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第六話 十二年越しの婚約指輪④

「だが、俺は再びこの怒りを燃え上がらせる事になった。ベルクオーレン家とフォルテ王家との協定。その結果、リベルタ家をはじめとする王都の商人たちは打撃を受けた」


 ヨハンの顔が再び激情に燃え始め、重なっていたルッツの顔がかき消された。


「リベルタ家に取り入って、ようやく富も地位も手に入れた俺の栄光を、あいつは再び嘲笑(あざわら)うように()(さら)っていく。だから俺は当主を(そそのか)して、この脅迫計画を遂行した。リベルタ家の目的は縁談を潰すための令嬢暗殺。そして俺はその裏で、ひそかにお前をおびき出しお前自身を(ほうむ)り去る計画を立てたんだ」

「私を……」

「そうだ。エルメルト家に使用人を何人か間者として入り込ませ、侯爵に影武者を立てるよう仕向けた。劇団がつぶれ下町で貧相な生活を送っていたお前に興味を示させ、お前が表舞台に出てくるように」


 いったいどこからどこまでがこの男の策略だったのだろう。よくよく考えたら不思議だった。どうしてカインがわざわざ行方不明になっていたロザリーを探し出したのか、あの時からすでに、この男の策略は動いていたのか。


(じゃあ、その歯車を回していたのは――)

「俺にとって幸運だったのは、予想よりも早くお前を見つける事が出来た事だ。それもすべて、俺のかわいい弟のおかげだ」


 ヨハンは背後を振り返る。ハンゼは先ほどから俯いたままで微動だにしない。


「ハンゼ……」


「こいつがお前と顔見知りになっていたのは僥倖(ぎょうこう)だった。神様は俺に味方していた、とさえ思ったね。――さて、少し長くなったがここまで話せば何故お前がそこに転がされているのか、理由は分かっただろう?」


 ヨハンはせせら笑いを浮かべる。完全に気が触れた男の姿をロザリーは冷静に見つめた。


「――ああ、よくわかったよ」


 ロザリーは激痛に顔をゆがめながらなんとか上体を起こした。そして今度は、ロザリーがヨハンに対し嘲笑を返す。


「お前が救いようのない馬鹿野郎だって事はな」


 言い終わる瞬間、ロザリーの顔面に固い靴が飛んできた。痛みにうめいたロザリーはそれでも毅然(きぜん)としてヨハンを睨みかえす。


「いい度胸だな、この野郎!」


 追撃が加えられようとしたその時、


「もうやめろよ、兄さん!」


 ロザリーを(かば)うようにハンゼが立ちふさがった。彼は真っ青な顔をして、実の兄であるヨハンに立ち向かう。


「俺は兄さんが昔裏切られた友達に復讐したいっていうから、渋々手を貸したんだ! 本当はそれだって嫌だったのに、兄さんのやってる事はただの逆恨みだ! そのうえ俺の大事な友達を傷つけるなんて、俺は……、これ以上は許容できない!」

「ハンゼ……」


 ハンゼはガタガタと震えながらヨハンを睨みつけた。邪魔をしに入ったその弟をヨハンはゾッとするような冷えた目で見つめている。


「俺、兄さんにずっと同情してたんだ。父さんが兄さんを商人に売りつけて、俺はあの家であの怪物と二人きりになった。怖くて、いつ俺も兄さんみたいになるかわからなくて……。でも俺はあの家で生き延びた。今はもう父さんも怖くない。でもずっとあの日の兄さんの事を悔いてた。ただ見ている事しかできなかった俺を、俺は誰よりも恨んで、軽蔑した」

「……」

「だから兄さんと再会できた時嬉しかったんだよ。たとえ昔の面影が無くなってたって兄さんは兄さんだって! その兄さんのために少しでも力になれればいいって……、そう思ってたんだ!」


 ハンゼの悲痛な叫びが洞窟内にこだまする。ロザリーはその叫びに身体が痺れるほど突き動かされたのに、真正面にいるヨハンはピクリとも動かず、そして、


「言いたい事はそれで全部か? ハンゼ」

「……」

「お前は賢い奴だと思ってたんだがな」


 ヨハンが隣の大男に目配せをした。次の瞬間、彫刻の様に動きを止めていた大男が驚異的なスピードで動き、ハンゼを殴り飛ばした。


「ハンゼ!」


 数メートル先に吹っ飛んだハンゼはピクリとも動かない。気を失っただけか、あるいは――。


「お前……、ハンゼは弟じゃないのか⁉」

「そうだ、大切な可愛い弟だ。だが、俺の言う事を聞かない奴は皆敵だ」


 ヨハンの顔には一切の情がない。その割り切れ方にロザリーは改めて戦慄した。この男はすでに心が壊れているのだ。人を信じる心も誰かを傷つける事の罪悪感も一切持ち合わせていない。


「さて、話が逸れたなロザリー。お前は俺を侮辱(ぶじょく)した。その償いはしっかりしてもらわないとな」


 ヨハンが指を鳴らすと、どこに潜んでいたのか、にやにやと下卑(げび)た笑いを浮かべた男たちが集まってきた。連中は(うずくま)るロザリーを取り囲み見下げる。その光景は、昔ロザリーが(さら)われた時と同じものだった。


「さあ、あの時の再現といこうか」


 ロザリーの身体がどっと汗が噴き出した。幼かったあの頃の、無抵抗で(なぶ)られたあの記憶を思い出して体が委縮する。


 逃げなければ。


 そう思うのに動けない。嫌だ、またあの時みたいに、あの人を傷つけるのだけは――。


「そこまでだ」


 陰湿な空気を切り裂く清涼な声。ロザリーはハッとして金縛りが解けた。

 群衆を割るように現れたのは額に汗をにじませ焦燥に顔をゆがませたルートヴィッヒ=ベルクオーレンだ。

 幻か、蜃気楼か。ロザリーの目の前にもう二度と会えないと思っていた男がいる。


(来て、くれるんだな)


 こんな時に、たったそれだけの事が泣きたくなるほど嬉しかった。ルートヴィッヒと視線がかち合う。彼もまた、同じように泣きそうな顔をした。

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