幼馴染の独り言
「えっ、前と言ってること違くない?」
「だって最近気が変わったんだから、しょうがないじゃん」
夏香と下校中、突然告げられた事実に耳を疑った。
「でも何で急に……前は内園に行くって言ってただろ?」
「んー、高ヶ原は硬式テニス部があるからね。内園はソフトテニス部しかないし」
以前、夏香から公立の内園高校と滑り止めの私立高校を受けると聞いていた。
俺も内園高校を受験する予定で、「また一緒かよ」とか冗談で言っていたのに。
「でも、高ヶ原は内園より少しむずいだろ? 大丈夫なのか?」
「そこは頑張って勉強するし」
「でもなぁ……」
すると、夏香が少しニヤっとした笑みを浮かべて俺の顔をのぞき込む。
「ふーん……もしかして、私がいないと寂しい?」
「は!? んなわけねーし!」
「いいよいいよ、無理しなくても」
「無理してない!」
俺の必死の否定も、全く意に介さず笑顔の夏香。
「だからさ、一真も高ヶ原受けようよ。剣道部もあるし」
「……考えとく」
保留の返事をしたところで、夏香の家の前に到着し、そこで別れた。
杉浦一真と羽村夏香は小学校の頃からの付き合いだ。
外でもよく一緒に遊んだし、俺の家に呼んだりもした。
中学生になってからは、お互い部活が忙しくなり、家に来たりすることはなくなった。でも、学校では顔を合わせれば話をするし、お祭りのようなイベントには誘われたりする。
俺の日常には、夏香がいるのが当たり前のようになっていた。
小学生の頃の夏香は、男子と変わらないくらい元気で、一緒にバカできるやつくらいにしか思っていなかった。
中学生になってからは、多少活発さは落ち着いたが、それでも持ち前の明るさは変わらない。
そういえば、昔よりは見た感じ女の子っぽくなった。前はかなりの短髪だったけど、今は肩ぐらいまであるし。まあ、可愛くはなったな……
なんて、こんなことを考えてしまうのは、三年生の夏の大会で剣道部を引退して、予定にぽっかり穴が空いたせいだろうか。
自分の胸の内とは対照的に、頭上には澄み渡った秋の空が広がる。
「はぁ……」
そんな空を見上げながら、俺は軽く息を吐いた。
***
自宅に帰って夕食を食べた後、二階にある自室へ入る。
そこで、クローゼットの扉を開け、中に潜り込む。
他の人が見たら奇妙な行動に映るかもしれない。しかし、自分にとってはここが、考え事をしたり、気分を落ち着かせたりするスポットになっていた。
きっかけは、アニメでネコ型ロボットが押し入れに入っているのを見たからだ。
うちは押し入れではなくクローゼットだが、うちのクローゼットの扉は横にスライドするタイプなので、構造は押し入れのふすまに似ている。
試しに中に入ってみたら、これがなかなか良い。
秘密基地のようなワクワク感に加えて、ちょうど良い狭さで落ち着くのだ。
扉を閉めきっても、扉には通気性を高めるためのすき間が空いており、近づけばぼんやりと外が見える。秘密基地としては完璧だ。
ただ、以前クローゼットに入っていて母親に怒られたので、なるべく見つからないようにはしている。
俺は、クローゼット内に敷いてある簡易的なマットの上で横になって、置いてあるクッションに頭を預けた。
それにしても、夏香は何で急に高ヶ原に行くって言い出したのか……前は高校でもソフトテニスやるって言っていたのに。
多少、腑に落ちない部分はあるが、気が変わったのなら仕方ないか。
高ヶ原も内園も公立なので、どちらか一校しか受験できない。
以前、高ヶ原も志望校として検討したので、高ヶ原の情報は頭に入っている。
両校のメリットとデメリットを比較し、しばらく考えた後。
うん、俺も高ヶ原高校を受験しよう。
別に夏香に言われたからってだけではなく、高ヶ原の方がレベルも高いし、大学に進学するなら将来にもつながる。
そうだ、そうしよう。
しかし、内園なら余裕だと思っていたけれど、高ヶ原だと少し勉強を頑張らなければいけない。
夏香だってそのはずだ。
俺と夏香は、定期試験のたびにテストの点数を競い合っている。
いつもお互い勝ったり負けたりなので、そんなに差は無いはず……だったのだが。
この前の試験では、ほとんどの教科で負け越して、「あれあれ~、一真くん、どうしちゃったのかな~?」と、めっちゃイジられたんだった。
くっ、次は絶対勝つからな……!
***
翌日、登校して一時間目の授業の開始を待っている間。
友達の赤木から聞いた話に驚きを隠せなかった。
「え、深澤も高ヶ原受けるのか……?」
「らしいぞ、それで硬式テニスやるんだって」
しかも、夏香が言っていたのと同じ理由、硬式テニス部のためらしい。
深澤はソフトテニス部に所属していたイケメン。
人当たりの良い性格で、男女問わず好かれている。
俺も少しは話したことがあるが、確かにいいやつなんだよなぁ。人として全く対抗できる気がしない。
もしかしたら、夏香が急に高ヶ原を目指すことにしたのは、深澤と同じ高校にいくため……
そんな思いが頭に浮かんできて離れない。
実際、夏香と深澤が話している場面はよく見かける。
同じ部活なのだから会話していても別に不思議ではないと、今まではそれほど気に留めることもなかったのだが。
赤木が思い出したように話を続ける。
「そういやこの前、放課後に羽村と深澤が一緒に歩いてるのを見たって、友達から聞いたな」
「そりゃ同じ部活やってたんだから、一緒に歩くことくらいあるだろ……部活やってた時に、一緒に帰ったりすることだってあっただろうし……」
「いやでも、ぐずぐずしてたらヤバいんじゃね? 深澤、いいやつだし、イケメンだし」
「ヤバいって、何が?」
「いやいや、お前さ……隠してるつもりなのかもしれんけど、バレバレだからな」
赤木がやれやれと、あきれたような態度を見せたところで、国語の教師が入室してくる。教室内に散らばっていた生徒は各々の席へ戻った。
赤木の言いたいことは分かる。
だが、夏香が深澤に合わせて志望校を変更したのだとしたら、すでに夏香の気持ちは深澤に向いていることになる。
正直、信じられない……というより、信じたくない。
授業の合間の休み時間に隣の教室を横切る際、夏香を見つけようとしたものの確認できなかった。
どうやら、隣のクラスは次の時間、教室を移動する授業らしい。
階段の付近までやってくると、階段を並んで下りて行く二人の後ろ姿が目に入った。
「今の成績だったら推薦で行けるだろう、って先生から言われたんだ」
「えー、すごいじゃん! 深澤くん、頭いいからなぁ。私は一般で頑張るしかなさそう」
「羽村ならいけるって」
「うーん、だといいけどね」
夏香と深澤が和気あいあいと話しながら、階下へと消えていった。
俺はその後ろ姿をただ呆然と見つめることしかできなかった。
***
その後、授業の内容も全く頭に入らず、いつの間にか昼休みを迎えた。
何もやる気が起きず自分の席でボーッとしていると、夏香がうちの教室に入ってきて、俺の方へ歩み寄ってくる。
しまった、どこかへ移動しておけばよかった……
「ねぇねぇ! さっき聞いた話なんだけど……って、あれ? 一真、どしたの?」
「……何が?」
「すごい機嫌悪そう……何かあった?」
「……何もねぇよ」
「嘘。絶対何かあったでしょ。教えてよ」
彼女のこの気遣いに、過去に何度も助けられてきたことがある。
ただ、今だけはそっとしておいて欲しかった。
破れかぶれになり、言葉が思わず口をついて出る。
「俺さ、高ヶ原じゃなくて、内園受けようと思うんだ」
「え……何で?」
「やっぱ俺にはレベル高いし、剣道やるならどっちでもいいかなって」
「そう、なんだ……」
突然、俺の話を聞かされて、驚き戸惑う夏香。
少しの沈黙の後。
「……一真がそう決めたんだから、それでいいんだと思うよ。お互い頑張ろ」
そう言って、彼女は振り返り、さっさと教室を出て行ってしまった。
***
全ての授業後、ホームルームが終わってすぐに教室を飛び出した。
夏香と顔を合わせずに済むように、できるだけ早く。
校門を出て、学校からある程度離れたところで、早歩きのペースを緩める。
夏香に内園へ行くと宣言してしまった。
とっさに出た言葉。内園を選んだ理由はでっちあげだが、内園に行きたいという思いは、偽りではなく本心に添うものだ。
もし仮に、俺も高ヶ原へ進学した場合、夏香と深澤が仲良くしているのを見ることになる。それだけは耐えられないと思うがゆえの発言だった。
でもこれで、夏香との関係がより希薄になってしまうのかと考えると、胸が苦しくなる。
とにかく今は誰とも話したくない。
公園などは誰かと遭遇する可能性があるので避けたかった。
結局、家へ帰るしか手がないと思い、家路を急ぐ。
二階建ての自宅へ到着したが、今日は母親が在宅しているはず。
自分でも分かるが、今の俺は相当ひどい顔をしていると思う。
こんな顔で家に入れば、母親からあれこれ聞かれるのは目に見えている。
そこで、俺は塀伝いに裏口の方へ回り、静かに裏口の戸を開ける。
このルートを通ることで、リビングの方にいるであろう母親と接触せずに、二階の自分の部屋へ行くことが可能となる。
音を立てないように裏口の戸を閉め、忍び足で廊下を進み、ゆっくりと階段を上った。
自分の部屋へ入って、扉を閉める。
着替える気力もないので、クローゼットを開けてバッグを置き、制服のままその中へ入り込んだ。
クローゼットの扉を閉めきり、マットの上に横になる。
何も考えたくなくても、先ほどのことが頭に浮かんでくる。
寝て忘れようにも、眠気など全くない。
ただひたすら、時間がたつのを待っていた。
しばらくして、インターホンのチャイムの音がかすかに耳に届く。
宅配便か何かだと思い、そのまま横になっていたのだが。
俺の部屋の扉が急に開く。
「ごめんね~、一真もうすぐ帰ってくると思うんだけど」
「いえいえ、大丈夫です!」
「久しぶりに来たんだから、ゆっくりしてってね~」
「あ、はい! ありがとうございます!」
ん!?
母親と……夏香の声!?
驚いて身体を起こしクローゼットの扉のすき間に近づくと、すき間からぼんやりと制服姿の夏香が見えた。
何で夏香がここに!?
夏香がこの家に来たのは小学生の頃以来じゃないか?
いやいや、それよりも目的は何なんだ?
というか、出ていった方がいいよな……?
でも正直、今、一番顔を合わせたくない相手なんだが……
出ていくことをためらっていると、夏香が部屋のある一方へ向かった。
「あ、懐かしい~」
夏香がそう言って手にしたのは、オオサンショウウオのぬいぐるみだった。
大きめの枕くらいのサイズ感で、ぬべ~っとした憎めない顔をしたやつだ。
彼女はそのぬいぐるみが大好きで、うちに遊びに来るたびに抱きかかえていた。
「今日はね、君の持ち主に話したいことがあって来たんだよ」
夏香がオオサンショウウオの顔を自分の方へ向け、話し始める。
その声色は、先ほどまでの高いトーンから一転して、どこか物憂げだった。
「さっき一真から、内園を受けるって話を聞いたんだ。その場では、いいんじゃない、って言ったけど、内心すごくショックだった。一真がちゃんと考えて決めたことなのに、反対したら嫌がられるかなと思って、本当のことは言えなかった」
それは、包み隠されていない、夏香の本当の気持ちだった。
「私、バカだなぁ。私が高ヶ原受けるって言ったら、一真も一緒に受けてくれるんじゃないかって、勝手に思い込んでた」
彼女は少し視線を上へ向ける。自身の記憶を辿るかのように。
「私が、あれしたい、これしたい、って言った時は、文句言いながらでもいつも合わせてくれるし、私が困ってる時はいつも助けてくれるし……私、一真の優しさに甘えてたんだよね」
夏香は少しうつむき、声をしぼり出す。
その様は、まるで悲しみを押し殺すかのようで。
「だから、一真は内園に行くって言ったのかな。一真が言ってた理由はたぶん嘘。本当は私に振り回されるのが嫌になって、もう私と離れたいってことなのかも……」
夏香は苦悶の表情を浮かべて。
「でも、私、一真と離れたくないよ……」
そして、オオサンショウウオをギュッと抱きしめた。
「だから、一真が帰ってきたら、ちゃんと話したい。いつも振り回してごめん、ってちゃんと謝りたい。受験も内園に変えて、それで……一真は嫌がるかもだけど……ちゃんと気持ちを伝えたい。一真のこと、いつも大事に思ってるよ、好きだよ、って」
好っ……!
バンッ!
驚いて思わず扉に手をぶつけてしまった。
夏香がこちらを凝視している。
これはもう出ていくしか……
ゆっくりとクローゼットの扉を開いていくのに合わせて、夏香の表情も徐々に驚愕へと変わっていく。
「ひいいいいぃぃぃぃやあああああぁぁぁぁぁ~~~~~~~~!!!!!」
夏香が、頭の上から突き抜けるような甲高い悲鳴をあげる。
耳をつんざくような声が、部屋中の空気を揺らした。
「か、一真、何でいるの……そこに……」
「いや、それは話すと長くなるっていうか……」
その時、部屋の外の階下から声が聞こえた。
「夏香ちゃんー? 何か声が聞こえたけど、どうしたのー?」
夏香はさっと立ち上がり部屋のドアを開けて、階段の下の母親へ向けて呼びかける。
「大声出してすみません! 大丈夫です!」
そして、夏香はドアを閉め、俺の近くへ来て座った。
その表情には明らかに不機嫌さがにじみ出ている。
「そこにいたんだったら、何で出てこないの?」
「いや、最初は出ていこうと様子を見てたんだけど、途中からどんどん出ていきにくくなったから……」
夏香は顔を紅潮させながら下を向く。
「……聞いてたよね? 私の話」
「え、それは……」
「……どの辺から?」
「……最初の方から……」
「ありえない!!!」
そう言って、彼女は両手で顔を覆ってしまった。
「ご、ごめん……」
すぐにクローゼットから出ていかなかったことは、本当に申し訳ないと思う。
「でも、夏香は深澤が好きなんだと思ってた」
俺の言葉に反応し、彼女は急に顔を上げた。
「はあ!? 何で!?」
「いや、急に高ヶ原の硬式テニス部に行きたいって言い出したから、てっきり深澤に合わせたのかと」
「別に私だけじゃないから! 部を引退した三年生の間で硬式やってみたいって話が出てて、私もそう思っただけ。何で深澤くんの名前が出てくるの!?」
「よく一緒にしゃべってるし」
「それは同じ部だからね!」
言ってる自分が恥ずかしくなってきた。思い込みが激しすぎたな。
言い終わると、彼女はそっぽを向いてしまう。
「勝手に話を聞いたことは悪かったと思ってるよ。本当にごめん……」
しかし、彼女は何も言わず、依然として俺の方に顔を向けようともしない。
こんな謝罪では足りないことは分かっている。
彼女の偽らざる気持ちを知ってしまったのだから、それに対する俺の答えを出す以外に、この場を収める方法はない。
だが、答えなど、はるか昔から決まっている。
「今から俺が言うのは、全部独り言だから。そのつもりで」
深く息を吸い込み、少し上を向いて。
「好きだよ!! 俺だって!! 俺が夏香を嫌いになるわけないだろ!! ずっと仲良くしたいと思ってるよ!! 何度でも言うけど、俺は、羽村夏香が好きだあああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
俺の想いを力強く叫び、声が部屋の中に響き渡った。
身体全体が急激に熱を帯びてくる。
夏香はこちらへ向き直り、目をまん丸にしてポカンとしている。
「めっちゃ恥ずい……でもこれで、おあいこだろ?」
気をまぎらわせるために、俺は頭をかきむしった。
夏香は少し吹き出して、顔をほころばせる。
「なにそれ、一真らしい……でも、ちゃんと気持ちを教えてくれたから、許す」
そう言って、夏香は俺の隣に移動して座った。
彼女は自分の腕を俺の腕にからめ、頭を俺の肩に乗せ、身を寄せてきた。
触れている場所から、夏香の体温を直に感じる。
彼女からは爽やかな良い香りがした。シトラスと言うやつだろうか。
彼女の髪の毛が俺の首筋に当たって、少しくすぐったい。
「独り言のボリュームは壊れてるけど」
「そういう冷静なツッコミはナシで……」
その時、徐々に足音が近づいてきて――
「夏香ちゃん! やっぱり何かあった……」
あ。
いきなり部屋のドアが開かれた瞬間、現れる母親。
しかし、母親は部屋の中の状況を把握した瞬間にその場で固まった。
そして少し間を置いて、そのまま何も言わずにゆっくりとドアを閉めたのだった。
うわぁ、何この気まずさというか、言いようのない気持ち。
身体は熱いのに、冷や汗みたいなの出てきたんだけど……
母親としては、部屋にいないはずの息子がなぜいるのか、その息子が近所の幼馴染の女の子となぜ寄り添っているのか、大混乱だろう。
息子の見ては行けないものを見てしまった、というようなあの母親の表情は、何年たってもそうそう忘れることはできないと思う。
「……見られちゃったね」
意外にも、夏香は俺の腕にギュッとつかまったまま離れない。
「見られても気にしないんだな」
「いいんじゃない? 一真のお母さんにだったら」
思わず「え、なにそれどういう意味?」と口から出そうになったが、やめておいた。
夏香が帰り際、「今日はありがとうございました」と平然として母親にあいさつしているのにはさすがに感心した。女ってすげぇ。
俺はとてもじゃないけれど、母親の顔を見ることができそうもない。
夏香が帰った後、どうなるんだよこれ……
***
受験ムードが本格化し、来る本番へ向けて周囲の空気も一段と引き締まる。
やがて、年が明け、私立高校の入試と合格発表。それが落ち着いてから公立高校の入試が行われた。
そして、陽光から感じる暖かさが日増しに強くなる頃。
俺と夏香は、一緒に学校へ高校合格の報告をし、帰り道を並んで歩いていた。
「よかったねぇ、二人とも高ヶ原合格できて」
「ああ、ほんとにな」
満足そうにほほえむ夏香の横顔を見て、俺も表情が緩む。
急に夏香が俺の下の方にチラッと目を向けた。
そして、俺の手を握り、くっついてくる。
「ちょっ、ここじゃ誰かに見られるぞ」
「別にいいじゃん。せっかく付き合ったのに、受験勉強で全然一緒にいられなかったんだし」
「それはしょうがないだろ」
「私は一緒に勉強しても良かったのに、一真が一人で勉強するって言うから」
「……今だから言うけど、夏香と一緒だと全然勉強に集中できないんだよ」
「ひど。私、邪魔したりしないよ?」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
俺が口ごもっていると、夏香は何か思い至ったのか、目を細めニンマリと笑う。
「……もしかして、私が気になるから?」
「………………んぁ」
「なにその返事。正直に言いなよ。ほらほら」
そう言って、夏香は手をつないでいる方のひじで、俺の脇をツンツン押してくる。
そこで思わず声が漏れる。
「……夏香が可愛いすぎるから」
ツンツン攻撃がピタッと止んだ。
「今日はやけに素直じゃん……」
夏香は少し照れたように下を向いた。
ちなみに、言った自分も恥ずかしさで身悶えそうだが……
それから、しばらく言葉を交わさずに歩く中。
「ねぇ、今さら思ったんだけど」
夏香が不意に口を開く。
「あの時は、お互い独り言だったでしょ? だから、今度は面と向かってちゃんと言わない?」
何でまたそんな恥ずかしいことを……と一瞬頭をよぎるが、確かに大事なことだとは思った。
俺が立ち止まって彼女の方へ向くと、彼女も歩みを止めてこちらを見る。
俺はその瞳をしっかりととらえて。
「好きだ、夏香」
それを聞いた夏香は、とびっきりの笑顔で。
「私も好きだよ、一真」
ずっと前から心に秘めていた言葉。
もう心にしまっておく必要はない。
伝えたい言葉を受けとめてくれる相手が、いつだって隣にいてくれるのだから。
読んでいただき、ありがとうございました。