閑話2
アンが騎士団に入団したての時の話である。
入団試験で首席を取ったアンを騎士団長が個人的に家に招き、奥方の料理を振る舞ってくれた。
和やかな雑談の中で、騎士団長がふいに尋ねる。
「君はダニエルと面識があるそうだな。どこで知り合ったんだ?」
「ええと、お恥ずかしい話。件の偽者に騙された縁でクレメール嬢を訪ねたことがきっかけですね」
「ほお。君はクレメール嬢と面識があるのか。ダニエルと婚約以来、暗い顔をしているそうだが、話してみてどうだったかね?」
「暗い……とはあの方に似合わない言い回しですね。明るくて楽しい方でしたよ」
アンが答えると騎士団長は肩を落とした。
「そうか。やはりダニエルとの婚約がそれほどお嫌いでいたのだな……」
騎士団長の言葉にアンは目を丸くする。
「ええ?! どういうことですか? 私見ですけれど、クレメール嬢は大隊長をお慕いしているように見えましたよ」
アンの言葉に今度は騎士団長が目を丸くする。
「なんだって?! しかし、クレメール嬢はいつも暗い顔をしているぞ?!」
「顔がお暗い理由は存じませんが、偽者のダニエルに騙された私が婚約破棄を願い出たら嫌がっていらっしゃいましたよ」
過去の愚行を話すのは憚られたが、この際仕方がないとアンは腹を括った。
アンの話を聞いた騎士団長は何やら考え込むと、真剣な顔である夜のことを話し始めた。
■
一週間前、ダニエルに婚約解消を告げられたベアトリスが泣きわめき、クレメール侯爵邸が大騒ぎになっているころ、ダニエルのいる騎士官舎も同じように騒ぎになっていた。
いつも冷静沈着で酒も嗜む程度にしか飲まないダニエルが酒瓶を五本も空け、この世の終わりのような顔をしていたのだ。
側近が酒をやめさせようにも、「頼むから放っておいてくれ。今日だけは飲まずにいられないんだ……」と管を巻く。
仲間の騎士たちはダニエルのこれまでにない姿に動揺を隠せない。
「大隊長は一体どうしたっていうんだよ……」
心配そうにつぶやく騎士の一人に友人らしき男が首を振る。
「仕方がないさ。なにしろクレメール嬢と婚約解消をしたらしいからな。失恋の苦しみはそりゃあもう、地獄だぞ」
彼は遠い目をした。
「大隊長にはお気の毒ですが、クレメール嬢は大隊長と婚約してから人が変わったように暗くなったって話ですし、無理に婚儀を挙げていたらクレメール嬢が家出をしていたかもしれません。むしろ婚約解消して良かったですよ」
冷静な騎士が分析すると、周囲の騎士たちが項垂れる。
「ううむ。ダニエルの受けた心の傷は根が深そうだがなあ」
騎士団長がため息を吐く。
騎士団長の指摘通り、ダニエルはこれ以上ない位に落ち込んでいた。
なにしろ、ダニエルは心底ベアトリスに惚れていたのである。
10年前、親に連れられてクレメール侯爵邸に行った時の事だ。渡り廊下の外で元気に駆けまわる愛らしいベアトリスを見て、輝くような明るい笑顔に一目で心を奪われたのである。
彼女に似合う宝飾品を贈りたくて「どれが似合うだろうか」と毎回さんざん悩んで買うのだが、いざ侯爵家に出向いてもベアトリス嬢の冷ややかな対応にいつもすっかり心が折れ、贈り物を渡すどころか、話もロクにできずにすごすご戻ってくるのである。
ベアトリスがもともと感情の起伏がない女性であれば勇気も出ただろうが、元来、快活な女性が無表情で出迎えるのである。
それに加えて、親を通して夫婦関係を持たない「白い結婚」にしてくれと打診が来ている。これはもう嫌われていると察して当然だろう。
それでも、ダニエルは婚約にしがみついた。
出世すればいつかベアトリスが振り向いてくれると考え、必死で仕事に取り組んだ。大隊長にまで上り詰めて勲章まで貰えたが、ベアトリスの対応はいつも通りで変わらない。
それでも、形だけでも繋がっていたいダニエルはベアトリスとずるずると婚約関係を続けていたのだ。
しかし、今日。ダニエルは快活に笑うベアトリスを見てしまったのである。
自分との婚約が彼女の笑顔を奪ってしまったのだと悟り、泣く泣く婚約解消に至ったのだ。
「……ベアトリス」
愛しい人の名前をつぶやきながらダニエルは飲めない酒を煽った。
同じようにベアトリスがダニエルの名前を叫んでいるとも知らずに。