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あの日に見た夕焼けは綺麗かった
僕はそれに見とれることに終始していたのだ
あの赤色の滲みがパレットに広がる様は。
車でガタガタと揺らされるうちに、もう家だよと告げられた
そう言われるまで気がつかなかったのだから
私はよほど放心してうつら、うつらとしていたのだ
ああ、こういう時間こそ私を支えてくれるものだな
今こうして記しながら気がつく
一昨日家に忍び入ったバッタを昨晩踏み潰した
トイレで小便を済ませつつ前方を見ると、その緑の小さな腹が横倒しになっていた
ティッシュペーパで取ろうとすると、触覚がひくりと一回きり動いた
私はそのバッタを自分で殺したことにしたくはなかったから
家に住み着いている小さな蜘蛛の巣に引っ掛けてやった
長い脚を上に伸ばして、バッタは狙い通りに宙にとどまった
蜘蛛はそれに気がつかぬ振りをして、長らくそっと前足で糸を叩き振動を確かめていたが
どうも死にかけた、危険のない獲物だと判るとじわりじわりと巣を降りてきて
警戒して何度も上の方へ戻りつつ、バッタのその脚先をつついたりしていた
雷が唸るのは雨の降る合図だ
私はできるだけ早くに帰ろうと急ぎ足に行く
体が濡れるのは別段構わない、それはかえって気持ちの良いくらいだ
ただ濡れた靴を放置していると二日後にはとてつもない異臭が漂う
あれはごめんだ、だから急ぐ
それ以外に理由はない
黒い雲が空を圧迫しているが
その他に理由は求めない
学生の時分は学生であることが嫌でたまらなく
今になっては懐かしい
隣の花は常に赤いもので
手に入らないところにまで流されてから、それまでの輝きが分かる
上手くできている
反対でなくってよかった
自分が学生であることを当時好いていたはずなのに、今になってそれを悔やむようでは……。
彼はしんみりとしている
生きている人と死んでいる人の区別くらいはつくものだ
彼は生きている
だがどことなく物寂しい
そういえば死人の顔はいつも安らかであるように作られている
彼は生きているからしんみりしている
やれやれ
、、、
とつおいつしているうちに、私は「あそこが見えるかい」と聞いた
遥か眼下に拡がっている、バッタだの夕焼けだの、降雨だのが一緒くたになってあるところのことだ
「どうすればいいと思う?」
答えはもう出ていると言うように、深い声色で呟く
「…飛び込むことさ」
言い終えて、さっと顔が緊張する
私は上ずった声で「一度降り立てば、二度と戻って来れなくなるかもしれない」と言った
「あるいはそうかもしれないね。しかし、それが善いんじゃないか?」
口の中が乾いてきた
あそこへ私が混ざるというのか
私はまだうだうだして時間を潰していたかった
だが、そっと背中を押されて、あれよと崖から落ちる
下から大変な風がせり上がってきて、私の体を刻みつけようとする
風圧で目から涙がこぼれてゆく
今から死ぬのだ、と自覚した
死んで生まれ変わるのだ
私は死ぬ
同時に果たして、私は生きる
詩は現実を覆い隠す
私はこれに同意した




