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中編



 実母という味方を得てからシャーロットの横暴は日増しにひどくなった。さらに、デルシアナ王国の公爵の血筋ということで権力に目がくらんだ一部の貴族が取り巻きになったので、状況はますます悪くなる。


 騎士仲間がアンをかくまってしばらくは難を逃れていたのだが、なんとシャーロットは 学園主催のパーティの警護としてわざわざアンを指名したのだ。

もちろん騎士団長は断ったが、シャーロットはデルシアナ王国をちらつかせて無理やり要求を呑ませた。

 デルシアナ王国と我が国は同じくらいの国土だが、デルシアナ王国はドラゴンを手懐けて使役している唯一国だった。デルシアナと戦えばまず勝ち目がないのである。



 ゆえにしぶしぶシャーロットの申し出を受けざるを得なかった。

 騎士仲間はできるだけアンがシャーロットから逃げられるようにと目立たない端の方に配置した。

ところが、シャーロットは犬のような嗅覚でアンを見つけ出し、取り巻きを連れて近づいていった。


「この方がシャーロット様の婚約者を惑わした恥知らずなのかしら? 男のようなそのなりでどうやってギールグット卿を誑し込んだのかしら」

 取り巻きの令嬢がアンをあざ笑う。


 騒動を起こせば騎士団に迷惑がかかるため、アンはシャーロットの取り巻き達に何を言われても耐えていた。

騎士仲間が気づいて割って入ろうとしたが、他の令嬢がそれを止める。



「ちょっと! そこのお前!! 持ち場を離れてどうするつもりですの!? まったく、アン・ユーベルという女が誑し込んだのはケヴィン様だけではないのね。本当に卑しいったら!」

 憤慨する令嬢に可憐な声が窘める。

「皆さま。そんなに虐めないで差し上げて……。アンさんは下町で育ったお可哀そうな方なのよ」

 声の主はシャーロットである。

 アンやベアトリスと二人っきりの時は牙を隠さないが、大衆がいるときは『婚約者を取られた哀れな令嬢』を演じ切るのだ。


 シャーロットが恋敵にも優しく振る舞う姿ははたから見ればあまりにも尊く、取り巻きどころか他の出席者の同情を引いた。


「まあ、なんてお可哀そうなことでしょう」


「あれが巷で噂の堕落した騎士、アン・ユーベルですのね」


「なんでも悪名高いメディルス伯爵夫人の腰巾着というではありませんか、大人しそうなふりをしてマクダウェル嬢から婚約者を奪うなんて本当に恐ろしいこと」


「しかも、バルギル卿のご子息を誘惑して婚約破棄に持ち込んだとか、騎士道どころか人道にも悖る振る舞いですわ」

 遠巻きに見ていた令嬢たちが眉を顰める。


「あんな者が騎士になるなど王立騎士団の面汚しだ。これは議会に挙げて除籍するべきだな」

 正義に燃える令息が言い、その友人たちも頷く。

 



 シャーロットはアンの評判が落ちていくのを心の中で笑う。

『ふふふ。うまくいったわ。わたくしからケヴィン様をとろうとするからよ。とっととゴミダメにお帰り!』


 

 人々がアン非難をしていく中、一人の声がそれを制した。

「お黙りなさい!! アン・ユーベルはそのような批判を浴びる謂れはありませんわ!!」

 大階段から声を上げたのはメディルス伯爵夫人、ベアトリスだった。

 学園主催とはいえ、大商会や教会の聖職者、資産家などの学生以外も招待しており、ベアトリスはクレメール侯爵が運営する酒造事業の代表として招待されていた。

 わが国有数の事業主ということで商会の人間や投資先を探している資産家は好意的な視線で見る。海千山千を乗り越えてきた人たちはシャーロットの演技などとっくに見抜いているのだ。


 しかし、世間知らずな人間たちはシャーロットの演技にすっかり騙され、シャーロットを非難するベアトリスに腹を立てた。


「メディルス伯爵夫人。あなたがこの騎士と組んで悪行をなしたと聞き及んでいます。あなたの擁護は聞き入れられません!」


「そうですわ! それにシャーロット様とギールグット卿の仲を引き裂くなんていくら侯爵令嬢とはいえ横暴ですわ!!」


 甲高い声で吠えてくる令嬢たちにベアトリスが怒鳴りつける。


「いい加減に目を覚ましなさい。いつギールグット卿がシャーロット・マクダウェルと婚約をしたというの?! 婚約披露パーティすら開かれていないでしょう!? すべてマクダウェル嬢のでまかせにしか過ぎないわ」

ベアトリスの指摘に人々はハっとした。

確かに婚約披露パーティに招かれたこともなければ、侯爵家がケヴィンの婚約者としてシャーロットの名前を挙げたこともない。


 人々の視線がシャーロットに向く。

 だが、シャーロットはうろたえず、むしろ辛そうな顔をする。

 


「……ケヴィン様はわたくしよりアンの方が魅力的だと仰って婚約破棄をしたのですわ。本当なら皆様の前で婚約披露をするはずだったのですけど、直前になって白紙になってしまったのです」

 シャーロットは震える声で言った。

 目に一杯涙を溜め、今にも泣きそうなシャーロットに罪悪感を刺激され、人々は疑ったことを後悔し、ベアトリスへの怒りを再び燃やす。

「メディルス伯爵夫人! 言いがかりもいい加減にしてください。マクダウェル嬢をここまで悲しませて心が痛まないのですか!?」


「そうですわ!! シャーロット様があまりにもお可哀そうですわ」

 義憤に駆られた令嬢令息がベアトリスを睨む。

 だがベアトリスはそれを堂々と睨み返した。


「王立学園は愚か者の巣窟にでもなったのかしらね。マクダウェル嬢のうわべにすっかり騙されて嘆かわしいったらありゃしませんわ。マクダウェル嬢もさぞ騙し甲斐があったでしょう。あなた、詐欺師が天職なのでは?」

 ベアトリスはシャーロットを一瞥し、ふふっと笑った。

 見下されたと感じたシャーロットは苛立ちを感じたが、表情を崩さず可憐な令嬢を演じた。


「メディルス伯爵夫人。酷いです……酷いですわ。そんな侮辱をするなんて……」

 ぽろぽろと泣き出すシャーロットの前に人垣ができ、口々に慰める。



「水掛け論をしても始まらないわね。ならマクダウェル嬢が嘘をついているという証拠を見せましょう」

 ベアトリスはそう言うと、階段の上を見あげて合図を出した。

 すると二階の入り口から初老の男性がゆっくりと階段を下りてきた。

 その後ろにはケヴィンが付き従う。


 シャーロットはケヴィンの姿を見つけると大きな声で言った。

「ケヴィン様!! どうか目をお醒ましになってください。わたくしは本当にあなたのことをお慕いしているのです。婚約破棄などおやめください!!」


 取り巻き達は非難の目をケヴィンに向け、口々に責め立てる。

「ギールグット卿!! 紳士としてあるまじき振る舞いだぞ! 私はあなたを見損なった!」

「そうですわ。シャーロット様という方がありながら、裏切って他の方を選ぶなんてなんてひどい方なのでしょう!」


 すぐにでもアンの側に行きたいケヴィンは見当違いな批判を浴びせてくる彼らを嫌そうに睨んだ。

「いい加減にしてくれ! 私はマクダウェル嬢と婚約した覚えは一切ない。貴族の結婚には国王の許しが必要だが、二人で登城して挨拶したことすらないよ。疑うなら内務府の誰かに訊いてみればいい」

 ケヴィンの言葉は筋が通っており、批判は一時的に止んだ。

 しかし涙の止まらないシャーロットを見て、彼女が悪だとはどうしても彼らは思えなかったのである。


 ベアトリスは声を上げて周囲の注意を自分に集めさせた。ケヴィンがアンの側へ行きやすくするためと、シャーロットに復讐の鉄槌をくらわすためである。


「マクダウェル嬢。あなたは隣国のヒュアード公爵が自分の祖父だと言っていましたわね。こちらにいらっしゃるのがヒュアード公爵ですわ。ケヴィンが隣国まで行ってここにお連れしましたの」

 ベアトリスがヒュアード公爵に会釈をする。

 公爵はこくりと頷くと何かを判断するようにシャーロットを見つめた。


 シャーロットは戸惑いながらも笑顔を見せた。

「はじめましておじいさま。お会いできて光栄です! シャーロットと申します」

 

愛らしい顔を向けるシャーロットにヒュアード公爵は喜ぶこともなく、ため息を吐いただけだった。

「先ほどの騒動を上から見ていたぞ。まったくお前はジェシカそっくりだな。同じような手口でお前の母ジェシカは私の娘パトリシアを陥れて婚約者を奪おうとしたのだ。まったく血筋とは恐ろしい」


 公爵の言葉で会場からどよめきが起こる。人々は戸惑いながら顔を合わせた。

 シャーロットは公爵の言っている意味が分からず、きょとんとした顔をした。


 意図が伝わっていない様子に公爵は疲れ切った顔で言葉を続ける。

「お前の母が何と言っていたか大体想像はつくが、お前の母ジェシカは私の娘パトリシアのメイドにすぎん。下町で物乞いをしているのを拾った恩も忘れ、パトリシアを陥れて婚約者を奪おうとしたのだ。国外追放先でまさか貴族を捕まえて伯爵夫人になっているとは思わなかったがな。相変わらず人を誑し込むのが上手いらしい」

 底冷えする公爵の言葉にシャーロットは足場が崩れていくような感覚に襲われた。



「な、なんのことをおっしゃっているのかわかりませんわ。おじいさま。あ、もしかしてメディルス伯爵夫人に何かを吹き込まれたのでは? 彼女はわが国で悪役令嬢と名高いお方なのですよ。おじいさまはご存じないようですけれど」

 シャーロットは愛らしい顔で笑って見せた。

 何も知らない者が見れば純粋無垢で庇護欲をそそられる表情だった。


 しかし、公爵は冷たい表情のまま崩さない。

「お前の出自の話にメディルス伯爵夫人は関係ないだろう。彼女を悪役に仕立て上げたいようだが、その余裕がいつまでもつかな。今頃お前の母親ジェシカは捕縛されて牢屋に連れて行かれている。デルシアナ王国の公爵令嬢を騙った罪は重いぞ」

 公爵の言葉にシャーロットは絶叫する。


「ウソよ!! 母さまは本物の公爵令嬢よ! だって公爵家の紋章入りの指輪をお持ちなのよ! それにお母さまは冤罪で国外追放されたと言っていたわ。そのパトリシアとかいう女がお母さまを陥れたのよ。それに貴族の結婚は国王陛下のお許しが必要だわ。それこそ、お母さまが貴族である証よ!」


 ヒュアード公爵は淡々と言い放った。

「指輪は盗まれたものだ。そしてジェシカは人を誑し込むのが異様に上手くてな。貴族の幾人かをうまく騙して書類を偽造していたそうだ。反対する理由がなければ国王も断らん。そこの隙を突かれた形だ」

 ため息をついたのはジェシカの被害者が大勢いたことである。『冤罪で国外追放された哀れな令嬢』に同情した結果、起きた不祥事だった。書類の偽造やら偽の後見人などジェシカのために手を汚した男は大勢いた。おかげで内務府長官は仕事が大幅に増え、外務府長官は隣国への申し訳なさで発狂寸前である。


 ヒュアード公爵の言葉にシャーロットは疑いの目を向ける。

「そんなことあるはずがないわ!! はっ。これはメディルス伯爵夫人の陰謀ね。この男も本物の公爵じゃないんでしょう!!」

 シャーロットが叫んだ。

 しかし、彼女に追従する者は誰もいなかった。

 というのも、彼の礼服につけられている紋章がデルシアナ王国の勲章の一つだからだ。それは竜を保有することが許された証で、ごく一部の特権階級しか持てない。偽物と疑おうにも、一体しかいない虹色竜の鱗から作られるそれは常に発光しており、模造品など作りようがないのだ。



「……シャーロット様。あの紋章は本物ですわ」

 一人の令嬢が言った。

 それに続いてとある令息も言う。


「ヒュアード公爵ご本人であると疑いようがございません。認めたくないでしょうが、出自についてはお認めになるべきです。デルシアナ王国の公爵がここまで出向いているのですから」

 


 シャーロットは悔しそうに歯ぎしりをした。

 目が吊り上がり、恨みがましい顔をするシャーロットの激しさに、人々は疑念を抱き始める。


 公爵はおもむろに口を開いた。

「そういえば、その娘がギールグット卿と婚約したと言っているらしいな。国王陛下に確認したが、そんな事実はなかったぞ」

 公爵の言葉はシャーロットの泣き顔の何倍も信憑性があった。

 シャーロットを囲んでいた人たちはゆっくりと彼女から離れた。


「あなたの言葉にすっかり騙されていたわ」


「メディルス伯爵夫人が悪女だと言っていたけれど、本当の悪女は君の方だったんだな」

 彼らはシャーロットに冷たい言葉を吐いた口で今度はベアトリスやアンに許しを乞う。

「本当に失礼なことをしたわ。ごめんなさい」

「大変失礼した。あの女に騙されていたんだ」

  あまりの変わり身の早さに苦笑するしかないが、ベアトリスは心の中でせせら笑う。


『裏も取らずに扇動されるあなた方の姿は商会や資産家の方々に覚えられているわよ。家が取引をしていたら契約を破棄されるかもしれないわね。それどころか卒業後の進路も危ういわ』

 腹の内でそんなことを考えているベアトリスだが、表面上は美しい笑顔を浮かべているため、人々は、『これで自分は助かった』と安堵しきっている。

 すでに将来が潰された彼らは貴族とは名ばかりの赤貧の暮らしが待っていることだろう。


 味方がいなくなったシャーロットはアンの足に縋りついて髪を振り乱しながら謝った。

「アンさん。今までごめんなさい。すべてあいつらに指示されたことなの!! お願い許して!!」

 シャーロットは取り巻きに罪をおっかぶせた。

 しかしそれを信じる人間はいない。ケヴィンは冷たい目を向けた。

「今さらそんなことを言われて信じるはずがないだろう」

 ケヴィンはため息をついてアンに悲しい目を向けた。

「アン。僕が君を愛してしまったばかりに苦労をさせてしまった。本当にすまない」

 震えるケヴィンをアンは優しく抱きしめた。

「好きな人と一緒に居るための苦労なら厭いません。大好きですよ。ケヴィン様」

 ケヴィンは再び泣きそうになりながらもぐっとこらえ、壊れ物を抱くようにアンを抱きしめた。


 こうして二人はさらに強い絆で結ばれた。その後、シャーロットは厳格な修道院送りとなってアンやケヴィンとかかわることはなかった。



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