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春に生まれた吃音は
秋の実る頃にピークへ達して
冬の木枯しに乗ってどこかへ消えた
私はこの一年で、ずいぶん筆談が上手になった
周囲も、私に対する理解をようやく掴みかけていた。
、、、
「おはよう」
「おはよ。……。あら」
『おはよう』と書かれた画用紙を、驚く母の目の前でビリビリ裂いた
母はその分厚い紙吹雪が舞うのを眺めて、それからその後ろで突っ立っている私を見つめて「治ったんだ」と呟いた
なぜあんなに喋るのが難しくなったかはもはや分からない
きっと精神的な理由だ
脳が一時的に混線状態になったとは思えないもの
「ぽっぽっぽ、はとぽっぽ」
噛み締めるように歌いながら歩く
寒い空気が喉の奥につけ行ってくる
目の前の空き地で、細々と首を伸ばしている雑草に朝日が当たると、もっともっとか細い蜘蛛の糸が、吊り橋のように繋がっている
ロゼット状の平べったい草には、霜が降りて白々している
あかさたな、はまやらわ。
言いたいことが言えるものだな、と思った
雨粒が一滴、顔に降りかかってきたように感じたが、ただの気のせいかもしれない
散歩がてら、父の勤めてある郵便局に行って、こわごわと扉を開ける
いち早く知らせようと思った……、けれど、部屋の奥の奥にいる父に会えるはずもない
爽やかな、多分その爽やかさのせいで客の応対を任されている受付の男が「どうかなさいましたか」と微笑みながら訊いてくる
「いや、あの……」
言い淀んで、少し顔をこわばらせた
なんと言えばいいか分からなかったのだ
とにかく言い訳をしようとしていた。…「父に会いたいのですが」と素直に応えればいいだけのものを。
「んっ、んっ!!」
眉を歪ませて咳払いをした
いきなりどもりに戻ろうかと本気で考えた
それでもやっと「すみません、どうも…」と気弱に笑ってみせて、外へ引き返した
私は先ほどの後悔によって、多少気分を害さないでもなかった
けれども、そんなことよりもやることがあるだろう、と前向きに考え直す
せっかく喋れるようになったのだ、だとすれば、例えば…例えば、うん、そうだな。
案外と、名案は思いつかなかった
吃音だからといって、行動が制限されたわけではなかったからだ
ただし生まれてからずっと、これほど会話のスピード感について驚かされたことはなかった
右から左へと、話題がすいすい移動していく
私は最初期には黙ってそれをやり過ごし、筆談をするようになった時も、紙とマジックペンを携えたまま、流れるように過ぎていく話をぽかんと見ていた
すると人々はどうもまずいと気がついて、私に対してはことさら丁寧に、幼児に対するように目を合わせてゆっくり話すようになった
「例えば」
人差し指をピンと立てる
こうすれば、何か結論を導けるだろうと願いつつ。
「…この地球に感謝をしなくっちゃ」
適当に言ってみた一行だが、なんだか意味が深そうに感じられた
地球に感謝?どうやって。
「ありがとう、地球よ」
結局そう言ってみた
これで伝わったわけだ、なんだ、簡単じゃないか
、、、
冬に途絶えた吃音は
それから二度と現れることがなかった
私が吃音だったこと自体、みなほとんど忘れ去っているくらいだった
けれど少しずつ、私たちは年老いていっているなあ
地球に感謝をしたのは、あれっきりだ




