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『人は苦痛を絶するほどの苦痛を味わつた時、一体どのやうな心境に陥るのか?ーー泉 晴信「自由への論考」』
鹿の鳴く声が突然に聞こえた。高い声で細く、長く、それはほとんど悲鳴であった。
私はあぐらをかいたまま、少し興味をそそられたように顔を上げた。が、その声の途絶えたのちには、また静寂しか残らない。
小さな卓の上には自分の両手以外のものは置かれておらず、それゆえにどんな魅力さえ感じえないこの四つ脚の家具は、しかしどうして私をこうも引きつけているのだろう。
あぐらをかく位置はどこでも良かろうに、結局この卓の前を選んでしまうのは、テーブルは使われるべき物であるという一般通念が、まだ私を縛っていることの証明だろうか。
私はそんなふうに考えていたが、やはりその卓から逃れてやろうという気は起こらなかった。
自分の意思を蔑ろにしてまで、無理に部屋を広く使う必要もなかろう、もしかすると、部屋が自分が暮らすに広すぎるが故に、こうして現在の生活区分という小さな範囲を決めているのかもしれないぞ、と別の考えが膨らんできて、思想と行動の矛盾を訂正しようと頑張っている。
脇の下からおもちゃの兵隊が、私の腕をむりむり押しのけつつ現れ出てきた。
こいつは私が幼少の頃ずっと家に居ついていて、いつしかおもちゃ箱から消え失せた薄情者である。今さら出てこられたって、私は無邪気に遊ぶには歳を取りすぎた。
おもちゃの兵隊はわりかし綺麗であった。親指を少し超えるほどの小さな人形であるが、欠損している部分はないようだった。赤い制服に黄色いボタンが四つ上から下へと並んでいて、長い黒帽も健全だ。ただしその帽子の黒い部分は三分の一ほどが剥げている。
兵隊は持っていた銀のサーベルをぎくしゃくと振り上げ、振り下ろしした。
私がそれに対して無感動でいるのを知るや、また同じようにした。彼にとってみれば、私に何か訴えるためにはその行動を一つ覚えに取り続けるしかないのだった。
「すまんね。もう子供じゃないみたいだよ、僕は」
いじらしく、哀れにも思われてきて、私はそう言った。すると兵隊は動きを止めて、じっと私を見据えていた。
私はしばらく目を閉じて、自分がまだ幸福であった時の感覚を、直感的に思い出そうとした。もし幸福でなかったとしても、今よりかはきっと心を楽にしていた時のことを。
だがそれは土台不可能な話であった。そんなことができるのであれば、私は既にその過去にこびりついた幸福感の中にのみ生きてやろうと画策していたはずなのだ。それがなされていないというのはつまり、現実からは逃れられないということに他ならない。
私はまたゆっくりと目を開けた。想像通り、おもちゃの兵隊は姿をすっかり消していた。
与えられたしばらくの時間を、まるで義務付けられていたみたいに、巧みに、私の思惑通りに使ってくれたのだ。
やや体を起こして、ポケットの中に手を突っ込む。ピストルの冷たい銃身の、弾の装填された部分、そこの凹凸を指でなぞる。私に明日は来ないだろう、と予感する。




