4 <もう一人の依頼人>
ソナタはディー達を見送ってから、メールにあった指定の場所へ向かった。
そこは、カエサルがソナタの目の前で追われていた喫茶店からさほど離れていない、広
い店構えのコーヒーショップで、一番奥の席に依頼人がいるはずだ。ソナタはそこに女性
の姿を認め、すっと向かいの席に座った。
「あなたが依頼人ですか?私はアクロードのソナタです」
にこりと微笑む。どんな女性、いや男性だったとしてもその微笑みに大抵の人間は一瞬
見とれてしまうものだが、目の前の、ソナタより十ほど年上に見える女は、ソナタにそれ
ほどの興味は示さなかった。
「ええ、そう。…あなたがアクロード?二人組だと聞いていたけど?」
黒髪を一つにまとめた女性はソナタを上から下まで確認するように見ながら言った。声
には若干己の自信に満ち溢れた響きと、疑いの響きがある。高慢そうに見える顔つきはア
ジア風の美人と言ってもいいだろう。
「あいにく相棒は今ちょっと別件で出ていまして。でも依頼の話を聞くくらいなら私一人
でも大丈夫ですよ」
ソナタは笑顔を少しも崩すことなく、慣れているふうで答えた。
ソナタが一人で依頼人の応対をすると、相手の反応はいつもこんな感じだった。外見か
らしても華奢で優男にしか見えないソナタが、本当にその世界では名の通った探偵なのだ
ろうか、と訝るのだ。ディーが一緒なら、ディーの人を寄せ付けない雰囲気が探偵という
職業に説得力を持たせられるのだが。
が、女の疑りの表情はすぐに消え、話を進めることにしたようだ。
「まあいいわ。じゃあさっそく話に入らせてもらうけど…、私は山京重工技術研究所電脳
開発部部長、ルーシイ=リンドン」
ルーシイは上着のポケットから社員証を見せた。
「!」
なんという偶然だろう!まさか向こうからやってくるなんて、とソナタはこの偶然に多
少驚いた。彼女の依頼はおそらくカエサルのことだろうと察しは付いたが、あくまでもポ
ーカーフェイスで、若干カマをかけるように言ってみた。
「山京重工って、オートマタンメーカーの大手ですよね。そこの開発部がウチに何の依頼
です?開発中のオートマタンでも逃げましたか?」
案の定、彼女の顔が失敗を咎められたかのように苦々しく歪められた。
「まあ、そんなものね。…私のセクションではいくつかの実験、研究をしているんだけれ
ど、そのうちの一つに、人間の記憶を電脳一杯に詰め込んだらどうなるかっていう実験を
やっていて…」
ソナタがピクリと反応した。まさか本当にカエサルの言うように人体実験をしていたの
か!?
「まさか、ブレインダビング!?」
ブレインダビングは文字通り、生きている人の脳の記憶や意識、全てを電脳にダビング
するという行為で、それをやると人間は気が狂うか廃人になるかなので、非人道的だとし
て国際法で禁止されている。
それを疑われて、リンドンはあわてて否定した。
「ええ!?いえ、まさか!そんな違法なことはしてないわ!だいたい、ホントにそんなこと
してたら言えないでしょ!?」
「ああ、そうですよね…。じゃあ、どうやって?」
「気長に提供者を待つのよ。引き取り手のない遺体や臓器提供者とか。それで、死亡した
後すぐに脳を引き取って、引き出せるだけ情報、記憶を引き出して最新の電脳に入れるっ
ていう、それだけの実験よ」
「…で、その電脳をどうするんです?」
「今のところはどうもしないわ。まだ詰め込んでる最中だったんだもの。詰め込んだらど
うなるかを調べる実験なのよ。ただ、電脳を埋めるほどの情報、記憶量なんて死亡してい
る脳一つ二つじゃとうてい足りないから、それだけ時間がかかるし、さしあたっては重要
視してない実験ね」
なんだかソナタは拍子抜けした。意外と企業は大雑把なのかもしれない。しかし歴史を
顧みると失敗や何てことないことから偉大な発明や発見がなされているわけで、どんなこ
とでもやってみる価値はやらないよりはあるのだろう。
それはさておき、ということは、カエサルはその実験機体…?人間、サイバーロイドで
はなく、そう思い込んでいるオートマタンなのか?
「それで、今日数時間前にその電脳を持ったオートマタンが逃亡してしまったの。あなた
はそのオートマタンを知っているはずよ?」
「え」
ソナタは正直驚いた顔をしてしまった。彼女はカエサルがソナタ、もしくはディーと一
緒にいることをすでに知っているのか?
「二時間ほど前、あなたは追われている男を助けたでしょ?」
「助けたというか…、まあ成り行きで。町中で構わず銃を撃つような輩は嫌いなんですよ」
ソナタはちょっと相手の出方をうかがうように答えた。この話からすると、カエサルの
追っていた連中は本当に山京技研だったらしい。
「その助けた男が、逃亡した実験中の機体なの。それで、あなたが嫌いな輩は一応ウチの
セキュリティでね、その中の一人があなたの顔に見覚えがあると言ったので、調べさせて
もらったわ。そしたらサイバーズ専門の探偵だっていうじゃない?ちょうどいいから仕事
を頼むことにしたってわけ」
なるほど、とソナタは思った。まだ彼女らはカエサルがディーと一緒にいるということ
までは知らないようだ。
「立派なセキュリティがいるんですから、彼らにやらせればいいじゃないですか」
「彼らには本来の仕事に戻ってもらったわ。あなたとやりあった時みたいに事を荒立てら
れると困るのよ。本社にはこのことはまだ知られていない。このまま内密に済ませたいの。
解るでしょ?」
大人の都合というやつだ。だが、そのことにソナタは不満はなかった。むしろ手っ取り
早く依頼が完了するだろう。断る理由はない。
「分かりました。依頼を受けるのは構いませんが、聞いてもいいですか?」
「なに?」
今度はリンドンが警戒するような顔つきになった。
「なぜそのオートマタンは逃げたんです?記憶を入れてるだけの電脳だったんですよね?
動けるなんておかしいですし、セキュリティも甘くないですか?」
「それがこっちも不思議なんだけど…、どうやら自分でプログラムを起動したらしいわね。
ある程度の自我が宿ったのかも…。セキュリティについては、まさか勝手に動くなんて思
ってなかったし、言ったでしょ、だいたい大事な実験じゃなかったから特に厳しく管理は
してなかったわ」
「……」
彼女は特にウソを言っているようではなかった。幸いその実験機体、カエサルはすでに
こちらの手の内にある。ソナタは心を決めたように一つうなずいた。
「では、依頼を受ける前にこちらからも言っておくことがあります」
リンドンは金の話だろうと思い、無言のまま目で先を促す。
「まず、あなたのおっしゃっている逃げた実験機体、彼は今『カエサル』と名乗って、私
の相棒と一緒にいます」
「な、なんですって!?どういうこと!?」
当然、リンドンは驚いた。
「彼はあなたたち山京技研に人体実験されて殺されかけたと思い込んでいるんです。それ
で私と出会い、アクロードに依頼をしてきました」
「依頼?オートマタンが何を依頼するっていうの?」
「彼は自分をオートマタンだと思っていません。自分は人間だと頑なに思っています。だ
から『人体実験』で『殺されそうに』なった自分を助けて欲しいと」
「そうなの…!人の記憶の集合から自我が生まれて、自分を人間だと認識したのね…」
リンドンはすでに冷静になり、状況を飲み込んだ。
「今あなたの相棒と一緒にいるって言ってたわね?」
「はい、言いました」
「じゃあ話は簡単だわ。どこにいるか分かってるなら今すぐこちらに引き渡してちょうだ
い!これで仕事が完了とはいえ、一度仕事依頼したんだから相談料くらいは払うから!」
「それがですね、今相棒はカエサルの仕事中なんです」
ソナタはにっこり笑った。リンドンにもソナタが何を言いたいのか察しがついてくる。
「彼の正体からすると依頼料は払ってもらえそうもありませんが…、彼はおたくの所有物
なんですよね?」
リンドンは仕方ないとばかりに顔をしかめ、
「分かったわよ!そっちの分の依頼料も払うわよ!ついでに口止め料もね!」
最後の一言は皮肉で言ったつもりだったが、ソナタは全く動じずにこやかに手を叩いた。
「結構です。では商談成立ということで!」
さっそくソナタはナビを取り出し、ディーに連絡した。
ディーとソナタは東香港島に着き、カエサルの住所に来ていた。最寄の駅から近く、住
宅街にあるアパートも小ぎれいだった。カエサルの部屋には両親だろう、まだ悲しみも抜
けきらず、遺体を引き取って来たばかりのようだった。ちょうど遺体が中に運ばれてゆく。
ディーとカエサルが近付いてゆくと、母親が気付いて
「あなたがたは…、この子のお友達…?」
と尋ねた。カエサルが何か言いかけたのをディーが遮り、咄嗟にそうだと答える。
「葬式には仕事の都合で出られそうもないので、よかったら今ちょっとお別れさせてもら
ってもいいですか?」
母親は涙ぐみ、ディーの心遣いに感謝するようにうなずいた。
「ええ、どうぞ。まだ何もしていませんが…」
「いえ、すぐに帰りますので」
ディーとカエサルは部屋に入った。室内は多少散らかってはいるものの(むしろその散
らかり具合が)、ごく普通の若者の部屋らしかった。両親は素朴で人が良さそうだ。カエ
サルは事故死だったのだと言葉少なに語ってくれた。
ディー達は何か言うと知り合いですらないことがバレてしまうので極力何も言わずに、
神妙に遺体を拝み、お悔やみを述べ、早々に部屋を後にした。
アパートから少し離れた所まで来ると、ようやく妙な緊張感から抜けられた。
「で、どうだったんだよ?」
ディーが言った。カエサルは自分が住んでいたかもしれない部屋に入り、自分だったか
もしれない顔を見て、両親だったかもしれない人達と会った。もし本当にそのカエサルだ
ったら何か少しでも心に引っかかるものがあっていいはずだが、当のカエサルはずっと感
情を忘れてしまったかのような無表情のままだった。
「…分からない…。全く実感がありませんでした。何も思い出すこともないし…」
何を見てもまるで自分のことだという気がしなかった。部屋を見てもただの他人の部屋
だったし、遺体を見ても全然知らない人で、両親だって親近感すらわかなかった。何一つ
見覚えのあるような物すらなかった。やっぱり自分はカエサルじゃないのだろうか、と思
い始めた時、ディーのナビが鳴った。
ソナタからだ。
「おう、そっちはどうだった?」
『それがですね、すごい偶然で、こっちの依頼人は山京技研の人だったんですよ』
「山京の?まさか、本当に…」
山京と聞いたカエサルが、ぴくりと身を震わせたのを、ディーは気付かなかった。
『いえ、まあ詳しいことはあとで話しますが、カエサルは山京技研から逃亡したオートマ
タンです』
「…どうして逃亡を?」
他にも聞きたいことはあったが、ディーはとりあえずそれだけ口にした。
『そこは彼の思い込みから、としか言いようがないですね…。で、そっちはどうだったん
です?』
「ああ、ちょうど本人の遺体と両親がいてな。部屋に入ってちょっと話したりしたんだが
…」
『反応ナシ、ですか?』
「ああ」
『そうでしょうね。それじゃあ、すぐに彼をこっちに連れ戻して下さい!彼を引き渡せば
こっちの依頼は完了ですので』
「だけど、この状態で素直に山京に帰ると思うか?」
『その時は、それなりのやり方でやるしかないですね』
あまりにも合理的なソナタの意見にディーはあまりいい気はしなかったが、これ以上こ
こにいても仕方ないことは明白だ。
「分かった。とりあえず戻るよ」
言いながらちらとカエサルの方を見ると、そこにいるはずの彼が見当たらない。さすが
のディーも驚き、慌てて
「!?カエサル!?どこだ!?カエサル!!」
辺りを見回し呼んでみたが、どこにもカエサルの姿は見えなかった。
『ディー?どうしたんですか?』
まだ切ってなかったナビから、ディーの異変に気付いたソナタの声がする。
「すまない、カエサルがいなくなった…!」
『何ですって!?』
「悪い!ほんのさっきまでそこにいて、まさか勝手にどっか行っちまうとは思ってなかっ
たから、油断したよ…」
『…もしかしたら、この会話を聞いて誤解したのかもしれませんね。そんなに遠くへは行
けないでしょう。…じゃあ、私達がそっちへ行きます』
「ああ、頼む」