から大学まで満足に学ばせてあげる元金が三人分しか無かったのだ。だからこそこれ以上を望むことはできない、それが彼と共に出した結論だった。
その決定に異論なぞ挟む余地はなかった。
私の渇望を無視するのであれば。
■
きっとそんな余分なものを求めてしまった事に対するこれは報いなのかも知れない。
学業の資金を貯める為に日銭を稼ぐために私達二人は働きに出ていた。私は配給所の『渡し』、彼は軍に後進の育成。元々要請を受けていたのは私の方だった。けれどそれは同等の戦果を挙げていた彼に譲られる形となった。彼のたっての希望によって。
白状するなら私がその要請に答えたかった、フィアンセである彼を、優しい彼を死地に向かわせる兵士達の教師になどさせたくはなかった。
けれど軍の命令は絶対だ。むしろ彼の我が儘を聞いてくれる時点で私達二人に最高の配慮をしてくれていると言えた。私達英雄に相応しい配慮を。
それに頷けば良かったのだろう。納得してこれまでの生活を続けていれば彼と少しでも一緒に居たくて居させたくて新宿になど引っ越さなければ少なくともこの大空襲に子供たち諸共巻き込まれずに済んだ筈なのだから。
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肉の焼ける匂いがする、戦場で何度も嗅いだ、ある意味で香ばしく、忌憚なく言うなら忌々しい匂い。
『渡し』の仕事の帰りに『駅』から嗅いだ匂いだった。
目を向ければ人の髪を歯を骨を全て炉にくべられた様な凄惨な光景が一面に広がっていた。
地獄、そうとしか形容し得ない場所。
「懐かしいとは思いませんか、オーディナル。」
脳が頭蓋を叩いたような痛みが奔り幻聴が聞こえる。それを無視して、私は、私は、
あの子たちの住んでいる家へ。
何をやっているんだ、無駄だ、いくら走ろうと息を切らそうと、間に合いはしない。この瓦礫と遺骸しかない惨状が見えないのか。
数多の戦場を乗り越えた軍人としての理性がそう告げる。
「だまっらっしゃい!!」
それを根性で押し込め、震える脚を精神で前へと動かす。かろうじて残っている道路の名残を踏みしめながら。
私の新居は、これまでの集合住宅と違い、一戸建てだ。ただもう次の道を曲がれば新居は見える。
すぐ、すぐだ、すぐに。
T字に分かれた道、ここだ。大部分が崩れた石造りのレンガに手をつき真正面へと目を向ける。
そこには傷一つ付いていない我が家があった。
■
玄関の扉を開ける、いや僅かに空いている。誰かが入ってきたのだ。
彼らにはどんな時でもカギを占めるようにと言っている。
腰にあるはずのホルスターに手を向ける。
第5次世界大戦の始まりの地となったここ元日本現テレズマ共和国には七人組という制度がある、江戸時代の五人組よろしく、「領主」によって組織された隣保制度。いわば内向きな治安維持装置の保持のために内三人には弾丸と銃が渡されている。それを手にかけ前へと進む。
難しい事を言ってしまったが忘れてほしい。きっとこの戦火の広さならそんな事を気にする必要はないハズだから。
あの子達の歳は上の子が四歳、その下の子が一歳。更に下の子が0歳だ。我が家は基本的に放任主義だから、おそらく上の子が下の子の面倒を、下の子が尚下の子の面倒をと成っているだろう。
そして私達夫婦は一階を子供たちには二階の一室を使わせている。
目の前の階段を上がれば間に合う、間に合うはずだ、間に合わなければ、私は。
取るものとりあえず、階段を駆け上がり扉の前に開ける。
思えばこんなに焦って家を走りまわったことは無かったかも知れない。子供たちはいつもこの狭い家の中を走り回っていたが私は本を読みながらその様子を対岸の火事を見る様に思っていた。
私には関係無いものだと高をくくっていた。
だが、なんだ今のこの気持ちは、なんだ。
一体なんだって言うんだ!!!
気付けば私はドアの前にいた一呼吸し覚悟を決め、ドアノブを勢いよく引くと。
黒いカソックを纏い仮面をつけた長身の男が、私の娘の胸を貫き手で貫いていた。