20
あの日、私は近日に知り合った谷原という青年と朝早いうちに出会って、彼の誘うままに散策をし、その後サッカーボールを蹴り合い、また自転車でスーパーまで行って昼飯を買い、サッカーを続けた。
私も谷原もお互いのことをまだよく分かっていなかったから、自分の主張を相手に伝えたいのなら一つずつ言葉にしなければならない。そういうわけで、私たちは始終自分の置かれている環境についてだとか、自分が立っている倫理観についてだとかを話していた。
太陽は東から南を通って西へ傾き、その異様に粘っこい赤い光を頬に当てつつ、サッカーボールはころころと地面を行き来する。
「僕ね、実は、人を殺したことがあるんだ」
谷原は声を潜めて言った。
「……」
私はその言葉を少しだけ耳に留めて、「なんだ、そんなことか」と結局言った。
「驚かない?」
「驚いた。しかし、それは私に関係ない話だ」
谷原は黙ってじっとこちらを見た。
私はちょっと不安になって「それともなにかい、君は私のことも殺したいのか?」と訊いた。
「まさか」谷原は低い声で、視線を一分も移動させないで呟いた。「まさかね。僕はあなたを殺したりはしない」
「へっへ」
私は作り笑いをした。谷原も笑った。彼の作り笑いは私より巧みで、自然に見えた。
サッカーの往来は滞っていた。もうそろそろ家へ帰る時間になっていることは二人とも分かり切っていた。アパートの壁に、カマキリが一匹ひっついてじっとしていた。そのカマキリは腕を一本どこかへやっていた。
「同級生だったんだ、その子は」
何かを決意した口調で、谷原は言った。
私は背中をフェンスにもたせて、尻でそこを何度か打ってガシャガシャいわせた。
バイクがエンジンを吹かしながら近くの道路を走って行ったが、そのフェンスの音の方がよほど大きく聞こえた。
「ねえ、これって他人に話していいことだと思う?」
一拍置いて、谷原は言った。首を傾げていた。
「さあ。私は構わないよ、聞く分には」と、私はーー自分でも不思議なくらい考えなしにーー応えた。「要するに、君が言いたいかどうかだ」
「言いたいんだ」谷原は言った。
それに対して、私は頭をほんの少し傾けた。どうぞ、と示したのである。
すぅ、と息が吸われる。
「その子のことをいじめてるのは僕だけだった。他のみんなは違ってた。いじめっ子集団のターゲットは、その子じゃなかった」
だから、僕しかいじめてなかった、と谷原は強調する。
「個人的にその子のことが滅法嫌いだったんだ。……いんや、そうじゃなくて、僕にいじめられてるその子の方が、そうじゃない時のその子と比べて、より好きだったんだ」
「その子は女の子、男の子?」
茶々を入れるように私が尋ねると、谷原は感情の抜けた顔で私を見やり、そして俯いた。今日一日、こんなに話していたのに、自分のことがまだ何一つ伝わっていない、という諦めだったようだ。
「…男の子。『好きだった』なんていうから勘違いしたんだね。ごめんね。じゃあ言い方を変えるよ。……その子をいじめてる自分に、酔ってたんだ。かなり」
「うん」
風がさらっと抜けた。冷たい夜の風だった。
「色々やった。椅子引いたりとか、鉛筆折っちゃったりとか、教科書破ってみたりもした。叩いたり殴ったりはしなかったんだけど」
谷原は右手を握ったり開いたりした。それは寒さによる体の当然の反応のようにも思えたし、「あの時、ちゃんと殴っておけばよかった」と悔いているようにも見えた。
「でね、尾根はね、その子は尾根って言うんだけどね…。尾根はね、飛び降りたの。家で。尾根の家はマンションの7階だったんだ」
恐らく無意識に、谷原は爪先で足元の硬い土をガッ、ガッと削りだした。昼間黄土色だったその土は、今ではやはり紅黒く馴染まされている。巣に帰っていくカラスが堪まりかねたように鳴きながら上空を行く。
「あれは、みんなは自殺だと思っている。そしてみんな、原因は僕にあると知っている。でも違うんだ、それは。それはね、まだ、間違えている」
谷原の足が止まった。陽の光はピークを過ぎて、少しずつ弱まっていくみたいだ。けれども彼の瞳はなお燃える炎のように色づいている。
「僕は、尾根に、死ねって言ったんだ。その日に、学校で、窓から落ちて死ねって言ったんだ」




