2.ちょっと早い朝
エマと約束を取り付けた翌朝、いつもより少し早く起きて身支度に取り掛かる。
布団から出て2枚の窓の間の壁に手を当てて魔力を込める。 すると手の下から光が溢れ、壁に線を描き、勢いよくカーテンと窓が開かれた。
ふわりと冷えた風が舞い込んで、少しだけ目が冴えた気がした。
これは毎朝の事。 この世界の生活は、人間の持つ魔力と敷かれた魔術回路で成り立っている。
部屋に備え付けられている水道に指を触れさせて魔力を込めれば、淡い光を発しながら水が流れ出す。 これには地下室にある貯水槽が繋がっていて、魔力を込めると地下から水が引き上げられるよう魔術回路が組み込まれている。
200年くらい前に開発された術式を元にして組まれたこの回路に魔力を通すと、人智を超える大掛かりなことができる。 そうやって人々は暮らしを大きく発展させて来た。
顔を洗って、水道の正面に設置された鏡に顔を映して、いつも巻いている包帯を手繰り寄せる。
特に怪我をしている訳ではない。けれど、まるで怪我の手当てのように、自分の右目を魔術回路の組まれたガーゼで覆い、その上からまた回路の組まれた包帯を巻きつける。
異様な姿なんだろうが、必要な事だ。
ハイネックの上着をきっちり締めて、部屋を出た。
「フィル?随分お早いですね」
「あ、レイさん」
朝食前に軽くつまもうと思って厨房に降りると、肉を干し網に並べるレイさんがいた。 この人は本当にいつ寝ているのか、というくらいにいつでも働いている。
「昼過ぎに用ができたので…早めに鍛錬をしようと思って」
「そうですか。まだパンは焼き上がっていないので… ベーコンと今朝裏で採ってきた柘榴ならありますよ」
そう言って既に皿に盛られて少し経ったであろう薄切りのベーコンを差し出して、籠に入っていた柘榴にナイフを入れはじめる。 おそらく自分で食べるためのものだろうに、申し訳ない事をした。
「いいんですか?レイさんのですよね」
「これは昨晩の肉の残りを焼いただけなので。いい機会ですし、今日は皆と同じものを食べますかね」
なるほど…レイさんはいつも一緒に食事をしないから知らなかったけれど、朝は適当に済ませているようだ。
毎日バランスの良い食事を提供している完璧な彼にも、人間らしさがあるんだなと何故が感心した。
「じゃあ遠慮なく貰います」
もう一度レイさんに断ってベーコンを口に含む。 昨晩スープに使われていたものだから、スープ用につけられた少し濃いめの塩気とスパイスが口内を刺激する。 それを考慮しての薄切りだろう、味が濃過ぎずちゃんと肉の味も感じられる。
「はい柘榴も。屋敷で採れたものですし、酸っぱければジャムにするので言ってください」
白いボウルに、食べやすいように皮を剥いて切り分けられた実が入って置かれる。
ベーコンを1枚残したまま切り分けられた柘榴をひとつ口に含む。 一度噛むとぶわりと酸味が口に広がって、思わず変な声が出た。
察したようなレイさんが「ジャムですね」と言って残りの入ったボウルをトレーに載せた。
…それ、ご主人の朝食用のでは?
残しておいたベーコンをまた口に入れて、皿を食器洗い用の流しへ浸ける。
「朝食ができてエマが降りてきたら呼びます。また食べるでしょう?」
「はい、ありがとうございます」
この屋敷では主人が起きる前に使用人は朝食を済ませるので、普段は厨房で仕事をしているレイさんの側でエマと2人朝食をとっている。 それが今日も変わらないように、呼んでくれるようだ。
「あ、ついでに床暖房に魔力入れてきてくれますか?屋敷全体の」
「魔力使い荒過ぎません?レイさんがやる時はご主人の使うところだけなのに」
「私は魔力が少ないですから」
にっこり笑うレイさんは綺麗な顔をして結構な事を言う。
この屋敷の床全体には熱を発する魔術回路が張り巡らせてあるのだが、その回路にしばらくの間魔力が行き届くように魔石に魔力を詰め込んでおけ、という事だ。
魔石は溜め込んだ魔力を魔術回路に流し続ける事ができる代物で、これがあれば直接魔力を流す人間がいなくても動くようになっている。 ただ、問題は屋敷全体の床暖房を稼働させるための魔力の量なのだが…
全体と言っても厨房や倉庫を除いた生活スペース7部屋に、少し気温が上がる昼までの約5時間。 1日に生産できる魔力量は人それぞれなのだが、普通の人間の魔力量ではざっと100人ほど必要になる。
普通に考えてできない。
じゃあ何故、今レイさんの言う通りに魔石に魔力を詰め込みに来たかというと、それが自分に可能だから。
というのも、世の中には1日に生産できる魔力量が途方もなく多い人種が存在する。
魔力の量はフロットという単位で表すことができて、普通の人の魔力量は1〜10フロットと言われている。
現代では大体1〜2フロットと正しい回路があれば、1日に水を引く、火をおこす程度の事はできる。
誰にでも与えられる魔力の生産能力だが、人によって大きく差が生まれる能力でもある。 研究では、両親の能力が子の能力を左右するらしく、能力は受け継がれ今の上下社会がある原因にもなっているのだが…
両親に相当才があったらしい俺も、例外ではなくかなりの魔力量を持っている。 仕事には大して活かせていないけれど、あれば便利なものだ。
ぺたりと冷たい魔石に手をついて魔力を込めると、魔石が金の光を貯め込む。 …このくらいか。
腕に軽い疲労感を感じつつ、改めて鍛錬に向かうのだった。




