二人の朝
鳥の鳴き声が聞こえる。「ツーピー」と聞こえるこの高い声は、カラ類だ。控えめでどことなく上品な鳴き方なので、恐らくアオガラだろう。
まぶたの向こうに光を感じる。エッダはゆっくりと目を開けた。
薄いカーテンを透けて差し込んでくる柔らかい光が、寝室を照らしている。もう外はだいぶ明るい。
すっかり朝である。普段のエッダは夜明けと共に起きるので、完全に寝坊である。しかし、そうなってしまったのも仕方なかった。昨夜はイグナーツと思い出話に夢中になってしまい、床につくのが遅くなってしまったのだ。
エッダは慎重に毛布から抜け出ると、ベッドの縁に腰かけた。ひんやりとした空気が肌にまとわりついてくる。ここのところ、朝は気温の低い日が続いている。今、身につけている薄手の寝衣では、涼しく感じる。秋である。油断していたらあっという間に終わってしまう。イグナーツが屋敷にやって来る準備に気を取られ、すっかり後回しにしてしまっていたが、そろそろ冬支度を始めなければいけない。
保存食を作ったり、冬服の手入れをしたり、薪を揃えたり、買い出しに行ったり。やるべきことは決して少なくない。
となれば、早く起き出さなければ。そう思いエッダは腰を浮かしかけたが、すぐに思いとどまる。立ち上がるのを止めたエッダは、体を捻ってベッドの方を見やった。
イグナーツはまだ眠っていた。
エッダは乱れた毛布をイグナーツの首元までかけ直した。それから、彼の顔をじっと見つめる。
長いまつ毛にすっと通った鼻筋。美しい寝顔だ。だが、どこかあどけなさを感じてしまうのは、昔の記憶が重なるためだ。幼い頃、二人で遊んでいた時。はしゃぎ過ぎて疲れてしまうのか、イグナーツがエッダの隣で眠ってしまうことがしばしばあった。
エッダは手を伸ばし、そっとイグナーツの頭をなでた。大きく波打つエッダの髪とは異なる亜麻色の直毛は、指通りがいい。彼の感触に、エッダの心は満たされる。自然と口角が上がってしまう。
髪から頬に指を滑らせる。ふっくらとした健康的な肌色の頬。こちらも滑らかな感触だ。本当に、彼にあばたが残らなくてよかったとエッダは思う。
こうして起き抜けに、眠っているイグナーツに触れるのはエッダの日課だ。イグナーツと一緒に暮らすようになって十日余り、一日もこの日課を欠いたことはない。イグナーツには内緒にしている、エッダの密やかな楽しみである。それは今日も違わずに、薄靄のように煙る朝の光の中で、エッダはしばらくイグナーツをなでていた。
「う、ん……」
ふいにイグナーツが身じろぐ。起こしてしまっただろうか。そう思ったエッダだったが、イグナーツの目は閉じたままだ。眠りを妨げてしまった、ということではないらしい。
しかし、いつまでもこうして―いたいのが本音だが―いるわけにもいかない。今一度、亜麻色の髪をもてあそんだ後、エッダはようやっとイグナーツから手を離した。指先が離れる瞬間、名残惜しさが込み上げてきたが、そこはぐっと我慢する。
エッダは体を翻し、今度こそ立ち上がろうとした。その時。
「エッダ」
澄んだ声に名前を呼ばれる。振り返れば、イグナーツは目こそ閉じたままだったが、嬉しそうに笑っていた。
「もっとなでて」
甘やかな声でイグナーツが言う。エッダはどきりとした。
「起きていたの?」
「うん」
笑い混じりにイグナーツは頷く。
いつから起きていたのだろうか。それは分からないが、触れていたことに気づかれてしまっていた。
急にエッダは恥ずかしくなった。ふいとイグナーツから視線をそらし、慌ただしく立ち上がる。
「起きているなら、早く起きなさい。もうだいぶ寝坊よ」
「うん、分かってる。ちゃんと起きるから、もう少しなでて」
イグナーツが再度甘えるように言う。また、エッダの胸が跳ねる。
何が「分かっている」のだ。早く起きろと言っているのに。エッダは呆れてしまう。小さく息を吐きつつ、しかしエッダはベッドに腰かけた。
相変わらずイグナーツはずるい。そして、相変わらずエッダはそんなイグナーツを拒めない。
エッダは、イグナーツの額に触れた。彼のぬくもりが、手のひらに広がる。
イグナーツが嬉しそうに笑い声をもらす。エッダも嬉しくなってくる。ほころんだ心は、あっという間に呆れていた気持ちを書き換える。エッダの頬が自然と緩んだ。
アオガラの可愛らしい鳴き声が、朝の柔らかい光が、そして彼の感触が、心地よい。
イグナーツをなでながら、エッダは思った。今年の冬は、去年よりもずっと温かく過ごせるだろう、と。
 




