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呼応  作者: 師走
23/40

23

目を覚ますと、白いベッドの上に寝かされていることに気がつく?

体を起こすと、隣の窓のカーテンから薄い光が差し込んできていて、向こう側からテニスのラリーの音が響いてくる。


しばらくして誰かがやって来て、何か言う。私の服をはだけさせて、胸に冷たい聴診器を置いた。

「君は病気をしたのだよ」

天井の、黒い線が無数に入った模様の一部が唇の形になって、私に言う。

テニスのラリーの音が響く。


しばらくして、丸々肥えた赤紫の楕円が部屋に飛び込んできて、私を見て大いに泣いた。

それはこちらに駆け寄って来て、騒がしく叫びながら体をすりつけてくる。



私はぼんやりとして、斜め上を眺めていた。

ナース達が荷台に骸骨を載せてゆっくり押していた。白く細い手は腹に重ねられ、髑髏は下顎がなかった。


「それは君のお母さんだ。君を造った人だ。さあ抱きしめ返してやりなさい」

天井がまた言った。私はその通り、腕を楕円に回して力を込めた。

ベトベトした体液がこっちに染み渡ってくるようで、思わず顔をしかめたけれど、突き放すこともできなかった。


楕円はしばらくそうしていてから、部屋を出て行った。それと行き違うように、朝食が運ばれて来て、私の目の前に置かれた。

つんざくような叫び声。



私の真向かいに、半透明の私が見えた。

やはり食事の入ったお盆を布団の上に置かれて、それに目を落として困ったように固まっていた。

そしてゆっくり顔を上げ、私と目が合った。



喉がつっかえて、咳き込むと、紅の血がとめどなく垂れ落ちていく。

それは布団を染め上げ〈食事もやはり赤々とし〉、ベッドのパイプを伝って床に流れ、拡がる。


気がつけば、天井の口から、ゆっくりと私の血が唾液と共に、蜘蛛の糸のように下がってくる。

それは私の頭に十分に注がれ、そして私は眠くなる。


「まだ眠ってはいけないよ」

私は唇をわずかに動かしてそう言った。

夏のむっとした風が首筋に留まった。



昔殺した蝙蝠三匹が、あの時のまま、干からびて飾られている。

小学校の校舎の壁のあちこちにくっついていた蝙蝠の群れの中から、手の届くところにいた三匹を捕まえて、虫籠に入れたのだった。こんなのろまな奴ならば、逃げられはしないだろうと思っていたら、夜になって彼らは羽ばたき、抜け出し、部屋のどこかに隠れてしまった。

そして数日後、部屋を掃除していた女子が「いたよ」と教えてくれた。三匹はぴったりくっついて、棚の陰でカラカラになって死んでいた。



遠くから誰かに投げられた槍が、私の頭を突き抜ける。

骨が砕ける音がする。脳のひだがほどけて、するする肩に落ちてくる、


あんなに明るかった電灯が、弱々しく、緑っぽく輝いて、点滅を始める。

地球の自転が止まったみたいな、奇妙な気分になる。耳鳴りがする。



追い出されるように、外に出る。空は晴れていた。雲がほんの少しだけ見えた。あとは青かった。

芝生を踏んで、階段を上る。最上段を上り切った時、コスモスの花畑が見えた。ビルから飛び降りる少年も見えた。


傍から女がやってきて、微笑んだ。中性的な、どこにでもいるような顔立ちをしていたが、考えてみると美人だった。

女は喉を小さく鳴らして「あなたのことが大好きです」と震える声で言った。そして私の体を引き寄せた。私の腕の上から、女の腕が回され、女の手のひらは私の背にぴたりとくっつけられる。女の顎が私の左肩に載せられ、ゆっくりと呼吸している。


私は、わずかにかがんだ女の背中を見ることによって、そこへ無数の蛆虫が住まっているのを知った。白い太った幼虫達が、女の皮膚を破って、首を左右に振りながら、淡緑色の体液にまみれた口を開けたり閉じたりする。後頭部から、ふくらはぎにまで、びっしりとはびこった蛆虫は、ほぼ真上から降りかかってくる太陽光によって、光り輝いている。


ゆっくりと、女は私の体から離れ、じっとこちらを見た。不安げな、恐怖した眼差しで、それでも目を逸らせないのが不思議なくらいだった。そして女は諦めたように息をついて、「あなたのことが大好きです」と言った。私をゆっくり抱擁した。先ほどより、女の動きはぎこちなかった。背中の蛆虫は同じように、首を振ったり伸ばしたり、めいめい騒ぎ立てていた。



ー東京・渋谷の月13万のマンションの7階の一室に住んでいる神様は、私と話をする。

「私は、七日でこの世界を創造し、また人間を自分に似せて創った」

「あなたは、この世界と人々を、創りたもうた」

彼の部屋の壁には、一ページずつ丁寧に破られた聖書が逆向きに、壁に隙間なく画鋲で貼り付けられている。

「人間には他の動物にない、大きな権限、自由を授けた……」

「あなたは人間に自由を授けたもうた」

「しかし」

「しかし」

「……」

神様は押し黙って、いたずらっ子のように俯きがちに、こちらを見た。私はちゃぶ台の上に置いてあったみかんを一つ剥いて、口に放り、咀嚼して飲み込んだが、神様はまだ何も言わなかった。それで私は、今度は自分の番なのだと知った。


「人間様は、自分に似せて神を創りたもうた。自分たちの自由を制限し、束縛するために」

「うん、人間様は神を作った」

「善悪を作り、愛憎を作った」

「そう、善悪の実を作って食べた」


鍋がぐつぐつと音を立て始める。神様はキッチンの方を少し見て、また視線を落とす。私は他に言うことがなくなり、何度か舌打ちをする。


「とうとう人間様は、神を殺した」

小さな声で、神様は宙に向かって呟いた。

「すると人間様は、ついに自由になったのか?」


くしゅっ、と悲痛な吹き出し笑いが聞こえた。もはやここに居留まる理由を失った私は立ち上がり、部屋を出る。



目を覚ますと、白いベッドの上に寝かされていることに気がつく。

体を起こすと、隣の窓のカーテンから薄い光が差し込んできていて、向こう側からテニスのラリーの音が響いてくる。


しばらくして頭のはげた医者がやって来て、険しい顔をしてしきりに何か喋った。そして、ジェスチャーによって、服をずり上げて胸を露わにするよう指示し、冷たい聴診器を置いた。意識すると、心音のリズムは私自身にも手に取るようにわかった。医者は何度かそうしたのち、聴診器を外してまた何か言った。



「君は病気をしたのだよ」

医者が立ち去ったのち、部屋の天井の一部が口の形になって、そんなことを言った。


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