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第五話 獅子と溝鼠⑥

 ◆

 その日ルッツは(はや)る足取りで繁華街をかけていた。仕事を終え、とある店に立ち寄ったせいですっかり遅くなってしまったが、大急ぎで中央広場を目指す。

 今日は劇団『サンヴェロッチェ』の公演の千秋楽、彼らの今年最後の王都での晴れ舞台をどうしても見ておきたい。そして、


「……」


 ルッツはポケットの中に無理やりしまい込んだそれをもう一度確認する。知らずに顔がにやけている事に気づかず、通りすがる人はルッツの顔を見て怪訝そうに首をひねる。


「やべっ、もう公演始まってる時間じゃないか」


 時計塔の針はすでに公演開始時刻を回っていた。足早に広場に向かうが、広場に近付くとその異変に気付いた。


(あれ、まだ始まってない……?)


 広場は観客で一杯で、セットの用意も出来ている。それなのに、肝心の役者たちが誰も舞台に上がっていない。周囲の客たちも困惑した様子でざわついている。

 ルッツは人込みを縫って舞台裏に向かった。誰もいない、控えはもぬけの殻だった。

 一体どうしたのだろう? ルッツは胸がざわついて仕方がなかった。

 嫌な予感がする。ルッツは再び走り出すと、今度は王都の外、『サンヴェロッチェ』の野営地へと向かった。

 ルッツは知らずのうちに全力疾走になっていた。息が苦しい、早く確かめなければと、何かがルッツを責め立てる。


 野営地に着いた時、その異常に愕然(がくぜん)とした。

 辺り一面焦げ臭い。プスプスと黒煙を巻き上げ、劇団の使用していたキャラバンやテントが燃えていた。もうほとんど火は消し止められていたものの、そこら中に燃えた廃材が散乱し、あるいは衣装や家具、様々なものが破壊され打ち捨てられていた。

 そんな惨状を劇団員たちが呆然と眺めていた。ルッツは彼らに近付くと何があったのかを尋ねる。


「……ギャングの襲撃があったんだ」

「ギャング⁉ なんで⁉」

「分からねえよ。今朝急に大勢で押し掛けてきたと思ったら、俺たちの積み荷を手あたり次第に壊して火をつけてった」


 絶望に震える声。蒼白になった顔。

 彼らの目の前で何が起こったのか、想像するに恐ろしかった。


「……っ、ロザリーは⁉」


 ルッツは慌てて少女の姿を探した。焼けた跡地を探していると、向こうからエドヴィンの怒号が聞こえてきて慌てて駆け寄る。


「くそっ! おい、モディボ! 放しやがれ!」


 エドヴィンは興奮した様子で、複数の団員たちに押さえつけられていた。エドヴィンより大柄な男がかろうじて彼を繋ぎとめているが、今にもどこかに飛び出していきそうだ。


「エドヴィンさん!」


 ルッツが向かうとエドヴィンは興奮した様子でルッツを凝視する。


「襲撃があったって聞きました。あの、ロザリーは――」


 ルッツが言葉に詰まっていると、近くの女性団員が赤く泣きはらした目で涙声で呟いた。


「攫われたの……」

「えっ」


 頭を鈍器で殴られたような衝撃がルッツを襲った。


 攫われた――? 誰に?


 その答えは地面に伏せられたままのエドヴィンがくれた。


「……ジャックドーだ」

「え……?」


 聞きなれた単語にルッツは息が止まるかと思った。


「ジャックドーと名乗る連中が、俺たちのテントを荒らしていった!」


 そんな、まさか、ジャックドーはルッツが属していた組織で。

 嘘だ、そんなはずがない。ジャックドーの奴らが自分の指示もなくこんなことするはずがない。けれどもここしばらく、ジャックドーと距離を置いていた事も事実で。


「それに奴ら、ロザリーを……、連れて行っちまって……! くそっ! こんなところでじっとしてるわけにはいかねぇんだよ!」

「ダメです! 団長! 相手は徒党を組んだギャングなんですよ⁉ 今憲兵に連絡しています!」


 ロザリーを助けに行こうとするエドヴィン。それを必死に止める団員達。

 そんな彼らの横で、ルッツはただひたすらに嫌な想像ばかりを掻き立てられ――。


「……っ!」


 ルッツは三度駆けだした。再び王都の中へ、今度の行き先はルッツの暮らす下町だ。ジャックドーがいつも集結する路地裏に向かい、曲がり角を曲がったその時、


「うわああん‼」


 痛々しい少女の悲鳴が響いた。その瞬間、ルッツの全身から血の気が引いて足が止まる。

 男たちの怒鳴り声、何かを殴る音、断続的に響く少女の泣き声。



 嘘だ。

 嘘だ、嘘だ。



 ルッツは一転しのろのろとした足取りで、その路地裏にゆっくりと踏み込んだ。そこに広がる光景に目を(そむ)けたくて、でも、背けるわけにはいかなかった。


 そこに少女がいた。

 手足を縛られ、綺麗な服は土で汚れ、地面に転がされていた。顔は所々が鬱血(うっけつ)し青く腫れ、涙でぐしゃぐしゃになっている。

 ルッツは気が遠くなりそうになるのを必死に堪え、少女を取り囲む男たちを見据えた。


「おー、やっとリーダーのご到着だ」


 ルッツの姿を見て不快な笑みを浮かべたのは、ルッツの知らない男だった。こいつだけじゃない。周囲にいる奴らはどいつもこいつもルッツの面識のない男ばかりだ。


「お前ら……、何者だ?」

「やだなー、リーダー。ジャックドーの一員、あんたの部下だよ」

「俺はお前らなんて知らない」

「そりゃあそうだ。あんたがここに顔を見せなくなった後に入ったんだから」


 新参たちはケラケラと笑っていた。不快な声だ、吐き気が込み上げてくる。


「劇団を襲ったのはお前たちか?」

「ああ、そうだよ。俺たちは生きるために金品を強奪したんだ」

「今まであんたもやってきた事だろ?」


 彼らの発する言葉の全てがルッツの神経を逆なでる。呼吸が浅くなって、視界が狭くなっていく。


「……じゃあ、そいつは何だ?」

「ああ、これか? 遊べるかと思って連れてきたらとんだじゃじゃ馬でさ」


 男は小さな歯型のついた腕をこちらに見せつけ、


「ちょっと(しつ)けてやってたんだ」


 男の薄汚い靴がロザリーの腹を小突いた。はは、と嘲笑が耳に障り、


「さすがに犯す気にはなれねえけどなぁ、こんなガキじゃ」

「でも結構美人じゃね? もうちょいでかくなったら――」


 ルッツは頭に血が上り、ロザリーを小突いた男の顔を思い切り強打した。男の身体が壁に激突し派手な音を立てる。一発じゃ足りなくて、ルッツはその男に馬乗りになって何度も何度も殴りつけた。手の皮がめくれて血が飛び散っても構わずに何度も、何度も――。


「おい! なにしやがる!」


 今度は止めに入ろうとした男の頭を掴んで壁に叩きつけた。うめき声と共に男はあっさりと気を失ったが、構わず凶行をつづけた。


 ――殺してやる。


 ルッツは赤く染まった視界の中で呪詛のように呟いた。


 殺してやる。彼女を傷つけたこいつらを。ボコボコに()り潰して跡形も残してやるものか――。


「おい……、やべえよ、あいつ」


 残った者たちはルッツの錯乱に怯えて後退し始めた。逃げようとする彼らを逃がすまいと、そちらに方向を変えた時、


「――ルッ、ツ……」


 消え入りそうな声がルッツを呼んだ。敵に殴りかかろうとした拳が止まる。

 ルッツは足元を見下ろした。倒れたままの少女が、恐ろしい怪物を見るような視線を送っていた。

 彼女の濁った眼に鬼の形相をした自分が映っていて、ようやくルッツは呼吸を思い出して我に返る事が出来た。


「ロザリー……!」


 ルッツは意識が朦朧としているであろう少女に駆け寄った。目も当てられないほどボロボロになった少女の痛ましさに目頭が熱くなる。


(なんで……! どうしてロザリーがこんな目に遭わなきゃいけないんだ!)


 悔しさと怒りで涙が止まらなかった。一体なぜ、彼女が傷つけられなくてはいけなかったのか。


「お前が悪いんだよ、ルッツ」


 その時今日初めて知った声を聞いた。路地の入口に、やはり見知った顔を見る。見知った顔のはずなのに、その男は初めて出会ったような感覚をルッツに与えた。


「ヨハン……」

「お前がジャックドーを捨てたからさ。足抜けなら制裁が必要だろ?」


 ヨハンの言葉がドロドロに溶けた鉛のようにルッツの身体に流れ込んでくる。言葉の意味を途切れそうな理性の中でなんとか咀嚼(そしゃく)して、


「お前が、あの人たちを襲わせたんだな……?」

「……」

「この子を(さら)って、傷つけたんだな? 俺をおびき寄せるためだけに――」


 ここ一か月、ルッツが郊外に野営している『サンヴェロッチェ』の元に通っている事は周知の事実だった。そしてロザリーと特別仲良くなったことも。

 ならば、ロザリーが傷つけられたのは――、


「ヨハン‼」


 ルッツは腹の底から、かつての友の名を叫んだ。声を聞き届けたであろう友はルッツが今まで見た事もないような凶悪な顔で笑う。

 遠くで喧騒が聞こえてきた。先ほど逃げていった男たちの悲鳴が聞こえる。


「……ああ、案外早かったな」


 一人冷静なヨハンは路地の向こうを眺めて平然と呟いた。


「さすがに郊外であんな派手に暴れたから軍が出動しちまった」

「なっ……」

「言っとくけど俺は『ジャックドー』の名前を出せとは指示してないぜ。あの馬鹿どもが勝手にやった事だ」


 ヨハンはにやりと笑いこちらに背を向けた。


「じゃあな、ルッツ。俺はまだ捕まりたくないんでね」

「――待て」

「生きてたら、また会おうぜ親友」

「ヨハン‼」


 遠ざかるかつての友の背を追いかけるべくルッツは立ち上がろうとした。その時、何かが地面に落ちる小さな音がしてハッとする。

 そこに掌に収まるサイズの小箱が落ちていた。真新しいが質素ですぐ壊れてしまいそうなガラクタの箱の中から、これまた(いびつ)で大して価値のなさそうな小さな銀の指輪が飛び出した。

 今日、ルッツが初めて貰った給料で買った、ロザリーに渡すための指輪だ。安物だがおもちゃではない。婚約の証として、彼女に渡そうと思っていたそれがコロコロと薄汚い路地の石の上を転がった。


(――どうして、こんなことに)


 その指輪を渡すはずだった少女は、ルッツの腕の中で気を失っている。痛々しい憐れな少女の姿に、ルッツも同じように全身が八つ裂きにされたように痛んだ。


「……ごめん、ごめんな。ロザリー」


 何度謝罪の言葉を口にしても彼女は目を開けてくれなかった。

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