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第三話 南部へ②

 それから数時間後、ロザリーはフロレンツィアの自室で荷物の用意を手伝っていた。


「お嬢様、早くお決めにならないと夜中になってしまいますよ」


 フロレンツィアは向こうに持っていく洋服選びに難航しているのか、かれこれ一時間はクローゼットの中をぶちまけて、布の海の中でああでもない、こうでもないと睨めっこを繰り返していた。


「何よー、そもそもロザリーがお使いから帰ってくるのが遅かったのも原因でしょ?」

「私のせいにしないでください」


 次々に放って寄こされる洋服を馬鹿みたいにでかいトランクに詰める作業をしながら、ロザリーは苦言(くげん)を吐いた。確かに、港でハンゼと出会いすっかり話し込んでしまい、さらにそこで聞いた情報をカインに報告していたせいで遅くなったのは否定しないが、それをフロレンツィアの荷物の梱包(こんぽう)が終わらない原因にされたら堪らない。

 当のフロレンツィアは真剣な顔で服を選び続けている。


「ねぇ、ロザリー。こっちとこっちならどっちがいい?」


 彼女の両手にはよく似た色のよく似た形のドレス。正直違いが判らない。


「どちらでもよろしいんじゃないですか?」

「良くないわよ! こっちはリボンが大きいし、でもこっちもフリルの形が――」

「お嬢様、遊びに行くんじゃないんですから。お洋服は最小限にしろと奥様にも言われたでしょう?」

「これは私のじゃないわよ。貴女の分」

「私のは必要ありません。使用人服で十分です」

「使用人服って……、向こうでもその男物着るの⁉ ダメよ! 私の従者としていくんだから絶対ダメ!」


 フロレンツィアは頬をぷくっと膨らませ抗議した。小動物のような仕草に可愛らしさを感じつつも今は(ほだ)されてはいけない。


「お洋服は大事よ。ルートヴィッヒ様のお屋敷にお世話になるんですもの」


 フロレンツィアはうっとりと頬を染めまた服選びに没頭(ぼっとう)し始めた。

 フロレンツィアはルートヴィッヒの事が相当気に入ったらしい。少しでも可愛く見せたいという乙女心なのだろう。


「随分とお気に召したんですね、ルートヴィッヒ様の事」

「うん! だって格好いいし、上品だし、お優しいし。あんな方が婚約者だなんて言われたら嬉しいに決まってるじゃない」


 ついこないだまで南部の田舎に嫁ぐのは嫌だと言ってたのに、なんとも変わり身の早い事だ。

 しかし、やはりロザリーは手放しに喜べなかった。フロレンツィアはまだあの男のもう一つの顔を知らない。恐らく現状ロザリーにしか見せていない、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)不遜(ふそん)で手負いの獣の様な獰猛(どうもう)さや不安定さのある彼の一面を。それを知らずにここまで妄信(もうしん)できるというのは、純真なフロレンツィアらしいと言えばらしいのだが、それでいいのだろうかとも思ってしまう。


「それにロザリーだってルートヴィッヒ様の事嫌いじゃないでしょ?」

「は……?」

「だって昨日あの方の事熱心に(かば)ってたじゃない?」

「……熱心になんて庇ってないです」


 昨日応接間で述べた事はロザリーの本心だ。でも、それはあくまでもルートヴィッヒ=ベルクオーレンという男と接した中で客観的に感じた事実を述べただけ。


(好意とかそんなんじゃない)


 手を動かしながら、ロザリーは必死に自分に言い聞かせる。そんなロザリーをしり目に、当のフロレンツィアは気にした(ふう)もなく実に楽しそうに持っていく服をこちらに(ほう)って寄こしてくる。


「まあどっちでもいいけど。せっかくの遠出なんだもの、ロザリーも楽しみましょうよ。はい、これロザリーの服」

「だから私の服なんていりませんよ。向こうでは変装する事もないですし」

「何言ってるのよ。あんたも着て一緒に散歩するのよ、ほら」


 せっかくロザリーが綺麗に詰めようとしているところに無理やりドレスを横から突っ込んでくる。ロザリーは声にならない呻き声をあげて、主人の横暴に耐えた。と、


「――ね、ロザリー」


 不意にフロレンツィアが少し震えた声でロザリーを呼ぶ。フロレンツィアがこういう態度をとる時は彼女が不安を感じている時だとロザリーは最近わかるようになってきた。


「向こうでもロザリーは私の側にいてくれるわよね?」

勿論(もちろん)。そのために付いていくんですから」


 ロザリーはフロレンツィアの護衛兼お世話係。万が一、フロレンツィアが身の危険に(さら)されるような事があった時に真っ先に彼女を助けられるよう守るのがロザリーの役割だ。

 側にいると口で言っても、フロレンツィアの表情は晴れない。ふと、ロザリーはその理由に思い(いた)った。

 普段は我儘(わがまま)で子供っぽい言動の目立つ彼女も、さすがに昨日初めて自分を狙う刺客の姿を目の当たりにして恐ろしいと感じないわけがない。ロザリーも危うく命を落としそうになって、父親や兄もピリピリし始めて。

 ルートヴィッヒとの事で妙にテンションが高いのも本当にルートヴィッヒを気に入っただけじゃなくて、刺客の事を考えまいとしているのかもしれない。子供っぽいように見えて、実は思う以上に繊細な方なのだという事を失念していた。

 ロザリーは荷物を詰める手を止めると、側にあったフロレンツィアの小さな肩を優しく引き寄せた。ロザリーの腕の中で、フロレンツィアが(わず)かに強張(こわば)る。


「ロザリー……?」

「大丈夫ですよ、お嬢様」


 ロザリーはフロレンツィアの背をさする。ロザリーは一人っ子で兄弟はいなかったけれど、妹がいたらこんな感じなのかと想像を巡らせた。


「お嬢様は何があっても私が守ります。――貴女が無事に、ルートヴィッヒ様の元に嫁げるように全身全霊をかけてお守りいたしますから」


 言った瞬間何故か体の奥がチクリと傷んだけれど、ロザリーは構わずフロレンツィアに笑顔を向けた。するとフロレンツィアはまた急に身を固くして(うつむ)く。顔は見えなかったけれど、髪の間から覗く耳が赤くなっているのが見えた。


「本当に貴女って無自覚よね」

「……どういうことですか?」

「何でもない。……約束よ、ロザリー」


 フロレンツィアはロザリーに(すが)り付き、胸に顔をうずめて(つぶや)いた。


「側にいてね、絶対に私に黙っていなくならないで」

「――はい、お嬢様」


 ロザリーは静かに頷いて、フロレンツィアの小さな体を抱きしめ返した。



 ◆

 月が高く昇る(よい)の口、ひと際暗いじめじめした下町の通りをハンゼは足早に歩いている。

 目的地はセントレアの城壁近く。そこに待ち合わせている相手の姿を確認して、ハンゼは険しい顔つきになった。


「よお、来たな。ハンゼ」

「……久しぶり、ヨハン兄さん」


 ハンゼが兄と呼んだのは仕立ての良いジャケットにズボンを()いた男だった。血の繋がった兄のはずなのにすっかり幼い頃の面影(おもかげ)が無くなったその男に、ハンゼは緊張した面持(おもも)ちで話しかける。


「兄さんに言われた通り、ロザリーにリベルタ商会の噂と『ジャックドー』の事を教えておいたよ」

「ああ、ご苦労だったな。ほら、報酬だ」


 ヨハンは金貨の入った皮の小袋をハンゼに手渡す。小さいながらもズシリとした存在感のある重みに嬉しさよりも後ろめたさと恐怖が(まさ)った。


「なあ兄さん、どうしてロザリー……俺の友達に兄さんの商会の話をする必要があったんだ? わざわざあの屋敷の使用人を買収して、あいつをおびき出すようなことまでして――」

「必要な事だったからだ。不要な追及はしてはいけないよ。ハンゼ」


 不要な追及はするな、それはつまり知られると世間的にまずい事なのだとハンゼは察した。無意識に身体が震える。実の兄だからと頼みを受けてしまった事を今更ながらに後悔した。


「ねえ兄さん、うちには帰ってこないの? そりゃあ、兄さんは父さんに会いたくないかもしれないけど……」

「悪いな、俺はもうあの家には戻らないし、あの親父がどう野垂(のた)れ死のうが知った事じゃない」

「でも、父さんも今はもう改心してるよ。改心、……というか。身体悪くして気力を失くしているだけだけど」

「改心してようが病魔に侵されようが、俺がされたことがなくなるわけじゃないんだよ」


 ヨハンの言葉に一切の情がない。それほどまでに実の父親を憎んでいる。その事がありありと伝わってきてハンゼは胸が痛くなった。かと思えば、ヨハンはハンゼの肩に優しく手を置いて、


「だがな、俺はお前の事は心配してるんだ。お前は心優しいからあんな父親でも見捨てられないのはわかっている。それでも、あんな汚い襤褸屋(ぼろや)なんか捨てて、リベルタのお屋敷に来てほしいとずっと思っているんだよ。屋敷に来ればもっと楽な暮らしをさせてやれるし、お前なら商会の仕事だってできる」

「俺に商売なんて向いてないよ」

「そんな事ない、お前は頭もいいし容量もいい。すぐにでも俺の仕事の手伝いができるだろう」


 幼い頃父のせいで離れ離れになった兄は、父の事を強烈に恨んでいる。それから数年後、再びハンゼの前に現れた兄はすっかりと変わり果てていた。彼は高価な服を身に纏い、まるで貴族のような(なり)で悪魔の(ごと)き笑みを浮かべる。


『最近リベルタ商会の船が密売やってるらしいぜ』


 仕事仲間の噂話を聞く度、ハンゼは動悸(どうき)が止まらなかった。そして極めつけは、そのリベルタ商会の人間となった兄から命じられた指令。

 彼が一体リベルタ家で何をしているのか、ハンゼは聞く事が恐ろしかった。


「まあいい、気が変わったらいつでも言ってくれ。俺は可愛い弟のためなら何だってしてやるさ」

「……あ、ああ。ありがとう、兄さん」


 顔に張り付けられた(うす)ら笑いが怖い。ハンゼはすっかり別人になってしまった兄に会うのが怖くて、でも血を分けた兄弟ゆえ拒絶することも出来なかった。


「そうだ、近々またお願いすることもあるかもしれない。勿論給金は弾むよ」

「……うん、俺に出来る事であれば」


 そんな兄の笑顔を見ていると、自分まで笑顔になれているかわからない時がある。


「ところで兄さん、もう一つ聞いてもいいかな?」

「なんだ?」

「『ジャックドー』って昔下町で兄さんが所属してた組織だよね? どうして今更その名前を使う必要があるんだ?」


 ロザリーに商会の噂を流す事もさることながら、『ジャックドー』についても言及しろというのもよくわからなかった。やはりまた「知る必要はない」事なのだろうか?

 するとヨハンは目を三日月型に細め不気味な笑みを浮かべた。その(おぞ)ましさにハンゼはとうとう戦慄(せんりつ)を覚える。


「それはね……、ある奴をおびき寄せる御旗(みはた)なんだ」

「御旗……?」

「その名を掲げれば、あいつは必ず気づくんだ。この謀略の裏にいるのは誰か――」


 ヨハンはひくひくと喉を鳴らせて笑い出した。ハンゼは思わず後退りする。


(ロザリー……)


 ハンゼはつい数時間前に会った友の顔を思い出し、罪悪感に押しつぶされそうだった。

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