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第三話 南部へ⑥

 ◆

 それからまた半日ほど馬車に揺られた頃、前方に高い城壁に囲まれた町が見えてきた。


「あれがブラムヘンの街だ」


 ブラムヘン辺境伯であるルートヴィッヒの本拠地は思いの外大きな街だった。辺境伯というから田舎の何もないところだと勝手に思っていたけれど、城壁をくぐると長閑だがそこそこに発展した街並みが広がっている。


「この町は南東方面への中継地点にもなってるから、結構人通りも多いんだ」


 街には質素な農民や手工業者の他に、荷車や(かご)を背負った商人の往来(おうらい)も散見される。中心街を少し外れて傾斜の強い坂道を上っていると、両側に見事な段々畑が広がっていた。


「うわあ、これ全部ブドウ?」


 フロレンツィアが窓から顔を覗かせ感嘆の声を上げる。畑では領民たちがたわわに実ったブドウを収穫している様子が見えた。


「私の直轄領のブドウ畑だ。ワインはここの名産でね、ちょうど今収穫期なんだよ」


 その様子を眺めるルートヴィッヒの表情も穏やかだ。ロザリーも思わず外の情景に見惚(みと)れる。ふと、畑で作業をしていた初老の男がこちらに気づき大きく手を振った。


「止めてくれ」


 ルートヴィッヒが御者(ぎょしゃ)に命じると馬車は速度を落とし、道の脇に停止した。ルートヴィッヒが扉を開けて道に降りると作業をしていた領民たちが嬉しそうにルートヴィッヒの方に駆け寄ってくる。


「お帰りなさい、領主様。今回は随分長旅でしたね」

「ああ、王都の方へ行っていたんだ」

「へぇ、王都ですかい。随分遠いところですな、お疲れでしたでしょう」

「まあな。ウォルフこそまた腰を痛めたりしてないだろうな?」

「儂は問題ありやせんよ」


 ウォルフと呼ばれた初老の男性は照れたように頭を()いた。その脚元からまだ五歳くらいの少年がひょっこりと顔を出す。


「領主様!」

「トマスか、いい子にしていたか?」

「はい! 父さんと一緒に畑の手伝いを沢山しました」

「そうか、えらいな」


 ルートヴィッヒがトマスの頭を撫でると、トマスは目を輝かせて満面の笑みを浮かべる。

 領民たちと(たわむ)れるルートヴィッヒを馬車の中から眺めていたロザリーは、その様子に唖然(あぜん)とする。


「領民にも慕われていらっしゃるのね。素敵な方……」

「そう、でしょうか……?」


 うっとりと目を細めるフロレンツィアには悪いが、目の前の光景は旅の疲れによる蜃気楼(しんきろう)か何かではないかと疑ってしまう。

 (くも)り一つない笑顔も幼子(おさなご)を愛おし気に見つめる瞳も、昨晩ロザリーを翻弄(ほんろう)した人間とは思えないものばかり。


(やっぱりよくわからない……)


 ロザリーが眉間に(しわ)を寄せため息をつくと、民を(ねぎら)い終えたルートヴィッヒが満足そうに戻ってきた。


「すまないな、止めてしまって。では行こう」


 再び馬車は畦道(あぜみち)を駆けていく。ブドウ畑を越え領主の屋敷に向かうまでに、何度か領民とすれ違ったが、皆ルートヴィッヒの馬車だとわかると嬉しそうにこちらに手を振ってきた。


「ここの領民たちはルートヴィッヒ様に対する信頼が厚いのですね」


 フロレンツィアが告げるとルートヴィッヒもまんざらでもなさそうに微笑(ほほえ)む。


「ここの者たちは大人も子供も皆働き者でな。私もとても助かっている」

「きっとルートヴィッヒ様の人望がそうさせているのですわ」

「私の力など微々(びび)たるものだ。彼ら無くしてはこの領地も立ち()かない。だからこそ領主として出来る限りの事はしてやりたいと思ってるんだ」


 ルートヴィッヒの言葉に嘘は見えず、本当にこの領地と民を大切に想っているのがわかる。なんだかんだとフロレンツィアとも話は弾んでいるし、これを機にいい方向に向かえばいいとロザリーは思っていた。と、


「ルートヴィッヒ様は、いつからここの領主に?」


 フロレンツィアの質問に不意にルートヴィッヒの表情が(くも)った。一瞬、路地裏で見たあの獣の様な光が瞳に映ってロザリーはどきりとしたが、幸いフロレンツィアは気づいていないようで、


「……ここにきて三年くらいだろうか。元々は王都で暮らしていたので」

「まあ、そうだったんですか」

「父にね、突然この領地を継げと命令されて仕方なく、だから……本当の事を言うとこの地には愛着も何もなかったんだ」


 ルートヴィッヒは笑顔で答えたが、声音はどこか怒りを押し殺したようなものだ。フロレンツィアは気づいているのかいないのか、嬉しそうにそれを聞く主人を横目にロザリーは硬い表情で二人のやり取りを聞いていた。




 それからしばらくもしないうちに、町の丘のてっぺんにある領主の屋敷に辿り着いた。煉瓦(れんが)で組まれた素朴な造りだが、土地の広さゆえにその大きさは破格で、まるでお城の様だ。外観はエルメルト家のお屋敷よりも一回りは大きい。

 よく手入れされた庭を通り抜け正面玄関の前に馬車が横付けされると、三人は静かに馬車を降りた。


「着いた……」


 ロザリーは思わずホッと息を漏らした。王都から四日ずっと馬車に揺られ、リベルタ家からの追手が来ないかと気を張り、フロレンツィアの体調と機嫌を損ねないように気を配っていたため思った以上に疲労は大きい。


(結構大変だったな)


 気疲れした旅の次は、見知らぬ豪勢なお屋敷での滞在。さすがのフロレンツィアも疲労がピークに達したのか、到着したにしては物静かにロザリーの肩に寄りかかっている。


「二人とも、疲れているようだから今日はゆっくりするといい。部屋を用意してあるから――」


 ルートヴィッヒがロザリーに向かって愛想笑いを浮かべ屋敷の中へ招こうとしたまさにその時、先に扉が開いた。

 重厚(じゅうこう)な扉から顔を出したのは、初老の男だった。胸飾りに金刺繍の(ほどこ)されたフロックコートに淡い色のベストを着こんだ上品な貴族の身なり。(とび)色の髪と口ひげ。(わし)(ばな)と鋭い目はまるで手負いの猛禽類(もうきんるい)の様だが、


(あれ、この顔……)


 どこかで見た気がすると、ロザリーが()視感(しかん)を抱いているとその答えはすぐに明らかになった。


「――父上、何故私の屋敷に?」


 ルートヴィッヒが固い声と表情で尋ねた。硬い、というよりも酷く緊張して――怯えているような声音だ。


「ここの執事長に少々話があったのでな。お前が不在なのはわかっていたが、上がらせてもらった」

「……」

「そちらのお嬢さん方が例のエルメルトのご令嬢か?」


 男は感情の無い目でロザリーたちを見据える。その冷たさにロザリーとフロレンツィアはひゅっと肝が冷えた。なんて目をするのだろうと、ろくに貴族と面識のないロザリーは戦慄(せんりつ)する。

 だが、ルートヴィッヒは彼を父と呼んだ。ならばこの男はベルクオーレン家の当主。確かに目鼻立ちはルートヴィッヒによく似ている。道理で見た事あると感じるわけだ。


「父上、何故エルメルトのご令嬢が来ることをご存じなのです?」

「私の情報網を見くびってもらっては困る。ここに来る道中、何か所かベルクオーレン家懇意の者の元に世話になっただろう?」

「……」

「彼らを責めるなよ、無理やり聞き出したのは私だ」


 ルートヴィッヒは渋面を浮かべぎりりと奥歯を噛む。涼しい顔をした男は、ルートヴィッヒを放置し静かにロザリーたちの元に歩み寄った。


「初めましてエルメルト家のご令嬢、フロレンツィア=エルメルト殿。私はザイル=ベルクオーレン、ベルクオーレン家の当主でルートヴィッヒの父だ」


 脱帽し(うやうや)しく挨拶するザイルに気圧(けお)されつつ、フロレンツィアが粛々(しゅくしゅく)とお辞儀をした。


「お初にお目にかかります、ベルクオーレン卿。お忍び(ゆえ)、このような格好で失礼いたしますわ」


 カムフラージュのための質素な服を着たフロレンツィアであったが、その所作は完璧であった。だが、ベルクオーレン卿は眉一つ動かさず変わらぬ冷たい目でそれに応える。


「遠路はるばるようこそお越しくださった。此度(こたび)の事、若い娘には随分酷な事であっただろう。御父上にも大変ご迷惑をかけた」

「いえ、お気遣い痛み入りますわ」


 フロレンツィアは気丈にも恐怖を隠し、堂々とベルクオーレン卿と対峙していた。側で見ていたロザリーは内心ハラハラとして、それでも主と同じように平然を装う。と、


「そちらはご令嬢の従者か?」


 その冷たい瞳がロザリーに向けられ、ロザリーは身を強張らせる。まさか自分にも話を振ってくるとは思わず言葉に詰まっていると、その時、初めてベルクオーレン卿の表情が変わった。


「……其方(そなた)、名は?」

「へ? 私、ですか?」


 名まで訊いてくるとは思わず狼狽(うろた)えながらもベルクオーレン卿に向きなおる。


「ロザリー=ヴェロッチェ、と申します」


 名を名乗ると、ベルクオーレン卿の目が益々(ますます)興味深そうに見開かれた。そして、


「――そうか、お前があの(・・)ロザリーか」


 しみじみと呟くベルクオーレン卿にロザリーは固まる。


(あの、って何のことだ?)


 ロザリーにも事情が分からずポカンと(ほう)けていると、


「父上、もういいでしょう。話があるのでしたら日を改めてください」


 底抜けに不機嫌になったルートヴィッヒが間に割って入った。まるでロザリーをザイルの目から覆い隠すように、実の父に向かって立ちふさがる。


「……そうだな、ではお嬢さん。いずれ、また――」


 ザイルは一礼をするとあっさりと馬車に乗り込んだ。一瞬視線がロザリーの方に向けられたのにどきりとして、ロザリーは何やらよくわからず、ベルクオーレン卿が去って行くのを見送った。

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