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閑話1


 10年の空隙を埋めるようにベアトリスとダニエルは二人で過ごすことが多くなった。

 普段は忙しいダニエルだが、騎士団長が気を利かせてスケジュールを調整してくれたのだ。

 おかげでダニエルは休みの日に必ずベアトリスの下を訪れ、不器用ながらも世間話をして過ごしている。

 さらに、これまでの反動のように互いに贈り物を届けるのだが、ここで一つの弊害があった。

 ダニエルがベアトリスに贈る装飾品はすべてピンクや淡いブルーなどのパステルカラーを基調にしたものなのだ。花ならピンクのチューリップ、透き通るような水色のデルフィニウム、宝石ならアクアマリンやパパラチアサファイアである。そしてドレスももちろんピンクや淡い色。さらに可愛らしい花柄をモチーフにしたものが多い。

 これは10年間クールビューティーを目指したベアトリスが『不似合い』を承知で淡い色を身に着けた結果、ダニエルがベアトリスの好みを完全に誤解したせいなのである。


 贈り物には必ず一言添えて『君の好きな色のものがあったから』とある。『君に似合うと思って』ではないのである。良くも悪くもダニエルはお世辞の言えない男なのだ。


 元々、ベアトリスは派手好きである。花なら毒々しい真っ赤な薔薇の花、ドレスは真紅の鮮やかな色合い、宝石類は一番の輝きを放つダイヤモンドか心を高揚させるピジョンブラッドのルビー。

 

 ベアトリスが楚々とした色合いに染まったのはケヴィンの失言のせいである。あれが誤解だと分かった今、似合わない色を着けるよりも自分をより美しく見せるモノを身に着けたい。



「メアリー……。ダニエル様のお気持ちはとても嬉しいし、贈り物も今すぐ身に着けたい気分よ。でも、ダニエル様の前では一番美しくいたいの。このままだと、わたくしは一生を不似合いな色で過ごすことになりますわ」

 ベアトリスは困ったように顔を顰める。


「この際ですから、お気持ちをはっきりお伝えするのはいかがでしょう。今回のことも第三者を挟んだことでおかしくなりましたし」

 メアリーは悩んだ末、そう結論を出した。

 これ以上こじれたらどんな事態になるのか想像するだけで恐ろしい。それはベアトリスも同じである。

 二人はさっそく、バルギル侯爵邸を訪れることにした。




 ベアトリス……クレメール侯爵家から来訪の知らせを受けたバルギル侯爵家はてんやわんやの騒ぎになった。

「どうしましょう、あなた。もしかしてベアトリス嬢はダニエルに嫌気が差してしまったのではないかしら? 何しろあの子は気の利いた話や優雅なエスコートなんてできない朴念仁ですもの」

 侯爵夫人は真っ青な顔で夫を見つめる。


「い、いやしかし、ダニエルは容姿端麗で文武両道の素晴らしい男だ。そう簡単に愛想をつかされるわけが……ない……。なあ、アーノルド。お前もそう思うだろう?」

 侯爵は妻を慰めようと息子の美点を挙げていくが、貴族らしいかと言われると疑問が残る。困った侯爵は父の代から仕えている家令のアーノルドに話を振った。家令は全ての使用人を統括する立場にあり、主人の代行すら行える最上級使用人である。


 アーノルドは白い眉毛を悲しそうに顰めた。

「残念ながら……奥様のお考えが正しいかと思います。ダニエル坊ちゃまは容姿端麗でございますが、たいへん不器用でいらっしゃいます。社交慣れしているベアトリス様から見れば野暮ったく感じてしまうのも致し方のないことでしょう……」

 アーノルドは先祖代々バルギル侯爵家に仕える忠臣で、ダニエルを幼少から育ててきた人間である。だからこそ、ダニエルがいかに恋愛に向いていないかよくわかるのだ。

 昔の話だが、ダニエルは狩りで仕留めた獲物をそのまま土産として母親にプレゼントしたことがある。侯爵夫人は青ざめてメイドたちは悲鳴を上げた。

 侯爵は危機感を覚え、厳格で有名な礼儀作法の教師を招聘し、みっちりと仕込んだ。よって形だけは完ぺきな貴族紳士になったのだが、根の武骨さはそのままである。


「こんなことなら、幼少のころからもっとお世話をしておけばと後悔しております……」

 アーノルドはむせび泣く。


 思い起こせば十年前、クレメール侯爵家から侯爵家から戻ってきたダニエルが、「じい。俺はあんなに素敵な人を初めて見た」と頬を赤らめて言ってきたとき、アーノルドは小さな主人が恋を知ったことに喜び、その夜は妻と祝杯を挙げたのである。


 ところが喜んだのは束の間、ダニエルは恥ずかしがって中々ベアトリスに会いに行こうとしない。しびれを切らしたアーノルドたちはかわるがわるダニエルに打診した。

「今日はお天気がよろしいですから、クレメールのお嬢様をお誘いになられてピクニックでもいかがでしょう?」

「中央通りに新しいカフェができたそうですよ。女性に大人気だそうで、きっとクレメールのお嬢様も気に入るはずです」

 だがどの言葉にもダニエルは頷かなかった。


「そんなことより、ベアトリス嬢に相応しい男になるために俺はもっと自分を磨く!」

 そう言い張り、早朝から剣を振って訓練に明け暮れた。


 その逞しい姿に感動したのは最初だけ、日がな一日訓練や勉学に明け暮れて婚約者との付き合いをしようともしない。一度、手紙を書こうとしたことはあったのだが、ダニエルは真っ白な紙を前に石のように固まったまま動かなかった。


 見かねたアーノルドが代筆を進言したが、ダニエルはかたくなに拒んで真っ白な紙と再び向き合った。一夜明けて書き上げた手紙の中身は「元気か」だけである。

 アーノルドが真っ青になったのは言うまでもない。

 結局、手紙は送らずじまいである。

 これには侯爵夫人が頭を悩ませた。


「ダニエルの趣味と言えば剣を振ることだけ、気の利いたセリフも女性を楽しませるエスコートもできないなんて、いつかベアトリス嬢に愛想をつかされるのではないかしら」

 紳士の義務は女性への献身である。ダニエルはそれが全くダメなのだ。女性を邪険にすることはないが、気が全く利かないのである。


 夫のバルギル侯爵も項垂れる。

「そうだなあ、深層のご令嬢には剣を振るうダニエルが野蛮に見えるかもしれないしなあ」


 このようにバルギル侯爵家が二人の仲を憂いている中、なんとクレメール侯爵家から「白い結婚」を打診されてしまった。白い結婚とは乱暴に言うと仮面夫婦の事である。社交界や式典など必要な時にパートナーとして振る舞うが、プライベートは別というものだ。


「本当に申し訳ありません。勝手な申し出だということは分かっております。しかし、ベアトリスは婚約以来、笑うこともできなくなってしまったのです。大好きだった馬術もやめ、外に遊びに行くこともなく家の中でこもりきりの娘が不憫でならないのです」

 憔悴しきったクレメール侯爵が頭を下げて謝ってきた。隣には泣きはらしたクレメール侯爵夫人がいる。


 子を思う親の気持ちが痛いほど伝わり、もはやバルギル侯爵は諦めるしかなかった。

「そう……ですか。ベアトリス嬢の健康を損なうわけにはいきません。白い結婚であると息子に言い含めましょう。ですが、我々とあなた方の関係がこじれることはありません。今後とも良い取引をいたしましょう」

 バルギル侯爵はそう言うしかなかった。

 無理やり結婚しても、ベアトリス嬢を傷つけることになり、結果として全員が不幸になる。それならば形だけでも好きな人と繋がっているほうがいいだろうと考えたからである。


 バルギル侯爵はダニエルにことの仔細を丁寧に話した。

 ダニエルは目を真っ赤にしながらも父の言葉をじっと聞いていた。バルギル侯爵が話し終えると、ダニエルは珍しく項垂れた。

「……俺との婚約がそれほどまでに彼女を苦しめていたんですね」

 声を震わせながら言うダニエルをバルギル侯爵は力強く抱きしめた。あまりにも不憫なその姿をアーノルドは涙なしでは見られなかった。


 それ以降、婚約者とは名ばかりで形式的なやり取りしかしなくなったのである。その状態が10年続き、今は関係が改善されたとはいえ、ダニエルの朴念仁ぶりを知っているアーノルドたちはいつ愛想をつかされているかとヒヤヒヤしていた。

 そんな中、ベアトリスの来訪はもはや恐怖の来襲だった。今まで一度も足を運んだことはないベアトリスは一体何を目的としているのか……アーノルドは嫌な予感がぬぐい切れない。


 侯爵夫妻も同じように過去を思い返していたのか、顔色が悪くなる一方である。

 そんな中、侯爵夫人がゆっくりと口を開いた。

「ね、ねえ。こんなのはどうかしら。ベアトリス嬢にダニエルではなく、バルギル侯爵家を好きになってもらうのよ。幸いにしてウチでしかとれない宝石、果物はたくさんあるわ!」

 段々と夫人の声が明るくなっていく。

 それにつられて侯爵とアーノルドの顔色も輝きだした。


「それはいい考えだ。よし、そうと決まればベアトリス嬢を精一杯もてなそう。まずは最高級茶葉の用意だ」


「かしこまりました。ベアトリス様の好みからおもてなしの内容を決めて行きましょう。ダニエル坊ちゃまに聞いてまいります」

「わたくしも行くわ! お茶会の事ならわたくしの方が詳しいもの」

「わたしも行く。仲間外れにしないでくれ」

 こうして三人で連れだってダニエルの私室へと向かった。


 彼は殺風景な部屋で剣を振り回しているところだった。元々は選りすぐりの調度品を置いていたのだが、『気が散る』という理由で無地のカーテンと彫刻の一つもない木の机や本棚にすべて変えられている。知らない人間が見れば下働きの部屋かと間違えるほど質素である。


 侯爵夫人は息子の趣味に眩暈がした。

「そういえばこの子はこういう子だったわ……。まあ、ベアトリス嬢は応接間に御通しするから部屋の内容はどうでもよいのよ。ダニエル、あなたベアトリス嬢のお紅茶の好みをおしえてちょうだい。ベアトリス嬢の好みに合わせておもてなしするから」

 侯爵夫人の言葉にダニエルは無表情のまま母親を見た。

「知りません」

「な、なんですって? あなた、クレメール侯爵家でお茶を一緒に飲んでいるでしょう? 何の銘柄でしたの?」

 ダニエルは眉を顰める。

「……知りません」

 息子の返答に侯爵夫人は顔が引きつる。

 わなわなと震える妻の代わりに侯爵が尋ねる。

「それじゃあ、菓子はどうだ。ムース系かクリーム系。果物なら甘いものか酸っぱいもの……ベアトリス嬢はどんなのを食べていた?」

 ダニエルは表情を変えなかったが、眉が少々下がる。

「……覚えていません」

 息子の返答に侯爵夫妻はがっくりと肩を落とす。知らないならもう話にならない。

 そんな中、ダニエルは何を思ったか歩き出した。

「ど、どこに行くの!? 今からベアトリス嬢が来られるのよ?! あなたが出かけてどうするの!!」

 侯爵夫人は息子の挙動にびっくりして声を上げる。だが、ダニエルは止まらず、むしろ走り出した。

「ベアトリス嬢に聞いてきます!」

 それだけを言い残し、ダニエルは猟犬のような勢いで階段を駆け下りで玄関を飛び出していった。


 あとに残された侯爵夫妻とアーノルドは呆然とダニエルを見送ったが、次第に体を震わせた。

「も、もう終わりですわ……婚約解消されてしまうのですわ……」

 侯爵夫人が両手で顔を覆って泣き始める、侯爵は妻を抱きしめて天を仰いだ。



 ■



 ベアトリスたちをのせた馬車が大通りを通る。中央の噴水を東に抜けて一時間ほど走らせるとダニエルの住まうグラン家があるのだ。

「はあ……二時間後超えの遠出なんてよくあることですのに、馬車が遅く感じて仕方がありませんわ」

 ベアトリスは苛立ちを隠そうともせずに言う。

「それだけベアトリス様にとってダニエル様が特別な方と言うことですわ。ベアトリス様、いつものように笑顔でいて下さいませ。眉間の皺は癖になるそうですよ」

 メアリーの言葉にベアトリスはあわてて眉間をぐりぐりと押す。

 今から大好きな人に会いに行くのだから、世界で一番美しい姿でいなければいけない。

 ベアトリスがいつもの顔を作り終えたタイミングで声がかけられた。

「ベアトリス嬢!」

 大きい声だったが優しさが滲む声にベアトリスは心臓が跳ねる。

 まだ心の準備ができていないベアトリスは頭の中が真っ白になったが、そこはメアリーが助け舟を出す。

「ダニエル様。どうかなさったのですか? グラン侯爵家に向かうところなのですが」

 するとダニエルは少し眉を下げ、恥ずかしそうに俯いた。

「いや、その……紅茶の準備をするのだが、君の好みを知らないことに初めて気づいたのだ」

 ダニエルはベアトリスを見つめた。

「私は君を好きだと言いながら、君のことを何も知らない。教えてくれ。君を喜ばせるにはどうすればいい?」

 真剣な瞳を向けられ、ベアトリスは心臓が止まりそうになる。そしてダニエルの優しい言葉がゆっくりと心に染み渡っていく。


「そのお言葉だけでもう、十分嬉しいですわ。わたくしのことを考えて下さったことだけで……」

 ベアトリスは感激のあまり泣きそうになった。

 ダニエルはベアトリスが俯いてしまったことに狼狽し、迷子のような目でメアリーを見た。

 メアリーは満面の笑みで返す。

「お嬢様は喜びに打ち震えているだけですので大丈夫ですわ。あと、お嬢様は紅茶とお菓子の好き嫌いをなさいません。ぜひ、ダニエル様がお好きな紅茶を淹れてくださいませ。むしろ、そちらの方が喜びます」

 専属メイドの言葉は何よりも説得力がある。

 ベアトリスはこだわりがあるタイプだが、紅茶と焼き菓子については特に好き嫌いをしない。なんでも美味しく頂けるのである。それに、好きな人の好みならなお嬉しがるに決まっている。

 メアリーの言葉にダニエルはこくんと頷いた。

「わかった。それでは屋敷で会おう!」

 蹄の音が遠ざかるのをベアトリスは真っ赤なお顔で聞いていた。


「ああ、嬉しいわ。ダニエル様があんなにわたくしのことを考えて下さったのよ。幸せ過ぎてもう息が止まりそうですわ」

 感動しているベアトリスの表情はいつにもまして輝いている。メアリーは大好きな主人の笑顔を見て最高に幸せな気分になった。



 一方、家に帰還したダニエルを迎えたグラン侯爵夫妻の顔は病人のようだった。

 不幸な報告は聞きたくないが、聞かざるを得ない状態に彼らは苦しんでいた。


「母上。紅茶と焼き菓子はなんでもいいそうです」

「まあ……そうなのね」

 侯爵夫人の顔色はとても悪い。

『これはもう、ベアトリス嬢は期待することを諦めたに違いないわ。きっと、以前にも同じようなことがあってこの子が見当違いなことをしでかしたのね……』

 侯爵夫人は悪い考えばかりが頭をめぐる。

 息子を信じていないというよりは、息子の行動を熟知しているからの結論である。

『せめて、バルギル侯爵家を好きになってもらえるよう、頑張ってみましょう……』

 ふらふらと亡霊のような足取りで侯爵夫人は使用人と打ち合わせに行った。


 ダニエルは私室に籠って素振りを始めた。ここがもう、ぶれがないところである。


 裁判を待つ囚人のような気持ちで侯爵夫妻とアーノルドたちはベアトリスを迎える準備を整えた。バルギル領が誇る最高級の茶葉、今が旬の果物をふんだんに使った見た目にもかわいいお菓子。そして職人の腕が光る最高級の茶器。


 準備が整ったところで、ベアトリスが到着した。

 真っ赤なドレスを翻して現れたベアトリスに侯爵夫妻は目を奪われた。いままでも美しいとは思っていたが、赤い色が白い肌と深い色の金髪に映え、大輪の薔薇のような存在感を放っている。


「まあまあ、なんて美しいのかしら! ねえ、ダニエル!」

 侯爵夫人はぼうっと突っ立っている息子小突いた。

 しかし、ダニエルはベアトリスを褒めたたえることはしない。

「いつも通りだと思います」

 意訳すれば『いつも通りに美しい』ということなのだが、何分言葉が圧倒的に足らない。

 侯爵はあわてふためいて愛想笑いを必死で浮かべる。

「いやあ、こんな素晴らしい令嬢をお持ちでクレメール侯爵が羨ましい限りだ! さあさあ、中へどうぞ。我が家自慢の焼き菓子がございますぞ!」

 ベアトリスは笑顔でそれを受けて案内されるまま先に進もうとする。

 しかし、ダニエルがその前に立ちふさがった。


「ベアトリスは私に会いに来てくれたので、私が案内します。父上と母上は遠慮願います」

 侯爵夫妻とアーノルドは青を通り越して白くなったが、お互いしか目に入っていないダニエルとベアトリスは気が付かなかった。

 ダニエルから差し出された手をベアトリスは取り、導かれるまま進む。メアリーはやや遅れてその後ろを歩いた。


 通された応接間は暖色系を基調とした明るい部屋だった。


「ベアトリス、君に会えてとても嬉しいが先に用件を聞こう」

 ダニエルはベアトリスを椅子に座らせると、その隣に立ったまま言う。

 その威圧感は半端がないのだが、ダニエルは『わざわざこんな遠くまでベアトリスが来たのだからとんでもない理由があるに違いない。会話を楽しむよりも先に用件を聞かなければいけない』という必死さがある。


 そうとは知らないベアトリスは彼の言葉で体中に緊張が走った。

 言わなければいけないが、相手が好きな人だからこそ、言葉の失態を極度に恐れてしまうのである。

 ベアトリスは思わずうつむいてしまった。

 しばらく無言が続くが、ダニエルは急かすこともなくただじっと傍らに立っている。ベアトリスは心臓がどきどきと鳴っていて息苦しいほど胸が痛くなった。

 乾ききった口でベアトリスが言葉を発したのはそれから10分後の事である。

「……ドレス、いかがですか」

「ドレス? ああ、とても似合う。それがどうかしたか?」

 ダニエルは首を傾げながら答える。

 彼にとってベアトリスが美しくてかわいいのはもはや大前提である。

 だからこそ、そっけない答えなのだがベアトリスはなんだか自分が情けなくなってきた。

 赤が一番似合うと信じてきたが、ダニエルにとって赤だろうとピンクだろうとどちらも同じなのである。空しくてたまらなくなったベアトリスは思わず涙がぽろっとこぼれた。

 元来、気が強くて自信家のベアトリスはそうそう涙を溢す人間ではない。しかし、今だけはだめだった。

 どんなに努力しても、ダニエルに美しいと思って貰えないのだとわかった今、自分の行動がみじめでおろかに見えてきたのだ。


「べ、ベアトリス? どうかしたか?」

「なんでもありませんわ。気になさらないで、目にゴミが入っただけですわ」

 ベアトリスは無理に笑顔を作ってダニエルに言った。しかし、ダニエルは膝をついてベアトリスの顔を覗き込んだ。

「泣いているじゃないか、ベアトリス。君は笑顔が似合うのに……」

 ダニエルは悲しそうに眉を寄せる。

「心配なさらないで、こんなのは本当になんでもないですから」

「何もないことで君が泣くとは思えない。私は人の感情にうとい愚か者だが、君の心を無視するような卑怯者にはなりたくないんだ。だから、どうか君の涙の理由を教えてくれ」

 ダニエルは大好きなベアトリスが涙を流すたび、胸が尖ったもので刺されるような感覚になる。縋るようにベアトリスの膝に手を置き、痛みをこらえる顔でダニエルはベアトリスを見つめた。

 ベアトリスを一途に思うダニエルの真心はベアトリスの傷ついた心を確実にいやした。そればかりか、勇気すらベアトリスにもたらした。

「ダニエル様。困らせてごめんなさい。わたくしったら、子供みたいにすねていただけなんですの。今日、お訪ねしたのはドレスのことなのです」

 ベアトリスの言葉にダニエルは目を丸くして聞き返した。

「ドレス?」

 ダニエルは驚きつつ、少々混乱した。

 モンスターや装備の相談ならいくらでも乗れるが、ドレスなど専門外にもほどがある。

 目を瞬くダニエルにベアトリスは言いにくそうに、言葉をぶつ切りにして話し出した。

「その……。わたくし、赤色が……好きなのです」

「赤……」

 ダニエルはそこでベアトリスのドレスを見た。

 今日も相変わらず美しい。ダニエルはベアトリスを地上に降りた女神だなと再確認する。

 だが、それを知らないベアトリスは言葉を覚えたての子供のようにぽつりぽつりと話し出す。

「ダニエル様は、ドレス……や、装飾品……を贈ってくださいます。とても嬉しいのです。ほんとうに、嬉しいです」

 ベアトリスは『嬉しい』を繰り返した。

 だが、顔は泣きそうに歪められ、ぎゅっとドレスの裾を握る手は震える。

 ダニエルはどうしていいかわからず、困惑したままだったが、静かにじっとベアトリスの声に耳を傾けた。

 ところが、か細かったベアトリスの声は急に大音量になった。

「わたくし、赤色のドレスが好きなのです!!!」

 こらえ性のないベアトリスは恥ずかしさに悶えながらも、煮え切らない自分自身に我慢の限界が来ていたのだ。

 先ほどまでの大人しさはどこかに飛んでいき、ベアトリスは一気にまくしたてた。

「ピンク色とか、淡い色のドレスはわたくしに似合いませんの!! 花なら赤薔薇、宝石ならルビー! ドレスなら鮮やかな赤!! わたくし、それが大好きですの!」

 言い切ったベアトリスはぜいぜいと息が上がっていた。そして、言い終わった後で急にしおらしくなる。

『や、やりすぎましたわっ……!! 大声を上げるなんて貴族令嬢としてあるまじき振る舞いですわ……』

 真っ青になって顔を覆うベアトリスの頭にそっとダニエルの手が触れる。

「そうか。わかった」

 短い言葉だったが、ダニエルの表情は柔らかかった。

「よし、買いに行こう。私に君が好きなものを贈らせてくれ。私は君の笑顔がとても好きなのだ。君が喜んでくれるならなんだってしたい」

 ダニエルの言葉はぶっきらぼうな物言いだったが、眼差しはとても温かかった。ベアトリスの傍にいるメアリーさえも赤くなってしまうくらい、愛情がたっぷり込められているのだ。

 ベアトリスは真っ赤な顔のままこくんと頷いた。

 嬉しくてたまらないベアトリスはたくさんの喜びを伝えたかったが、うまく言葉にできなかった。その代わり、口に出た言葉は短いながら大きな声だった。

「嬉しいですわ!!」

 ダニエルはベアトリスの返答に小さく微笑む。

 嬉しそうに笑い合う二人は子供のように駆け足で応接間を出るとそのまま玄関を抜けて馬車置き場まで行った。目を丸くする御者に百貨店の名前を告げて二人は並んで馬車に乗り込む。

 メアリーは付き人としてついてきたが、せっかくうまくいっている二人を邪魔したくないのでもう一台、馬車を出してもらうことにした。

 不思議がるベアトリスに「お買い物を載せるための馬車です」とごまかしてメアリーは一人で馬車に乗り込む。

 同じ大きさのはずなのだが、とても広く感じられてメアリーは苦笑した。

「いい加減、わたしもお嬢様離れしなきゃね」

 少しばかりの寂しさを感じながらも、メアリーは前方を行く馬車に心の中で叫ぶ。

「大好きですよ、お嬢様。幸せになってくださいね!」


 メアリーが恋の成就に感動している一方、グラン侯爵夫妻たちは二人が飛び出した理由がさっぱり分からず、真っ青な顔で慌てふためいている。

「ど、どうしましょうあなた! ダニエルがベアトリス嬢を怒らせてしまったのだわ!」

「お詫びのしるしにありったけの宝石を贈ろう! たしかベアトリス嬢が好きなのは可愛らしい色合いのものだ! ピンク系統の宝石と花を用意しよう!」

 侯爵夫妻が一生懸命奔走するのだが、あとで誤解だと分かった侯爵夫妻は泣きながら良かった良かったとお互い抱き合うのであった。

 なお、せっかく用意した宝石類は色々と加工して侯爵夫人が使うことになった。

「そういえばお前に贈り物なんて何年もしていなかったなあ。今度、何かを贈らせてくれ」

 侯爵が改めて夫人に言うと、夫人は嬉しそうに首を振った。

「このたくさんの宝石で十分すぎますわ! それにあなたの真心が最高の贈り物ですわよ」

 侯爵夫人は感謝を込めて侯爵の頬にキスをした。

 くっきりとルージュの痕がついたが、侯爵はしばらくそのままつけたままにしていた。執務室で仕事に追われる中、時折鏡に映るルージュを見て日々の癒しにしているのだ。

 


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