16 フィーネのスローライフ3
書庫に行って、植物図鑑を借り、読んでいると夕食の時間だと知らされた。
ノアと初めて食事をとるため、二階にある客間から一階の食堂に降りていく。
この城の食堂には初めて入ったが、とても大きく天井も高い。
窓は大きくとってあり、暮れなずむ湖畔の景色が眺められた。
フィーネが嘆息していると、ほどなくしてローブを目深にかぶったノアが入って来た。
それを待っていたかのように、前菜が運ばれてくる。
ノアは意外にきれいな所作でフォークやナイフを操るが、フードをとる気配はない。
「ノア様、なぜ食事中にフードをかぶってらっしゃるのです?」
「ん? 俺の顔を見てお前が食欲をなくすとこまるからな」
とんでもないことをさらりとした口調で言う。
「そんなわけないです。フードをかぶったままでは食べにくそうですし。お気になさらないでください」
「そうか、わかった」
短く言って彼はフードをおろす。初めて見た時、びっくりして気絶してしまったのが悪かったのだろう。彼に余計な気を使わせてしまった。
「ここに着いたときは、体調も最悪で……。それで気を失ったのです。ノア様のせいではありません」
フィーネははっきりと言った。
彼はその言葉に頷くと鹿肉を切り分け、口に運んだ。彼と二人で食事をすることによって不思議とフィーネの食欲は増した。
そして、ノアは食後にフィーネにポーションを渡すと、彼女が飲み終わるまで見守っていた。
◇
そんなある日、フィーネは再び研究棟に連れていかれた。別に毎日彼の実験に付き合わされるわけではなく、フィーネを使って実験をしたいときだけ、研究棟に呼ばれるのだ。本当に楽で贅沢な生活を送らせてもらっている。
研究室にはいつもロイドが茶と茶菓子を用意しておいてくれていた。これほど実験体大切に扱う彼に、なぜおかしな噂が立ったのかと、フィーネは不思議でならない。
「測定器を改良してみた。手をかざしてみてくれ」
フィーネがいつものティーテーブルに座り、ノアに指し示された水晶に手をかざすと、ふわりと光が漏れた。
「少しだけ、魔力がもどったようだ」
「不思議です。自分に魔力があるだなんて」
本当に今更だ。
「ああ、だが、残念なことにお前の魔力は垂れ流しになっている」
「垂れ流し?」
「箍が外れたように常に外にあふれている」
「まあ、周りの人に害はないのですか?」
「微弱なものだから、害はない。害があるとしたら、お前にだ。ポーションをいくら飲んでも、魔力が蓄えられることはない。だから、魔力制御を覚えろ」
「魔力制御ですか?」
「そうだ。まずは体をめぐる魔力を意識しろ」
そういわれてもフィーネには何の実感もなかった。
「両手を出して」
言われるままにフィーネは両手をノアの前に差し出す。するとノアはいつもしている分厚い手袋を脱いだ。右手にもひどいやけどの跡がある。
「この手で触れるけれど構わないか」
「はい、大丈夫です」
左手は温かく、やけどの跡で引き攣れた右手はガサガサして少し引っ掛かりのある感触だった。彼は不便を感じないのだろうかと、ふと思う。
「それじゃあ、今から魔力を送り込むから手に意識を集中してくれ」
「はい」
言われたとおりにすると、手から少しずつ熱が腕に上ってきて、やがて体中が温かくなってきた。
「魔力が体をめぐっているのがわかるか?」
「はい、何だか体がポカポカします」
ノアがすっと手を離すと温かさが消えた。
「あら」
「これが魔力の流れだ。これを感じることができるということは、お前に魔力があるという証明だ」
「魔力がないと何も感じられないのですか? 私の気のせいだということはないのですか?」
「ないな。お前は今俺の魔力に反応したんだ。以前兄のかけた制約魔法にかからなかったと言っていただろう? 」
「はい、なぜか不思議と魔法にはかかりません。あの時は逃げられないと思ったので、かかったふりはしましたけれど」
「それは魔力耐性があるからだ。それも相当強い。だから余計、簡易的な魔力測定器には反映されにくいんだ。まあ、お前の兄の魔法もしょぼいのだろう。ではフィーネもう一度、手を出して」
手を出すと卵くらいの大きさの黒く滑らかな石をのせられた。
「あのこれは?」
フィーネはしげしげと黒い石をみる。黒曜石のように艶があり美しい。
「お前は俺の実験体だ。魔力のサンプルを取りたい。今からこの石に魔力を込めてみろ」
「ええ? どうやってですか?」
「今やったように体の中を魔力がめぐるイメージをもて。それをゆっくり石に注いでいくんだ」
「なかなか難しそうですが、やってみます」
フィーネが生真面目に頷く。
「根をつめなくていい、気長にやってみろ」
そういうとノアはフィーネから離れ、薬瓶と薬草を取り出し、ビーカーをセットし始めた。どうやら別の実験を始めるようだ。
フィーネはいつものティーテーブルに座り、ノアに言われたとおり目をつぶり、ゆっくりと魔力が体を巡るイメージを再現した。それを石に注いでいく、やがて石がポカポカと温まって来たような気がした。
「フィーネ。ストップ!」
ノアの鋭い声にびっくりして、フィーネは石を取り落としそうになった。
「全く驚いたな。危険なくらい魔力の放出がはやい」
石は磨き上げられた水晶のように透明になっていた。
「あら、さっきは黒かったのに」
「気分は悪くないか?」
大丈夫だといったのに、ノアがポーションを持ってきて、フィーネに飲ませた。すっと体が楽になる。
「あの、このポーションものすごく高価な物ではないですか?」
おずおずと聞く。
「問題ない。ポーションの開発は俺が手掛けている。材料はすべてそろっているから自給自足できる」
「ノア様ってすごいのですね」
「当たり前だ」
少し得意げに言うと、彼はすぐに顔を引き締めた。
「次は、この石から自分の体に魔力を戻すんだ」
「え? どうやって。それにサンプルをとるんじゃなかったんですか?」
「いいから、石を手に握り、まずはその温かさを感じるんだ。その温かさが自分の体に流れ込んでくるようにイメージしてみろ。今度は目をひらいて石の変化を見逃すな」
ノアが見守る中でフィーネは言われたとおりにした。しかし、石の色は少し曇って白くなっただけだった。
「今日はここまでにしておけ、部屋に戻っていいぞ。それからこの石はお前がもっているように。石から、魔力を戻す訓練はしてよいが、魔力を流し込む訓練は絶対にひとりでしないように」
ノアが真剣な目でフィーネを見据えた。
「はい、お約束は守ります」
フィーネは頷くと、ノアに願いを口にした。
「今日はこれから、湖畔にお散歩に行きたいのですがいいですか?」
「別に構わないが、一人で行くなよ。それから無理はするな」
ノアから許可が下りた。
「はい! ついでにそこで軽く昼食にしようかと思っています。ノア様もお時間があったら、ぜひご一緒しませんか? 私、ピクニックってしたことなくて」
ノアとは一日一回は食事を共にする約束をしている。
「うむ、時間があったらな」
ノアはパッと身を翻すと、フィーネに背を向け、ビーカーの上にロートを設置し始めた。
(ピクニック、楽しみだなあ)
昼食は庭で取りたいから、サンドイッチを包んでほしいと頼んである。
フィーナは残りのお茶を飲み干し、うきうきと席を立った。