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7 <箱>

「…カエサル、オレだ。一緒に帰ろう」

 ディーはなるべく彼を刺激しないように声をかけた。この状態のカエサルがおとなしくディーの言葉に耳を貸すかはなはだ疑わしくはあったが、ディーはなるべく彼を傷付けたくないと思っていた。

 なぜなら、カエサルもまた被害者だったからだ。ヒトの記憶の断片の寄せ集めの中から発生した、頼りなく不安定な自我なのだ。

「ディー、さん…」

 虚ろに、カエサルはディーを認識した。しかしその目はディーを信頼したものではなかった。

「帰るだって?どこに帰るんです?僕には帰る場所なんてない」

「いや、お前にはショックかもしれないが、全部お前の勘違いだったんだ」

「勘違い…?」

 ディーは何とかカエサルを説得しようと、言葉を選びつつ話す。

「そうだ。お前は人体実験なんかされていない。お前は最初から山京にいたんだ」

 それを聞いた途端、カエサルの顔が険しくなり、一歩ディーから距離を置いた。

「やっぱりあなたも僕の言うことを信じてなかったんですね」

「そういうわけじゃない」

 やはり何を言ってももう無駄なのか、とディーが思い始めた時、カエサルはディーの背後の車と、その側に立っているリンドンを見つけた。そのリンドンがしびれを切らした様子で叫んだ。

「ちょっと、何やってるの!?早く捕まえなさいよ!!」

「「!!」」

 ディーとソナタはしまった、と思ったが、もう遅かった。

 カエサルの目は敵意に燃えている。もうディーの話など聞かないだろう。

「ちょ、あなた何言ってんですか!今ディーが穏便に済まそうとしてたのに…!!」

 ソナタがリンドンに詰め寄る。彼が女性に声を荒げるなんて相当珍しいことだ。それだけ、彼は仕事に対してジャマされたくないタイプだった。

「だって、あんなに側にいるんだからパパッと捕まえればいいのに、ぐずぐずしてるからでしょ!?」

「パパッと捕まえられれば最初からそうしてますよ!余計な口出ししないでもらえますか!?あなたも危険ですから、車の中に入ってて下さい!」

 と半ば押し込むように、リンドンを車に入れた。

 ディーは空気の変わったカエサルを察知し、自身を戦闘モードに切り替える。

 カエサルが怒りに任せて、 

「やっぱりあんたは僕を裏切ったんだな!?帰ろうなんて言って、僕を山京の奴らに引き渡すつもりだったんだ!あんたは裏切り者だ!!」

 金属の箱を持った右腕を振り回した!

 ディーは素早く身を翻してそれを避ける。

「カエサル!!」

 ディーの呼びかけはカエサルに届かず、カエサルは当り散らすようにディーを攻撃してくるが、かすりもしない。駄々をこねた子供が大人相手に暴れているみたいだった。

 いくらカエサルがオートマタンと言っても戦闘タイプではないし、電脳に戦い方のプログラムが入っている訳でもない。出力も通常の人間並みなのでスピードがある訳でもなく、ただ身体が機械だからヒトよりは多少丈夫だというだけで、今までに何度も戦闘タイプのオートマタンと互角、またはそれ以上に戦い、撃破してきたディーにとっては相手になるはずもなかった。

 しかしディーはいつでもカエサルに反撃できるにもかかわらず、彼の攻撃をかわすだけで手を出していない。

「ちょっと!電脳には傷つけないでよ!?」

 またリンドンが車の窓から顔だけ出して言った。ディーはそれを聞き流したが、近くで聞いていたソナタは彼女に辟易していた。ソナタは基本女性には優しいタイプだったが、今度ばかりは優しくなれそうもなく、イラつく心を抑えるしかなかった。

 それにしてもどうするつもりだろう、とソナタは思った。いつでも撃てるように銃を持ってはいるが、あんないわば素人の動きのカエサルにディーが援護を必要としてるとは思えない。ディーほど体術に特化していないソナタですらカエサルをあっさりねじ伏せられるだろう。やろうと思えば簡単に制圧できるのにそれをしないのは、またディーの優しさがそうさせているのか。まだ説得できると考えているのだろうか?


 いくらディーに向かって行ってもちっとも彼に攻撃が当たらないカエサルは何を思ったか、不意に動きを止め、方向転換してさっきまでOLを連れて隠れていた建物内に駆け込んで行った。

「!?カエサル!?」

 何事かとディーは後を追う。 

「ソナタ、裏に回れ!」

「分かりました!」

 ソナタが駆け出し、ディーが中に入ると、割れたガラスの破片が飛んで来た。

「!」

 ディーがとっさに顔を腕でかばう。

 カエサルが次々とガラスの破片やその辺りにある物を手当たり次第に取っては投げつけてくるのだが、右手は箱を持っていて塞がっているので使っていない。この場合箱は真っ先に投げる対象になりそうだが、彼の右手はその箱がまるで手にくっついてしまっているかのように、邪魔に感じているふうでもなく、決して手放すことはなかった。

 ディーが飛んでくる物を払いながら一歩一歩カエサルに近付いて行こうとすると、今度は事務机のイスがディーの脚を目がけて蹴り出された。奇襲のつもりだろうが、ディーは軽々とそれをジャンプしてかわし、机の上に飛び乗った。

 ディーに対しては何の効果もない作戦だったが、それでもそのわずかな時間稼ぎの間に、カエサルは奥に続くドアから逃げていた。

「カエサル!!」

 ディーに敵わないとみたカエサルは隙をみて逃げることにしたのだろう。だが、ディーとしても彼を追及するようなことはしたくないとは思うが、再び逃がす訳にはいかなかった。

 ソナタが建物の真裏にあたる路地に来た時、カエサルは二階の非常階段に出て来た。

「あっ!」

 ソナタの姿に気付いたカエサルは上に上って行く。そのすぐ後にディーが来る。ソナタが銃を構えているのに気付いて、

「撃つな!オレが追い詰めるから、お前は下の出入り口を張ってくれ!」

 と言いながらまたカエサルを追って行く。

「ええ~っ。私駆け回る派じゃないんですけど~」

 ソナタは不満げな声をもらしながら、カエサルが出て来られそうな出入り口に先回りするために、建物をぐるっと一周してみる。

『今カエサルは下に向かってる!入って来た方だ!』

 ディーの声が左耳に着けた通信機になっているイヤーカフから聞こえてきた。有効範囲は狭いが、こういう場合に役立つので彼らの必要な装備の一つだ。

「了解」

 ソナタが表通りに走ると、結局カエサルは元の事務所の出入り口から走り出て、そのまま道を横切って行こうとした。が、やはり脚が早い訳ではないので、いくらか遅れて追いかけて来たディーにあっさり追いつかれ、回り込まれてしまった。

「くっ!」

 カエサルが振り向くと後ろにはもうソナタが来ていた。

「っ…!!」

 半ば観念したようにカエサルはうつむいたまま立ち尽くした。

 ディーがゆっくりと、諭すように話しかける。

「…もう止めよう、カエサル。逃げたってお前には行く所もない、IDもない。何もできないんだ」

「でも、僕は山京に戻りたくないんだ!あいつらは僕の、記憶をめちゃくちゃにした!!もう実験台になんかなるもんか!」

「ですから、あなたはそういう実験をされていたんじゃないんですよ。あなたはどこからか拉致されて実験台になっていた訳ではなく、元々山京で生まれたモノなんです」

 ソナタの言葉に、カエサルの表情がソナタの言うことを理解できないとでも言うような、不可解なモノを見るかのようなものになった。

「何を、言っているんだ?僕は人間だ。ちゃんと、奴らにいじられはしたけど、記憶がある。ヒトの、生きてきた記憶だ」

 カエサルの目が虚ろになった。

「そう、母さんは十年前に死んで…、犬を飼っていた。変な名前の犬だ。そうだ、来週旅行に行く予定があって…、僕は去年ガンだと言われたんだ。彼にプロポーズされたこともある。彼――――?…そう、こないだ見た映画は面白かったな。こないだって、いつだろう……いや、先月は会社で部長に怒られて、同僚のナミーも怒ってたし、父さんは僕が小さい頃に死んだけど、正月に会ったら知り合いの社長の息子と見合いの話が来てるって言ってた……父さんが…?死んだ、父さん…?」

 頭痛がするかのように頭を押さえながらも必死に思い出そうとしているが、ディー達には全くつじつまの合わない、意味不明の羅列にしか聞こえなかった。何人もの他人の記憶なのだから当然だろう。それを自分のものだと思おうとするから、異常をきたしてしまうのだ。

「そして、僕は春の日に彼女に指輪をプレゼントしたんだ…!!こ、こんなに記憶があるんだから僕は人間だろう!?実験なんかされていいはずないんだ!そうだろう!?」

 ディーとソナタに訴えてみても彼らはただ悲しげな目で静かにカエサルを見つめ返すだけだった。その視線に耐えられない、とばかりにカエサルは後ずさり、

「止めろ…!!僕は人間なんだ…!!うわあああ!!」

「「!!」」

 またカエサルが暴れ出した。電脳が受け入れられなくて暴走したのだろう。

 今度はディーを狙ってという訳ではなく、所構わず腕を振り回し、獣のように暴れていた。もうカエサルはディーとソナタを認識していない。近付こうとすれば誰でも殴り倒す勢いだった。

 それでもディーはソナタにむやみな発砲を禁止し、自分だけがカエサルに寄って行く。 ディーはカエサルの攻撃を最小限の動きで避けながら、箱が気になっていた。ほんの数時間前までは他人に触れさせるのも嫌だというほど肌身離さず大事にしていたのに、今は我を失っているためか、武器代わりのように振り回している。ディーはこの箱の中身が鍵のような気がしていた。

「ソナタ、ヤツの箱を狙え」

 イヤーカフに伝えると、ソナタの応答がすぐに返ってきた。

『了解』

 ソナタは銃を構える。

 カエサルが腕を振り上げた瞬間、その手にディーが蹴りを入れた。箱がその右手から弾かれ、地面に落ちる。そこをソナタが撃った。

 右目の義身躯(ギミック)で照準を合わせるまでもない、実に楽な標的だった。弾丸は戦闘用オートマタンの装甲でも充分ダメージを与えられる特殊撤甲弾だ。いくらその金属の箱が頑丈だとしても破壊できるはずだ。

 その予想通り、弾丸は易々と箱の上部を吹き飛ばした。

 カエサルは何が起こったのか解らずに、全ての動きを止めて、それを見た。彼の中では、間違いなく数瞬、時間が止まっていたのだろう。

 それから、

「―――――うああああっ!!!」

 カエサルが恐怖の叫びを上げる。

 箱から何か液体が溢れ出ている。カエサルが慌てて、箱に駆け寄りひざまづき、箱をまるで生き別れた我が子を抱きしめるかのようにかき抱いた。


 箱の中にあったものは、ヒトの脳だった。


 ディーとソナタは理解した。それが『カエサル』だったのだと。

 逃亡する時は無意識だったのかもしれないが、それが人間の証なのだと悟っていたのかもしれない。だから研究所から持ち出し、絶対に手放そうとしなかったのだ。

「あれは…どういうこと?脳が持ち出されていたなんて聞いてないわよ?」

 リンドンは顔をしかめ、運転手兼助手の男に問いただした。

「は、いや…、私もその、確かに直前まで記憶を抽出していた脳がなくなっていましたが、誰かがいつものように処分したものだとばかり…!!」

 男は恐縮しまくりで言い訳したが、リンドンは別に怒ってはいなかった。

「そう…」

 あのカエサルはアレを拠り所にして、自分を人間だと思い込もうとしていたのか。脳を抱えてうずくまっているカエサルを冷ややかに見ながら、電脳にはまだまだ未知のことがある、と彼女は思わざるをえなかった。

「やめろ…!!ぼくは人間だ…!これがあるから、ぼくはにんげんなんだ…!!」

 カエサルは壊れた箱と中身をひざに抱きかかえたまま、うわ言のようにずっとそう繰り返していた。もはや戦う意思も、今の状態以外の何かをする意思もない。憐れな『モノ』だった。

『ソナタ、頭を撃ってやれ』

 ポツリと、ソナタの左耳にディーの声がした。

 ソナタはおもむろに銃を上げ、

「言われなくても、そうするつもりですよ」

「ちょ―――――!!」

 ソナタが何をするか悟ったリンドンが声を出したが、無駄だった。

 思ったより乾いた音が響いて、ソナタは確実に、カエサルの電脳を撃ち抜いていた。

 カエサルは箱に覆いかぶさるようにして、完全に全機能を停止した。

「ちょっとアナタ、電脳は傷付けないでって言ったじゃない!!」

 車から降りて来てリンドンが憤慨しまくし立てる。しかしソナタは全く動じず、しれっとした様子で返した。

「こうすることが、『彼』の依頼を果たすために一番いいと判断しましたので」

「『彼』の依頼ですって!?」

「ええ。『山京の奴らから彼を守ること』です」

 リンドンはバカバカしい、とばかりに鼻で笑った。

「じゃあ、私の依頼はどうなのよ!?『逃げた実験機体を取り戻す』!それに、あなた達全然依頼主の私の希望を聞き入れてないじゃない!大体その『彼』の依頼料だってこっちが払うのよ!?」

 リンドンはオートマタンより軽く扱われたことが気に入らないようだった。

 ディーがこっちにやってきて、それに答える。

「機体は回収できるだろう?電脳のことは仕方が無い。どちらかを優先させなければならなかったんだ。オレ達はカエサルを優先した。実験はまたやれるじゃないか」

 ディーの切れ長の瞳がリンドンを見据えると、リンドンはその威圧のようなもので文句が言えなくなってしまった。

「それにですね」

 とソナタが付け加える。

「私、仕事に口を出されるの大嫌いなんです」

 にっとりと、とびきりの笑顔を見せた。



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